行方不明 .
目前で巨体が崩れ落ちてゆくのがスローモーションに見えた。 その魔物が完全に絶命したのを見届けると、剣を軽く振って付着した血を払う。 未だ震えるその手でなんとか剣を収めた。 (…倒せた) ふう、と張り詰めた緊張感を吐き出すと同時に、体中から滲み出た汗の量に眉を顰める。 赤い髪のソードマンの周りには、いつも一緒に居る仲間はいない。 彼はおもむろに篭手を外すと、やや乱暴に服の袖で額の汗を拭った。 そうして手持ちの荷物に手を突っ込み、漁る。 「…そう、こういう時に限って糸を忘れてる。参ったな」 誰に言うでもなく、あまりに静かな樹海に耐え切れなかったかのように声を出す。 平たい鞄の中に、慣れた感触がないことに溜息をついた。 『森の破壊者を一人で倒すこと』。 それが今回冒険者ギルドの長から課せられたクエスト。 熊を形どるその魔物は、一撃の威力が重く、一対一の戦いはまさに体力との勝負だった。 立ち尽くしていても仕方ない、と、ソードマンは樹海磁軸の方へ歩き出す。 このクエストを受けると言った時に猛反対していたバードは大人しくしているだろうか。 「…まずいな」 気づいた時にはすでに遅く。 疲労した体を引き摺っていたため、血の匂いを嗅ぎつけたらしいFOEの気配が近い。 先に止血をしておけばよかったと後悔するが、やらないよりかはマシと手早く包帯を巻く。 それから、遠くからソラッドの所業を見守るよう指示されていた衛士へすぐに帰るよう大声を出した。 慌てたように去っていく気配に、衛士に聞こえたのだろうことを安堵する。 あとは気配を押し殺して、草陰に潜んでやり過ごすだけだ。 幸い密林が生い茂るこの階層は隠れるには最適だった。 すぐ目の前をFOEが通り過ぎ、研ぎ澄ませていた神経を緩ませる。 その油断がいけなかった。背後からも近づいていたFOEに気づけなかったのだ。 冒険者たるもの、一瞬の隙が命取りだ。 「…つう…ッ!」 咄嗟に避けて致命傷は免れたものの、背中に受けた爪痕は相当な痛手となる。 俺は痛みを二の次にしてその場から全速力で逃げ出した。 こんな時だけは小柄な体でよかったと生い茂る木々の間を擦り抜けながらズレた思考をすることで、地軸まで体が保つかなんて悲観的な考えから意識を逸らす。 ズキズキと背中が痛んだ。 鎧は着ていた部分はまだしも、腰まで振り下ろされた爪の傷が酷い。 「なんとか、なる…っ」 いつの間にか口癖になったこの言葉。 言葉を有言実行にするために躍起になって、今までなんとかしてきた。 他の人が聞いたなら、無責任な言葉に聞こえるかもしれない。 だからといって『なんとかする』と言ってしまえば、現状を悲観しているように聞こえて、自分が気落ちする。 『なんとかなる』なんて、そんな曖昧なものを信じて欲しいわけじゃない。 ただ自分が『なんとかした』後に『なんとかなった』という言い回しが欲しいだけなのだ。 つまり、必要なのは『なんとかした』努力じゃなくて、『なんとかなった』結果。 いくら努力しても、その時になんとかならなければ無駄な努力であること。 それを自分に言い聞かせるためにずっと使ってきた。 他人には理解して貰わなくていい、自分さえその意味を分かっていれば。 尚もしつこく追ってくる熊型のFOEに、俺は覚悟を決めて剣を構えた。 うろうろ。うろうろ。ためいき。うろうろ。うろうろ。 「カナタ、あんまりうろうろしないで。気が散る」 「…ゼロ君だって、さっきからその貧乏ゆすりうるさいよ」 ソラッドのいないハークス宅兼カルジェリアの拠点では、年少者たちが募る苛立ちから互いに睨み合っていた。 二人ともソラッドが心配ゆえの行動なのだろうが、間の空気がピリピリしている。 「ほらほら、いがみ合うなって。アイツを信じてやれよ、お前ら」 テーブルの上、二人の定位置の場所にそれぞれハーブティーを置くハークス。 もちろん彼だって心配はしているのだが、ここで何をしようとも向こうの状態は変わらないことを知っている。 クロノは一番マイペースに、最近図書館から借りたらしいエトリアの花図鑑を熱心に読み込んでいた。 ハークスの入れたハーブティーを見たカナタは席につくと、一口飲んで唇を尖らせた。 「そうは言ってもさあ…。ついこの間ケルヌンノスに勝ったばかりだっていうのに一人で挑むなんて」 「まったくだよ。また一人で新階層へ行く前のレベルアップを図るなんて、ずるいよね」 「…だったらゼロ君が行けばよかったじゃないか」 「へえ、僕だったらいいっていうの?」 「まさか!誰が行っても僕は心配なの!」 終わらない言い争いに、さすがのハークスも苦笑するしかない。 ゼロのあの言い草は心配の裏返しだと分かっているため、カナタも怒りきれないのだろう。 「なあ、クロノ。お前もやっぱ心配?」 「愚問だな、ハークス。俺は先ほどから一ページも読めていないぞ」 「…気づきにくい心配の仕方だな、おい」 「俺にとっては由々しき事態だ。まったく…帰りが遅い、遅すぎる。森の破壊者へ会うまでの近道はちゃんと指し示して教えたし、一対一といえどもソラッドなら問題はないだろう。よもや、糸を忘れたなんて初歩的なミスを犯していないだろうな」 ぶつぶつと言い始めたクロノに、言い合いの終わらない年少組。 まともな話し相手が居なくなったことに、ハークスは肩を竦めた。 