GO!NYC&CHICAGO! (2000/8)
2000年に旅行したNYとCHICAGOの日記のようなものです。
ずっとほったらかしだったのですが、その後ここを見てくれている方がいることがわかり、
せめて写真だけでももう少しUPして行こうと思っています
radiocitymusichall chicago/maxwell st.の取り壊し寸前の倉庫
画像とコメントは別ページにリンクさせてありますのでこの色の文字をクリックしてください
8月16日
PM2:30過ぎ 無事関空に着陸 おっつかれさーん!
進入ルートは日本海からなんですがちょうど丹後の天橋立の真上を飛びましたよ
税関もすんなりパス 一人旅 楽器は担いでるし覚悟してたんですが・・・・
夏の忙しかったのが幸いしてか「薬物やドラッグは持ってませんね」
「ハイ! 一切持ってません!」 これでOKでした ははは
8月15日
AM7:00 空港へ
なにせ楽だ 部屋の中からカートを転がして空港までいける
オヘアのヒルトンにしておいてよかったと思える瞬間だ
AM9:00 ミネアポリスに向かって離陸
シカゴはあまりに時間がなかったなあ
でもその限られた時間の中でとても貴重な体験ができました
ミネアポリスで747にのりかえて関空に向かって離陸
さあ いよいよアメリカともお別れだ
眼下に見えるミネアポリスの街は広大な田舎のなかに忽然とビル街がある感じ
この街はいわずと知れたプリンスやTHE TIME(ジャム&ルイス)などを生んだ町
プリンスの「パープルレイン」をご覧になりましたか?
プリンスが単車で走るシーンや女の子とデートするシーンなどで妙に田園風景や
森や湖が多い気がしてたんです
空から見て納得! 都会なのは街中だけであとは森と湖(沼と言ったほうが
正解か?)ばかりです
アメリカのほとんどのまちはこんな感じで自然の中に街があります
NYでさえ街の中にたくさんの木があって街の景色の一部になっています
それに比べて日本の街はどうか???
昨夜一睡もしてなかったので爆睡する
隣は沖縄へ行くというアメリカ美女が座るがあんまりしゃべらず
ひたすら眠る
8月14日
AM9:00 ルームサービスでの朝食
AM12:00 外出 地下鉄にて Damn下車
歩く バス乗り継ぎ
HALSTED通りの PIZZA CAPLI で昼飯
31アイスクリーム
GUTARCENTER CHICAGO
(BUDDAのワウ新品とモーリーのABCボックスの中古を購入)
KINGSTON MINES B.L.U.E.S などブルーズクラブの有名どころが
並んでいるが、割としゃれた町並みの中にあるので、サウスのブルースクラブ
とはかなり趣が違う。
PM5:00 TAXIにて 金持ちの住宅地ゴールドコーストから高級店の並ぶ
マグ二フィセントマイル経由で MAXWELL St.へ
(ここは後日更新)
PM7:00 TOKYO HOTEL
時間があるので ヴァージンメガストアへ
BLUESだけで 15Mぐらいラックが続く
結構な量のCDを買ってしまった。
PM8:00 TOKYO HOTELにてマサ君と待ち合わせ
CAJAN料理の店へ
PM9:00過ぎ 地下鉄にて ハリソン駅下車
バディ ガイの店 レジェンドへ
マンデイセッションデー。 受付があって名前を入れてもらう。
組み合わせなどはホストバンドのバンマスが決めて、名前を
呼ばれるとステージに上がってスタートするというスタイル。
AM2:00 再度地下鉄でTOKYOHOTELに戻る
DELLIでビールだの氷だの明朝の朝飯だのの買出し
出口から タバコくれ だのこれを買ってくれだのうるさく付きまとわれるが
こっちは2人だ 「NO! うるさい!」といってHOTELに戻る
部屋にお邪魔するがそれにしてもDEEPな部屋だ
このロケーション(近くには高級ホテルだらけ)で1週間100ドルもうなずける
いろんな話で盛り上がり楽しく過ごす また再会を期して握手
AM4:30過ぎ
TAXIが一発で拾えてオヘアへ さあ今日は帰る日だ
8月13日 (この日はもっともDeepな一日となった)
AM7:00 起床 今日は早起きだ
朝飯
此処で食べるのは最後
風呂 パッキング
荷物をまとめてホテル1Fで預かってもらい
PM 3:30にキャブをPICKUPしてもらう手配をする
(こんな車でお迎え来て欲しいなあ・・・無理?)
AM10:30 ホテルの近所からお散歩スタート ワシントンスクエア公園
NY市大のへんからテクテク歩くが 店は閉まっているところが多い
あんまり 何もおこりそうにないので このあたりは撤退して
SPRING ST.から地下鉄にのる 6番 LEXINGTON AV. LOCAL
どんどん北上して125St.まで来る。
白系の人はほとんどここまでに降りてしまっている
ハーレム それも東のほうだ 地下鉄の駅構内もやばい雰囲気漂う
地上に出るが表通りは歴史を感じる建築が並ぶが
一本裏通りへ入るとまったくもって荒んでいる
ベニヤ板のむこうから人が出てくる やべ!
とにかく西に向かって歩く でも今日は日曜日で
盛装したおばちゃんたち 老夫婦 家族連れ 子供達も
見事に決めている 五歳くらいの男の子女の子もかわいい
そう きょうはみんな教会へ行く日曜日だ
少し南へ降りたところで 通りまでGOSPELがきこえてきて足がとまる
強力にDeepな声だ レイチャールズ系の声に近い
コンパクトな編成でやっているように思える ずっと立ち止まっていると
受付の若い女の子と目が合う もう行くっきゃないでしょう!?
