第二話 . | |||
タクトにつれられて入ったのは、まだ新しい二階建ての建物だった。 村の奥にあるものの、歴史を思わせる木造の建物の中にある石造りのそれはひどく目立っていた。 近くへ行くと中からは豪快な笑い声が何重にも重なって聞こえてくる。 どうやらまだ陽も沈んでいないうちから盛り上がっているらしい。 「最近できた酒場でな、酒は自作らしい。ルイーダの酒場でも噂になっていたから一度飲んでみたかったんだ」 「ふうん…」 僕はまだお酒をおいしいとは思えない。 だからずいぶんとてきとうな返事になってしまった。 幸いなのは、彼女はすでにお酒へと思いを馳せていて返答の有無を気にしなかったことだ。 いつもなら機嫌を損ねてしまうけれど。 タクトは入口の扉を躊躇せず開くと、途端に大音量になる騒ぎ声の中、物怖じもせずに入って行った。 いきなり手を放された僕はただ茫然と突っ立っている。 『はやく入ったらどうだ?』 ディスの後押しを受けて、僕はようやく店内へと足を踏み入れた。 店内は想像以上だった。 二階建てのように見えたが、そこはほとんど吹き抜けで室内が広く感じる。 フロアはちょうど正方形になっていて、その隅には初めて見るグランドピアノが置いてあり、面喰ってしまった。 アリアハンの王城ですらそんな高価なものはありはしないのに。 それを弾き手が優雅な指づかいで鳴らし、店内の雰囲気を損なわない見事なBGMを奏でていた。 天井から中央に垂れ下ったシャンデリアが悪目立ちもせずに装飾品の一つとしてフロアを淡く照らす。 その光を補助するのは天井があるわずかなスペースには等間隔に配置されたダウンライトが、吹き抜けになっているところには壁に付けられたスポットライトが近くのテーブルを照らしていた。 あまりのまぶしさに目がちかちかする。 眩む目を頼りに辺りを見渡して幼馴染の姿を探す。 タクトはカウンター席で酒場のマスターらしき中年の男と談笑していた。 その右手にはアルコールが握られていて、あの中に入ったところで酒談議に付き合わされるのは目に見えた。 僕はひとつ溜息をつくと、どこか空いている席を探した。 けれど、どこもかしこも埋まっていて、相席を頼もうにも僕にそんな器用な社交性などありはしない。 行く場所がなく、ふらふらと辿り着いたのはグランドピアノの前だった。 弾き手はアメジストのような髪色で、地毛なのだろうかと目を瞬く。 そんな僕の視線に気づいたのか、弾き手が不意にこちらを向いた。 すごくきれいな人だ。 印象的な瞳は、けれど何色にも形容できず、水に溶けた絵の具のように角度によって色が変わる。 「一人?」 鍵盤に視線を戻しながら問う声までもが中性的で、酒場の喧騒など聞こえないかのように耳によく届いた。 しかし改めて問われると途端に気恥ずかしくなる。 「いえ。ただ、付き合いきれなくて」 「ふふ、キミは優しいね」 「…え?」 「だって、そういう”色”をしてる」 この人の言葉の意味が呑み込めなくて、僕は目を見開いたまままじまじと見つめていた。 すると、弾き手はまた視線をこちらに投げてきた。 今度は微笑が浮かんでいる。 「ここから見て中央から左寄りの…見えるかな?そこのテーブルにキミと同じ旅人の二人組がいるよ。緑の髪と、金髪の。どっちも若いし気さくだったから、キミを歓迎してくれると思うな。旅の知恵とか、聴けるかも」 探せば、確かにそうらしい二人組が見えた。 人の好い笑みを浮かべる弾き手を見返してお礼を言う。 「ボクはローサス。キミの旅に祝福があるよう」 一人称と名前から察するに男性だったらしいローサスは、そう言うと今までの曲を終わらせ、曲調をがらりと変えて弾き出した。 暖かい春のようなスローテンポの曲に、客たちが何事かと視線を寄こすが、すぐに僕がリクエストでもしたのだろうと談笑を始める。 「いっておいで。向こうも興味を示してくれたよ」 促されるままに先ほどのテーブルを見ると、二人組は僕に見えるように手を挙げていた。友好の合図だ。 「あの、ありがとうございました」 「ボクも放浪の旅をしてるんだ。