第五話 . | |||
「アリス、どうかしたの?」 「いえ…」 何かの気配がしたと思ったのに、気のせいだったらしい。 通路の向こうは魔物の死骸と暗闇しかない。 どうしてか後ろ髪引かれる思いは残るけれど、隣を歩くレノに促されながら扉の敷居を跨いだ。 そこには青く淡い光の粒子が渦巻いていた。 それは天井に近づくにつれ霧散してゆく。 暗闇の中、幻想的にすら見えるそれは私の目を奪った。 「これが旅の扉?」 「そうだ。初めてのヤツの中には酔うヤツも居るらしいぜ?」 出会って初めて浮かべたラキルの笑みは、その性格どおり嫌味な笑みだった。 これで酔ってしまえばまたからかわれるのだろう。 そのまま旅の扉へと進んだラキルの体はみるみる内に光の粒子に包まれ、次の瞬間にはそこから消えていた。 きっとこれが転移というものなのだろう。 私とクレイは目の前で渦巻くそれを見つめる。 「最初は勇気が要るけどね。一人残されるほうが寂しいだろうから、お二人さんお先にどうぞ」 こちらは人の好い笑みを浮かべたレノ。 いまだ躊躇する私の心中を察したのか、クレイが先に段差に足をかけた。 「………」 そのまま何か言いたそうに私を見たけれど、結局何も言わずに転移してしまう。 「今まで失敗例はないし、中は水浴びしてるような感覚だよ。それに、噂では転移の間だけ会いたい人に会えるって言われてる」 「…それは本当なの?」 「噂の方?」 「ええ」 「嘘はつかないよ。ただ、噂だから保障はしかねるけど」 レノは困ったように笑い、優しく背中を押した。 「どうしても怖いなら一緒に入ろうか」 「…いえ、大丈夫よ。ありがとう」 「うん。いってらっしゃい」 一歩を踏み出して、旅の扉の中へ入った。 吸い込まれるような感覚、それから、渦を構成していた青く淡い粒子が一面に広がる空間が目に入った。 ふわふわとした浮遊感の中、誰かの気配がして振り返る。 そこには、目を丸くした少年が居た。 私と同じ色の真っ黒な髪。私と同じ色の真っ赤な瞳。 私に似た顔は、ちょっと情けないけれど男の子の顔をしていて。 暫く見つめ合ったあと、その子は恥ずかしそうに笑った。 それから何かを言おうとして、伝わらないことに気がつく。 すると、今度は寂しそうに睫を伏せた。 私はまだ全てを思い出せたわけじゃない。 けれど、手を伸ばして、その子の手をしっかりと握る。 お互いに手を重ねて、微笑み合い。 互いの体が消えるその時まで、手をずっと離さないままでいた。 「アリス、アリス!」 「……クレイ?」 「…よかった。目を覚まさないから」 目覚めたとき、握っていた手はクレイの手に変わっていて。 木陰で寝かせてもらっていたらしく、クレイの向こうにはラキルとレノも心配そうにこちらを窺っているのが分かった。 私が起きたことに気がつくと、荷物を置いて寄ってくる。 「よう、気分はどうだ?」 ラキルはそう言って私のこめかみに手を添える。 その手から溢れる柔らかな水色の粒子はホイミのものだ。 「上々よ」 心配する仲間は余所に私は嬉しさを隠し切れずに微笑む。 思わぬ収穫だったから。 下手をすればもう一度旅の扉に入りたくなるけれど、きっと入ってもあの子がもう居ないだろうことは分かっていた。 「ふうん?それにしてもアレに入って意識失う奴なんて初めて見た」 「そう、聞いてよ!とっても幸せだったの!」 「はあ!?」 誰でもいいから弟にするように抱きしめたくなって、目の前に居たラキルを抱きしめてみる。 細いとはいえ、ごつごつとした体格はやっぱり成人した男のものだったけれど。 成長したらあの子もきっとこんな体型になるのかしら、なんて。 「アリスアリス。ラキルが固まってるから離してあげて」 「あら?ごめんなさい」 レノに言われて、ようやく我に返る。 離してあげたのに未だ固まっている無愛想男を尻目に、レノを見上げた。 「ねえ、レノ!あたし、会えたのよ!」 「えーっと、あ、弟くんに?」 「そう!夢か幻かもしれないけれど…それでも嬉しいの」 思い出して、口元が綻ぶ。 男の子のはずなのに、随分と可愛らしい顔をしていた。 「アリスってそんな風に笑うと可愛いよね。ね?クレイくん」 「………ああ」 「やーだ、もう!田舎娘はそういうお世辞に弱いんだから!」 笑って、レノの肩をばんばんと叩く。 それから腰を上げて、んーっと背伸びした。 背筋が伸びて、青い大空が目に入って、また頑張ろうっていう気になる。 「さて、それじゃあ行きましょ!」 生まれてから初めて踏む、他の大陸の土。 ロマリアは地図で見ると、アリアハンの遥か北西にあるらしい。 北にあるこの地の踏み心地は、アリアハンの土よりかは若干硬いように思う。 「ロマリアまでは北に真っ直ぐ行けば半日くらいで着くよ。アリアハンよりかは敵も強いから気をつけて」 「分かったわ」 最低限の進行方向だけを教えてくれて、あとは先頭を歩く私に合わせてくれる皆。 私は私で興味あるものに近づいては、物知りな三人に訊ねていく。 そうよ、旅は楽しくなくっちゃ! 「この大きなカエルは?」 「それは魔物だ」 「あら、そうなの」 切り株の上でぐでんと横になっている青いカエルはポイズントードというらしい。 見た目に反して危なそうな名前だ。 けれど随分と気持ちよさそうに寝ていて、害はなさそうだったものだからそのままそっとしておいた。 