迷い人  .

(困った…)

広大な海に浮かぶ海都アーモロードまで、運良く乗り込めた商船に運んでもらったまでは順調。
特に困るようなこともなかったし、船員の人々も友好的だった。
そうして楽しい航海を終え、意気揚々と港を出たのだけれど。

(ここはどこなのだろうか…)

できる限りの地味な格好で来たはずなのに、町人の視線がやたらとこっちを向いている。
中には親切にお茶に誘ってくれる人も居た。
が、こっちの話を聞かず無理矢理引っ張って行こうとしてきたため、悪いとは思いながらもこっちも強行手段に出させてもらった。
そのせいで横に男が三人ほど倒れているのも、僕が目立っている理由に含まれるのかもしれない。

「君、どうしたんだい。困りごと?」
「え…」

ひそひそと遠巻きから話をする人々の中から、その人は現れた。
その人は、半ば野次馬化していた人だかりの中でも物怖じせずに、ひょっこりと顔を出したかと思えば、本当に通りがかっただけかのように自然に話しかけてきたのだ。
表情を見れば、どうやら野次馬だとか集まっている理由だとかをあまり気にしない人なんだと分かった。

横髪と後ろ髪が同じ長さに切り揃えられたサラサラの薄金の髪を風で揺らし、少しだけ腰を折って同じ目線にしたかと思えば、空色の瞳で僕の顔を覗きこんできた長身の男。
悪意は、感じられない。

「どうやら…迷ってしまったようで」
「なるほど。私には誰かを待っているように見えたんだが、そうか。どこへ行きたいのかな」

誰かを、と言われて、戸惑う。
別に誰かを待っていた訳ではないのだが、そういえば、いつもならば自分は待っているだけで、必要な手筈は従者が全て整えていたという事実に思い至る。
おかげで自ら行動を起こしたことがなかったことに気づき、同時に僕が普段からいかに城の者に頼っていたかを思い知った。
今もこの男に話しかけられ、更にそれに頼ることで目的を達成しようとしたわけで。

(そうか…)

僕は自ら誰かに話しかけて道を訊くことすら出来なかったというのか。
そこまでを考え、軽く自己嫌悪に陥った僕は呟くように男の申し出を断っていた。

「…親切を断ってすまないが、自分でなんとかしようと思う」
「? そうかい…?」

優しげな男の親切を断るのには心が痛んだけれど、自ら行動を起こさなければこの先自分は何も変わることができないのではないか。
そんな焦燥感に狩られ、気づけば僕はその場から駆け出していた。
それから少しして、冷静に考えた結果、道を訊くくらいはしておけばよかったのだと気づいたのだが、走り出した後に戻ることは、どうしてもできなかった。

やがて足を止めた僕は、案の定どこかの路地に迷い込んでいた。
初歩的な知恵として太陽を目印に方角を知ることはできるけれど、そもそも目的地がどの方角にあるのかが分かっていないため、それもあまり役に立たなかった。
町の中心に聳え立つ世界樹を見つめて、先程町の中に居た時よりは海に近付いたのだと理解する。

「いっそ海を見て心を落ち着かせようか…」

ぽつりと独り言を零して、再び進行方向へと歩き始める。
今でこそ地味な格好に身を包んでいるが、僕は世間から遠く離れた小さな島国の王子だ。
毎日見ていた海は、僕の心を落ち着かせてくれる。
好奇心に任せて城を飛び出しここまで来たのだが、自分の愚かさを痛感するばかりで、早くも心が折れかけていた。
だから、海を見れば少しは落ち着けるのではないかと思ったのだけれど。