「中に入っていいですか?」 「いいわよ」
案内されて中へ 半地下にある狭い教会で中はとてもきれいにしてある
送風機みたいな巨大な扇風機ががんがん回っている
人数は 自分や受付の子 シスター含め全部で10名ちょっと
席は空席が多い バンドはドラムとキーボードのみ
(あとは後日)
突然 日本語で呼び止められる
寺坂文江さん NYにきて2ヶ月 此処ハーレムでWALLPAINTの画家である
「FRANCO THE GREAT」と
行動を共にしているとのこと たくましいね
路上に作品をおけない大きな絵を描く人なので(作品は日が暮れて店が
閉まってシャッターが下りると現れるというわけ)
ポスターやカードを机に並べておいてそこにサインしたりしている
SOULFOOD屋で食う 一応APOLLOの前まで行ってみる
再び地下鉄に乗って一気に南下する
ホテルに帰ればあとは荷物をPICKUPしてTAXIに飛び乗るだけだ
16:00 ラガーディア空港へ(らぐわーじあ と発音したほうが通じやすい?)
此処で大問題発生 恐怖のオーバーブッキング発生!
チェックインカウンターへ行った時点ですでに数人が文句を言っている
これは負けていては絶対乗れなくなる!
「シカゴへ行かなくちゃならんのでデトロイトで乗り換えるんや!
荷物はシカゴへ行ってしまうはずだ! 乗せてくれ!」と大声で怒鳴る!
ホテルでも不足の事態に備えて何部屋かは必ず空けてあるのが常識
絶対何とかなるはずや! いや・・・・なんとか・し・・・て・・・・ほしい
と弱気がでる頃 別室へ行ったまま戻ってこなかったスタッフが
帰ってきて名前を呼ばれる ラッキー!&他の人ごめんね
18:15 騒ぎのせいもあったのか それとも何かほかにあったのか
17:19定刻が45分おくれでTAKEOFF
(これがまた 次のデトロイトで同じことを生む)
20:00すぎ デトロイト着
言わずと知れたGMのお膝元 モータウンサウンドの生まれた町
なんてことを思う余裕もなく 次なる出発ゲートへ急ぐ
日本人ビジネスマンの来訪が多いのであろう サインには日本語が併記してある
次のシカゴ行きのフライトは21:00発 やばい予感がする
案の定 またや!
乗り換えということと荷物が2つ貨物室にいってしまっているはずだ
ということのみ訴える・・・・・・・・
あれ?今回はさっさとOKが出た!
乗り換え客優先なのかな?
菊田さんちにTEL まだ家を出ていなかったようでお話することができた
話をするのは初めて 「くれぐれも気をつけて来て下さいね」と言われる
21:00 NW便 定刻出発
斜め前のTシャツ半ズボンの男性がBAGからIBMシンクパッドの薄型大画面の
高そうな奴をだして 書類のチェックをはじめる それから何か書類を
作成しだすが タイピングのあまりの早さに目を見張る
当たり前だがブラインドタッチだ 目は画面から少しも動かないがすごい勢いで
入力されていく
結局1時間と少しのフライトの中で彼は一仕事やっつけてしまったようだ
やっぱり日本語の入力は漢字変換というStepを1つ踏むのでSpeedにおとる
というか リズムが途切れるような気がします
21:15すぎ CHICAGO オヘア空港着 それにしても巨大な空港だ
今日からこの空港の中のヒルトンホテルに泊まるのだ CHECKIN
部屋に入ってびっくり う〜〜〜んこれは身分不相応な部屋だ
高いだけのことはあるけど ほとんど物置とねるだけの為にこの重役室
みたいな部屋は勿体無いなあと思いながら風呂に入る
11:00過ぎ
ヒルトンの1Fのベルボーイの兄ちゃんにTAXIを呼んでもらう
今からサウスのブルースクラブに行くんだというと
「ほんまにか!? 気をつけていって下さいよ。」と言われる
黒人の兄ちゃんですらそう言うサウスってやっぱりやばいとこなんやろなあ
ベルボーイ君がTAXIの運転手に「彼はうちの顧客なんでくれぐれも安全に
気をつけて目的地にいって欲しい」と口添えしてくれる
目的地は サウスサイドのブルースクラブ Artis’loungeだ
この運転手はラテン系で行った事はないらしく頻繁に無線で現在地を報告して
誘導してもらっている
11:45 Artis' lounge 到着
菊田さん マサ君 ベースのJ.W.WILLAMS と挨拶
菊田さんへの土産は定番の日本酒 そしてれいのポケモンカードそして
日本茶の葉っぱだ(間違ってもドラッグではない)
2Set目が始まる前みたいで 店の中はわいわいとにぎやかだ
当たり前だがお客は90%黒人客 あとは僕ら3人が日本人
白人はやっぱり3人ぐらいか
本物のブルースクラブの雰囲気がぷんぷんする
ここもチャージ無し 酒代のみ ビールも3ドル50と安い
といううちに2set目のスタートだ
今日は飛び入りゲスト多数
順不同でいくと Dr トレルとダリル bass は J.W
Harpが クーパーとマーク
Gutarは菊田さんとカルロスジョンソンにロニ- ベイカー ブルックス
そしてトレー マサ君も1曲参加
カルロスはシカゴでもなかなか見れない人の一人だそう
普通に弦を張ったギターを左で弾く JAZZの要素もはいった独特の
スタイルのギターを弾く ちょっと真似の出来ないフィーリングの人だ
ronnie baker brooks &es355
ロニ-ベイカーは 言わずと知れたロニ-ブルックスの息子でB.B直系の
エネルギッシュにがんがんひきまくるタイプだが
ライブでのつぼを押さえた歌とプレイや
バンド全体をまとめる力などまさにフロントマンと言える人
B.Bの ROCK ME BABY というお誘いソングがあるんですが
彼があおりにあおっといてこの曲をはじめると女性五人ぐらいがセクシーに
腰をくねらせながら彼の目の前で踊り始めます
そのときの彼のスケベな目(スケベそうなではなく まさにスケベな目!)