その後、街道沿いの小屋で一泊させてもらい、再びロマリアへと歩く。 「ほら、見えてきたぜ。あれがロマリアだ」 ラキルの指差す先、坂の上にある大きな城がここからでもよく見える。 アリアハンよりも一回りくらい大きなお城。 それと城下町を囲うように石造りの城壁が周囲へ威圧感を放っていた。 近づくにつれ、門を出入りする人が多いことに気づく。 商人が多く、どの通行人も大きな荷物を背負っていた。 草が磨り減り、道になった場所を歩いていると、何人かと擦れ違う。 誰もがにこやかに挨拶してくれて、私も上機嫌だ。 門番の目が厳しく光る中、何も問題なく、むしろ礼をされて中へ通された。 勇者って意外と便利なのねえ、なんて的外れなことを考えながら。 「今日の宿はどうする?」 「お城よりも先に宿の心配なの?」 「早く取っておくに越したことはないから」 クレイに問い返せば、そう言われてとりあえず頷く。 旅のことはまだよく分からない。 「こんなでかい街だと、予約しとかないと部屋が埋まっちまって最悪野宿になることもあるんだよ。覚えとけ」 「そうなの。わざわざありがとう」 「フン、可愛くねぇな」 可愛くないなんて、失礼ね。 その態度を直せばいいのになんて、思うだけで口には出さない。 相変わらずさっさと歩いていくラキルの背を見つめる。 「ラキルはあれでも優しいからさ。そう邪険にしないであげて」 「…善処するわ」 親切なのは分かる。態度が気に食わないだけで。 いつかその辺りも分かり合えるといいんだけれど。 大通りに面する、そう大きくもない宿屋に入って部屋を取った。 早い時間だからか幸いにも二部屋取ることができて、一部屋を私に、残りを男三人で使うらしい。 旅費の節約とはいえ、男三人なんてむさ苦しいわね。 確かに、三人とも見目はいいけれど。 最小限の荷物だけを持って、四人で王城を目指す。 無駄に大きな城門は、潜るだけで体が硬くなる。 さて、今回の城は地元じゃないわ。 アヴィラの時のような対応で許されるはずがない。 うまく言えるかしら、そんな不安が顔に出ていたのか、隣に並んだクレイに頭を撫でられた。 少し緊張が解れたことに小声で礼を言えば、彼は小さくはにかむ。 …やっぱり、いい男だわ。 「アリアハン王から任命されました、勇者アリス・フォークルです」 膝を折り、頭を垂れて挨拶をする。 ロマリア王は一見して柔和な笑みを浮かべた優しそうな壮年の人だった。 そうして、見た目に相応しく優しい口調で話す。 「畏まらずともよい、アリアハン王から噂は聞いておるぞ」 「噂…ですか?」 「うむ。女性ながらに活発で、元気がいいとな」 「はあ…」 アヴィラったら、いつの間にそんなことを。 「勇者アリスよ。ロマリアは貿易が盛んじゃ。滞在の間はゆるりと過ごされるがよい」 「ありがとうございます。…ここは豊かでよい国ですね。人々も皆笑顔で」 「じゃろう?わが国の自慢は活気と笑顔じゃ」 そう言ってあまりにも嬉しそうに笑うものだから、つい私も笑みを浮かべてしまう。 「なるほど、アリアハン王の言う通りじゃな。笑顔が可憐じゃ」 「そ、そんな…」 「ふふ。よいよい。儂もそなたらの活躍には期待しておる。入用があれば応じよう」 「感謝します。それでは…」 「旅の無事を祈っておるぞ」 もう一度一礼し、謁見の間を後にする。 アリアハン王といい、ロマリア王といい、王様は気さくな人が多い。 一国の頂点に立つ人にその心の広さがあるからこそ、国民もついていくのだろうか。 どちらにしろ、ロマリアという国に好印象を持った。 「まさか、国に行く度に城に入って謁見していくつもりか?」 「仕方ないじゃない、義務みたいなものなのよ。嫌ならついてこなくてもいいわ」 「そうかよ」 嫌味を言ったつもりじゃないのに、そう受け取ってしまったらしく。 ラキルの性格の捻くれ具合も仲良くなれない原因の一つだと分かった。 「そう拗ねないでちょうだい。あ、ねえ、あの店は何かしら!」 「果物のジュースを売っているようだな。何か飲むか?」 そう言ってくれたクレイの手を引いて、果物のジュースを買ってもらった。 薄いベージュのそれは、桃の味だ。 「果物なんて、林檎くらいしか馴染みがないのよね。他のは高くてとても買えなかったもの」 「さすが、貿易が盛んだと言うだけあるな」 そんな彼の手にも黄色いジュースがあって。 数があるからかアリアハンよりかはマシな値段だったから、クレイも味わうことにしたみたい。 彼は彼で旅をしている間は生きることに精一杯だったらしくて、今は二人して観光気分だ。 「微笑ましいねえ」 「…そうだな」 「あれ、珍しく怒らないんだ?」 「息抜きは必要だろ」 後ろのほうからそんな会話が聞こえてきた。 てっきり不機嫌だと思っていたラキルは、文句も言わずに市場を見回る私たちの後をついてきている。 平和な風景、こんな毎日がずっと続けばいいな、なんて思いながら。 その日は目一杯楽しんで、私たちは夜も更けてから宿屋へと戻っていった。 |
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08.10.04 | |||
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