第六話 . | |||
「お久しぶりです父様。ただいま戻りました」 執務室の中は人が住んでいるとは思えないほど生活感がなくて。 扉を開けた真正面、窓を背にするように配置された執務机に、その人は居た。 ブロンドの髪を後ろへ流すように固めたその人は紳士然としていて、深く刻まれた皺でさえ彼の端正な顔を際立たせている。 「お前か。どうした」 「勇者一行として旅をすることにしたので、そのご報告を」 そう言ってタクトは促すように僕を見た。 何も喋るなとは言われていたけれど、何を喋ればいいのかすら分からない。 とりあえず挨拶の意味で軽く頭を下げた。 「フン、勇者一行か…。それより、これでも見て家に貢献でもしたらどうだ」 執務机の上から取った一枚の薄っぺらな本のようなもの。 彼はそれをタクトに投げて寄越すと、視線を机上の紙に戻してペンを握った。 「……お断りします」 中身を一瞥したタクトは、それを床へ放り捨てる。 その拍子に中が開き、そこにはいかにも貴族と言った風な男性が写っていた。 (いわゆる、お見合い写真ってヤツだな。初めて見た) (そうなんだ…) 首を傾げていた僕に、後ろから小声でロードが説明してくれた。 「いい加減、私の役に立ったらどうだ。今まで自由にしておいてやっただろう」 「無責任の間違いなのではないですか。入学金と学費以外で迷惑をかけた覚えはありません」 タクトはよくアリアハンの大通りにある食事処で働いていた。 美人で明るい性格から、タクトが働く店は人気だったように思う。 「用があるのではないのか?」 「…あります」 暗に、私を怒らせるなと。 それくらいは僕にも分かった。 「旅をする上で、船をお貸し頂きたいのです。お願いできますか」 「縁談を受けるのならば船をやってもいい。まあ、そうなればお前は旅をやめることになるだろうがな」 斜め後ろから見ている僕は、でもタクトが唇を噛んだのが分かった。 こんなタクトを見ることになるのなら、船なんていらない。 「分かりました、お引き受け…」 「タクト」 自分を犠牲にして他人を優先させる。 タクトはいつもそうだった。 そんな彼女を知っているからこそ、それを遮る。 「隠すことでもないので言いますが、タクトと僕は好き合っています。貴族の風習だか名誉だか地位だか知りませんが、僕にとって彼女の抜けた旅に意味はありません。そういうことならば船は結構です」 「身の程を知れ。勇者を名乗るどこの馬の骨とも知れん輩に娘を渡すとでも?」 「僕を愚弄するのは僕を勇者と認めたアリアハン王を愚弄するも同じ。邪険に扱うのならばそれでも構いませんが?」 ちら、とタクトに視線を移せば、彼女は絶句していた。 僕だってやりたくてこんなことやってるんじゃない。 でもこうしないと、僕の腹が納まらなかった。 「小僧ごときが戯言を。とにかく、私は認めん。タクトは上流階級へ貢ぐために必要な物だ」 なんだろう、今すぐ殴り飛ばしたい。 けれど、そんなことをすれば牢屋行きになることは確実で。 冷静になれと自分に言い聞かせて、反論すべく口を開いた。 「いい加減にしろこの頑固親父。いつまで経ってもそうだから母様にも逃げられるんだ」 かと思えば、僕よりも先にタクトが吹っ切れてしまったらしく。 つかつかと歩み寄ってその胸倉を掴む彼女は、なるほど、父親にそっくりだった。 「あのような女はどうでもいい。私は世継ぎと出世の道具さえ手に入れば良かったのだからな」 「さっきから人のことを道具、道具と…!何様のつもりだ!」 (うわあ…なんか大変なことになっちゃったねえ、ロディ) (何故そこで俺に振る。親子喧嘩はそっとしておくに限る) (なんか、タクトが頑張ってるし僕帰ってもいいかな) ((ダーメ)) ですよねー。 二人で声を揃えて言われてしまえば、僕も渋々その場に留まるしかなく。 この叫び損ねた消化不良のもやもやは一体どこに飛ばせばいいんだろう。 「そこまで言うのなら、私は今日限り女をやめる!」 「えっ」 思わず声が出たのは、怒りが頂点に達したらしいタクトが自慢の髪を持っていた護身用ナイフで切り落としてしまったからだ。 綺麗な金色が上質のカーペットの上へと散る。 これにはさすがの父親も驚いたらしく、絶句している。 「アルディス!貴様もだ!」 くるっと振り返って、タクトは僕に狙いを変えてきた。 おかしいな、なんだか主旨がズレてる気がする。 「え、僕にも男をやめろって?」 「違う!誰がいつお前と好き合ったって!?」 「あーあーあー…まあ、世間を渡るにはそれなりの嘘も必要だよっていう…」 なんとなく誤魔化すように言うけれど、頭に痛い一発を喰らう。 すぐにでもホイミをかけたいところだけど、今やったらもう一発喰らいそうだったから耐えた。 「いたい…」 「俺、あれ本気なのかと思ってた」 「違うよ……僕が自ら尻に敷かれるような人生歩もうとするわけないじゃないか」 確かに、と頷いたロードの頭にも同じように拳骨が。 ちょっとざまあみろとか思っていると、僕にももう一発。 「「いたい…」」 「いやあ、自業自得でしょ」 そう言って一人のん気にしているフィリアートが恨めしくて、ロードと一緒に睨んだ。 「私と縁を切れ!もうお前を父親だと認めない!金輪際私に関わるな!」 最後に父親…だった人にそう言い放って、タクトは執務室から出て行ってしまう。 