お父さんの作品にそんなジャケットのものがあるんですがはっきりいって
顔もスケベ度もお父さんそっくり!
トレーはギターと歌だが 歌のほうが得意か?
ソウルフルな歌声 ファッションもバッチリ決めてきている
マサ君はシカゴへ来て2ヵ月半 ダウンタウンのホテル(1週間で100ドル?!)
に泊り込んで武者修行中 25歳未婚だ
本業は札幌のキャバーンクラブのハコバンでギター弾いているとのこと
終了と機材のばらし積み込みで2時ごろ菊田さんの車に乗せてもらって出発
マサ君が「TOKYO HOTEL」で下車 月曜日バディガイのLEGENDのマンデーセッション
にいっしょにいく約束をする
菊田さんがオへアヒルトンまでわざわざ送ってくれる ありがとうございました
自宅は空港から五分ぐらいのところにあるらしい
AM3:30 帰宿
さっきのベルボーイに会う どうだった?と聞かれ「Good!!」と答える
さっきはチップ渡すのを忘れたので改めて礼を言って渡す
さっさと寝る
8月12日
AM9:00 起床 朝飯 風呂
HPの更新 チコ のCDを聞きながら入力
ノートパソコンはこういう時 CDプレイヤー代わりになるから便利
12:00 今日はゆっくりできた さて出発 地下鉄で マンハッタンの先っぽ
バッテリーパークへ
12:30 スタッテンアイランド行きのフェリーに乗る 無料
途中 自由の女神様に会う
13:00 TAXI (白い) に乗る メーターなし 途中で黒人の女学生をPICKUP
相乗りとなる 吹っかけられるかとおもうが 意外と良心的で 7ドルですんだ
着いたのは マンドリンブラザース 民家を改造したというより家が
そのまま店になった感じのみせ 言われなければ楽器屋とは思えない
入る時も 「お邪魔しまんねやわ 桑原さんちの和夫君です お入りください
ありがとう」 なんて吉本みたいなことを言ってはいる
でてきたのは スタン ジェイさん あと男性2人
と女の子1人(JEN ちゃん めっちゃかわいい!)
スタン曰く 「ここにあるギターはすべて手にとって弾いて試すことができるよ」
エレクトリックはアンプも使っていいよ
えっ このTWEEDのプリンストンやBLACKFACEのスーパーリバーブもええの?
アンジェリコ や戦前のL-5 59年のES-175 マーチンでは戦前の(1928)
00−28とか 1949年のD-18も強力やった
54年のストラトもひきました
HPでチェックしてあった L−7C のPU付き(1本はジョニ-スミスタイプPU
もう一本はディアルモンドPU後付け)
これは クラックがあったりして断念
こうなったら あれこれ弾かしてもらおうと3時間ぐらい遊んでました
結局 カマカの6弦ウクレレを発見 もって帰るのも楽だし
普通のソプラノのカマカと合わせ 2本購入しました (ハワイと違うけど?)
実はハワイでもカマカが入手難になりつつあるらしくて・・・
特に夏休み冬休みのワイキキ近辺ではウクレレがうりきれるとか?
TAXIを呼んでもらって又フェリーポートへ でも進行方向がどうも・・・
おっちゃんの聞き違いとこちらの伝達力不足でおっちゃんはマンハッタンまで
トンネルをくぐっていこうとしてたみたい
「マンハッタンへ帰りたいので フェリー乗り場まで」ってちゃんといったでしょ!
PM17:00 港からWALLSTREETをぬけていく途中目の前で捕り物劇発生
あっという間に地面にねじ伏せられて御用となる
この警官たちのパワーを見せ付けられると悪いことはできないなと観念するか
銃で武装するぞと思うのも無理はない 事実この旅行の期間中に
警官が4人撃たれるという事件が発生したと書いてある新聞を
地下鉄の中で見ました
高層ビルのならぶWALL St. を抜けると景色が変わるチャイナタウンだ
途中 確か ジャコパストリアスが死ぬ前一人でバスケやってたみたいな公園に出る
しばらく休憩 ジャコのことを思いちょっと感傷的になる
よし!飯だ 飯!! ここまできたら リトルイタリ-でイタ飯だ
雨は降ってくるけど 傘はめんどくさいし入ってしまえ!
BENITO にて飯
大量に食らう ワインも白1本あける
20:00 一旦ホテルへ 荷物をおいて 地下鉄でまたタイムズスクエアへ
ナイキのエアマックス 半額GET あとお約束のエロDVDを探すが
ないぞ!そんな店! 結局かなり変なとこまで歩き回ってエロビデオ屋発見
あったあったDVD 19ドル95でした 乞うご期待!
23:00 TAXIでホテルまで アラブ系 こっち以上に英語が怪しい
おまけに 地理にも怪しい 何でこっちが教えなあかんねん!
