ぶつぶつひとりごと

       よく帰りの通勤電車のなかでひとりでぶつぶつぼやいてる人がいます

       みんなつかれてるんやから 家にかえってにしてよ! PCにでも打ちこんだら

       ちょっとは気が楽になるよ!   というコーナーです  単なる独り言ですから気にしないでね

取り扱い注意   
このコンテンツには時に毒が含まれている場合があります。 気分が悪くなる場合がありますので、気になさる方は読み進めないで下さい。


2010.1.1
<2010年代のスタート>

さあ2010年代のスタートです。
今年一年が皆さんにとって良い年でありますように・・・・・

この数年は仕事柄いろんな業界に顔を突っ込むことが多かったので
景気について厳しい状況を目にすることが多かった。

実感として、今年も厳しい一年になることは間違いないと思います。

過去10年、そしてこの先10年はいろんな面で価値観の根本的な転換を迫られる、とはわかっていても
いざ自分自身に置き換えてそれが進んでいるか?というとそうでもない。

過渡期の中でいまだにプカプカ浮かんだまま流されて行ってるような感覚を覚える。

目の前の仕事を一生懸命やる。
このことの貴さというのは変わることのない部分であるけれど。
それを信じて日々がんばって、なのに「本当にそれで良かったのか?」と自答している人がいるということ。
問題は目の前の仕事がいつまでもある保障は何もない、ということに多くの人が気がついたこと。
これは今までもそうであって、別に今に始まったことではない。

幸い僕は過去仕事を変えるたびにそのことを思い知らされて来たわけだけど、
過去長年にわたって安定した仕事をしておられて、この数年の間で初めてその立場に置かれた方の不安は計り知れない。

日本人の多くが持っていた中流意識が吹っ飛んで一気に貧困という言葉が現実的に目の前にやってくる場面もありえる。
その時、何を捨てて何を守るのか? という事が問われるのだと思います。

自分にとって本当に必要なものは何なのか? 決して物質的なものだけではなく・・・・・
それをチョイスしていく事は別に不幸な事ではありません。

自分の身を何処に置き、どんな暮らしをしていくのか?
その中でシンプルに自分の心が欲する部分にフォーカスしていく事は今までしたくてもできなかったはず。
これからは「そうしろ」と時代が要求してくるのだと思います。

プカプカ・・・・プカプカ・・・・世間の富裕層の事なんかほっとけ。  プカプカ・・・・プカプカ・・・・僕らは浮遊層なんだから。


2008.4.25
<続々とNEWORLEANS入り>

いよいよJAZZFESTウイークです。
http://www.nojazzfest.com/
日本から渡った方からも続々と現地着の知らせが入りだしました。
水餃子さん、morishimaさん・・・・
僕の3年前(早いなあ・・・)の南部旅行記です。
http://www.eonet.ne.jp/~es355/NEWORLEANS.htm

YOUTUBEを見てて、昨年のfrenchquaterfestの映像がありました。
http://youtube.com/watch?v=kJkWG16gh4E
この動画の圧巻はDwayne Dopsieとそのバンドのラブボード奏者。
http://www.dwaynedopsie.com/
そしてマーバライト(marva wright&the BMW'S)。
 http://www.marvawright.com/
youtubeの詳細文にはmarva white って書いてあるけど、シャレにしてはどうもなあ・・・・
このバンドのギターはヤマギシさんなんですが、しかしこのマーバの歌といったらもう・・・・
こういう素晴らしいイベントが基本的に無料なんですからね。
一方のJAZZFESTはどんどん入場料が上がってきて、現地の市民が気軽に行くという金額ではなくなって来ているのも事実です。
地元の人はインストアライブや、公園で行われるフリーコンサートへ気軽に出かけているのが現実だと思います。
フェアグラウンドに入れる、それだけでもある意味特別。
ぜひ思いっきり楽しんで来ていただきたいです!

