第三話 . | |||
「やあ」 塔の最上階で待っていたのはにこやかに笑うアリアハン王の姿だった。 「ど、どうしてこんなところに!?」 「あはは、ちょっと息抜きにね。よくお邪魔させてもらっているんだ」 きっとあの大臣のことだろう、必死に王を探す姿が想像でき、胸中で同情した。 賢王と云われるこの人物はどこか抜けているらしい。 「ああ、それと。ここでは僕は王じゃない。アヴィラでいいよ。気軽に呼んで」 「気軽にって…」 そう言われて呼べる人が一体世の中にどれだけいると思っているのだろうか。 仲がいいならともかく、昨日が初対面なのだ。 「息抜きに来てるのに、王なんて呼ばれちゃたまらない」 わざとらしく肩を竦めて見せる彼。 自国の王の新たな一面に私は親近感を覚える。 確かに、今の彼は王らしくなくごく一般的なアリアハンの私服に身を包んでいた。 その容貌の高貴さこそ失われていないものの、玉座に座る彼とは纏う雰囲気は随分と違う。 「…分かったわ、アヴィラ」 「ありがとう、アリス」 和やかな空気になったところで、アヴィラにテーブルの席を勧められた。 断る理由もないため座ると、間もなくして出された水を一口飲んだ。 コップの場所まで把握している辺り、どうやら本当によく来ているらしい。 「それで、ナジミ爺はどこに?」 クレイは水には手をつけずにアヴィラを見つめた。 そういえば、クレイは初対面だったかしら。 評判は聞けども、信用はしていないらしくその目には警戒心が見えた。 それを心得ているらしいアヴィラも至極丁寧に対応する。 「今は少し外に。ナジミ爺がこんな所に住んでいる理由を知っている?」 「いいえ、知らないわ。物好きだから?」 私は隣から、塔を上る前のクレイの言葉を借りて返答した。 それにアヴィラはおおよそハズレでもないけれど、と苦笑する。 「上から世界を見渡して、予知をする。そういう不思議な力を持ってらっしゃるんだよ、彼は」 「そう、主らが来るのも知っておった」 続けるように言葉を重ねて来たのは、他の誰でもないナジミ爺。 いつ入ってきたのだろうか、分からなかった。 ナジミ爺は私の前、アヴィラの隣の椅子に腰掛ける。 「何か視えましたか?」 「ふうむ。…主ら、双子のことなんじゃが」 ナジミ爺はアヴィラの問いに、私に視線を寄越して自らの白い髭を撫ぜる。 私と、双子の弟のこと。言葉を濁すナジミ爺の続きを待つ。 「なんとも、数奇な運命じゃのう…。まあ、急ぐことはあるまいて」 「なんなのよ、もう!」 「ほら、これじゃろう?」 ダン、とテーブルを打つ私の前に、ナジミ爺は見事な話題転換で何かの鍵を置いた。 この人の、こういうところが苦手だ。 だからレーベのおじいさんも言い出すのに言葉に詰まるのだ。 そんなナジミ爺が出した鍵は奇妙な形をしていて、むしろ鍵なのかどうかすら怪しい。 「盗賊の鍵じゃ。それでその箱も開くじゃろうて」 「ナジミ爺、これを。レーベの老人から預かってきました」 すかさず、クレイが持っていたお土産の酒をナジミ爺に差し出した。 すると、その表情が見る見るうちに喜色に変わっていく。 「なんじゃ、あやつも気が利くのう!よし、アリス。教えてやろう」 声音をがらりと変えて、ナジミ爺は囁くように言う。 なんだかんだ言ってこの人は嘘をつかない。 私は身を乗り出して、耳を澄ました。 「アルディスに逢うことは、不可能じゃ。実質的にはな」 「嘘!だってディスは逢えるって…!」 「実質的には、と言うたじゃろう。その者は方法を知っておるのかもしれん」 言葉を失う私に、ナジミ爺は尚も続ける。 「儂が見たのは少し先の主らの様子じゃ。逢えるかどうかは運じゃの。そのディスとやらに賭けるがいい」 ますます分からなくなる。アルディスは居るんでしょう? 不可能ということは、もう死んでいるのか。 けれど、ディスもナジミ爺も差異はあれど、逢えるという。 私はその言葉を信じていいのか、頭が混乱して、また頭痛が酷くなってくる。 「アリス。あまり考えないことです。ナジミ爺は少し、意地悪なので」 静かに話を聞いていたアヴィラが、落ち着かせるように私の頭を撫ぜる。 温かくて優しい、大きな手。 その手が退けられた後は、何故か頭痛が治まっていた。 「ありがとう、アヴィラ。ナジミ爺も。あたし、ディスを探してみるわ」 「うむ。儂がついでなのが納得いかんが…まあ、いいじゃろう。気をつけてな」 「行き先は?」 拗ねたように言うナジミ爺に苦笑しつつ、問いかけてきたアヴィラに応える。 魔法の玉が入った箱の鍵は手に入った。 後は誘いの洞窟へ向かうだけだと伝えた。 「なら、誘いの洞窟まで送るよ。たまには遠出したいしね」 「城は大丈夫なのか?」 「送ったら、すぐ帰るさ。帰っても説教だから暫く身を隠すけれどね」 悪戯っぽく笑うアヴィラ。