結局 地図を見せながら 「こういってここで左に」とか教えてやっと出発
このおっさん いつNYにきたんやろ? 夏の出稼ぎか??
24:00 BITTEREND に出かける
今夜は BILLYHECTOR
レイボーンのフォロワ-ですね まあゆうたら
でも思うのは レイボーンはやっぱりすごかったということ
BITTERENDは内装こそ昔のままですが かなりロックよりにシフトしてるようで
70年代に一世風靡した 勢いはないようです
なんせ 初日のCHICAGOBLUESと次の日の 101が強力すぎました
2:30 とっとと寝る
8月11日
AM9:30 起床 1F レストランにて BREAKFAST 風呂
10:30 ROYにTEL WTCでのフリーコンサートに行くことに決定
ホテルの前まで来てくれるとのこと
12:00 ROY 登場 チェロキーのV8 レザーシート いい車!
お土産で用意しておいた日本酒とポケモンムービー2000の
限定版ポケモンカードを渡すがこれが大受け
何でもROYは上は20歳下は5歳まで五人のお子さんがいるパパ
「これは末っ子が喜ぶぜ!ありがとう!」といってくれました
(日本からの土産はポケモンカード けっこう使えますよ!)
ROYは何日か前にアフリカからのツアーから帰ってきたとのこと
歌のほうでのしごと メインアクトはJAMES BROWNだったそう
12:30 パーキングに車いれて WTCへ すごい人!
BLACKPEOPLEで広場が埋まる
サウンドチェック長い 小雨ぱらぱら 風は涼しい
13:00 音だし 今日は チコデバージ と D-TRAIN
女の子がキャーキャーすごい人気
終了後 バックステージに ROYと出演者は仕事仲間
DーTRAINことジェイムスにサインもらう 娘さんかわいい
14:30 ROYとPIZZA屋に 昼食
15:30 近代美術館(MoMA)の前まで送ってもらう
ROYはこのあと 末の子供(五歳)の世話らしい
16:30まで MoMASHOP で買い物
16:30から寄付金のみで入場できるのを皆知ってってうじゃうじゃと
人が湧いてくる
前の人にならって 2ドルではいる
すごい! 質 量ともに
ピカソ マチス モネ シャガール ルソー ボロック ゴッホ
カンディンスキー etc. 何でも有り!
18:30 48丁目の楽器屋街へ SAM ASH MANY'S など まあまあかな?
大雨のため 楽器屋で雨宿り ちょうどよかった
ネオンのついた タイムズスクエアを抜けて しばらく歩く
BBKINGの店を事前CHECK ライオンキングの前あたり
20:30 地下鉄 でVILLEGEへ戻る
宿へ帰って 荷物置き 風呂
22:00 再度 地下鉄で タイムズスクエアへ
BBキングの店 今夜は ハープのチャールズマッセルホワイトと
ギターの ココモントーヤ
内装は豪華なナイトクラブ ボールルーム キャバレーと言った感じ
BRONX在住のJONES と一緒に見る 結構騒ぐ
彼は元ボクサーで軍隊ではあのウエストポイント出身
弟は現役ボクサーとのこと
ラジオの抽選でチケットを当てたとのことで酒代のみで
楽しんでいました 本来のチャージは20$でした
AM1:00 黄タクで VLLEGEへ
ROYに教えてもらった 「101」へ
ここはチャージなし 酒代のみ!
出演 N.E.D サイコー! 大騒ぎ!
見たところ日本人は自分だけ
ロングアイランドのジョナサン ジョー タマラ タラ と友達になる
20歳前ぐらいか?
クエンティン タランティーノ がすぐ近くに座る 終了後サインもらう
ギターのRONNIEはEFECTIVEなギタリスト しばらく話す
日本には サポートメンバーとして何回もいったことあるらしい
吉田美奈子 坂本隆一 など 今度UAでいくとか言ってました
店でしばらく大騒ぎ タラがすっかり飲みすぎ 彼女はあまり強くないのに
だいぶ飲みすぎた様子
店のまえで騒いでいると BLACKのおっちゃんが来て 歌う
お金目当てみたいだが一緒にアカペラストリートライブだ!
みんなで1ドルずつ握らせました この時点でAM4:00
歩いてかえる 途中 ヤクの売人とかがうじゃうじゃと
特に公園まわり 足早にホテルへ
AM4:30 帰宿 即寝る
8月10日(3)
実はこれ書いてるのは12日朝9時 ホテルの1Fで朝食とりながらです
とても毎日まめに書いていくのは不可能なのでお許しください
相席になったのは イギリスオックスフォードから来た初老のご夫婦で色々話してたんですが
「グッゲンハイム美術館はいいでございますのよ おほほほほほほ」
というので行ってみようと思ってます なんかイギリスの人ってやっぱ上品やね
これからはまず時系列に起こったことだけ書いて後帰国してから差し込んで更新という
形をとります あしからず・・・
10日 PM4:40 ラガーディア空港着
5:30 黄タクに乗ってマンハッタンへ ラテン系の運チャン 橋はトライボロ-橋
渋滞 (EASTRIVER の高速で事故のため VOLVOぐしゃぐしゃ)
PM6:30 ワシントンスクエアホテル CHECKIN
PCの接続 ROB ROY と電話連絡 風呂
メールチェック (シカゴの菊田さんから入っている ありがたい
早速レス打つがうまく送信できず APを変えてやっと送信)
PM10:00 外出
PM10:30 CHICAGOBLUESへ
ハイラム ブロック&ウィル リー 飛び入りでルーソロフ(tp)
ROB 現れず 終了後 地下の楽屋に行く ギターにサイン
歩いて帰る
途中 ベーグル(サンドウィッチ)買って食いながら歩く
AM2:30 帰宿
8月10日(2)
スチュワーデスのはなし
いままで海外行きで乗った航空会社はアジア系がほとんど JALは日本人(当たり前)
キャセイパシフィックは中国&フィリピン系 エアーモーリシャスに至ってはインド系+フランス系
とにかく アメリカン! て感じは今回のノースウェストがはじめて
でたでたドーンキュッバーン系のブロンドでちょいジョディフォスター似のお姉さん
キャシーちゃんです (喜ぶな!そんなことで!)