そして今もなかなか復興の進まない被災地域にもぜひ足を運んでいただいて、ぜひ僕達に伝えて欲しいと思います。
もはや日本のマスコミが全く伝えない現地の今の状況、それを伝えてもらえるのはありがたい事です。

僕らが今やっている音楽はこの町がなければあり得なかったのです。
だから、僕らは何かを伝えていきたいのです。
音で、歌で、言葉で・・・

ちょうど3年前の今日、日本では恐ろしい鉄道事故がありました。
そのニュースを僕はこのNEWORLEANSの町で知り、大きなショックを受けました。  
3年、それは直接関わりのない人間にとっては記憶が風化するのには充分な時間です。
でも、当事者にとっては3年は「ついこの間の事」なのです。
この夏が来れば、カトリーナから3年です。
今一度、いろいろ考えてみたいな、と思います。

今日はTIPITINAからのWEBCASTがある日。
日本時間の土曜AM11時〜
"A Funky Miracle: Celebrating the Music of New Orleans"
Zigaboo's Funk Revue With Special Guests Big Chief Monk Boudreaux, Donald Harrison, Big Sam and Marva Wright. trombone shorty.

さらに明日日曜AM11時からは
ブラインドボーイズオブアラバマ+アラントゥーサン+スーザンテデスキー+プリザベーションホールジャズバンド+マーバライト。
ちょっぴり気持ちを現地に飛ばしてみようと思います。
http://www.tipitinas.com/content/webcast/

2008.4.13
<(2日目)阪南JAZZ&BLUES FEST レポ>

いやあ、腰に来ています。
昨日は19時から23時まで踊ったり跳ねたり揺れたり。
昨日の阿鼻叫喚の様子はしょうちゃんのYOUTUBE動画を
リンクしましたので、お楽しみください。
http://jp.youtube.com/user/shooocyan

終電に飛び乗って、今日の野外イベントの最寄り駅まで行く。
24時間営業のGUSTOへ入ってチゲ鍋+生中。
そのまま車中に転がり込む、2時半。
ハッと気が付くと5時半だ。
6時から18時までPAの設営とステージ補助、撤収まで。
峠越えしながら「帰るコール」。遊びで帰ってこない旦那、父親(笑)
娘に捕まる。 晩飯連れて行け   と。  ガクリ。
ダンス部の見学に明日行くらしい。 見に行ったら即、やで(笑)
バイトもしたいと・・・・結構ですよ。
外で、雑巾の絞り方、愛想笑いの仕方、何でもいいから社会経験しなさい。
この父は中学と高校の間の春休み、アイスクリームを売ってギターアンプを買った。
ROLANDのJC−60でした。 1977年春。
帰って来てスピード2見てたら、落ちた。
またまたハッと気が付くと、豪華客船が港に突っ込んでいた。
おっ!サンドラブロックか・・・・・ もう10年前ですね。この映画。

今日の阪南JAZZ&BLUES FESTはマイミクのハルクルカさんの手作りイベント。
きっと高槻やGOING KOBEも初期にはこんな感じだったのではないでしょうか。
今回感じたのは、うちの娘といくつも年の変わらない男の子や女の子のスタッフワークのよさ。
もちろんハルクルカさんのリードがイイのはもちろんでしょうが、彼女彼らの動きや表情に今回は感動しました
朝7時前女の子が自作の垂れ幕をセットする為に現れる。
「おはようございます!」 はじけるような元気な声。
「おはよう。今日はよろしくね」と答えるものの、その声にすでに疲れが・・(笑) 負ける・・・

撤収の時も「私達に何か出来ることはないですか!」と声をかけてくれる。
最終段階は機材を車の中に押し込むだけなので、もう手伝ってもらう事はあんまりないのです。
でも彼女、電源ドラムの巻き取りを素手でやろうとする。
「わ、手が汚れちゃうよ。 うん。 大丈夫やで」と言いながら、
おじちゃん、感動しちゃったよ(笑)

