第五話 . | |||
奥まで進んで、ズッシリと重たい扉を恐る恐る開く。 ギギ…と開く扉とは対照的にロードの寝息は安らかだ。 「…本当にあった」 「うん。あったね」 僕らの目の前には、一見してそれがそうだと分かる旅の扉で。 青い粒子がぐるぐると渦巻いていて、神秘的にすら見える。 「アルディスからどうぞ。僕はロディを起こしてから行くよ」 「わかった。タクトも、僕の後についてきてね」 「ああ…」 初めて見る旅の扉が怖いのか、タクトの腰は若干引けている。 僕も確かに怖いけれど、怖いもの見たさ半分。 「それじゃ」 そう言って、僕は旅の扉の中へと進んだ。 淡い粒子が僕の体を包んで、渦の中心へと引き込むような感触を覚える。 すとん、と落ちるような感覚がして、僕は水の中に居た。 正確には水じゃなくて、辺り一面が青いだけ。 呼吸は普通にできることから、ここが旅の扉の中だと分かった。 そこでふと、僕以外の気配に気づく。 気配のほうを見やれば、一人の少女の姿が。 ちょっと跳ね癖のついた黒髪がその子の活発さを表している。 そして、ちらりと見えたその瞳が…、赤かった。 僕は驚いて目を見開く。 その顔に覚えがあったから。 その人は間違いなく僕の姉さんで。 こんなに近くに居るのに、どこか遠い。 暫くお互いに見詰め合って、僕は思わず恥ずかしさに笑ってしまった。 だって姉さん、すごく可愛く育っていたから。 本当に僕の姉さんなのかな、なんて不安に思うと同時に自慢の姉だと誇りに思う。 話しかけよう、そう思うのに、声が奪われたかのように出ない。 寂しくて、悲しくて、けれど仕方ないのだと諦めて、目を伏せた。 すると、姉さんが手を伸ばして僕の手を掴んでくれた。 お互いに手を重ねて、微笑み合い。 互いの体が消えるその時まで、手をずっと離さないままでいた。 夢のような感覚から一転、そこはよく知る世界の上で。 祠のような場所に居ることが分かった。 後ろを振り向けば、旅の扉がある。 長かったようでいて一瞬の出来事だったらしく、未だタクトの姿は見えない。 瓦礫の上に腰掛けて、ぼんやりと空を眺める。 「…いい天気だ」 一緒にこの空を眺められたなら。 僕らはどうして離れ離れなんだろうとか、考えてもいつもの頭痛がするだけで。 それを学習した僕は、気を紛らわす意味で空を見上げることが多くなっていた。 「アルディス?」 「タクト。旅の扉は、どうだった?」 後ろから声をかけられ、僕は振り向かずに問う。 彼女は僕の隣に腰掛けると、同じように空を見上げた。 「ん、そうだな…意外と気持ちいいものだった」 「うん。僕も。癖になりそう」 「また変なものにハマって…」 「あはは」 昔から僕は常識を逸しているらしく、タクトからも呆れられてばかりだ。 でも今回はそれとは別だろう。 誰だって会いたい人に会えれば、もう一度、と望むはずだから。 それでも僕は前に進まなきゃならない。 それにきっと、戻っても姉さんは居ないと思う。 「おーう、待たせたな」 「おはよう、ロディ」 「うわーすげー嫌味に聞こえるー」 「そうかな?」 耳を塞いでじと目で見てくるロードがおかしくって笑ってしまう。 そんな様子に、ロードもタクトも笑い。 やがて最後にフィリアートも合流して、僕らはロマリアへ向かった。 途中、日が暮れるからと近くの森に入って火を焚くことになった。 それぞれの鞄から毛布を出して膝にかけ、火の周りを囲む。 「ロマリアの後、どこへ向かうのがいいかな」 地図を広げ、炎を明かり代わりにしてロマリアの位置を探す。 アリアハンから北西にあり、あの一瞬で随分と遠くに運ばれたらしい。 左右からロードとフィリアートが覗き込み、これからの進路を考える。 「魔王の居城と言われているのがここだ。なんにしろ、船が必要だな」 「じゃあ、ポルトガかなあ。船なら造船所もあるあそこだろうし、王様も変わり者だって聞くから気まぐれで貰えるかも」 「気まぐれって、そんな簡単に…?」 「何かしらの要求はされるかもしれないが、有力候補と考えていいと思うぜ」 ロマリアの次はポルトガ…地図を見ればほぼ直線状の西に位置しているけれど、間に海があるため迂回の必要がありそうだ。 