前から思ってたんですが アメリカの女性ってとにかく デカイ!
胸とかまあそうなんですが もっと骨格というか 骨盤なんか2倍ぐらいありそう
まあそんなことどおでもええんですが 寝よ おやすみなさい
といってる間に朝になってしまいました
8月10日(1)
機中にて
なんやかやで飛行機に乗ってしまいました
今PMの10:00 (日本時間)です
機内では何故か中国語字幕のアメリカ映画が上映されています
これは笑えます 耳からTHANK YOU 字幕が「謝謝」ですもん 法廷シーンでは
我公正 とか Realy?は「眞的?」だし暫時休庭とかの漢字が画面を飛び交う・・・やめてくれい
まじめなシーンほど笑える ラブシーンが怖い・・
となりには ボブとメアリーという初老のご夫婦でこれからインディアナポリスに帰るんだそうで
ご主人のボブは青森の三沢基地にいてたらしいんですが まったく二人は日本語を喋らん!
普通は隣が日本人だったら冗談半分でも日本語が出そうなもんですがそれがポリシーなん
でしょうね 私たちは日本語しゃべれないのよ と奥さんも言い切ってました
この2人がまたいろいろしてくれるんですわ
ガム食べる?チョコ好き?家族は? 今お父さんお母さんはどこに?
子供の写真は持ってないの?といろいろ・・・・
これからまだまだ長いフライトよろしくおねがいしますだ
8月9日
今日は疲れがどっとでて寝てしまいました。
はっきり言ってまたもやなにもせず1日が過ぎていきました。
夕方のそのそと起きだしてしばらくまともな日本食は食べれないと思って近所の居酒屋へ
寿司などをつまんでいると 常連らしきお客さんが「魚釣れたんでみんなでたべよう!」と
クーラーボックス下げてはいってきました。
まあチヌとかなんですが おいしかったのがウナギです 当たり前ですが天然なんですけどね
これがめちゃくちゃうまい! うなぎばっかりはワタシも養殖ものしか食べていないはずです。
板前さんがさばいてる最中から「うおっ」とかいってるわけです。 身がちがうんでしょうな
食べればわかるその歯ごたえ ぷりぷり
ふだんスーパーで売ってるあれは一体なんなんだという感じで・・・・・
よく考えるといまは食べ物全般にわたってこんな感じですね ホントの味を忘れている
もしくは最初から知らない!! 悲しいことですけど・・
昔どこにでもあった あの緑のどろどろがでてくる完熟トマトはどこにいったんだ
あのとげとげきゅうりはどこへ???
NYでは なんかうまいもんを探して歩いてみますね
8月7日
ROB からメールが来た!
実は 2日ほど前にPURDIE氏のHPに書いてある 多分事務所アドレスにメールを打ったんです
そしたらなんとうれしいことに ハドソンリバーラッツのハープとボーカルのRob Paparozziから
メールが返信されてきました うれしかったです この距離をこえて即のリアクションが
あったことが・・・
書かれてあったことは 11〜12日はNYを離れて仕事なんでいないんやけど
10日はニュージャージーの家にいてるんでTELしてや!何ならうちに来てくれてもいいよ!
というものでした
折角なんでちょっとお邪魔してこようと思ってます
あと 今日のねたは ハーレムウィークの情報が入ったこと
これは まーしゃ さんに紹介してもらったサイトから リンクをたどって行き着きました
12.13の土日はハーレムでは ”DANCIN' IN THE STREET”と称してSTREETでの
DANCEやLIVE等のパフォーマンスがくりひろげられるとのこと
週末はやっぱり セントラルパークからハーレムですね これは
ではまた あした
8月5日
今日はいかてんと久々に電話でしゃべりました
いかてん といっても 知らない人にとっては おでんの具かと思うでしょうが 彼女こそが
ブルーマンデーズ発起人のひとり MISS GROOVIN'BASSISTなのです
なにせ あのBERNARD PURDIE氏に「このバンドのGROOVEは彼女が作ってる。」
と言わしめたお人なのです。 彼女は現在体調を崩して療養中ですが近々カムバックできる
そうで よかったよかった。 まあゆっくりしいや いかてん!
ところで 今日の用件は NYC在住のGROOVE BASSIST 「ROY BENETT」の
電話番号を聞くためでした。 よーし 時差を考えて適当な時間にかけてみよう!
彼は5月11日 PURDIE氏と一緒に和歌山入りして強烈なビートを当日参加した全員に
聞かせてくれたのでした。
とても陽気な彼は スタッフや他のメンバーともすぐ仲良し とても日本初来日とは思えない
リラックスぶりでした そう 彼は成田到着から即関空へトランジットそしてそのまま和歌山へ
車で連れてこられたんです(わけわからんかったやろな〜〜〜)
初めてまともに日本の土地を踏んだのが 和歌山のBIG愛だった・・・こんなMUSICIANは
ROYぐらいなものでしょう!