スタッフ、出演、お客さん、その笑顔が印象的なイベントでした。
主催のハルクルカさん、お疲れ様、そしてありがとう。

昨夜といい、今日といい、こんなに良いイベントに参加できてホントしあわせ。

今日は離れた場所に2ステージあって、自分の出番以外は持ち場である「オークワ前」を離れられなかったので、
見た範囲でご紹介を。

1、fja
女性2名でウクレレ、グロッケン、ピアノを弾きながらオリジナルを歌う。
   カホンとparc.は石川さん(父) 今日大活躍。
   僕的にはハマりましたね。 儚い感じで。 
   この3人はラストまで客席でしっかり聞いていたのが印象的。 

2、mercy maercy
   驚きました。 リズム隊2人は大学軽音の先輩でした(爆)
   約23年ぶり? 
   ドラムの渡辺さんは僕が一回の時誘われて、エスターフィリップスやパティオースチンなどのCTIアレンジの曲をやるバンドで一緒でした。
   ベースの志摩さんは当時鶴瓶の毛をロンゲにしたような髪型でヘビメタやってました。 マイケルシェンカーとか。 ぶおーん!
(写真左)
   「タカダ! 今日は堂島のミスターケリーズで軽音のOB会あるの知ってるよな!俺ら行くで!来いや!」
   行きたいのは山々ですが・・・・・・これ以上JAMさんに迷惑は掛けれません。  ごめんちゃ。
   「チュニジア」のチャカバージョンは僕ら別のバンドで25年前ぐらいにやってたんですが・・・・
   チャカの曲はKEYの設定が難しいという事を思い知らされた曲です。

3、ここで出番の為、移動、サラダホール前。
  HMS miznus
 正統派パップスタイルのSAXコンボ。
   僕はテナーの葵ゆりさんに注目。
   一番泥臭いテナーを吹いたのが彼女。 女ホンカー(笑)
   テナーとはこれや!って彼女が言うてる様で、嬉しくなって控えからやんやの喝采をする。

4、WAVE
  いつも決め事なし、事前打ち合わせなし、ですから、JAMさんがどうくるか?楽しみな自分の出番。
  いきなりスローのバラード。  客層見て・・かな?
  でもいつものパターンにてギャンと演って終了
この後セッションタイムが用意されていたのですが、持ち場のステージで大転換が必要な為、走って戻る。

5、Tippi-Toes
 千日前のガンボ屋その名も「GRISGRIS」のマスターがベースを弾く今回唯一、のニューオリンズ系バンド。
    古き良きニューオリンズファンク。 もう知ってる曲ばっか!状態。   嬉しいです。楽しいです。
    ここでは大変な少年を発見! ドラムの石川さんの息子さん、翔君。  親子鷹や!(写真中)
    中1でしょうか?  中2でしょうか?
    彼、ドラムも叩くしparc.もやるのです。
    シリルみたいにポコポコボンゴ叩いたり。
    
    そうそう、今日はBGMにブラインドボーイズアラバマの新譜を掛けてたのですが、この少年が反応して体が動いていたので
    「お〜〜〜おもろい子やな」と思っていたのです。   この子が出演者とは・・・・・   
    今後が楽しみですね。

6、RED PUMPS BIGBAND
地元泉南でBIGBANDを!との掛け声で集まったグループ。活動一年ぐらい。
  年齢層も幅広いし今後、どんどん伸びていく可能性があるBIGBANDです。

7、bystander 
  こちらは同世代で固めている感じで仲のよさが伝わってくる。演奏も楽しそう。
  (写真左)
  会場から子供が踊りだしてステージに乱入した、といえばわかって頂けるかも。
  このバンドではKEYの西村依子さん。
  このバンドのグルーブマスターだ。
  KEYがリズムをグイグイ出してくるのは僕は大好き。
  彼女の体の動き、あごの動き、足の動き、表情、アイコンタクト。
  見てて惚れ惚れしました。

8、「中崎あきこ」さんと愉快な「中野秀行さん」
  もう貫禄です。  大阪のJAZZCLUBでは必ず名前を見る方。
  僕的には「クロストゥーユー」でしたね。
  PAミキサー担当の浦野君のリバーブ具合も絶妙で。
  中野さん  ええわあ。 適度に暴れ気味のJAZZギター。
  「流れるように美しく」より「情感溢れる泣きのJAZZギターでした。

