第六話 . | |||
昼に取っていた宿の部屋で、私は深い眠りについていた。 普段じゃらじゃらと着けている装飾品も取り去り、旅装は洗って干してある。 宿にある薄いローブを下着の上から着て毛布を被るだけでも、今のこの季節は十分寒さを凌げた。 薄暗い部屋。 宿の二階にあるこの部屋は最低限のものが用意されていて、ベッドのサイドテーブルではランプの明かりがゆらゆらと揺れている。 他にこの部屋を照らすのは上空の月だけだ。 時刻は深夜を回っていて、もちろんのこと物音なんて一つもしない。 けれど、それは突然やってきた。 ガシャン!と窓を割って部屋に飛び込んできた黒い影。 私はその音の大きさに驚いて、ベッドから飛び起きてサイドテーブルに置いてあったナイフを構えた。 「アリス!動くな!」 鋭い声が黒い影から発せられる。 それは聞いたことのある声だった。 その視線は、窓の外をじっと見ていて。 「ディスなの!?」 影はそれに応えることなく長めのナイフを光らせる。 直後、更に宿屋へ進入しようとするものが姿を現した。 窓よりも大きなその体躯を、壁を破壊して無理に中へ入り込む。 小さな影はすぐさまそれに飛びかかった。 ライオンのような頭に六本の足。 背中から生えた羽は魔物の体重を持ち上げて自由な滞空を可能にしていた。 ディスはその羽の根元に狙いを定めたらしく、腹を鋭い爪に裂かれながらそこを目掛けてナイフを振り下ろす。 ナイフはその切れ味を持って魔物の片方の羽をもぎ、魔物はバランスを崩した。 それから炎を吐くために開かれた口をナイフで串刺して、口の中で自爆させる。 溢れた火の粉が彼の被るフードの端を焼き、やがて宙へ散った。 すでに魔物は動かなくなったが、それでも油断することなくナイフを上から踏み押した。 ちょうど標本のように床に刺さったナイフに磔にされた魔物。 『ニフラム』 彼がそう唱えると、魔物の死体は跡形もなく消え去る。 部屋には戦闘の爪痕が残っているけれど。 「ディス、貴方怪我を…っ!追われているの!?」 「…二つ言っておきたいことがある」 隠されたフードの奥は、やはり月明かりだけでは分からない。 そのフードやところどころ衣服を染める赤は、間違いなく彼のものだ。 だって魔物の血は赤くない。 せめて回復しようとベッドから降りて近づこうとするも、片手で制される。 ディスはナイフを床から引き抜くと、魔物の体液を払って腰の鞘に戻した。 「一つは、弟のことを無理に思い出そうとしないこと」 「どうして?」 「………」 こちらの質問に答える気はないらしい。 最初から冷たい印象は受けていたけれど、少し寂しいと思う。 「アリス!大丈夫か!」 そこへ、クレイとラキル、まだ眠そうなレノも駆けつけた。 彼らは皆ディスの姿を認めると、口を閉じて様子を窺う。 「もう一つは、俺を追わないこと」 青く淡い光が彼の体を包む。 部屋の入り口からラキルが回復魔法をかけているの見えた。 普通なら触れていないと回復しないそれも、賢者であるラキルにかかればこれほどの範囲はなんともないとでもいうように癒していく。 ラキルは私がディスを警戒していなかったから、彼が敵じゃないと判断したみたい。 「…余計なことを」 「怪我人が無駄口叩くな。お前は何者なんだ」 ディスはラキルを一瞥した後はっとしたように上空を見て、そのまま窓へ歩み寄った。 夜風がフードを揺らし、ディスはフードを押さえて入り口の三人を見やる。 「お前らにも最初の一つを伝えておこう。アリスに弟を思い出させるな」 「質問に答えろ」 「必要ない」 スッパリと切り捨てるディス。 眉間に皺が寄っていくラキルを無視して、彼は私の方へ向き直った。 フードの陰からちらりと覗く赤い瞳が、真っ直ぐに私を捉える。 「アリス。俺がお前とアルディスを逢わせる。時期が来れば報せるから、その時が来るまで待ってろ」 「…あたしは貴方を、信じていいの?」 「アリスが弟のことを信じられるなら」 そう言って、ディスは踵を返して窓から飛び出していった。 散々破壊されたそこはすでに窓というより穴だったけれど。 そうしてディスが飛び出した直後、雨が降っていないにも関わらず城下町に一筋の雷が奔った。 慌てて下を覗けば、そこには黒焦げに焼けた先ほどと同じ魔物の死骸が転がっていて。 雷に紛れるようにして空に昇った軌跡はきっとディスがルーラした際に残った魔法の粒子だろう。 