「船なら、私の家にも一隻あるぞ。確かポルトガに預けているはずだ」 「マジか。タクトっていいとこのお嬢さん?」 「あまりそういう言い方は好きじゃない。一応ロマリアの貴族ではある」 「へえ、ロマリア貴族!それなのに旅をするなんて、タクトも物好きだねえ」 話題がタクトに移ったのを見て、地図を鞄に仕舞い込む。 そしたら不意に視線を感じて顔をあげると、タクトと目が合った。 「アルディスが頼りないのが悪い」 「ええ、僕のせいー…?」 あんまりな言い様に、それでも僕は眉を下げることしか出来ない。 確かにちょっと頼りないのは自覚してるし…。 「ていうか、ロマリア貴族って何?」 「…これだからお前は…」 「うーん…」 「なるほどねえ」 気になって聞けば、全員が僕を見て唸り始める。 あれ、僕なにか変なこと言った? もしかして、常識だったのかな。だとしたら自信ないんだけど。 「ロマリア貴族ってのは、その財産だけで城一個建てられるって言われるほどの金持ちだ。権力も相当握ってるらしいぜ?」 「ふうん…。じゃあ、なんでタクトってアリアハンなんて田舎に来たの?」 「それもお前に言った覚えがあるんだがな」 言われて、思い出そうと首を捻るけれど、僕の頭は生憎記憶には向いていない。 「うん、ごめん。覚えてないや」 「だろうな…。私は同学年の生徒から貴族扱いされるのが厭だったんだ。だから、アリアハンへ行った。元々放任主義でそのまま学費も出してくれたしな」 「確かに、タクトって貴族らしいのに貴族らしくないよねー」 「私自身ああいう輩が嫌いだから」 タクトがふう、と溜息をついたところで、一区切り。 たぶんロマリアではタクトの実家に寄ることになったんだろう。 船を借りないといけないから、下手な真似はできない。 「とりあえずロマリアはタクトの実家と食料調達だな。王様への謁見は昼でいいか」 「え?謁見するの?」 「…しないのか?」 びっくりして聞けば、驚いたように返された。 した方がいいのかな。 「別に僕は期待されていないから、王に会う必要もないはず。今時勇者をやるなんて、気違いかよっぽどの馬鹿だし」 「そんな気持ちで勇者になったのか?」 「ううん。僕はそう思ってない。ただ、周りからはあんまりいい目で見られないから。堂々と名乗るなんてそれこそ馬鹿みたいなものだよ」 アリアハンでだって、向けられたのは嘲笑と中傷。 僕は気にならなかったけれど、町の人からのそれらは母さんを傷つけた。 あんな国、潰れてしまえばいいなんて、そう思って荒れた時期もあった。 それでも母さんが居るから、国ごと救って、世界ごと救って。 僕の嫌いな町人も、みんな幸せになってしまえばいい。 そしたら、母さんだって悲しまなくなって、笑顔を見せてくれるに違いないって信じてる。 「向こうからのコンタクトがない限り謁見はしないよ」 「…そうか。お前がそう言うんなら」 黒髪で、赤目で、おまけに勇者で。 そんな僕を町人たちはストレスのはけ口にしていた。 僕が居なくなった今、やっぱり一人残してきた母さんが心配だ。 次の日、僕たちは早速ロマリアへ向かった。 アリアハンよりかはマシだけれど、やはりどこか閑散としていた。 空気が重くて、晴れているというのに活気の一つもない。 宿もどこもかしこもがらがらで。 大通りに面した適当な宿を選ぶと、タクトに一部屋、僕に一部屋、ロードとフィリアートに一部屋の計三部屋を取った。 値段は少々ぼったくりだったけれど。 そのまま部屋に荷物を置いて、早々にタクトの実家へ向かうことにする。 タクトはもう行くのかと厭そうな顔をしたけれど、嫌ならばさっさと片付けた方がいいと説得した。 「少々お待ちを。失礼ですが、勇者アルディス様でしょうか」 「……?」 市街とは別に、城に近い場所にある高級住宅地へと向かおうとしていたところで兵士に呼び止められた。 僕のことを勇者だと知っているなんて、王家以外にありえない。 どうにも面倒なことになりそうだと内心で溜息をついた。 「勇者に、用でしょうか」 あえて僕にとは、言わない。 