これにてこちらのプログラムは終了。
全体の撤収を完全に終えたところでぽつぽつ雨が本格的に降り出した。
天候も味方しました。  主催の人徳ですね。

この2日間、本当にいいイベントのご縁を頂いて、ほんとうに「しあわせ」
昨夜はオジサンオ○サンのパワーに圧倒され、今日は若い世代の元気さに
癒されました。
体はぐったりですが、高揚感もあり、体を動かしたおかげで、かえって元気。

ライブに行きたいけど、なかなか腰が上がらないアナタ。
ちょっとの行動が出会いを生みます。
grasちゃんが書くとおり、そりゃ行って見ないと合うか合わないかはわかんないけれど、
まず足を運んでみて、たまたまそれが素晴らしい新しい出会いの時もあります。
ぜひ、気軽に出かけてみてください。
2008.4.12
<(初日)スクイーズボックスナイト@塚本ハウリンバー>

奄美の大家族のドキュメント番組を見てるうちに出発が遅れた。
早めに行って1Fの中華を食うつもりが着いたらスタート直前だった。
一番 ラムチョップス
二番 エトゥーフェ
三番 コンフントJ
四番 ザディコキックス

この組み合わせを大阪で見れるなんて!
東京へ行かないとダメなんだと思ってました。
一年半前の中之島以来の晶子ちゃんをはじめとして、関東一円からメンバー随行で来ています。
もちろん関西は姫路や和歌山やその他遠方からも来てて、あのハウリンが昔のDISCOみたいに寿司詰めギューギューのダンスフロアと化しました。
7時から11時まで立ちっぱなし踊りっぱなし。
ハッと気が付くと、天王寺12時02分の最終快速にギリギリの時間。何とか飛び乗りました。

見どころはいっぱいあったけど
◎タイプの違うアコーディオンとアコーディオン弾きが4人も!
◎ニシダさんのフリーキーなフィドルソロ
◎コンフントJの女性ファンによるダンス(官能編)
◎可愛い小学生ラブボード奏者
◎ヒラリアンの流血ラブボードプレイ
◎三巴えラブボードプレイ
◎アンコールのライクーダーナンバーでのパブロさんのベースと歌
◎イントロになかなか入れないコンフントを厳しく指導するナコミータの突っ込み

詳しいレポートはgrasちゃん 頼むね♪

しかし、ぶれた静止画より、やっぱ動画でしょう!という事で。
仕事がはやい!しょうちゃん工務店。もうYOUTUBEをUP。
http://jp.youtube.com/user/shooocyan

<28年ぶりの高校同窓会>

(2008.3.9)
卒業写真 といえば・・・・ BGMはこれでしょう!
http://www.youtube.com/watch?v=I7tn7cwzFj8


きのう、娘が中学の卒業アルバムを持ってかえってきた。
父娘でアルバムを見る。明日月曜が卒業式。

アルバム一つで話が弾む。
強いクラブ、弱いクラブ。
モテル男は誰か? 好きな男の子。 
学年一番の可愛い子は誰か?
2歳3歳の保育園時代からの友達の変貌に驚く。
名物先生の話。
親としてはこんなアルバムもっと早めに欲しい。
もらった時点で終了だもんな。

で、押入れから僕の卒業アルバムを出してきた。
小中高3冊ある。小中は白黒。高校がカラー。
中学のアルバムに写ってるヤンキー達に娘爆受け(笑)
こんなファッション、こんな髪型、もう化石やな。

娘としては中学より高校のに興味があったようだ。
思いはもう高校にいってるんやね。

僕が高校に行ってたのは77年から80年。
いろんな思い出が詰まっている。
これからその年頃に突入する娘と自分の高校卒業アルバムを
眺めているというのは不思議な気分だ。

