第一話 . | |||
硬いベッドのおかげであまり気持ちいいとは言えない朝。 それでもいつもどおりの日常に、僕は重い体を起こした。 窓の外、風にそよぐ木々を見て一人、話しかける。 「姉さん、おはよう」 僕らはもう、16歳になるんだね。 一階へ降り、母にも同じように挨拶をする。直後に投げられるじゃがいも。 僕はそれを避けるわけでもなく頬で受けた。 「あんたなんか居なければ!」 「ごめんね、母さん。ごめん」 今日は朝から気分が優れないようだ。僕は心配になる。 泣く母を椅子に座らせて落ち着かせて、朝食を作るために台所に立った。 僕と母さんはあまり似ていない。 母さんはくすんだ金色の髪と翠色の瞳。僕の髪は黒く、目は赤い。 きっと僕は父さんに似たんだろう。 ただでさえ珍しい黒髪に、誰も見たこともない真っ赤な瞳。 それが原因で僕も母さんも昔からひどい目にあってきた。 だから、母さんが僕を罵るのも仕方がないことだ。 「母さん、僕ね。旅に出ようと思うんだ。ほら、16歳になったし、王様にも…」 「ああ、アルディス。ごめんなさいね、そうだったわね。本当に立派に育ってくれたわ…」 言葉を遮っての、母の独白。これもいつものことだ。 いつだって僕の話は途中まで。 それでもそれが当たり前の事だから僕は気にならない。 僕の話を聞いて。なんて、そんなことを言う程子供でもない。 「ほら、母さん。ご飯が出来たよ」 「まあ、美味しそうね」 小ぶりのパンとポタージュスープ、それに果実を絞ったジュースを見て、嬉しそうに笑う。 母さんは女手一つで僕をここまで育ててくれた、尊敬すべき母親だ。 できることなら母さんと二人で質素に暮らしていたかった。 けれど僕には気になることがある。 「ねえ、母さん。本当に、僕には姉さんが居ない?」 「ええ…居ないわ。どうしたのかしら、アルディス。貴方は私の子よ。私の子は、貴方だけ」 「そっか、そうだよね。ごめんなさい、変なことを聞いて」 「いいのよ。私の可愛いアルディス」 優しげな微笑と共に頬に軽いキス。 やっぱり母さん一人を置いていくのは不安だ。 「すぐに帰ってくるから」 「ええ、ええ、ずっと待っているわ」 別れるのは惜しい。でも支度のために部屋に戻って真っ先に思うことは、ハッキリと頭に浮かぶ姉の姿。 姉さんはそこの椅子に座って机に向かい、僕は床のテーブルで、よく一緒に勉強していた。 分からないところがあれば教えて、そうだ、僕は姉さんより少しだけ頭がいいのが取り得だったんだっけ。 僕はこんなに思い出せるのに、母は知らないと言う。 母が嘘をついているはずはない。何かがおかしいのだ。 「いってきます」 肩からサックを提げ、手に馴染む古びた剣と共に、僕は母さんと生家に別れを告げた。 王様との謁見を済ませ、目指すは教会。 幼馴染のタクトに出発前には必ず寄るよう言われていた。 アリアハンの人口は少なく、城下町を歩いているというのに全体的に閑散としている。 島国だからこそ平和なものの、これが大陸ならばすでに攻め入られていてもおかしくはないだろう。 民衆にも何処となく覇気がない。 同じ島の北にある村、レーベには豪快で元気な人が多いというのに。 (こんなこと、今まで疑問に思ったこともなかった) 僕はいつから客観的に物事を見るようになったのだろう。 「タクト」 そうこうしている内に着いた、少し小高いところにある教会。 教会の周りはいつも小さな花がたくさん咲いている。 どれもタクトが毎日世話をしているものだ。 入り口の前、ほうきを手に持ってその少女は振り向いた。 「アルディス。来たか」 金髪碧眼の絵に描いたような容姿は、学校内でも人気だった。 そんな彼女と仲の良かった僕は何かと男子につっかかられたけれど、僕が逆の立場なら、その行動も分かる気がする。 