「…ライデインだと…?あいつは、お前の弟なのか?」 「いいえ、違うわ。けれど、弟に近い子…だと思う。あたしもよく分からない。ただ、敵じゃないことは確かよ」 「興味深いな」 「でも、追うなって言ってたよね?」 「ちっ、ややこしいヤツだ」 そうして次の日、大通りに転がっている黒焦げになった魔物の死骸と、私の部屋の壁が崩れていることから、私が侵入した魔物を退治したことになっていて。 とりあえずその場は笑って過ごして、お祭り騒ぎになり始めたロマリアから逃げるように出てきた。 宿屋の主人も誇らしそうにしていたけれど、私がやったわけじゃないとはいえ一部を破壊してしまったことは少し後ろめたい。 「何にせよ、町人が陽気な人らでよかったね」 「ああいうのは能天気っつーんだよ」 「まさかあんな良い人たちに嘘をつくことになるなんて!夜のうちに逃げておけばよかったかしら」 「アリスは考えすぎだ。修理代を無くしてもらっただけでも有り難い」 「そうじゃないのよ!クレイのバカ!」 「ば…、」 破壊してしまったのは少なくとも私の知人なんだから、やっぱり修理代は払うべきだったんじゃないかと思う。 だって、あんなに人の好い笑顔を浮かべてくれるのは、私たちを信頼してるからで。 それを裏切っていると思うと私自身が許せない。 「放心してるね」 「ほっとけ」 ずんずん進んでいく私とは反対にその場で固まってしまったクレイ。 間に立たされた二人は、とりあえず私についていくことにしたらしく。 クレイが居ないことに気づいた私が慌てて戻ることになって二度手間になったのは言うまでもない。 「それで、あたしたちは何処へ行けばいいの?」 「…やっぱ何も考えずに歩いてやがったか」 「な、何よ!貴方たちが何も言わないから…!」 「はいはいはいはーい。えーと、ね、今この辺りかな」 私とラキルの間に割って入ったレノは地図を広げて、大体の場所を円で描く。 「結構北に来ちゃったのね」 「おい、ここって…」 「うん。俺の育った村だね」 ラキルが指した場所は、ここから近い山間に位置する小さな村。 そこには掠れた文字でカザーブと書かれていた。 レノの持ち物であるそれは確かに古い地図だけれど、文字が掠れているのはそこだけだ。 「カザーブ、行ってみる?俺の家がまだあるかどうかは怪しいけど」 「ご両親は?」 「ああ…、両親はもう他界しててね」 「そうなの…」 「のどかでいいところだよ。どうする?」 首を傾げて聞いてくるレノに、私はすぐに頷いた。 やっぱり旅をするからには世界の隅々まで見てみたい。 「行きましょう!」 「よしきた!あいたッ!?」 「急に元気になんじゃねえよ」 完全に私のほうを向いていて、後ろががら空きだったのがレノの敗因かしら。 いつ見ても痛そうよね、あの杖。 「…何か来る」 私たちがはしゃいでいる間、周りに気を配っていたクレイだったけれど、何かの気配を感じ取ったのか進行方向をじっと見据えている。 魔物ならそう言うはずだから、きっと別のもの。 やがてそれは姿を現した。 「馬?」 「馬だな」 真っ白な馬はその駿足を惜しげもなく使っていて、あっという間に私たちの隣を過ぎ去った。 かと思えば急停止し、くるりと反転して、早足で戻ってくる。 「レノじゃない!」 「あ、フェイファだ」 「知り合いなの?」 白馬に乗っていたのは物語にあるような王子様じゃなく、むしろ物語に出てくるようなお姫様だった。 やや釣り気味の目と真っ直ぐにこちらを見る緑の瞳は、その意志の強さと気の強さを明確に表している。 そんな端正な顔を縁取るように流れる長い金色の髪。 つばの広い帽子がよく似合っていた。 「うん、幼馴染みってやつ」 「初めまして!私はフェイファ。レノがお世話になってるみたいね」 綺麗な白馬から降りて、私に手を差し出すフェイファさん。 私もその手を取って、微笑んだ。 「初めまして。アリス・フォークルよ。勇者として各地を回っているわ」 「…貴女、勇者なの?」 自己紹介すると、にこやかだった彼女の表情は一変して影を落とす。 そんな彼女の様子に慌てたのはレノだ。 「アリス。彼女はアイルの奥さんなんだ」 「アイルって…あの、アイル?」 確か誘いの洞窟の中で聞いた名前だ。 行方不明の放浪剣士だとかって。 …行方、不明? 「行方不明の!」 思い出して、思ったよりも大声で叫んでしまった。 