また夜の打ち上げでは 殊のほか日本酒を気に入りどんどん飲んでたなあ
そして みんな酔っ払ったところで歌いだしたのが OTIS REDDING メドレー!!
この人 歌うは弾くわでほんま最高! 「またきっと会おうぜ!」とその夜は別れたのでした
果たしてNYにいるのかいないのか全くわかりませんが 連絡してみるつもり・・・
8月3日
いよいよ1週間を切りました
それまでに のりきるべき 仕事の山場がもう一箇所
なかなか ゆっくりとはできません
でも 仕事を忙しくしてるからこそ 離陸のときの開放感があるんでしょう
スキーで言えば リフトに乗った瞬間に別世界にいけるような気がしたり・・・
最近お疲れモードなので 体調維持もきをつけないとね
今日はボブマーリーのドルトムントのLIVE DVDをみています
夏なんでレゲエやラテンものもスケジュールに入れときたいな・・
SOBS とか
8月2日
NETで調べていてわかったことがあります
NYの有名なBLUESCLUB である MANNYSCARWASHはことし4月頃に閉店したみたいです
その代わりにできたのが CHICAGOBLUESという店みたいです
ハイラムはMANNYSによく出ていたので 店も移動した様子です
さて その新しいシカゴブルーズですが 泊まるホテルのすぐそばということが判明しました
(8th Ave. 14th st.) こりゃ いってみるべえか?
でもこのあたりは ほんとライブスポットだらけなので さらに調べてみます
8月1日
昨日は ちょっと忘れられない出来事がありました。
関西は数日前から強風が吹いて不安定な天候が続いてました。
それが素晴らしいプレゼントをくれたわけなんです。
それは「虹」=RAINBOWです。
きのう わけあって箕面の実家に行っていた子供を迎えに阪和高速道に乗った途端
びっくりしました 子供の頃に見たっきり大人になってはほとんど見た事の無い
PERFECT RAINBOW 地面から虹がでて 大きく円を描いてまた地面まで
つまり180度の完全な半円の虹です ブラックモアズレインボウのステージみたいだ!
(かなり古い話) それが走っても走ってもついてくる 18時から30分間程の出来事です
しかも 本体の虹の外側にもうひとつ2重に虹がかかって 色も鮮やかだし きれいでした
そしてその時 車に大音量でかかっていたのは70年代の名盤「FULLMOON」の名曲
「NEED YOUR LOVE」だったんです さぶいぼ(標準語ではとりはだ)もんでした
その瞬間の光景とか環境で曲が グッと入ってくることがあるものですが昨日はそんな
経験ができました なんか得した気分です
さて今回の本題は この「FULLMOON」です
知らなかったのですが 先月末に再発されたこのCD なんと初CD化なんだそうです
一体大手レコード会社は今まで何してたんだ?ということですが うちにあるカセットテープも
結構貴重だったんですね
学生時代 このオリジナルレコードは結構レアで 持ってると自慢できるもののひとつでした
ワタシは持ってなくて先輩に借りたんだったと思います
ワタシの自慢は チャックレイニ-コリューションでした (これはCD化されましたね)
さて 当時すでに ラーセンフェィトンバンドや ニールラーセンの「ハイギア」がはやっていたころ
どちらかというとAOR(これまた古い言い方!)寄りのサウンドだった上の作品とちがって
先輩に借りたこのレコードはもっと黒っぽいフィーリングやJAZZ的要素もあって1発で
気に入りました ほんと当時よく聞きました
そのころは今と違ってギターもよく練習してたし バジーフェィトンのギターというのは
リズムを刻む感じでだいぶ当時影響を受けたと思います。
FENDER系のギターでざくざくきざむところとか オブリなんかも・・・
ソロについては別の人の影響が大きいんでしょうけど
1971年録音ですが今聞いても全く古くないし 今改めて聞くと後に出てくるサウンドが
先取りされているようにすら感じます
特に今回ボーナストラックとして追加されてるラストの曲などは マイルスのバンドか?と言う感じ
まるでウェザーリポートが後にやる音を先にやっているようにすら感じます
録音はNYCのmedia sound studio 当時のNYでは 本当に何かが起こっていた
それを証明する録音でもあります
RANDY BRECKER(TP)のソロもOUTしまくってるし 今でこそ認知されているこの「OUT」感覚
もこの当時はどうだったんだろう?
そうそう 学生時代聞いた ジョンスコフィ-ルドのエンヤ時代のライブの1曲目「朝日のように
さわやかに」(なんでこんな邦題なんやろ?)も忘れられません。
この演奏のどんどんOUTしていってどこまでいってしまうのか?というスリルにぶっ飛んだ記憶
があります。
さて このCDを再発までこぎつけたドリームズヴィルというレーベル ここは要注目です
他にもAWBやチャカカーンのバンドでも有名なハミシュスチュアートとか
8.25にはバリーマンのなんと「LAY IT ALL OUT」も再発するし・・・
URLは http://www.d-ville.com です ぜひチェックを!
7月31日
8月に入ったらここの更新をノルマにしようと思って日程を入れてみてびっくり
もうすぐやん!!! 焦った!!