そうしていつも抗わなかった僕を叱るのが彼女の役目で。 それが周囲には羨ましく思えるらしくて。 毎日がその繰り返し。 法衣を身にまとった彼女は僧侶という職業に就いた。 卒業式の日に卒業生は王宮の兵士に連れられてダーマ神殿へ赴く。 そこで自らがなりたい職業を選択して、独り立ちするのだ。 ある程度経験を詰めば転職も出来るが、転職するのは冒険者に多いと聞く。 ちなみに僕は参加できなかった。 僕の職業は生まれた時から決まっていたから。 だから就職の儀式もタクトから聞いた内容しか知らない。 彼女は、他校生がたくさん居て騒がしかったって愚痴っていた。 「もう神父には許可を取ってある。用意してくるから少し待っていろ」 淡々とした口調で言われ、僕は頷く。 というより、ここに来いとは言われたのは、お別れをするためだと思っていた。 「つ、ついてくるの?」 「当然だろう。セリトルを一人で外に出すと、夢に出てきて泣きついてきそうだからな」 「僕そんなに弱くない…」 小さく抗議してみたが、どうだか、と一蹴されては黙るしかない。 彼女はよく人を苗字で呼ぶ。 癖らしいのだが、さっきのように名を呼ぶのは親しい証。 タクト自身に戦闘能力はないが、彼女の使う回復魔法は昔から重宝していた。 僕も一応使えるけれど、戦闘中に回復魔法発動するには精神統一が難しく、あまりアテにはできない。 「でも、ありがとう。助かるよ」 「礼には及ばない。私が好きでやってるんだ」 ぽんぽん、と頭を優しく叩かれた。 まだ成長途中の僕よりも彼女の方が背が高い。 いつかは追い抜いてみせると思い続けて早十数年、ってやつだ。 彼女が荷物を取りに行っている間、僕は神父さんに挨拶を済ませて十字架に祈りを捧げる。 やがて翳っていた太陽が顔を出し、光がステンドグラスを通して祝福するように僕を照らす。 ありがとう、神様。僕、頑張ってみます。 (姉さんを、探し出す) この古びた剣が僕と姉さんの唯一の繋がり。そんな気がする。 不意に頭痛がした。まただ。 姉さんの事を思い出すと、一定の所で頭痛が僕を襲い思考を中断させられる。 何かを忘れているという自覚はある。 だからより一層、今ある記憶が鮮明になっていく。 「セリトル」 「…あ、うん。行こうか」 「大丈夫か?先行き不安だな」 「はは、そう言わないでよ」 僕の職業は勇者。 世界を脅かす魔王バラモスを倒し、世界に平和を取り戻す役目を負った。 どうして僕が、なんて思ったことはない。 母は喜んでいたし、それは決まっていたから。 僕は逃げない。この命尽きるまで、戦い抜こう。 それが、勇者のあるべき姿なんでしょう? 「あまり気負いするな」 「するよ。タクトが危なくなったら僕が守らなくちゃいけない。魔王を倒すのは僕じゃなきゃ駄目だ」 「…セリトル。今の事を考えろ」 「おおがらすの持ってるガイコツをスライムに乗っけたら変な生き物ができたよ」 「…セリトル…」 「ご、ごめんって。怒らないでよ。僕は大丈夫だから、ね?」 スライムを逃がしてやって、僕らはまた歩き始めた。 遠方には森が見える。 アリアハンからレーベへの道のりで一番の難関だ。 けれどもう行き慣れている。 今更身構えることもなく、僕は自然体で歩きながらタクトに話しかけた。 「僕にはね、姉がいるんだ」 今まで、母さん以外に話したことはなかったけれど。 「姉が?初耳だな。見かけたこともない」 「うん。いつの間にか居なくなってた」 「それは…」 タクトの表情が曇る。 誤解させちゃったかな、否定しないと。 姉さんは居たのに、居るのは僕の記憶の中だけなんだ。 「ああ、違うんだ。行方不明とかじゃない。…居ないんだ」 「…? 意味がよく分からない」 「そうだね、僕もよく分からない。でも僕は姉を探しながら旅をしたい」 「それが弱気なアルディスのやる気の元か」 「そうかもね」 悪戯っぽく言われて、僕は笑い返した。 