また何処かで会えるといいね」 同意して、僕はグランドピアノの傍を離れた。 なんとも、不思議な人だった。そこに居るのに、居ないような。 こちらを見透かしたような奇異な眼はただただ優しげに細められていたけれど。 二人組の座るテーブルに近付くと、間の席を勧められた。 左に緑色の髪をした青年、右のゆるやかな金髪の人も、髪を長く伸ばしてはいるがそれの似合う男の人だった。 「ロード・カーレス」 自らを親指で示しながら青年が名乗る。 やや吊り目気味のその瞳は見たこともない白金色をしていた。 僕が頷くのを見ると、今度は人差し指に変えて隣の、ローサスとはまた違った優しそうな面持ちの金髪の人を指差した。 「で、そっちがフィリアート。長いからフィルトでいいぜ」 「よろしく」 「僕は、アルディスです。アルディス・セリトル」 名乗ったところで、ロードの眉根が寄せられた。 プラチナの瞳が真っ直ぐに僕を見る。 彼の視線には迫力があって、思わず逃げそうになってしまう。 「勘が鈍ったかな。今日勇者が旅立つって聞いてたからもしかしてって思ったんだけど」 「でしたら、合ってますよ。勇者の定義は曖昧ですが、それとして今日旅立ったのは僕だけのはずです」 「ん?けど名前が…」 「?」 思い当たる節がなくて、僕は首を傾げた。 すると、彼の方が何かに気づいたように頭を振る。 「いや、悪い。そうか、こっちはそうなのか」 自己完結したらしく僕には何も分からない。 ただ何かしらの誤解は解けたらしい。横からフィリアートが割り入ってきた。 「じゃあ、君って勇者?」 「です」 その問いに、同じ答えを繰り返すのもどうかと思い簡潔に返す。 すると、フィリアートは少し眉を下げて微笑んだ。 人に好かれそうな、柔らかな表情だ。 「そかー、若いのに大変だねえ」 「連れは?まさか一人で旅に出たわけじゃないんだろ?」 そのつもりだったとは言えず、苦笑しながら振り返ってカウンターに座る相方の背中を見やる。 彼女はマスターとの話もやめ、ひたすら酒を煽っていた。 その姿は彼女の癖の中では僕の苦手な部類に入る。 「あそこに幼馴染みの僧侶が。タクトって、言うんですけど」 僕の視線を追って、二人はタクトを見た。 こちらからだと背中しか見えないが、それでも彼女の容姿は後姿だけで充分に伝わる。 それは二人も同じらしく、心なしか見惚れているようにも見えた。 「うわー、可愛い子だね。彼女?」 そうして向けられた屈託ないフィルトの笑顔に、思わず飲んでいた水を吹きそうになる。 よりにもよって彼女なんて、そんなまさか。 「けほ、…や、お姉さんぶってるただの幼馴染みですって」 水を持っていないほうの手を振って全力で否定しておいた。 けれど、二人の視線はすでに別のところにあって、 「誰が、お姉さんぶってるって?」 タクトの姿を目で追っていたらしい二人は僕に憐れむような視線を向けた。 背中に感じる冷気がすごくこわい。 「…いや、うん。でもすごく頼りにな「取って付け足すな」 途中で遮られ、同時に軽くはたかれた。 ほとんど反射的にはたかれた箇所を押さえてテーブルにうつ伏せる。 頭上からはロードの明るい声が聞こえてきた。 「ははっ、なるほど!仲いいな!」 「僕らも負けてられないね、ロディ!」 「で、モノは相談なんだけど」 「あ、ちょ、まさかのスルー!?」 テンポのいい会話をする人たちだなあ、と思いつつ、さり気なく持ち出された話題に乗る。 ロードのその表情は、どこか切羽詰っているようにも見えた。 「相談、ですか?」 「そ。僧侶のタクトちゃんに、相談」 「呼び捨てでいい」 気分を害したように吐き捨てるタクト。 そういえば、彼女は昔からちゃん付けされるのが好きじゃなかった。 甘く見られるのが嫌らしいけれど、そうつっかからなくても。 しかしそこはロードさんも大人。ごめん、と眉を下げて笑い、話を続けた。 「俺はとある魔物に呪いをかけられてる。解呪法、分からないか?」 「呪い…?」 タクトはロードを頭のてっぺんから、(テーブルが邪魔して見えないが)足元まで見下ろす。 