そのままふと、窓の外を見やった。 外はすでに闇に包まれ、閑散としている。 窓の外の静けさとは裏腹に、玄関のドアが今にも開いて、背の低いギルドマスターがただいまって帰ってきそうな気がして。 そんな想いに応えるかのように扉が開いた。 「夜分遅くに失礼します!ギルド、カルジェリアの拠点は此方ですか!」 しかし、姿を現したのはソラッドではなく、樹海でもよく見かける執政院の衛士。 その慌てた様子に何事かあったのだと部屋の空気が一瞬にして凍りついた。 「合ってる。何があった?」 ぴたりと止まった年少組の言い合い、クロノも呆然と玄関を見たまま動かなくて。 唯一冷静さを失わなかったハークスが代表して答えた。 「はい、私は今回のクエストにおいてソラッド殿の監視をしていたのですが、森の破壊者を一匹倒されたところで二匹目に追われてしまいまして…。ソラッド殿がいちはやく気づいてくださったおかげで私は難を逃れることができたのですが、その後、彼が報告に戻られていないと言うことでカルジェリアの皆さんにお知らせしに此方へ赴いた次第です」 必死に説明する衛士は、どうやら真面目な性格をしているらしく、分かりやすく丁寧に説明してくれた。 ハークスは感情を表に出さないよう押し殺し、衛士にいつもと変わらない声で告げる。 「分かった。知らせてくれてありがとう。俺たちで捜索するから、そっちは大人しくしておいてくれ。リーダーが抜けた状態で衛士まで助ける余裕はないからな」 「そのように伝えます。…それでは」 「ああ、ご苦労さん」 衛士が帰ったことで、しん、と静まり返る室内。 もう夜も更けている。この時間帯に樹海へ行くことは危険も増すということ。 リーダーの救出を最優先に動くか、自分達の安全を考慮した上で朝を待つか。 「…どうすんの」 いつにも増して眉間に皺を寄せたゼロが、泣きついてきたカナタをあやしながら低い声で言う。 クロノもハークスの指示を待っている。 「樹海内では、ソラッドが居ない以上サブギルドマスターである俺の指示に従ってくれ。ただ、すぐに行くか、朝を待つか、その意見を聞かせて欲しい」 窓際から、ソファに座る三人を見回す。 彼らは皆一様に青褪めた表情をしていた。 あのソラッドが帰ってこないだなんて、誰も想像していなかったからだ。 これは予想以上の緊急事態だな、とハークスは内心で苦笑する。 帰還しないソラッドも心配だが、それ以上にソラッドという絶対的な支えが居ないパーティーメンバーの脆さも危うい。 「行く…っ、僕は行くよ!居てもたってもいられないもん!」 「カナタがこの状態で行くのはあまり賛成できないけど、じっとしてらんないのは確かだね」 口早に、今にも立ち上がって出て行きそうな声音で二人が言う。 しかし、それを遮るようにクロノが簡潔に答えた。 「朝を待とう」 その言葉に、厳しい表情をしていたハークスも頷く。 ゼロとカナタは納得がいかないという風に食って掛かった。 「早く行かないとソラッドが…!」 「間に合わなかった、なんてオチはいらないよ」 「落ち着け。前衛一人が欠けた今、夜中に行くのは得策じゃない。何か動きたいのなら、カナタ、お前は前衛の剣の練習でもして感覚を思い出しとけ。ゼロは朝までにその眉間の皺を取ること。心配なのは俺もクロノも同じだ。いいか、本末転倒って言葉を覚えとけ」 まくし立てるように言えば、二人揃って黙り込んでしまう。 ハークスの言うことは正論だが、それでも納得できないのだろう。 「…ハークス。肝心なことが抜けてるぞ。まずは全員十分な睡眠を取るべきだ。それから、明日のソラッド捜索での単独行動は控えるように。分かったら各自部屋に戻って寝ろ。おやすみ」 ぱたん、と閉じた花図鑑を持って一階の自室へと戻っていくクロノ。 暫くそれを眺めていた三人だったが、やがてハークスが動いた。 「…ま、そーいうことだ。ソラッドが居れば四人だろうが夜中に強行突破するんだがな。どうにもアイツがいないと調子が出ない。お前らも、早く寝ろよ」 ふああ、と欠伸を一つ漏らし、ハークスも二階へと上がる。 残された二人は互いに顔を見合わせた。 「寝る?」 「…寝ないでお荷物になるのも嫌だしね。寝るよ」 「じゃあ、僕も寝る!ゼロくんっ、一緒に寝よ!」 「はあ!?やだよ、暑苦しい!」 「いーじゃんいーじゃん♪減らないし、ね?…じゃないとまたクローゼットの中うさぎのしっぽで埋めてやる!」 「……………分かったよ」 渋々と頷いたゼロに、カナタの口元が綻ぶ。 まだ第一階層を探索していた時、森ウサギが出てきてはその尻尾を収集していたカナタ。 帰ってきても売った様子はなく、どこかに仕舞っているのだろうとその時はあまり気にしていなかった。 けれど、ふとしたことからクローゼットに服を入れようと開けたのが恐怖の始まりだった。 どさどさどさ、と振り落ちてくるふわふわのしっぽたち。 感触こそふわふわだが、ゼロの目にそれは魔獣の一部分としてしか写らなくて。 柄にもなく大声で叫んだのは彼の記憶の中でも一際嫌な思い出だ。 「ソラッド、生きてるかな」 「あの人の生命力は半端じゃないよ。そう簡単にくたばるわけない」 「うん…そうだよね」 どこか嬉しそうに笑ったカナタは、ぎゅーっとゼロに抱きついてそのまま眠りについた。 |
08.09.25 |