ちいさな転機 .
(※時間軸は"隻眼のキング"と同日です) キングからついで、と称して渡された依頼書。 その報酬は魅惑の香…らしい。 名前だけを見れば、惚れ薬の類ではないかと訝しむけれど。 生憎と魔物の気を引き、攻撃を引き受けるものだ、これは。 もし惚れ薬だったなら。 そんな自分の考えに笑って、鋼の棘魚亭を目指した。 「こんにちは」 カウンターで暇そうにしている主人に話しかける。 彼はこちらの姿を見留めると、いつもの人の好い笑みを浮かべた。 「おう、RSFんとこのジャックじゃねえか。今日はどうした?」 「これを見て、来たのだけれど」 「あー…それな!そうか、お前さんが出てくれるのなら百人力だな」 「はは、言い過ぎだよ。それで、連れて行ってくれないのかい?」 「まさか。人手不足で困ってたところだ。ちょいちょいっとやっつけちまってくれ」 そう言ってカウンターから出てきた主人の隣に並び、公国の南門をくぐる。 地平線が広がる道の向こう、いくつかの塊が見えた。 「苦戦しているようだね」 「ああ。パラディンっつっても数が少ないからな。頼むぜジャック」 主人の言葉に頷いて、私は戦場となっている街道へと向かう。 私の背中を見送った主人は踵を返したことだろう。 やがて近づいてきた混戦状態の街道。 私はまだ気づいていない魔物の背後に忍び寄り、背中から核を一突きした。 断末魔が耳に入るか入らないか、その間に手近なもう一匹を倒す。 「あ、ありがとう」 「礼には及ばないよ」 どうやら倒した魔物に人が襲われていたらしく、予想だにしていなかった礼が返ってきた。 それに当たり障りなく返し、次の魔物へと移る。 さすがに二匹も倒されたことに怒った魔物が、私目掛けて攻撃を仕掛けてきた。 その爪を盾で弾き、隙が出来た脇腹に剣を差し込むと、上に振って腕を撥ねる。 痛みに呻いている間に心臓を刺して、とどめ。 魔物のレベル自体は、それほど強くないようだ。 「ふうん…強いね、君」 周りの魔物を倒し終え、残るは少し先の街道に数匹。 パラディンが三人ほどで対応しているが、あの数ならば問題はないだろうと踏む。 今私の周りには魔物の死骸と、疲労したパラディン数名、そして、木陰に座り悠然と微笑む青年が居た。 その手には盾が握られているものの、パラディン特有の全身鎧は身に着けていない。 大よそ、南門からハイ・ラガードに入ろうとして巻き込まれた旅人だろうと見当をつける。 「ありがとう。怪我はないかい?」 「僕はね。君の周りには負傷者がたくさんいるけれど」 そう皮肉って笑う青年に、あまりいい印象は抱かない。 こういう場合は流すに限る。 「…ハイ・ラガードへ行くのなら、ここを真っ直ぐだよ。怪我がないのなら行くといい」 「親切はありがたいけど、そっちから来たんだ。ここにパラディンが集まってるって聞いてね」 「へえ…なら、君もパラディンなのかい?」 「昔はね。今はしがない庭師さ」 品の良い藍の服装に身を包んだ金髪碧眼の青年は、とても庭師には見えない。 何より、使い込まれた盾と大地に刺した剣が過去の栄光を物語る。 「失礼だけれど、名前を聞いても?」 「君が名乗ってくれたなら」 「そうだったね。私はレベッカ」 あえてジャックを名乗らなかったのは、自覚がなかったのだから気まぐれとしか言いようがない。 ただこの青年とはギルドを通してではなく、個人として接することを望んだのかもしれない。 「そう、レベッカ。よろしくね。僕は…、僕の名前は、きっとすぐに分かるよ」 そう言って立ち上がった青年は、振り返ることなくハイ・ラガードへと戻ってゆく。 結局名前をはぐらかされてしまったが、何故かまた会えるような気がしていた。 「…そうだ、報告に戻らないと」 街道奥の魔物たちはすでに倒されており、魔物たちの全滅が確認できた。 傍にうずくまっている若いパラディンに肩を貸して、ようやく私もハイ・ラガードへと戻った。 「ご苦労さん。ほれ、これが報酬だ」 報告終え、多少の賛美を受けた後、報酬の魅惑の香を受け取る。 あまり使い道はないなと思いつつも、手のひらのそれを見つめた。 「確かに。…一つ聞きたいのだけれど、金髪碧眼のパラディンを知っているかい?」 「金髪碧眼のパラディン?いや、見たことねえな」 「そう。また寄るよ」 「…ん、待てよ? ジャック、最近聞いた噂なんだがな」 出ようとしていたところで何かを思い出したらしい主人に、私は振り返る。 「なんでも、エトリアの世界樹を踏破したギルドがここに訪れているらしい。 確か、そのギルドのパラディンが金髪碧眼だったはずだぜ」 「…エトリアの、世界樹」 記憶している分には、4年前に踏破された自然のダンジョンだ。 