僕らは居心地が悪くなる前にさっさと退散した。 罪悪感はないけれど、後味の悪さが残る。 けれど、タクトも本気じゃないだろうし、男のほうも本心じゃないように思えた。 二人の関係はきっと時間が解決してくれるだろう。 「結局船はナシか…」 盗賊らしく執務室までの道のりを覚えていたロードに連れられて迷路みたいな屋敷を抜け、無事に辿りついた門の外。 タクトの姿が見えないことから屋敷の中の私物の整理でもしているのだろうと目星をつけた。 屋敷の向かいにある花壇に腰掛け、広場の噴水を見つめる。 「当ての一つが消えただけだよ。いざとなったら……すごく嫌だけど、アリアハン王とかロマリア王に頼めばいい」 「頼みといえば、ロマリア王から何か奪還頼まれてたよね」 僕としてはその辺りは無視する気満々だったんだけど、どうやら二人は頼まれると断れないらしい。 ロードが地図を出して広げ、それを覗き込むフィリアート。 二人で冒険してた時も依頼をこなしてたって聞いたから、たぶんその名残の癖だと思う。 「シャンパーニの塔だっけか」 「じゃあ、ロマリアの関所を通っていくか、遠回りだけどカザーブ経由で行くかだね」 つい、とフィリアートの指が地図の上を滑る。 「関所へ行くならもう一度謁見の必要があるな。通行許可を貰わねえと」 「カザーブいこうカザーブ。ぼく せかいの いろんなところ みてみたい」 「棒読みになってるぞ、アルディス」 仕方ないじゃないか。 そう何度も精神的疲労を味わわされてたまるか。 「謁見はもう嫌。絶対嫌。謁見するくらいなら無視して次の場所行きたい」 「カンダタは俺らも追ってるんだ。そこは譲れない。仕方ない、遠回りするか」 どうやらカザーブ経由で今後の進路が決まったらしく。 僕中心のパーティーのはずなのに、実権を握っていない気がするのは僕の気のせいかな。 「とはいえ、返すときにもう一度会うことになるだろうけどね」 「……………」 フィリアートの言葉にトドメを刺された気分になり、僕は花壇の上で膝を抱いて顔を埋めた。 一体僕になんの恨みがあるっていうんだ。 「待たせたな」 聞き慣れた声がして、埋めたばかりの頭を持ち上げる。 隣で同じように地図から顔を上げた二人が固まっているのが見えた。 「…えーと、タクト?」 「なんだ」 「…その格好は?」 そうなのだ、今目の前で腕を組んで仁王立ちしている彼女は、男装をしていた。 詳しくは男装というよりも体のラインが隠れるような旅装だったのだが。 以前着ていた僧侶服はまだ女らしさが滲み出ていてよく似合っていたのに。 「見て分からないか?私はやると言えばやる」 ざっくりと切った髪も今は整えられ、横髪は耳を隠し襟足は首元まで覆っていた。 元が綺麗な顔立ちだけに、機能に富んだ旅装のおかげで一見すると中性的な美少年のようだ。 「でもまあ、似合ってるよ」 「そうか?」 素直に感想を言えば、彼女は嬉しそうに表情を綻ばせる。 仕草は女の子そのものだから、あくまでも見た目だけってところかな。 「しつもーん。縁を切ったのに男装する必要が?もう会わないんじゃねえの?」 「気持ち的な問題だ。私とて見た目を変えただけで何かが変わるとは思っていない」 「そんなもんかねー。別に問題はねえから構わないけど」 そう言ってロードはまた地図に視線を落とした。 フィリアートは未だじっとタクトを見つめているが。 「…なんだ?言いたいことがあるなら言え」 「あ、いや…綺麗な髪だったのに、勿体無いなあって」 「…コーセルの髪の方が、綺麗だろう」 確かにフィリアートの髪は女性に劣らず綺麗だと思う。 「あはは、ありがと!愛しのロディが綺麗って言ってくれたから伸ばしてるんだよね!」 「鬱陶しい。とっとと切れ」 「ひどい!」 すっかり日常に定着した二人のやり取りはいつ見ても面白い。 ほら、タクトだって笑ってる。 「カザーブまでは距離があるから、今日一泊して早朝に出発だな」 「着いたら、丸一日休みにしようか。これだけの距離歩くなら疲れも溜まるだろうし」 「ほんと!?やった、お昼まで寝れる!」 喜ぶフィリアートの横で、ロードが僕に聞く。 「いいのか?ここ行ったことあるけど、何もないぜ?」 「僕は賑やかなところよりも、のどかなところの方が好きだから」 「ふうん?まあ、いいか。こいつも喜んでるし」 広げていた地図をしまい、ロードが立ち上がるのに合わせて僕らも動き出した。 城の向こうから夕日が顔を出していて、もうそろそろ日も暮れる。 明日にはカザーブへの長い道のりが待っているから、早く休んでしまうのもいいだろう。 宿屋に着くとそれぞれ取っておいた部屋へと別れて、僕は外套を椅子の背もたれにかけた。 衣服も洗わないと。誘いの洞窟で大分汚れてしまった。 「ディス。…ディス?行き先が決まったよ」 先ほどからお風呂へ向かう準備をしつつディスに呼びかけているものの、返事はない。 よほど深い眠りについているのだろうかと、その時はあまり気にしなかった。 |
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08.10.05 | |||
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