「見つけましたよ」
「…っ、!?」

突然背後から伸びてきた手に肩を掴まれ、驚きに体が跳ね上がる。

「ファネメリー王子。国へ戻って頂きます」

振り返ると、そこには見知った鎧に身を包んだ兵士の姿があった。
言わずもがな、僕の国の兵士だ。

「…随分と、早いのだね」
「王子の格好は目立ちますから」

まさか地味だと思っていた格好を指摘されるとは思わず、掴まれた手を振り解くのも忘れて目を丸くする。

「この格好は、目立つのか?」
「はい。とてもお綺麗です」

畳み掛けるように褒め言葉を投げられ、頭を石で殴られたような衝撃を受けた。
これが目立つと言うのならば、一体どんな格好ならば地味だというのか。
今まで見ていた市民たちの格好を完全に眼中から外していた僕は、その場で真剣に考えこんでしまう。

「それでは王子、冒険はここまでにして、国へ帰りましょう」
「! それは断る」
「何故です?もう十分堪能されたでしょう」
「いいや、不十分だ。僕はあまりにも世間を知らなさ過ぎる。そうは思わないか」

逆に問い返せば、兵士は何を思ったのか、僅かに僕から視線を逸らした。
答えれば無礼になる、とでも考えたのか。
それならばつまり、少なからず僕のことを世間知らずだと思っている、と。

「とにかく、僕はまだ帰らない。お前は帰って父上にそう報告しろ」
「それでは困ります」

先ほどから掴まれた腕を振り解こうと力を込めているのだが、どういうことか中々振りほどけないでいた。
それどころか強い力で引かれ、危うく足がついて行きそうになる。
自国の兵士へ向けて剣を向けるわけにも行かず、かといって帰る気は全くない。
どうしたものかと言葉を捜していると、するりと、苦心していた手がいとも簡単に外れた。

「理由がどうであれ、無理矢理はどうかと思うよ。私は」

そう言って僕と兵士の間に割って入ったのは、先ほどの優しげな男だった。
尤も、今は優しげな雰囲気などなく、逆に冷たさすら感じる。

「走って」

手を取られ、僕はそれに抗うことなく男に合わせて足を速めた。
男は大して速く走っている風には見えないのに、周りの風景はどんどんと変わっていく。
やがて、僕の息が切れ始めた頃、ようやく男も止まった。息一つ乱れていない。
後ろを振り返って確認したが、どうやら兵士を撒くことができたらしい。

男が止まった場所は砂浜で、水平線が遠くに見えた。
砂浜に足を取られながら、今は手を離して波打ち際まで歩いて行った男に近付く。

「お前は一体…。どうして、ここに…」
「尾けたわけではないのだけれど、君がどんどんと何もない方向へ向かっていくものだから、気になってしまってね」

いくら尾けるつもりはなかったと言われても、行動を見られていたというのは気恥ずかしさを覚える。
だが事実ゆえに弁解の言葉も見つけられないでいると、男はもう一度口を開いた。

「ところで、君はどこへ行きたかったのかな」
「ああ…。その…、冒険者ギルドに」

今度は素直に言えた。
そうか、僕は考え過ぎだったのかもしれない。

「…君は冒険者なのかい?」
「志望だ」
「所属は?」
「未定」
「そうか…」

その時、男のぼんやりとした瞳に、一瞬だけ光が差した気がした。
そしてそれは見間違いではなかったらしく、男はやけに優しげな笑みを浮かべて僕へ向き直った。

「私はソルフ。私のギルドに入る気はないだろうか」
「…え?」
「返事は急かなくていい。ただ、人員を急募していてね」

ソルフと名乗った男は、そう困ったように笑ったかと思えば、次には険しい目つきになった。
その視線の先は遠く離れた波打ち際に注がれている。
何事かと視線を追えば、そこには倒れている人の姿。
大変だ。

「詳しい話は、また後で」
「ああ、そのようだ」

それにしても迷った僕を気にかけたり、波打ち際に倒れた人を放っておけないなど、この男は随分とお人好しなのではないだろうか。
はっきり言って、そのような人を見かけたら、僕も同じことをするであろうことを棚に上げて、そう思った。
10.04.07




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