特に目立った装備もなく、過去の遺物によって呪われている風じゃなさそうだ。 卒業時に僧侶を志望するために呪いについても専攻していたタクトなら、何か分かるのだろうか。 「…悪いが、装備によるものでないなら専門外だ」 「んー…そかー。残念」 頬を掻く仕草も彼の癖らしく、今まで苦労してきたことが窺えた。 「ロディさー、いくつだったっけ?確かまだ一桁の時に呪いかけられたらしいんだよね」 「6だ、6。今ハタチだから、約14年間ってとこか。まったく、長い付き合いだよなあ」 「え…っと、それってどんな呪いなんですか?」 タクトが僕の目の前の席に着いたのを横目に見ながら、ロディさんに話しかける。 彼は天井を見上げ、考えるような仕草をした後、説明を始めた。 「まあ、簡単に言うと体力がなくなってく呪いっつーか」 「成長もしてるし、見た目的には何も変わらないんだけどね。少し動いただけでゼーハー言うの」 「うっせ。…そんなワケで、冒険者っつっても戦闘はコイツに任せっきりだったりな」 「あのロディを守れるなんて光栄だけどね」 なんだか、大変そうだなあ。 結局は他人事なので、そんなことを思いつつ。 この二人の互いの信頼関係が揺るぎないものであることにも感心した。 「あのロディとは、どういう意味だ?」 前方からのタクトの声に僕は顔を上げる。 ただ酒場で会っただけの冒険者の事情を一体どこまで聞く気なのか。 僕らには何も手助けできないことなんて、とっくに分かってるはずなのに。 タクトが僕のところへ戻ってきてくれた以上、暇潰しとしての相手を求めていた僕は思う。 早く切り上げてこの疲れた体をベッドに横たえたい、と。 けれど、フィリアートは律儀にタクトの問いに答え始める。 「ああ、んとね。バハラタ地方では結構有名なんだけど、ロディは6歳から旅してた分、転職も繰り返してて今じゃ5つマスターしてるんだよね」 「んで、今は盗賊修行中」 「へえ…すごいな。なんというか、色んな意味で」 「よく言われる…」 というより、すごいの一言で片付けていいのかな。 5つもマスター…って、きっと、相当な才能がなければできない。 勇者である僕が勇者しかできないように、その人には必ず適職というものが存在するはずなのだ。 もし呪いをかけられていなければ、いや、その呪いを解くことができればかなりの戦力になるかもしれない…? 「…やっぱり、お強いんですか?」 確認の意味で聞けば、答えたのはやはり本人ではなくフィリアートだった。 基本、根が明るい人なんだろう。 ロードも必要最低限以外はフィリアートに任せているようだ。 「そりゃもう!たぶん、魔王とかもロディにかかればチョロイんじゃないかなあ」 「…さあ、どうだか」 フィリアートの言う事はあまり信用できないが、本人が真っ向から否定しないのを見れば多少の自信はあるのだろう。 それなら、仲間に引き入れるのも視野に入れたい。 僕らは世界中を旅する。解呪法は旅の途中で見つければいい。 「フィリアートさんは?」 もう一人、ロードを仲間にするのなら、その連れももちろんついてくるだろうと同じように問いかける。 変に誤解されないよう、僕は人懐っこい笑みを浮かべた。 「え、僕?僕は…元魔法使いってところかな。一応、ロディを守れるくらいには強いよ」 「自惚れんな。遊び人め」 「あ、ちょ!遊び人なめちゃいけないんだよ!?」 それなら荷物にはならないだろうと僕は頭の中で算段する。 相変わらず、嫌な性格だとは思うけれど、こうでもなければやって来れなかった。 生きるためにつけた知恵がどう働こうと今更悪いとは思わない。 僕らはまだ弱い。追いつくまで、先輩冒険者に守ってもらうのが賢いやり方だろう。 「あの、でしたら…僕らと一緒に来て貰えませんか?」 言い出したはいいものの、そう目を丸くされてはなんだか居心地が悪い。 逃げるようにタクトに視線を送った。 すると彼女は僕の視線をどう取ったのか、一つ頷いて言う。 「私は構わないぞ?