彼のお守りは本当に大変そうだ。 それでもこの人以上に人望の厚い王などそうは居ないだろう。 王の仕事など分からないけれど、私達の考える豪華な暮らしとはかけ離れている気がした。 「後から行くから、先に外に出ていて」 屋上にあるこの部屋は、塔の中央にある。 扉の外へ出ると、壁も天井も何もない、吹きさらしの頂上になっている。 私とクレイは外へ出ると、そこから見える景色に唖然とした。 ずっと向こうに見える地平線。小さく見えるアリアハン。行ったこともない大陸。 これが世界の一部分でしかないと分かっていても、世界の全てを見渡しているような感覚に陥った。 「本当に、貴方は意地悪だ」 「はて。それは主にも言える事じゃろう、アヴィリサクティル」 「…私は王として国家機密は守らねばならない。しかし、貴方ならば」 「国民にして、国民にあらず。そう言いたいのじゃろう?生憎じゃが、儂が教えることではない」 「……。また来ます」 遅れて出てきたアヴィラは、なんだか浮かない顔をしていた。 けれどそれも気のせいかと思わせる切り替えの早さで私達に笑みを向ける。 「ルーラは初めて?」 「ええ。まだ覚えていないもの。クレイは?」 「キメラの翼なら。同じようなものだろう」 「ふふ、それはどうだろうね」 どこか楽しそうに笑うアヴィラに、私達はいやな予感を覚える。 「どうせなら、スリルも味わおうか」 次の瞬間、アヴィラに手を取られた私達は塔の頂上から身を投げ出していた。 空を飛んでいる感覚、なんてのは全然なくて、風圧がすごくて何がなんだか分からない。 確かなのは、気持ちがいいということ。 地面にたたきつけられる恐怖よりも、解放感が勝る。 ぶつかる、そう思った直後に体が光の粒子に包まれて、次いで今度は浮き上がる感覚。 アヴィラのルーラが発動したらしい。 気がつけば、洞窟へと続く階段の入り口が目の前にぽっかりと穴を開けていた。 風で乱れた髪もそのままに腰に手を当てて、悠々と髪を結い直している王を睨む。 「…ちょっと、アヴィラ」 怒気を含んだ声で呼ぶと、アヴィラは先ほどと同じ笑顔を向けてきた。 そんな表情で楽しかったでしょう?なんて聞かれたら、怒る気も失せてしまう。 「まったく、王様がこんなにも子供染みているなんて」 溜息をついて近くの岩に腰掛けると、隣に腰を降ろしたアヴィラが一人ごちた。 「確かにこんな僕は王には向いてないかもしれないけれど、できるだけ多くの人を幸せにしたいんだ」 「…貴方は立派な王様だわ。多少性格や素行に問題があるだけ」 「あはは!面と向かって言われたのは久しぶりだ!」 しまった、と思って慌てて口を塞いだけれど、アヴィラに気にした様子は一切なく、むしろ活き活きして見えた。 「アリス。君にまた会えたらこれを渡そうと思っていたんだ」 いつものにこやかな笑みを浮かべ、懐から出された手紙を受け取る。 蝋で封はされていないため、特に重要な密書というわけでもなさそうだ。 「これは?」 「紹介状さ。僕にも昔の仲間ってのが居てね。商人と盗賊の二人組なんだけど、困った時に何処かで会ったなら僕の名前を出せばいい」 「…そう簡単に見つかるかしら」 「確か砂漠地帯あたりで稼ぐとか言ってたような…。今はどうか知らないけれど」 まあ、保険程度に。そう言うアヴィラに、私はありがたくその手紙を貰うことにした。 クレイに目配せをしたけれど、肩を竦められる。 アリスの好きなように、そういう合図だ。 「名前はコカルトとシロン。シロンの方が銀髪の盗賊。色んな意味で目立つから、会えば分かると思う」 「コカルトに…シロン、ね。ありがとう、困ったら頼ってみるわ」 「それじゃあ、僕はこの辺で失礼するよ。君たちの旅に祝福があるよう」 アヴィラはそこで、私の手を取って手の甲に口付けた。 まるでどこかの貴族みたいだと思ったが、そういえば王様だったっけと思い直す。 一気に親しくなったからか、近所のお兄さんのような感覚だ。 「この言葉、受け売りなんだけどね」 くすくす、と笑う王に、私も笑顔で返した。 「いってきます。また、会いに来るわ」 「いつでも歓迎するよ。アリス、クレイ。いってらっしゃい」 「…、いってきます」 クレイは僅かに遅れて、そう返事した。 神父様で慣れているのかと思ったけれど、送り出されるのはいつになっても慣れないらしい。 私達が誘いの洞窟に入って姿が見えなくなるまで、王はずっとそこに居た。 それがなんだか嬉しくて、心強く感じる。 いよいよ、本当の旅が始まるのね。 |
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08.07.13 | |||
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