何故かというと なんとCHICAGOのホテルが全く取れないとの情報が先週末に入ってきた
ものの な〜んにもできない状態で今日を迎えたと・・・
個人旅行の怖さはここです。 パッケージなら段取りは全部旅行社まかせでOK
不備があればどーのこーの文句がいえます。
しかし個人が勝手にプラン組んで飛行機のチケットだけ取ってしまってる場合旅行社は
動き悪いです そりゃうまみないですもんね。 ペーパーマージンだけじゃね。
やっぱり自分でやるっきゃないなあ とここでも頼るはNET経由の情報
ガイドブックのURLを叩きまくりました
やはり旅行社もプロですから 適当な情報で言ってきたのではないようで 見事にDOWNTOWN
の有名どころは SOLDOUT の赤文字のオンパレード
たまに空きがあっても ハイアットリ-ジェンシーで495 US$とか・・・
冗談じゃないぜ 夜遊びして寝に帰るだけのホテルにとても1泊5万払えんぜよ!
色々調べた結果やっぱり市中心街はダメで郊外かオヘアの空港周辺でないとだめな様子
別に夏にコンベンションとかはないとおもうんやけど なんかあるんやろか??
そういや到着は夜9時だし 出発も朝9時のフライトだし
もうオヘア空港の中に泊まることにしよう! ええい ヒルトンじゃヒルトン!
ヒルトンオヘアはターミナルビルの中にあって ホテルの下が発着カウンターや地下鉄の
駅になってるのだ よし これでいいのだ! 予約だ予約! えーーーーっ 220 US$?
高いなあ 高すぎる NYのワシントンスクエアホテルは140 US$ぐらいなのに・・・
でも俺は社会人なのだ 金に糸目はつけないぜ!(ウソ ほんとは無いので痛い)
宿代をけちってうまいもんを食おうという計画に早くも狂いが出てきました。
しかし 飛行機飛んで 宿が無し というサイテーなことにならずに済んだので
これはこれでほっとしたかな? まあ色んなことが起こるでしょう なんの準備もしてないし
7月25日
旅行の準備も全くできていないのに 日だけが迫ってきます。
まあどうせスーツケースの中は空っぽでいきたいし 下着ですら向こうでどうにでもなるぜ
という気もあるのですが ホント何もしてない。それより今は情報だけを集めておこうと
おもってます。
うれしいことが1つ アニキのHPでは常連のまーしゃさんがNYについての情報がとれそうな
HPをいくつかおしえてくれました。
もちろん そのこともうれしかったけど ときどきこっちのHPもみてくれてたんだということに
とても感激したんですよ だって全く面識ないし それほどやりとりをさせてもらった
こともないので・・・
でも そこがスタートで たとえばPOOHさんがなんと東京から和歌山まで
リデンプションズとブルーマンデーズを見るために飛行機できてくれるなんてことが
本当に起こったりします
伊賀上野のパラレビとの縁もそうです。
いま NET は日本中の音楽FANを横に繋いでいってるんだなあ しかもすごい勢いで・・
その後の情報は NYで見れそうなLIVE ボトムラインでマイクマクドナルド
BBKINGの店で ロバートクレイ
下の菊田さんは 13日夜は シカゴ サウスのアーティスツラウンジでライブとのこと
今日は TOWERRECORDSで VILLEGEVOICE を買ってきたんでもうちょっと
研究してみます
あとアメリカのローミングアクセスポイントへの接続設定もしておかないと・・・
ほんと 仕事が忙しいのが恨めしいですな とほほ
7月9日
シカゴに行くことをきめてから 菊田俊介さん(シカゴ在住のギタリスト)のHPをチェック
してるんですが 以前日本にも一緒にきた R&Bシンガー OTIS CLAY とこの夏は
結構やってるようです
シカゴ市内のハコでやったり フェスティバルにでたり・・・
OTIS CLAY 見たいな・・ 昔 磔磔でみて以来です
7月8日
WILL LEE のHP見てたら 8月10日は ハイラムブロックとNYCのシカゴブルースという
店でライヴだそうです 彼らはよく 梅田のBLUENOTEにもきてるけど やっぱり地元で
一度見てみたいなとも思うし・・
でもシカゴブルース ッてどんな店??どこにあるんやろ??
7月5日
NYC スタテンアイランドのマンドリンブラザースのHPが見つかりました
楽器お宅の人には見てて面白いページです
写真と結構詳細なコメント入りです 日本ではちょっと見かけない楽器がUPされてます
エピフォンのフルアコとかでおもしろいのがありました
URL は http://www.mandoweb.com です
6月28日
では 今日はそのスケジュールから
8.10(THU)
15:40(日本時間) 関空発 ノースウエスト(NW) 024便
13:15(現地時間) ミネアポリス着 入国
14:40(現地時間) (トランジット)発 NW 374便
18:23(現地時間) NYCラガーディア着 CHECKIN
8.11〜12(FRI・SAT) 完全フリー
8.13(SUN) 教会又はセントラルパークにて 午後までフリー
17:29(現地時間) NYCラガーディア発 NW 529便
19:49(現地時間) デトロイト着
21:00(現地時間) (トランジット)発 NW 1783便
21:00(現地時間) シカゴ(オヘア)着 CHECKIN即行BLUESCLUB
8.14(MON) 終日フリー
8.15(TUE)
9:00(現地時間) シカゴ(オヘア)発 NW 1271便 出国
10:33(現地時間) ミネアポリス着
11:35(現地時間) (トランジット)発 NW 023便
8.16(WED)
14:35(日本時間) 関空着 入国
という具合で 結構タイトなスケジュールです
特にポイントはNYからCHICAGOへの移動日 13日 この日は悩みどころで
NYでの日曜日のセントラルパークの雰囲気(映画によくでてくるあの感じ)をとるか
黒人教会の日曜礼拝になんとか潜り込むか というNY重視でいくか
さっさとNYを後にして 午後早めにシカゴ入りして 夜のBLUESCLUB行きに備えるという
CHICAGO重視でいくか この2方向で考えてます
アメリカ国内便のチェンジはどうにでもなりそうなんで 7月中旬までに
決めようと思っています (どなたかアドバイスいただけませんか?)
