きれいな歌声  .

それからの僕は、ついさっきと同じ道を歩いているとは思えないほど軽い足取りで広場までやって来た。
やはりここで待つと約束をしていたメディックの人の姿は見えない。

けど、もっと分かりやすいものがあった。女の子たちの群がりだ。
どうやら、カナタ兄さんはハルカ兄さんと違ってモテるらしい。
気にならないわけじゃ、ないけど。

近づいていくと、その人だかりはフロースの宿の前にできていた。
入り口前で宿屋の主人であるおばさんが中に入れないよう文字通り体を張っている。
何やら大声も出しているみたいだけど、女の子たちの黄色い声には敵わない。

「…うーん」

きっとあの中にメディックの人もいるはず。
それは分かっているのに、あの人だかりの中を縫って行ける気がしない。
それに、行けた所でおばさんを押し退けることは不可能だろう。

どうしようか、そう悩んでいると、二階の開いている窓から音が聞こえてきた。
この音色は…きっとリュートだ。
おもむろに弾かれ始めたその前奏が終わり、やがて音に乗ってきたのは透き通るような美しい声。
それの全てがハルカ兄さんの唄う歌と寸分違わない。

「双子の…兄さん。本当に居たんだ…」

聞く者の足を止めさせるその美声に、女の子たちは聞き惚れている。
主人までもが大人しくなっているが、今が好機と見たのかいつもの勢いで追い返してしまった。
散り散りにされた女の子たちから不満は出るものの、すぐに美声の前に耳を済まし始める。

すごいと、思った。
滅多に真剣に唄わないハルカ兄さんも、きっとまともに唄えばこれほどの影響力を与えられるに違いない。
そう思いながら、僕は歌が止まない内に、一仕事を終えたおばさんに近づいた。

「あの、すみません。中に入れてもらってもいいですか…?」
「あらまあ、カナデちゃんだっけ。すまないけど、暫くは貸切になってるのさ」
「中に、どうしても会いたい人が居るんです」
「困ったねえ…。なんせ、あの人たちは樹海に行って疲れてるし、その上にさっきの騒ぎだろう?」
「…だめ、ですか?」
「そうだねえ…明日ウチへおいで。特別に通してあげようじゃないの」
「ありがとうございます!えと、それじゃ、また明日に出直しますね」
「せっかく来てくれたのに、すまないねえ。気をつけて帰るんだよ」

今日会えなかったのは残念だけど、明日になったら会える。
僕はとりあえず歌だけでも最後まで聞いて行こうと、てきとうな段差に腰掛けた。
女の子たちもまだ聞き惚れている。

「あれ?カナデ」

名前を呼ばれて声のした方を見やれば、そこにはオージュを先頭に依頼をこなしに出て行った三人が居た。

「もう終わったの?」
「いんや、町の中の依頼が一個終わって次のが世界樹の中でさ」
「そっか」
「そっちはどうなの?」
「今日はダメだった。また明日ってやつ」

答えたオージュに頷き、問うイアンには首を振った。

「はは、じゃ、俺らと一緒に行く?」
「そうしようかな」

この後特にやることもなかった僕は合流することにする。
終始無言だった兄さんは、宿屋の二階から聞こえてくる音楽が気になったのかずっと見上げている。

「兄さん、カナタ兄さんだよ、この音」
「うん、分かるよ。俺と同じ音だね」

そう笑って兄さんはおもむろにリュートを取り出した。
今流れている曲、それに合わせるように別の旋律を奏で出す。
この曲は…知ってる、兄さんの十八番の癒しの子守唄。
そして、カナタ兄さんが弾いているのはきっと安らぎの子守唄だ。
その二つの音楽が巧く合わさったところで、カナタ兄さんと同じ歌詞を唄い始めた。
宿屋に居る、カナタ兄さんまで聞こえるように。届くように。気づいてもらえるように。

僕の居る位置からではハルカ兄さんの音のほうが大きいけれど、二人の歌は全く同じだった。
息継ぎのタイミング、間の取り方、アクセント、テンポ、リズム、音程。
それがなんだか面白くて、曲調は優しい音色なのに、僕は場違いにも笑ってしまった。
これは、嬉しい、っていうのかもしれない。

やがて、不意に始まった双子の演奏は余韻を残して終わりを告げる。
広場の時間を止めていた音は鳴り止み、拍手も起こらないほど広場は呑まれていた。

「…っ、ハルカ!?」

出窓から転げ落ちそうな勢いで顔を出したのは、紛れもなくハルカ兄さん…と、同じ顔をしたカナタ兄さんだった。
見れば見るほどそっくりだ。
長い間ハルカ兄さんの弟として生きてきた僕だけど、見分けがつくかどうかの自信はなかった。
けれど決定的な違いがある。
カナタ兄さんの髪は、肩につくかつかないかくらいのところで短く切られているから。

「カナタ。久しぶり」
「うん、久しぶり!あ、ちょっと待ってて!降りるから」

すると、カナタ兄さんは本当に出窓から飛び降りた。
誰かの助けが入る暇もなく、それでも彼はスタッという音を立てて綺麗に着地した。
くつろいでいたからか、ラフな格好のまま近づいてくる。

「無茶なところは相変わらずだね」
「まあね!それにしても、こんなところで会うなんて。ハルカは旅とは無縁なのかと思ってた」
「カナタが旅立つのが早すぎるんだよ!8歳ってまだリュートも半人前だったのに!」
「あれー、そうだったっけ?なんか居ても立ってもいられなくなって飛び出しちゃった」