で、今夜。10時過ぎ。
いきなり家の電話が鳴った。
誰か死んだか?とっさにそう思うのは何故だろう。
知らない女の人の声。
ん? 奥さんの友人?
名前を言う。旧姓○○です。
「ああ、ごぶさた!」と自然に答える。
「え?覚えてくれてるの?ありがとう」
きっと話すのは28年ぶりだろう。
でもアルバムを昨日見てたんだよ。

なんと同窓会のお誘いだ。なにかあまりのタイミングに驚く。
もうクラス単位では集まらないので学年で・・・と。
実は僕はこの年になるまで同窓会に行ってない。
別の町に引っ越してるせいもある。

4月に大阪市内で、とのこと。
行ってみる事にしました。


(2008.4.6)
で、行ってきました。大阪中之島グランキューブ。
素晴らしい同窓会でした。

行くまでは不安だった。
行って何か嫌な気分になるようなことにならないか?
相手によっては自分が行く事で、会って気まずい思いにさせたりすることにならないか?
(たとえば過去付き合ってたコとか)

そんな心配は全て吹き飛んだ。
28年振りの再会。
多少のわだかまりや可愛らしい男女間のできごとなんて氷解する時間の経過。
男性は髪型、体型共に変わってはいるけど基本的には一緒。
女性もそうかな?
みんな色んな職業についてるし、市会議員だの社長だの大会社の本部長だのいるけど、そんな話は一切なし。
サラッと他の話に行っちゃう。
今の話をしだすとそれぞれ重いこともあるでしょ。

幹事の段取りが素晴らしくて、会場の大阪グランキューブに付くなり、名札シールと封筒に自署 。
名札は胸に貼り、封筒は後に写真データを収めたCDRが送るのに使うそうだ。
当時の先生も三人来てくれた。
456人(だったかな?)の卒業生のうち、100名人以上が集結。
これは結構すごいことです。

キャーキャーという女性の歓声とオーーーッとかいう男性の雄たけびで
しばらくは場の収拾がつかない。

開会の発声はテニスの全国レベルの選手だった幹事の女性。
彼女がどうしても学年全体で!と言い出したのだそうだ。
やっぱり言いだしっべが大事。
そして彼女にはやると決めたらやり切る意思の力がある。
ほんと、ありがとう。

とりあえず三年の時のクラスのテーブルに陣取る。
このテーブルには仕掛けがあって、時間を区切って二年、一年とさかのぼるようになってる。で、席替えして行くと言うわけ。
ご心配なく。ちゃんと各学年の各クラスの名簿と写真がテーブルに用意されているのだ。
一年の時のクラスが半分ほど集まっていたのには驚いた。
このクラスでの話題は体育祭の男女混合リレーでKISSのメイクをして走ってそのまま優勝した男四人は誰だったか?だった(笑)
その翌年から「仮装、化粧をしての体育祭参加禁止」の一文が追加されたのだそうだ。

自由な校風で服装も自由。
アメカジのはしりだったころで山登りするような格好やアロハシャツで通学とかしてた。
後に結婚したカップルも多く、今日は5組かな? あと来れなかったのが3〜4組有るはず。
次は二年後の30年記念。日も決ってる。

大阪府立箕面高校、15期。
いいメンバーですわ。

二次会は梅田の第3ビルのエスカイヤクラブ、某社長の顔で(笑)
顔というか会員カードというか。
三次会は曽根崎の居酒屋。異様な盛り上がりのまま梅地下で解散となりました。
みんな お疲れさん。  
今夜は卒業アルバムでも見て、明日から日常に戻ってください。

2007.7.14
<カンボジアのこと>
先日の新聞記事を見て、気になっていたこの国のことをあらためて調べています。新聞記事は最後に紹介します。
カンボジア。
かつてはアンコールワットの遺跡があるように、豊かなメコン川の流れにクメール文明が栄えた国。
ところが歴史に翻弄されアジアで最低レベルの貧しい国になってしまった。
なぜそうなったかは他国に干渉され続け、内戦が続いた事が原因。
カンボジアの歴史