あとは 14(MON)の夜 MONDAYSESSION やってる店があると 「SHUN菊田」氏の
HPに書いてあったので 現在メールにて問い合わせ中です
NYC で絶対行くと決めてるところは
1. BITTEREND
言わずとしれた ダニ−ハサウェイやカーティスメイフィールドの名ライブ盤が
生まれたライブハウス VILLEGEの中にあります
2. KNITTINGFACTORY
クラブ系ライブハウス ソーホーの南ハズレにある
スクリーミング ヘッドレス トーソズ のライブ盤が収録されたところ
トーソズ のギター デヴィッド フュ-ジンスキー 好きなんです
ジョンスコにアーム付きのストラト持たせてもっと変態にした感じ(なんやそれ!)
本人は8月上旬日本にいてるのでNYにはいないでしょう
3. NY自然史博物館
ここはね 一度いってみたかったんですよ 恐竜のジオラマなどなど
4. スタテン島のマンドリンブラザース
マーチンのOLDでは 全米でも指折りの店
でも僕の狙いは ギブソンのピックギターなのです
行き帰りには船の上からマンハッタンが拝めると・・・・
夕暮れ時に帰ってくることにしましょう。
6月27日
突然ワタシがNYに行く!とか言い出して「どうしてん あいつ」とお思いのかたも
多いかと思います。 (特に理解してくれた家族には感謝しています)
思い起こせば今から約16〜7年前 僕らは大学の4年(京都の某仏教系大学の軽音所属)
でした 皆 進路がばらけてくるころで就職する者 留年決定した者 中退してしまっては
いるがバンドの練習とクラブBOXには来る者 ・・・・ 色々でしたね
そんな中 誰かが言い出しました「NYに行こう!」
でも 僕は行けなかった というより 行かなかった
当時の事情ははっきり覚えていませんが 金銭的面や 当時2つのバイトを掛け持ちしてて
それぞれから 冬休みはあてにされてたことなどなど
しかし これは何歳になっても一緒ですが できない理由 やらない理由 行けない理由
行かない理由 がでてくるうちは 結局本人に「その気」がなかったということ
「その気」さえあれば どんな障害もクリアできるし 実現してしまいます
逆に「その気」がなければちょっとしたことでも くじけるし 逃げるし できません
このことは その後 仕事の現場でいやというほど思い知らされることになります。
ともかく当時の友人や先輩5人程が真冬のNYへ行ってきました
当時彼らの持ち帰った情報や生録のテープの衝撃的だったこと はそりゃもう・・・
ジョージアダムス&ドンプーレン のカルテット
ティト プエンテ のラテンの狂熱
マイクスターン&ステイ−ブスレイグル ジョンスコフィールド&ボビーマクファーリン
たくさんの土産話と一緒にこれらのテープや向こうのFMをエアチェックしたテープを聞くうち
「いっとけばよかった」の気持ちが・・・・・この気持ちはあとあとずっと尾を引く事に・・・
その後就職した僕は まともに音楽活動もできないまま20代から30代に突入
楽器は買えども音楽できず 結婚して子供もでき ますます身動きがとれないような
錯覚にとらわれてしまいながら いつも思ってました「このままこんなんでええんか?」
そんな状況の中 音楽をやる場を与えてくれたのが 今住んでいる和歌山の音楽シーン
でした。
きっかけは TAKE5というJAZZCLUBで月1のBLUESLIVEをやっている尾根さんの
「WAVE」を見に行った夜のこと 「行くならギター持ってけばいいよ」とのいきつけの楽器屋
さんタロー氏のアドバイスもあり ギター持って遊びに行きました。
初めて会った時のことは今でも鮮烈です 「はじめまして!」「あーおねです えーと
あのアンプ使えよ」とアンプを指差すわけですわ。
いきなり 2ステージ丸々一緒にやらせてもらいました。
しかもSETLISTなしで曲は始まるまでわからないし KEYも教えてくれたりすることもあれば
いきなり始まったりで 後で聞くとアレンジ毎回違うとか??
でもこれが楽しかったんです フリーな感じで・・・
そして ライブ終了後 「次 来月○○日な」 とのお言葉・・・・・・・
それから 早3年近くの月日が経ちますが ずっとフリーなポジションで置いてくれている
尾根さんには感謝してます
ライブも仕事が抜けられず行けない日もあるし、練習にいたっては今まで1度も行ったこと
無いという状態にもかかわらず、また僕が勝手に連れて行った大阪や白浜のHARPISTなんか
も「おーおもろいな やれや!」という いつもOPENな感じで受け入れてくれる・・
そんな感じがとても心地よいのです
全てはここが出発点で その後 今のBLUEMONDAYS人脈(YUKOちゃんや
ANIKI=川端氏たち)につながり それは BERNERD PURDIE氏にまでつながるわけです
そういった人たちに 何か「押される」ように 今夏 NYCからCHICAGOへ行きます。
20代には仲間とでも行けなかったところへ 今なら1人ででもギター担いで行ける。
これは自分にとっての機が熟すのに これだけの時間がかかったということだと思います。
これから8月まで できるかぎり何かを書き留めていきたいと思います。