悪びれもせずに小さく舌を出すカナタ兄さん。
それすらも似合って見えるから不思議だ。
もしハルカ兄さんがやったらたぶん僕はドン引きすると思う。

それから、性格にも違いを見つけた。
カナタ兄さんはハルカ兄さんよりも行動力があって、マイペースだということ。
今まで育ってきた環境が違うからか、カナタ兄さんのほうが大物に見える。

「まあ、思い出話は置いといて。そっちの後ろの子たちは?お友だち?」
「同じギルドに所属してるんだ。世界樹に挑んでる」
「ああ、やっぱここに居るってことはハルカも挑んでるんだ?」

くすくすと嬉しそうに笑うと、カナタ兄さんは僕らの方に向き直った。

「はじめまして!ハルカの双子の弟、カナタです」
「初めまして。俺はオージュ。こっちがイアン。この子がカナデ」
「オージュに、イアンに、カナデ…、え、カナデ?」
「お久しぶりです。カナタ兄さん」

まさかとは思ったけど、やっぱり気づいていなかったらしい。
確かに当時4歳だった僕の成長した姿に気づけという方が無理だとは思う。

「…女の子だったっけ?」
「…男ですよ。正真正銘」
「あ。分かった。ハルカの趣味だね?」
「だって、カナデには女の子の服のほうが似合うよ!」
「よしよし、カナデ。こんな変態兄貴に付き合わなくていいからね」

ハルカ兄さんの傍から離されるように、カナタ兄さんの腕の中に引き込まれる。
ついさっきまで全く覚えのなかった人。
けれど、血が繋がっているからか、その腕の中はとても心地よかった。
それにカナタ兄さんの声は、どんな台詞を言おうとも耳に自然に溶け込んでくる。

思えば、実の兄さんに敬語なんて必要ないんじゃないか。
どうせなら、思い切り甘えてみよう、かな。

「カナタ兄さんは、ずっとここに居るの?」

頭を撫でてくれる兄さんを見上げれば、困ったように微笑まれた。

「暫くはここに居るよ。けど、それ以降はまた放浪しようと思ってる」
「…やだ」
「ふふっ、困ったなあ。引き止められるのが嬉しいや」

今度は嬉しそうに笑ったカナタ兄さんは、僕の額に優しいキスを落とした。
ハルカ兄さんとの笑みとは段違いにかっこいいし、綺麗だと思う。

「カナタずるい!俺だってカナデに甘えられたことないのにっ」
「ええー? 12年も一緒に居たのに?」
「そ、そりゃあ、小さい頃は可愛かったよ!? でも今はすっかり自立しちゃって…!」
「…それは兄さんが頼りないからでしょう」
「うう」

そうなのだ。この人ってば、道に迷うし、コミュニケーションだって無茶苦茶で。
僕を旅に連れて行こうとした時だって路銀を忘れて初っ端から稼ぐ羽目になったり。
そんな兄を見て育って、こんな風にはなりたくないと思うのは当然だと思う。

「あ、やば…っ」

不意にカナタ兄さんが振り向いて、焦ったような声を出す。
見れば、我に返った女の子達がきょろきょろとしている。

「そういや、なんであんなファンがついてるの、兄さん」
「うーん…それが、この前ここで一曲演りながら唄ってたら追いかけられちゃって…。おかしいね、僕の歌に魅了する効果はないのに」

くすくす笑って、兄さんは手に持っていたリュートを軽く弾いた。
小さな声で祈りをささげる詩を唄う。
テンポの速いその曲は…なんだったっけ。
思い出せない僕の代わりに、ハルカ兄さんが言う。

「韋駄天の舞曲だね」
「当たり。僕はこのまま逃げるよ。それじゃ、またどこかで。そっちの二人も、また今度ゆっくり話そうね!」

そう言い残し、カナタ兄さんは家と家の間にある様々な出っ張りに足を掛け、まるで軽業師のように屋根の上に登って行ってしまった。
人間離れした荒業に、僕も兄さんも開いた口が塞がらない。

「兄さん…あれ、できる?」
「いや、俺にはちょっと…。無茶するのが変わってないどころか、パワーアップしてたみたいだね」
「樹海を踏破する頃には俺らもああなるのかな…」

呆然としながら、オージュも呟く。

「いや、それはさすがに…でも、どうなんだろう」

イアンも強く否定できないまま、暫く4人で空を見上げていた。

「そうだ!カナデ!」

と、急に降ってきた声に全員の肩が驚きに跳ねる。
ひょこっと屋根の上から顔を出したのは、去っていった筈のカナタ兄さんだ。

「な、何?カナタ兄さん」
「ハークスが残念そうにしてたよ。また構ってやってね。それだけ!」

終始笑顔を振り撒いていたカナタ兄さんは、今度こそその姿を消した。
ハークス、聞いた覚えのない名前。
きっと、いや、間違いなくあのメディックの人の名前だろう。
待っていなかった僕のことを気に掛けてくれていると思ったら、なんだか心が温まった気がした。
俯いて一人でそっと微笑めば、直後に左右から掴まれる僕の肩。

「「ハークスって、誰?」」
「あ、あはは…」

兄さんとイアンに迫られた僕は、またもやオージュによって助けられた。
大切に思ってくれるのは嬉しいんだけど、なあ…。
08.09.04




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