第一話  .









「アリス。アルディスを見かけたら、よろしくね」
「やだわ、母さん。あたしには弟なんて…」
「いるのよ。いるの。しっかりなさい、アリス」

私はいまいち実感が湧かなくて頬を掻いた。
母さんは優しく私の黒い髪を梳き、その目に私を映す。
黒い髪は父さんと母さんの遺伝だけれど、この赤い瞳はお婆ちゃんからの隔世遺伝だと聞いた。

「じゃあ、まずは思い出すことにするわ」

忘れているのなら、記憶を追えばいい。
今日旅立つ私は、その前にアリアハンの随所を回るつもりだ。
宿屋のおばさん、道具屋のおじさん、武器屋の看板娘イリア、教会の神父様と手伝いのクレイ。
皆に挨拶してそれから、たぶん弟と過ごしていた時間が一番詰まっているだろうアカデミーへ。
その過程で何か弟の姿の片鱗を見つけられたなら私はその存在を信じよう。
もし何も無ければ、スッパリ忘れる。
何かに気を取られながら旅を出来るなんて、甘く思っていない。
母さんには悪いけれど。

「いってきます」

母さんとお爺ちゃん、二人に別れを告げて私は歩き出した。
午前中の城下町では朝市の商人達が声を張り上げて客寄せをしていた。
人々の雑踏にまぎれて王城を目指す。

現在のアリアハンの王は若い。
けれどその手腕は見事なもので、次々と改革を打ち出しては成功を収めていき、国民からの絶対的な支持を受けている。
漆黒の艶やかな髪を一つに束ね、優しげな表情で微笑み、民の事を第一優先事項として動く。
そんな容姿も相俟って、アリアハン始まって以来のカリスマ性の持ち主だと世間も騒がしい。

(そんなことは、どうでもいいのよ)

何より、タイプじゃない。

「今日は王城までご苦労様です。アリス・フォークル」
「おかげで世に知られる若き賢王にお目見えできること、光栄に思いますわ」
「はは、これは手厳しい」
「王!」

大臣に制され、まだ青年にも満たない王は悪びれた風もなく肩を竦めた。
どうやら噂とは違い普段は年相応らしい。
それが素面なのかどうかは定かではない。

王が席を立ち、書状を読み上げようとして…破いた。
絶句する大臣を他所に壇上を降りて私の目の前で立ち止まる。
立ち上がるよう促され、間近で王と視線を交わした。
真摯な黒い瞳は何故だか信頼できる気がした。

「私、アヴィリサクティル・アリアハンは、一人の人間として貴女に魔王討伐をお頼みしたい」
「王…っ!悪ふざけが過ぎますぞっ!」
「ならば私が代わりに行くか?それともお前が?」

王は大臣を一瞥し、黙らせたところでもう一度私に向き直った。

「立場など関係ない。私は一人の民であり、この国を支える代表であるだけ。 アリス、貴女のような少女に託すのは心が痛むのだ。そのための協力は惜しまない。 貴女もこの国の民だと言う事をお忘れなく。もちろん、貴女の弟も」

不意に頭痛がした。

(また弟?どうして王様も知っているのに私は知らないの?)

無理に思い出そうとすれば頭痛は酷くなる。
私はなるべく考えないようにして、笑みを浮かべた。

「ご命令を、王」
「アリス…」

王の真っ直ぐな瞳が揺らぐ。私はただそれを見詰め返した。

「アリアハンの民としてだけでなく、世界の人々に平和を。それが父の遺志であり、私の意志です。それは変わりません。王、貴方は王らしく在って下さい。…ご命令を」
「…分かった。オルテガが一子、勇者アリス・フォークルに魔王討伐の命を任ずる!」
「ご拝命受け賜りました。必ずや、この世界に平和を取り戻してみせましょう」

形式通りにかしづき、深く頭を下げる。
急ぎ、大臣は持ってきたサークレットを私の頭に嵌めた。
勇者の証。これがあれば勇者に協力的な国は手を貸してくれるという。

王は玉座に戻り、私は立ち上がってもう一度礼をする。
そこで、形式は終わりだ。

「行って参ります」



外へ出ると、一気に緊張感から解放された。新鮮な空気が美味しい。
勇者たるもの謁見は当然、と小さい頃から複雑な言い回しを学んできたけれど、実際に使うとなれば話は別。
まるでどこか外国の言葉のように困難だった。
しかも初めに軽くあしらってしまったのだ。
自国の国王がアレだったからよかったものの、他国ではさすがに通用しない気がする。

「うん、悩んでても仕方ないわよね」

弟、アルディスの欠片を探さなきゃ。

そうして私は歩き出す。宿屋、道具屋、武器屋と回って、教会の前に来ていた。
教会は郊外の丘の上に立っていて、城下町を見下ろせる絶景の場所だ。

「クレイ」
「ああ、アリス。…中に入ろう」

教会の前はクレイによっていつも綺麗にされているが、花が咲いていないことを残念に思った。
花が咲いていればもっと見栄えしそうなのに。
ほうきを持ったクレイに引き連れられ、教会の中へと入る。

「クレイ、貴方も来るのよね?」
「そのつもりだ。少女一人で冒険になんて出せない」
「…あたしだからって言ってくれないのね」
「アリス。…俺には勿体無い」

クレイはそう苦笑して教会の奥の扉を潜って行った。
彼は物語でよく見る雪のように真っ白な髪と、正反対に剣のように鋭い金の瞳をもっている。
顔は整っているけれど中性的ではなくれっきとした男性の顔立ち。
歳は同い年かそれより少し上くらいだったと記憶している。
おまけに盗賊という職業柄、手先が器用で戦闘でも頼れる人。
そんな彼を私が好きになるのに時間はかからなくて、随分前からこうしてアタックしているのに一向に振り向いてくれない。
そう簡単に諦める気はないけれど。

「アリスさん、貴方に神の加護がありますよう」
「ありがとう。神父様」

奥から顔を見せた神父に挨拶し、祭壇へ祈りを捧げる。
やがて翳っていた太陽が顔を出し、光がステンドグラスを通して祝福するように私を照らした。
ああ、祝福してくれている。
そうして思うのは、目先のクレイのことじゃなくて、不鮮明なたった一人の弟のこと。

(弟は、居るのですか?)