ここハイ・ラガードにある世界樹より以前に発見され、一つのギルドによって謎が解き明かされた。 けれど、その謎を知ったギルドメンバーは、謎を黙秘したまま各地へと散ってしまった。 冒険者の間では殆ど伝説になっているギルドが、ここに来ているという、噂。 「まあ、あくまでも噂だし、信憑性は薄いけどな」 「聞けただけで充分だよ。ありがとう」 いつも変わらぬ笑顔を向けてくれる主人に、私も笑みを返す。 さて、気持ちを切り替えて、オージュを迎えに行かなければ。 「あ、ジャック!」 ギルドでの通り名を呼ばれ、すぐ横の階段の下を見やると、そこには笑顔で手を振るオージュが居た。 キングの弟だと言うけれど、髪の色以外はまったく似ていないと思う。 それはいい意味であって、オージュにはキングのように育って欲しくないものだ。 「オージュ。君も今から報告かい?」 「そうそう、大変だったんだぜ!…ってか、も、ってことはジャックも何か押し付けられた?」 「うん、君のお兄さんにね。街道の魔物を退治しただけだけれど」 「魔物退治!?いいなー、俺もそっちがよかった」 「ふふ、とにかく行っておいで。帰りはなるべく君と帰りたいと思っていたんだ」 「分かった。待っといて!」 元気に階段を駆け上り、鋼の棘魚亭へと入っていくオージュを見送る。 ふわり、と癖のある桃色の髪がそよ風に浚われ、私の視線も自然と流れた。 「…あ」 居た。 私が今いる橋、その向こうの同じような橋の上に、先ほどのパラディンの姿。 向こうはこちらに気づいていないらしく、誰か背の低い赤い頭の男と歩いている。 どこか楽しそうに笑っているのを見て、切なく感じるのは気のせいだろうか。 じっと見ていると、赤い髪の男が私の視線に気づいたらしい。 しかもご丁寧に青年に知らせてくれる。 「…っ」 彼がこちらを振り向く瞬間、私は逆に顔を逸らしていた。 どうしてだろう、鼓動がうるさい。 ずるずると、その場に座り込んだ。 「…ジャック?どうした?どこか気分でも悪い?」 そこへ戻ってきたオージュが、心配そうに私の顔色を窺う。 「オージュ…いや、なんでもないんだ。少し、疲れただけ」 「そう? あ、じゃあ、アイスでも食べに行こっか。火照った体に効くかも」 「ふふ。そうだね、そうしよう」 今は元気が取り柄のこの少年に、救われた気がした。 私はストロベリーを、オージュはバニラを口にしながら、二人でぶらぶらと街中を歩く。 帰っても無人であることは、すでに言っておいた。 「…でさ、そいつがまたヘッタクソなんだよ。隙だらけっつーか」 「でも君のおかげでマシになったんだろう?」 「少しはな。でもあれじゃ、樹海には通用しないって」 オージュの公宮への勤務は、公宮の衛士たちへの剣の手解きだったらしい。 止め処なく出てくる衛士たちへの愚痴に、さすがの私も苦笑を隠せなかった。 彼らは観察を主としていて、元々戦闘向きではないのだ。 今更下手に実力をつけられても、それらを助けるこちらの負担が増えるだけだろう。 もちろん、口には出さないけれど。 「そうだ、ジャック。ここ最近でよく耳にする噂のこと、知ってる?」 「…なんだい?」 「エトリアの世界樹を踏破したギルドが、今ここに来てるって噂。もし本当なら会ってみたいよなー…」 早々にアイスを食べ終えたオージュは、頭の後ろで手を組んで空を見上げた。 どこまでも広い空は世界の広さを教えてくれる。 今日の出来事を言うべきか迷った私は、オージュの様子を見て口を開いた。 「…それなら、私、その内の一人と会ったかもしれないんだ」 「え、マジ!?」 「確証は持てないけれど、たぶん…」 間違っては、いないと思う。 よくよく思い出せば、青年の剣には魔獣の体液がついていたし、背もたれの木の後ろには死骸の山があった。 戦闘の後で視野が狭くなっていたため、その時は大して気にならなかったのだと思う。 彼はきっと早いうちに合流して、半分か、それ以上を受け持ったのだろう。 なのに、あの質のいい軽装には傷、いや、返り血すらついていなかった。 そんな芸当は、圧倒的な力を持つことでしか成し得ない。 「じゃあ、俺も会えるかな。会えるなら、ソードマンの人に会いたい。で、剣術を習う!」 スラリ、と腰から剣を引き抜いて陽に翳すオージュ。 その後姿がキングと重なって見える。 そして、いつもなら重なった瞬間に跳ねる鼓動が、今日は何故だか大人しかった。 「会えるよ、きっと」 自分自身の願望すら混じった私の呟きに、オージュは眩しいくらいの笑顔を返してくれた。 |
08.09.01 |