第七話  .









山に囲まれた盆地にある小さな村、カザーブ。
夕焼けの朱色に彩られた村は小さいながら活気づいていた。
これといった名物は特になく、強いて言うなら、熊を素手で倒した武闘家が眠るという墓だとか。

「まさか、レノのお父さんだなんてオチはないでしょうね?」
「ないない。さすがにそこまで面白い境遇はないよ」

あっさりと否定され、そうだったら面白いのになんて考えが消えてしまう。
熊を素手で倒すことがそんなに凄いなら、魔物を素手で倒すレノはどうなんだろう。

「まあ、噂じゃ毒針っていう急所に刺せば一撃で倒せる武器を隠し持ってたらしいけどね」
「そうなの。インチキだったのね」
「あくまでも噂だよ。心の師にしてる人も居るから、大声は避けた方がいいかも」
「心の師…っ!」
「うんうん。笑いたいのは分かるけど、抑えてね」

分かってるわよ。だから必死に手で押さえてるの!
そうやって一人奮闘してると、不意に見えたクレイの口元も僅かに緩んでいた。
なによ、ちゃんと笑いどころが分かってるじゃない。

「当時からすれば熊でも強敵だったんだろ。魔法でさえ、ここ100年の間にダーマで職業に就いた一般人がやっと使えるようになったところだ。素手で倒せば確かに偉業だが、ずるしたんなら笑われて当然だな」

ラキルの冷静な分析に、笑っていた私も思わず感心してしまう。

「実際、当時にしては実力があったらしいよ。ずるさえなきゃ、同じ武闘家として尊敬するんだけどなあ…。あ、ここだよここ。これが俺の家」

そう言ってレノが指差したのは、一人暮らしにちょうどよさそうな小さな木造の家。
長いこと放置されていたからか冷たい印象がするけれど、古そうには見えなかった。

「狭いけど、それなりにくつろげるはずだよ」

案内された家の中はレノの言うとおり狭く、4人も入ると窮屈に感じられた。
けれど、フェイファさんの言う通り綺麗に掃除されていて、くつろぐには申し分ない。
テーブル周りには椅子が三つ用意されていたけれど、私は当然のようにベッドに腰をおろす。
思ったよりも感触が固くて長時間くつろぐのには向かないかも。

「ひとまず、フェイファに近況を聞きたいんだけど、彼女が帰ってくるまでここに留まっておいてもいいかな?」

席に着いたレノが顔の前で手を組んで全員に尋ねる。
クレイは自分が答えず、顔だけをこちらへ向けて私に指示を仰ぐし、ラキルはラキルで問題ないらしい。

「いいわよ。あたしもフェイファさんと話したいし」
「ありがと。宿はどうする?俺の家でもいいけど、ベッドは一つだし」
「アリスとクレイは宿に泊まればいい。オレはここで我慢してやる」

さも仕方なく、と言った風に話すが、どうやら気遣っているらしいことに気づく。
ここまで旅をしてきて、ようやくラキルの捻くれ加減が理解できてきた。
旅費は一応個々で持っているけれど、この先何があるか分からない。
使わないに越したことはないという判断だろうと思う。

「それじゃあ、そうさせてもらうわ。いいわよね、クレイ?」
「ああ。構わない」

話がついたところで、レノの表情がにんまりと笑っていることに気づく。
あれは、何かよくないことを考えている顔だわ。

「あんまりいちゃいちゃしないようにね」
「な…っ、別室に決まっているだろう!」

クレイが私よりも早く否定したことに驚く。
普段冷静なクレイがこんな簡単にからかわれるなんて。
…冗談でも嫌ってことなのかしら。
けれど、ここでそれを表情に出してしまえば、空気が重くなることなんて目に見えていて。