背中に背負った剣がズシリ、と重くなった気がした。古びた剣。
父さんが旅に出る前、来年の誕生日プレゼントだと言って置いて行った二振りの剣のうちの一つだ。
この歳になるまでずっと使ってきた、手に馴染む大切な武器。

「待たせたな」
「…ええ。その前に、アカデミーへ寄ってもいいかしら?」
「ああ、構わない。忘れ物でも?」

クレイはここの出身ではなく放浪者の立場だったからアカデミーには通っていないが、先日私が卒業したことを知っている。
私は首を横に振って答え、教会の坂道を下りながら話した。

「あたしには弟が居るの。知ってる?」
「アルディスだろう?アリスによく似てた」

やっぱりクレイも知っている。どうして私は知らないんだろう。

「あたしは、アルディスが思い出せないの。顔も、声も、居たことすら、何も」
「…妙だな。あんなに仲がよかったのに?」
「そう。いつも母さんにそう言われるの。分からないのよ、自分でも」
「何故、アカデミーへ?」
「…何か、分かるかと思って。あたしが弟の存在を見失ったのは、いつからだったかしら」

幼い記憶の中、誰かと笑い合っていたのはなんとなく覚えている。
でもそれが誰だったのか分からず、顔も思い出せない。
場所ははっきりと分かるのに、だ。

やがてその思い出の中の場所のひとつ、アカデミーに到着した。
校舎には入らず、回り込んで中庭へと入り込む。
今日は休日だからか人気はない。
校舎と校舎の間に道を作るように咲く花々。
その傍にあるベンチで、私はいつもお弁当を食べていた。
その隣に誰かの姿は、ない。

「やっぱり、思い出せない」

弟は、居なかった。
たとえ、周りの人が居たと言ったとしても今ここに居ないじゃない。
誰もが弟が居なくなった時のことを知らない。そうでしょう。
皆が皆記憶に惑わされている。

弟は居ない。居なかった。全て忘れよう。
記憶の端にちらつく、私の後をついてくる小さな子の存在も私のただの思い込みでしかなかった。
どこか寂しいと感じているこの心も、全て幻想。

「行きましょう、クレイ。レーベに着く前に日が暮れちゃうわ」
「いや、待て」

引き止めたクレイは私を庇うように前に立った。
その視線の先を追うと、校舎の屋根の上、黒い人影が見える。

「何者だ!」

クレイが鋭く叫び、素早くナイフを抜いて臨戦態勢に入った。
得体の知れないものには街中でも警戒する。冒険者ならではの反応。
人影は、その黒いローブを風にはためかせ、じっとそこに佇んでいる。
昼間だというのに目深に被ったローブのせいで顔は見えない。
隠された口元が僅かに動く。

「アリス、早まるな。いずれあんたの弟は見つかる」

その声は少年のものだった。しかも、どこか聞き覚えのある声。

「貴方は、誰なの」

暫くの沈黙。相手は何かを悩んでいるようだ。
男は歩を進め、中庭に降り立った。
背はクレイよりも低い。下手をすれば、私よりも。
距離が縮まったことで、奥まったローブの中の顔が僅かに見える。

「ディス」

赤い瞳と、視線がかち合った。

次の瞬間、ディスと名乗った黒い影は踵を返して駆け出す。
私は夢中で叫んだ。

「クレイ!追って!」
「…っ、分かった!」

私の足じゃきっと追いつけない。
強い焦燥感が私を駆る。もしかして、もしかしてあの子が。
瞬く間に消えた二人。私は呆然とその場にへたり込んだ。



「…すまない。逃した」
「いいの。あの子は、そう簡単には捕まってくれないもの」

戻ってきたクレイの息は上がっていた。相当な距離を走ったのだろう。
歩いて帰ってきたからか多少は整っているみたいだけれど。

「あれは、アルディスなのか?」

確信を求めるように、クレイが問う。私は答えを見つけていた。
記憶からじゃなく、想像したのでもなく、沸いてくるもの。
ディスが逃げたのは、きっと事情があるから。

「いいえ。あの子はアルディスじゃない。でも、あたしの弟だわ」
「…アリスの弟は、一人だった筈だが?」
「ふふ、秘密」

相変わらず弟に関する記憶は曖昧なままだ。
けれど新しく記憶された事柄が薄れることはない。
ディスが、弟への手がかり。またいつか、会える気がする。

「クレイ、出発しましょう。次にディスを見つけたら、逃さないでね」
「ああ」

そうして私達はアカデミーの校門を潜り、アリアハンを出た。
仲間が増えるまでは、二人旅。
ディスとの再会を想いつつ、暫くはクレイとの旅を楽しもう。

アルディス。私のたった一人の弟。
必ず見つけ出してみせる。










08.05.24
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