すぐに口を押さえたけれど、フェイファさんの瞳から悲しみは消えない。 「アリスちゃん、悪いことは言わないわ。勇者なんて、やめない?」 握手していた手を、両手で包み込まれる。 初めて会ったはずなのに、その目は真剣で、本当に想ってくれているのだと思う。 「ごめんなさい。あたしはあたしのできることを、最後までやりたいの」 「…そういえばあの人も、似たようなこと言ってたわね。ふふ、そっか。仕方ないものね。頑張って、アリスちゃん」 柔らかく頭を撫でられて、この人の優しさが伝わってくる。 この人のためにも、一刻も早く世界を救って平和をもたらしたい。 「そーだ!レノ、貴方がいつ帰ってきてもいいよう、貴方の家をいつも掃除しておいてあげたのよ。寄るんなら、ゆっくりくつろいでいきなさい」 「わざわざ?…ありがとう、フェイファ」 切り替えが早いらしいフェイファさんはずいっとレノに詰め寄り、その白く長い指を彼に突きつけて笑った。 きょとんとした彼だけれど、やがてつられたように笑う。 満足そうに頷いた彼女は、素早く馬に跨ると手綱を持ってもう一度振り返った。 「レノ、迷惑かけちゃ駄目よ。…そっちの貴方は、噂の賢者さんね?レノは頭の弱い子だけど、よろしく。そっちの白髪の坊やはしっかりアリスちゃんを守ってあげること!いいわね?」 「あ、ああ…」 クレイはどうにも押しに弱いところがあって、今も気圧されて頷いたようなものだ。 頼りないわねえ、と呟いたかと思うと、フェイファさんは笑顔を見せた。 「悪いけど、急ぎの用があるの。カザーブへ行くのなら歓迎するわ。また会いましょう!」 そうしてロマリア方面へと馬は駆けて行ってしまう。 まるで嵐のような女性だった。 去っていった後は、風の音が聞こえるほど静かで。 「なんだか、すごい人ね…」 「そりゃ、勇者の心をがっちりと掴んだ子だから。まあ、普通じゃないよね」 「武闘家らしいが、レノに聞いた話じゃ、勝てたことないらしいぜ」 すでに興味は失せたと言わんばかりにのんびりと欠伸をしながら歩いていくラキル。 その後を追うレノは少々不満気だ。 「仕方ないでしょ。小さい頃からフェイファってガキ大将みたいなものだったし」 「だからって成人しても勝てないってのは問題だろ」 「フェイファはアイルにお供してた分俺とは経験の差があるし、何より外野のアイルからの視線が…!ああもう思い出すだけでも寒気がするー!!」 「………あほらし」 一人体を抱くように震えるレノを見て、ラキルはいい加減呆れたようだ。 「ねえ、レノ。勇者アイルとも知り合いだったの?」 「…まあ、一応ね。すごく気に食わないんだけど」 「珍しいわね。レノにも苦手な人が居るなんて」 「同じ無口無愛想でも照れが混じってるラキルの方がずっと可愛…」 語尾は、残念ながらラキルに沈められて続かなかった。 声も出ずに沈んでいくレノを、さすがの私も助ける気が起きない。 「森と小さな山を越えた先に村が見えた。夜に森に入るのは危険だろう。今日は森の手前で野宿しよう」 鳥類の瞳から、元の金色の瞳へと戻っていくクレイの目。 タカの目という特技は、上空を飛ぶ鳥の視点を借りて空から地上を見下ろすことができる。 「分かったわ。レノー!自分で起き上がらないと本当に置いてくわよー!」 地に伏すレノの指先がぴくりと動いたことを確認する。 あれなら置いていっても問題ないだろう。 クレイが指示した通り森の手前で今日の進行をやめ、野営の準備をする。 途中、頭から血を流したレノも合流して、作業も捗った。 もちろんレノの怪我はラキルの鉄槌によるものだ。 そうして外で過ごす夜のロマリア地方は、昼に比べて寒かった。 私は毛布を引き寄せて全身を包む。 「アリス。見張りはオレらでやるから、お前は寝てろ」 「あら、そう?じゃ、遠慮なく」 こういう時の気遣いは素直に受けておくべきだ。 一日中歩いたことによって適度に溜まった疲労は私を眠りに誘う。 「おやすみなさい」 毛布に包まって横になってからそう言えば、全員がそれぞれに返してくれる。 私はそれに微笑んで、眠気に身を任せた。 カザーブは、どんな村かしら。 |
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08.10.05 | |||
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