はじまりの前日  .

星の綺麗な夜だった。
海の見える丘の上、穏やかな波の音に耳を澄ます。
白に金の混じった薄金の髪を風の吹くままに任せ、ぼんやりと星を眺めていると後ろから声がかかった。

「ししょー。カゼ、引きますよ」
「起きたのかい、イリーヤ」

声の主は、朽葉色の髪をまっすぐに伸ばした、表情に乏しい少年。
彼、イリーヤは、私が育てた子供だ。
だが私の子というわけではなく、まだ赤子だった彼が泣いているのを見つけたのだ。
場所は、今私が腰を下ろしているこの場所。

──その日も、今日のように星の綺麗な夜だった。
周りに人影はなく、泣いている赤子を放って置くわけにも行かず。
一人身だった私は迷うことなくその子を抱き上げて連れ帰った。
依頼書を出し、張り紙を貼り、海都中を歩き回って呼びかけたが、結局親は見つからなかった。
それならばと引き取って、もう12年になる。
つまりイリーヤの歳も、12だ。

(随分と、時が経つのは早いものだ…)

一人物思いに耽っていると、いつの間にか隣に移動したイリーヤが、寄り添うように私の肩に頭を預けて座った。

「ししょー、何か悩んでますね」
「…よく分かったね」

彼は、私のことを決して父とは呼ばない。
育て方を間違ったのか。
あるいは血が繋がっていないことを気にしているのか、また違う理由があるのか、それは彼自身にしか分からないけれど。
一応、本当の親ではないことは、すでに打ち明けている。
彼も心得ていたかのように頷いたため、関係を損なうことなく今もこうして一緒に居る。

「ギルドをね、作ろうと思うんだ」
「…ジュカイに 潜るんですか?」
「ああ。少し、旧い友人との約束があってね」
「では、ぼくも行きます」

齢12にして大人の占星術士に劣らない星詠みの力を発揮するイリーヤ。
戦力としても、信頼関係にしても、欠点を見つけることの方が難しいほど頼りになる存在であることは確かだった。

「そうだね。一緒に行こう」
「はい」

イリーヤが星に興味を示したのはいつ頃だっただろうか。
子育てなど一切も分からない私は、とにかく彼が好むものを与えてきた。
すると彼はいつの日からか占星の本を要求するようになり、術を使い始めた頃には私の持っていた占星に関する知識を与え、やがて、気づけばその才能を見事に開花させていた。

「不安なら、星に占ってもらいますか?」

物思いに耽る私の横顔をどう読み取ったのか、じっとこちらを見つめるイリーヤと目が合った。
私のことを心配してくれているのだろうか。

「…頼もうか。ならば、明日の私の運勢を」
「分かりました」

彼の占いは、否定のしようがないほどよく当たる。
そして、逆に恐ろしい結果を招くこともあった。
そのせいかイリーヤは星占いをすることを嫌うのだが、今こうして自ら言い出すことは珍しい。

「…………」

イリーヤは静かに目を閉じ、星に語りかけ始める。
占星術こそ使えないものの、知識の範囲で知っている私は彼の集中を妨げないよう視線を外し、もう一度空を見上げた。
やがて、ぽつりぽつりとイリーヤが言葉を呟き始める。

「トラブル…迷い人…漂流…背負う…」

なにやら物騒な単語が次々と出てくる中、若干顔を青褪めさせながらも、大人しく占いの結果を待った。
本当に悪ければイリーヤは口を閉じるし、そうでなければ最後まで教えてくれる。

「どうだい」

頃合を見計らって、答えを催促する。
すると、イリーヤは目を開いていつもの眠そうな目をこちらへ向けてきた。

「面倒ごとが、たくさん。だけどそれらをすべて抱え込めば、とても良いことが起きる、と」
「抱え込めと…?ふむ、とても良いことが起きるのならば、多少の苦労は仕方ないのかもしれないね」
「あまり、いつものししょーと変わりませんね」
「ということは、私は自然体で居れば良いのか」

そう私が笑うと、イリーヤもつられたように小さな笑みを零す。
普段全く表情に変化のない子だが、喜怒哀楽は僅かながらもこうしてちゃんと顔に出してくれる。
そんなところが、可愛くてたまらない。
もしかすると、こういうのを親馬鹿というのだろうか。

「創ったギルドに人が集まると、いいのだが」
「ししょーは人に好かれるので大丈夫です」
「…そうかな」

何故か自信満々に言い切られてしまい、私は苦笑で返した。
必中の占いをしてもらったものの、実際明日にならなければ何が起こるかは分からない。
ここで考え込んでも仕方ないと、今日は家で休息を取ることにした。
重い腰を上げて、イリーヤの頭を撫でる。

「朝には帰ってくるんだよ」
「はい」

正式に占星術士となって以来、イリーヤは夜行性である猫のような夜型生活に切り替えてしまった。
そのため、太陽の昇る時間は殆ど寝て過ごすのが今の彼の生活スタイルだ。
以前のように一緒に眠ることが少なくなってしまったことに若干の寂しさを感じるものの、生憎と人の過ごし方に口を挟むような性格でもなかった。

「おやすみなさい。…ソルフ」

そのまま去ろうとしたところで、不意に名前で呼ばれ、ドキリとする。

「ああ、おやすみ。イリーヤ」

それでもその場は、気づかれぬよう平静を装って返した。
私の僅かな戸惑いを、彼は見抜いただろうか。

その後、歩き出してからも頭は混乱したままで、スッキリとしない。
私が育てた子ながら、理解できない点もやはり多々あるのだ。

(なぜあの子は、私の呼び方を使い分けるのだろう)

意図して使い分けていることは分かるのだが、一体どういう状況で使い分けているのかが、十数年共に生きてきて未だに分からない。
言い知れぬもどかしさに小さく溜息を零しつつ、自宅への帰路を歩いた。
10.04.05




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