お気に入り CD&RECORDS  3


 BREAK DOWN & BLUE HEAVEN LIVE (1980年頃)   二枚組

学生時代 京都に通っていたころ すでに大阪 京都のMUSICIANの東京流出も一段落し 磔磔や拾得には

地元や東京組が入り乱れて出てました。   そんな中BLUES BANDといえば BREAK DOWNやで!

と言う時代 このころ塩次さんはWEというちょっとだけおしゃれ路線だったとおもいます

房之助のVO&G ゴリゴリの服田洋一郎(はっちゃん!)のG  タイトなリズム隊・・・

いつもやるインストでJOHN LITTLE JOHN の「KIDDEO」ってあるんですがこれがいつもひとつの

ハイライト  切れるはっちゃん  をみんなまってました  きれたギター弾きがいかにええかは下の

2枚でも紹介します     でも 赤いセミアコはこのころみんなもってたような・・・ぼくもこのころは

ヤマハのSA−1000でした    ギブソンの箱というのはやっぱり憧れでしたね

もう一枚はホトケさんのBLUE HEAVENです  関西組と関東組の混成バンドでしたがこっちもかっこいい!

ここのギターもいい!もちろん吾妻さんと小出さんです

HOT LITTLE MAMAと言う曲は当時自分達のバンド「菊花荘ブルースバンド」でもやってました

アンプけっとばし奏法ゆうのがありまして リヴァーブ付のアンプは蹴ると「キャシャーン!」と音しますんです

クラブの所有アンプはヤマハのF-100とJ−100でしたがFのほうが好みでした  関係ないてか?

SOOO BAAD REVUE LIVE!    (1976年9月30日・10月22日)

以前   ここ  でおしゃべりしてましたがこの70年代半ばは関西で 何か がおこってました

8.8ROCKDAYや春一番といった野外フェスもありほんとにたくさんのバンドがでてきました

この頃のひとはみんな思いが強いというか はとんどみんなまだまだバリバリやってはります

関西弁がBLUESに乗ることを証明してみせたのがソーバッドの北京一さん

まあ歌と言うより語り 漫談 なんですけどね   

憂歌団ですら「パチンコにゆくのさー」と江戸ことばだったこの時代 こてこての大阪弁が炸裂する

カタツムリのうた (題名だけ書くと童謡みたいだ)  もちろんじみへんが乗り移ったように歯で

ギターを弾く山岸 OTISが乗り移ったような砂川  「おれシンセ使い方しらんねん」の国府

「おれはおれのうた歌わしてもらうわあ」の石ヤン  その他チャールズ べーカー 永忠

ライブ見にいった時 あまりのハイテンションにびっくりした記憶があります

ちょうどウッドストックにスライ&ファミリーストーンが夜中にでてきたようなもんですね

疲れてかえってきてお茶漬でもおもったところにカミサンが4時間ぐらい煮込んだもつなべを

出してきたようなもんです  うあー濃いなあ おれよぅ食べへんで〜  といいながら食べ出すと

これがうまいんですわ  やめられない止まらないで最後まで食べてしまったとさ   

  STEVIE RAY VAUGHAN AND DOUBLE TROUBLE

               /LIVE AT CARNEGIE HALL    (1984.10.4  NYC)

濃いのとテンションの高さではこのライブも聞き物   (映像は撮ってなかったんかなあ)

大編成のバンドでのライブはこれが唯一    兄貴やDR.JOHN ホーンまで入ってきておまけに

自分の誕生日 場所はクラッシックの殿堂 カーネギー   お客はニューヨーカー達

いっぱつかましたろかとテンションあがるのも 当然のこと

5曲目HONEY BEEの後半2分10秒すぎからの1音だけで延々ひっぱるとことか ええわ

STEVIEはこのあと80年代後半 ドラッグとアルコール で身も心もぼろぼろになっていきます

初期のひとつのピークがこのころなのでは?

そして最後のピークは亡くなる直前「INSTEP」  「FAMILYSTYLE」のころ

ヘリが落ちた夜のアルパインバレーの演奏も 圧倒的にすごかったとか・・・

どんな録音状態でもいいから リリースしてもらいたいもんです

SRVがすきだと言う20歳前後のギター弾きは多いんですけど  フレーズだけまねしちゃだめよ!

彼が どんなゲージの弦張って どんだけ強くピッキングしてるかチェックしてね!まねできへんよ!