いつだったか突然姉の事を思い出した。 それまでは一人っ子として母に育てられて来ていたのに、だ。 ただの僕の妄想かもしれない。 姉が居ればいいと願った空想なのかもしれない。でも、そうじゃない。 姉は確かに、居た。 森に入って暫く経った。 地面から張り出した大きな木の根を踏んで越える。 「うーん…」 参ったな。 僕は頭を掻いて周囲を見渡し、上を見上げる。 もちろん木々しかないし、太陽はゆっくりと傾いている。 「どうかしたのか?」 なんの疑いもなく聞いてくるタクト。 どうやら彼女はまだ気づいていないらしい。 それもそのはず、彼女はこの辺りの地理を知らないのだ。 「迷ったみたい」 「………」 沈黙の後、すごく怒られた。 ひどいや、僕に任せてたのは君じゃないか…。 思考に気を取られて考えなしに歩いてたのがきっと原因だ。 「太陽の位置を見て抜けられないのか?」 「僕、太陽見ながら抜けたことないんだよね」 「…お前というヤツは…」 呆れられちゃった。 元の道を戻ろうにも、すでに来た方向すら分からない。 むやみに歩き回っても体力を消耗するだけだと、近くの大木に背を預けようと近寄った。 「…あれ?」 触れた瞬間、その大木に何か引っ掻き傷のようなものがついた。 獣の爪のような鋭さはない。 まるで石か何かで傷つけたような。 「セリトル!何か印のようなものが続いている!」 呼ぶタクトの指差す方向。 そこには立ち並ぶ木々に同じような引っ掻き傷が付けられていた。 慌ててそれを辿り、つけられていく傷の先頭へ辿り着く。 また一つ、隣の木に傷がついた。 「…姉さんだ」 姉さんが導いてくれている。 今この場に姉さんの姿はないけれど、姉さんは今この道を歩いてる。 きっと僕が迷うことを前提にして、傷をつけながら。 そんな気がするんだ。そうなんでしょ? 「誰もいないぞ?」 「でも、僕には分かる。行こう、タクト。森を抜けられる」 その傷のつく速度は僕らの足並みとそう変わらず、それから一時間ほど歩いた頃に森を抜けた。 見覚えのある風景。山から流れる大きな川に、石橋が渡されている。 ありがとう、姉さん。 「…ああ、よかった。あの森で旅が終わらなくて」 「大袈裟だなあ、タクトは」 「お前が大雑把過ぎるんだ、セリトル。少しは危機感を持て」 どうやら新しい仲間が見つかるまで、タクトに説教されながらの旅が続きそうだ。 日が沈む頃、レーベの村の明かりが見えた。 今日はもう宿を取って、明日のために備えなくちゃ。 「セリトル。酒場へ行こう」 「…へ?」 「今日はお前に散々振り回されたんだ。いいだろう、少しくらい」 「いやいやいや、まだ出発一日目だよ!?」 「飲める時に飲ませろ」 にい、とタクトが口元を吊り上げるのを見て、次には僕は襟首を掴まれたまま引き摺られていた。 酔い潰れたタクトを宿屋に運ぶのはやっぱり自分の役目なのかな、とか考えながら。 (あ。ディス、おはよう。今日はよく寝てたね) 『…ん。何も問題はなさそうだな』 (この状況を見てそう思う?) 『こんなもん、日常茶飯事だろう』 僕が姉さんを思い出した時、同時に僕の中に居るディスの存在にも気づいた。 彼は僕で、僕は、彼ではないのだという。 決して表に出ることはなく、内側から僕に呼びかけ、サポートしてくれる存在。 けれどいつでもという訳にはいかなくて、寝ているか起きているかはディスの気まぐれだ。 アリス。僕の大切な双子の姉さん。 必ず会いに行くよ。 |
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08.05.24 | |||
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