悪い人たちではなさそうだし、旅慣れているなら頼もしい」 そう期待の目で二人を見詰めるタクト。 僕にとってその純粋な目はすごくありがたい。 だって、さっきからロードは僕を不審に思っているらしく、訝しげに視線を送ってきている。 ああこの人は表面で人間性を判断しないんだと、胸中で舌打ちした。 「僕はいいよ。というか、それが目的だったし。ね、ロディ?」 「…ん、いいけど」 色素の薄い白金の瞳が僅かに鋭くなり、僕を射抜く。 「…何か?」 なんとか絞り出した声。今までにない居心地の悪さを感じる。 誇張でなく、彼の纏う気は恐ろしかった。 初めて魔物と戦った時以上の緊張が僕の体を堅くする。 「…いや?お前も、苦労してんだなーって思って」 「いえ…。や、まあ、確かに」 その言葉が、同情を含んだものだったため、僕の思考は杞憂に終わった。 もし深く抉られていたなら、きっとボロが出ていただろう。 それに安堵して、彼の言葉を素直に聞いてちらりとタクトを見た。 「なんだ。私がお前に苦労させてるとでも?」 「…なんでもないでーす」 意味は正確に伝わったものの、日頃の僕への嫌がらせを彼女は僕への迷惑だと思わないらしい。 それはあんまりだと、唇を尖らせてそっぽを向いてやった。 くすくす、と両側から笑い声が上がる。 「そんじゃ、改めて。俺はロード・カーレス。よろしくな」 「フィリアート・コーセル。よろしくね」 初めに会った時と同じように、友好的な二人に僕は心からの笑みを向ける。 よかった、普通に旅仲間としてもやっていけそうだ。 「よろしくお願いします。ロードさん、フィルトさん」 「あー、ダメダメ」 「もう仲間なんだから敬語は要らないよ、アルディス」 何がダメなのかと問おうとした直後のフィリアートのフォローに僕は頷く。 敬語がいらないのは、はっきり言って助かる。 もちろん、気が楽になるからだ。 「うん。それじゃよろしく、二人共」 「おう」 「タクトもね」 「ああ。この物言いは、どうにもならないけど。よろしく」 意図せず得られた強力な仲間に幸先のよさを感じつつ、僕はもう一度グランドピアノの方を見た。 二人と引き合わせてくれたローサスに、せめてお礼を言いたかったのだ。 「…あれ?」 「ん?どーかしたか?」 そこに彼の姿はなかった。 ローサスの代わりに亜麻色の髪の女性ピアニストがバックミュージックを奏でている。 いつの間に、いなくなったんだろう。 「あそこでピアノを弾いていた、綺麗な男の人が居なくなってて…」 「セリトル。最初からあの女性が弾いていたぞ?」 「え?」 そんなはずはない。僕は確かに彼と話をしたし、彼を見た。 けれど、そういえば、ローサスはどんな姿をしていた?どんな声をしていた? ついさっきのことなのに、記憶が曖昧だ。そして、またいつもの頭痛も。 僕の異変に気がついたロードが、気遣わしげに僕の顔を覗き込む。 汗が額に滲んで、息が苦しい。 「アルディス、大丈夫か?」 「…うん、ごめん。ちょっと疲れてるみたい」 「それはいけないね。宿に引き上げよっか。タクト、君たち部屋はもう取ってる?」 「い、いや、村へ着いてすぐここへ来たから…」 「それじゃ、一旦僕らの部屋に行こう。今の時間じゃもう主人も寝ちゃってるだろうし」 「すまない…」 「気にしないで。アルディス、歩ける?」 「うん、歩け…」 歩ける、大丈夫、そう言おうとしたのに、僕の体は言う事を聞いてくれず、その場に崩れ落ちた。 朦朧とする意識の中、ディスの気配を感じる。 『あいつも…俺と同じ…』 珍しい、ディスの独り言。ローサスが、君と同じ…? 『…おやすみ、アル。ゆっくり休め』 僕がまだ起きていることに気づいたのか、はぐらかす彼を言及しようとした。 けれどやっぱりうまくいかなくて、そのまま僕の意識は底に沈んだ。 |
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08.06.08 | |||
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