「あら、素敵な案じゃない」

なんて、冗談に乗ってみた。

「アリス…。君は頼むから危機感というものを持ってくれ」
「まあ、クレイったら大胆ね。襲うぞって言ってるようなものじゃない」
「…………はあ」
「もう、何よ!」

少し嬉しそうに言っただけなのに、クレイったらため息をつくなんて失礼しちゃうわ!
そのはっきりしない態度のせいで私だって諦め切れないっていうのに。

「ちょっと風に当たってくる」

そう言って席を立ったのはラキル。
私たちのやりとりの間、視線はずっとその向こう側を見ていた。
もちろん止めるはずもなく、そのまま出ていく後姿を見送る。
やがて扉を閉まる音を聞いたレノが、ぽつりと零した。

「…まだ駄目なのかな」
「え?」

それは本当に小さな声で、私は思わず聞き返す。
すると、彼ははっとしたように両手を振った。

「や、ごめん。独り言」

そう苦笑する姿から、殆ど無意識に漏らした呟きだったみたい。

「それより、部屋取ってきたら?案内しようか?」
「いえ、散歩がてら探すことにするわ。行きましょう、クレイ」
「ああ」
「行ってらっしゃい。夕食作って待っとくよ」

外の空気は乾いていて、人々もさっきと変わらず畑仕事やら商売に精を出している。
私たちは村の人たちと挨拶を交わしながら小さな村を歩いた。

「あら?」
「どうした?」
「ほら、あそこに」

私が見つけたのは、一人木陰にたたずむラキルの姿。
ただ立っているだけなのに、どうしてああも絵になるんだろうか。

「…アリス、行ってやったらどうだ?」
「なんであたしが!ああいうのはそっとしとくものでしょ?」
「でも、顔が行きたいって」

くす、と笑われ、私は思わず両頬を押さえた。
そんなに分かりやすい顔をしていたのかしら。
なんだか少し恥ずかしい。

「俺は宿屋に行って部屋を取ってくるから。君たちの言い争いの種を元から絶ついい機会だろう」

そう言って私の頭を二回優しく叩くと、クレイは宿屋に向かって歩いていってしまった。
彼はよくあやす様に頭に手を置くことが多い。
たぶん、あの人なりのスキンシップなんじゃないかと思う。
それに嬉しくなりながら、私はラキルへと近づいていった。
足音を立てているからきっと向こうも気づいてる。
ただ視線はずっと村の外を向いたままだったけれど。

「ラキル」
「ああ」
「…何か見えるの?」
「特に何も」

何も進展しない会話。
けれど、不思議と悪い気はしなかった。
ラキルがいつものように声を荒げなかったからかもしれない。
暫くの沈黙の間、私は木陰に座り込んで未だ遠くを見つめるラキルを見た。
眉間に皺のない彼は本当に綺麗だと思う。