世間的な勇者像と、現実の僕とでは雲泥の差があるから。 勇者と呼ばれれば、それ相応に振舞わなければならない。 「王様がお呼びです。ご同行願えますか」 どうやら強制連行らしい。 嫌なのを顔に出さないよう、後ろを振り返る。 「…呼ばれちゃったみたい。皆はどうする?」 「私は行くぞ!」 「嬉しそうだな。タクトが居ないなら意味がない。皆で行けばいいんじゃねぇの?」 「お城だー!楽しみだなあ」 うーん、みんなポジティブだ。 少し見習った方がいいかもしれない。 「それでは、こちらへ」 通されたのは正門ではなく、城の横にある通用口のような場所。 いかに歓迎されていないかよく分かる。 「王様。お連れしました。勇者殿とその一行です」 「お手を煩わせてしまったようで、申し訳ありません」 膝を折って頭を垂れる。 もちろん、口だけだ。気持ちなんて篭っているはずがない。 「よいよい。そなたは呼ばねば来ぬと思っていたからな」 「…僕をご存知で?」 「ほっほっ!アリアハン王は随分と主を心配しておったぞ」 「まさか」 言ってしまって、慌てて口を押さえる。 王前でなんて無礼をはたらいてしまったのだろうか。 「まあそう思うのも無理はないじゃろうて。ヤツの愛情は裏返しじゃからな」 「…王様、呼んだ理由をお話頂けますか」 「ほ!せっかちじゃのう。聞きたくないと申すか。それもよかろう」 にこにこと何が楽しいのか始終笑っている王。 ロマリアもこんな王だからこそ寂れたのかもしれない。 何も知らずに税を搾り取って腹を肥やす、そういうタイプだろう。 「実はの、儀式用の金の冠をカンダタという盗賊に盗まれてしまったのじゃ。兵士の報告によればシャンパーニの塔を根城にしとるらしくてのう」 「奪還をご希望ですか?」 「早い話が、そういうわけじゃ。ロマリアの兵力では心許ない。すまんが、やってくれるかの?」 「お引き受けします。それでは」 話を聞くだけ聞いた。 この王様の様子じゃ、奪還こそついでで僕に会いたかっただけのように思う。 それならば目的は果たしたはず、と、すぐに立ち去ろうと思った。 何より周りの兵士の目に耐えられない。 「なんじゃ、ゆっくりしていけばいいのに」 「申し訳ありません。もう一箇所寄らなければならない場所がありますので」 「ふむ…よいじゃろう。吉報を待っておるぞ」 「必ず」 もう一度深く礼をして、立ち上がる。 マントを翻して足早に立ち去り、外へ出た途端に肺の中の空気を一気に吐き出した。 壁に寄りかかってずるずると座り込む。 「疲れた…!」 「お疲れさん。しっかし、ロマリアの王って気さくな人だな」 「気さくで国が破滅しなきゃいいけどね」 「どうしたの、アル君。さっきもご機嫌斜めだったよね?」 「王家って、嫌いなんだ」 心底嫌そうに、今度は隠しもせず表情に出した。 すると何故かタクトが苦しそうに眉を顰める。 君の事を言ってるんじゃないのに。 「タクトの家はどうする?その様子じゃ連続はきついんじゃないのか?」 「いや、行くよ。嫌なことは早く済ませた方がいい。ね?タクト」 「あ、ああ…」 フィリアートに助け起こして貰い、今度こそ僕らはタクトの家へ向かうことにした。 貴族の家が並ぶ中でも、少々小さめなのがタクトの実家だ。 「いきなり帰ってびっくりされたりしない?」 無駄に大きな門の前でフィリアートがそう聞けば、タクトは首を横に振る。 「問題ないだろう」 門の中へ入ると、気づいた使用人らしき人が近寄ってくる。 けれど彼女はそれを制して、そのまま屋敷の中へ入っていった。 僕らもそれに続き、彼女の案内のままに進むとやがて一際大きな扉が見えてきた。 「父様の執務室だ。私が交渉するから、お前たちはなるべく喋らないように。怒らせたら私でも対処しかねるからな」 「わかった」 そうして、タクトは目の前の大きな扉の片方に手をかけると、ゆっくりと開けた。 |
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08.10.04 | |||
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