「…アリス。お前、もしかして魔法は苦手か?」

不意に、ラキルの視線が私に向いた。

「………苦手よ。何よ、急に…」
「いや、使えるはずなのに使ってねえから」
「剣で叩っ斬った方が早いもの」
「…お前らしいな」

あ、笑った。
すぐに元の冷たい表情に戻ってしまったけれど、ラキルの笑った顔は印象に残るものだった。
なんだかすごく珍しいものを見た気がする。

「アリス。メラ、作ってみろ」
『……メラ』

言われるままに小さな炎を出すけれど、出てきたのは申し訳程度に揺れる火。
お世辞にも攻撃魔法とは言いがたいそれは、笑われても仕方ないと思う。

『メラ』

でも私の予想を裏切って、ラキルは何も言わず自らも火の玉を指先に出す。
比べ物にならないほど大きな火に、私は圧倒された。

「すごい」
「お前もできるはずだ。いいか、オレの火をよく見てみろ。魔力の流れが見えるか?」
「ええ…火の周りを回っているわ」
「そう。お前のメラは?」

私の指先でゆらゆらと頼りなく燃える火に彼のような魔力の流れは見られない。
ただ指からまっすぐに放出されているだけで。

「周りの空気を呑み込むイメージを持て」

ラキルの言う通り、脳内でイメージを思い浮かべた。

「きゃっ」

途端に大きくなった火に驚いた私は尻餅をつく。
そのまま暴走したメラは、弾かれたように私の元を離れて地面を焼いた。

『ヒャド』

大事になる前にラキルが炎を消し止め、私に手を差し出す。
私はその手を取って立ち上がり、お尻についた土埃を払った。

「ひとまず第一段階クリアだな。コントロールは追々やっていくか」
「…ありがとう、ラキル」
「どういたしまして。最終目標は回復魔法な」
「治癒は成功した試しがないのよね…。頑張るわ」

自分の手のひらを見つめながら言えば、頭に感じる撫でられた感触。
何よ、みんなして。

「よお、クレイ」
「ああ。レノが探していたぞ」

唐突に振り向いたラキルが、いつの間にか傍にいたクレイに話しかける。
…本当にこいつらときたら。せめて町中では人間でいなさいよ、まったく。

「アリス。レノに後で行くって伝えといてくれ。俺はこいつに用がある」
「…そう?分かったわ。それじゃ」

一体何の用があるのかは知らないけれど、今のラキルは機嫌がよさそうだし二人だけにしても大丈夫だろうと思う。
クレイの傍を通り過ぎる際に宿屋の鍵を渡された。
あの短時間で本当に行って来たのね…。

「ありがとう。夕ご飯、冷めないうちに帰ってくるのよ」
「分かってる。…あいつの話とやら次第だが」

クレイもあまり仲がいいとも言えないラキルに引き止められ、訝しんでいるらしい。
頑張って、と背中を押せば、

「オレは魔物か何かか」

と、鋭い突っ込み。
私はそれに笑って、その場を後にした。

「ただいま、レノ。夕食、何か手伝うことあるかしら?」

レノの家に帰ると、台所から良い匂いがした。
つられるように顔を出せば、料理に精を出しているレノの姿。

「おかえり。ラキルは…居ないみたいだね」
「少しクレイに話があるらしいわ」
「へえ…珍しい…」

トントン、とテンポよく刻まれる野菜たち。
話によれば、帰郷を歓迎してくれた村人たちに分けてもらったのだとか。

「アリスって魔法使えたっけ?」
「え、ええ…一応」

ラキルといい、レノといい、示し合わせたような問いね。
軽くデジャヴを感じつつ、苦手だということは聞かれなかったので伏せておく。

「使えるなら、そこの鍋に火をつけてもらっていいかな。今までラキルの魔法に頼りっぱなしだったから、火を起こすコツをすっかり忘れちゃってて」
「…任せて」

あまり、自信はないけれど。

『メラ』

ボッ、と鍋の下に上手く火をつけることができた。
火力も弱すぎず強すぎず、ちょうどいい火加減だと思う。

「さすが勇者だね。ありがとう」

魔法でお礼を言われるのなんて初めてで、なんだか照れくさい。
この成功はラキルのおかげだわ。
後で報告と、もう一度お礼をしたい。

「その鍋が温まったら出来上がりだよ。ラキルの話、長引かなきゃいいけど」

そう言うレノに私も頷いて、二人でテーブルについて待つことになった。
やがて先に食べようか、という話をしていた頃にちょうど二人が帰って来て。
一方はそ知らぬ顔、もう一方は多少不機嫌を露にしていた。

「…俺は俺のやり方を貫くからな」
「どうぞ、ご自由に?」

クレイが不機嫌だなんて、珍しい。
何があったのかは気まずくて聞けずじまいだったけれど、レノの料理の美味しさにそんなことも忘れてしまった。
喧嘩するほど…って言うし、とりあえずは仲良くなったのかしら?
いまいちスッキリしなかったけれど、ラキルも私たちに馴染んで来たように思う。













08.11.15
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