混乱後の復興、再建は徐々にではあるが進んでいる様子だが、
隣国ベトナムやタイが外資による生産工場化が進んでいるのと対照的に、政権が不安定で地中に地雷が埋まり
就学率識字率が極端に低いこの国に工場を建てようという動きはほとんど無い。
ほとんどが農業で生計を立て、天候に生活が左右される。
そして手伝いをする子供の足元には地雷が埋まっており今もその犠牲は続いている。
http://cmc-net.jp/genchi03/index09.html

GDP(国内総生産)の順位表があります。
国土が広く人口も多い国が上位かと思えばさにあらず。
一人当たりのGDPの表が目安になる事が多い。 人口が多くても貧富の差が大きければ下位になる。
例えば中国はなんと111位。
この順位に近い国の名前を見ると、近年我々が中国に抱くイメージ(発展、高層ビル、大型外車が走る北京や上海)とは程遠い。
いかにゆがんだ状態の国かというのが良くわかる。

さて、一人当たりの160位からラストまでをご覧下さい。
映画でも紹介されたルワンダをはじめとするアフリカ諸国、そしてアジアではカンボジア165位、ネパール、ミャンマー。
カンボジアは一人当たり年間で300ドル強である。
一ヶ月約25ドル 日本円で3000円。
ちなみに日本はというと15位、年間約3万8000ドル 456万、月あたり38万円。
日本を引き合いに出すのはナンセンスというものだ。ただ、私達日本人はこの国に暮らしこの暮らしが当たり前と思っている節がある。
どうしても自らのものさしでものごとをはかろうとするし、自分の視線でものを見ようとする。
本質はそれでは何もわからないのが現実だと思う。  
何をもって豊かで何をもって貧しいというかは一概には言えない。
日本で暮らす私達にはカンボジアをはじめとする国の貧困というのはイメージする事すら難しいだろう。
だからこそ、現地に赴き、今日も実際に現地の目でいろいろな事に対峙している人が多くいる。
この国における日本人とはNGOなどで汗を流す人たちの姿でもあり、また一方では下のような姿でもある。(木原さんという方のレポ)
http://motokihara.at.infoseek.co.jp/cambodia-essay.html       

さて、「トゥームレイダー」という映画を覚えているでしょうか?
アンジェリーナジョリーが演じるララお嬢様が世界中を飛び回る映画です。
その舞台はアンコールワットなどカンボジア国内にも設定されており、CGの比重は多いですが現地ロケも行われています。

「トゥームレイダー」すなわち「墓荒らし」がカンボジアで横行しているという記事が新聞に出ていました。
読売の現地特派員の田原という人が取材した記事ですが、すでに2003年にはタイム誌でも同様の記事があり、それを追う形で取材したようです。
http://www.melma.com/backnumber_25151_301440/
当時はアンコールワットなど高額な財宝狙いだったようですが
それとは別に今年4月にとある村の主婦が、ポルポト時代の虐殺による犠牲者が集団埋葬されている墓を掘ってみたところ、
指輪やネックレスが見つかり、「墓を掘ればお宝が見つかる」と騒然となり、毎日100人以上の農民が墓を掘り返している。
かといってそんなに簡単に見つかるものではなく、墓の周囲には累々たる人骨や衣服が積み上げられたままだ。
5歳の娘と2人で暮らす28歳の女性は金のネックレスを一つ見つけた。それを水牛1匹と交換した。これで田畑が耕せる。
水牛1匹手に入れるのには300ドル必要だ。
300ドルは一人当たりの国民総生産に相当する。(その1参照)

カンボジア国民にとって75年〜79年のポルポト時代というのは忌むべき時代の痛々しい記憶である。   のはずだ。
しかしそれは70年代、30年も前のこと。
今、小さい子供を抱え、その子供すら売り飛ばしてしまうような貧困にあえぐ世代は80年代以降に生まれている。
つまり、ポルポト時代の記憶すら急速に風化しつつある。
今 目の前にある飢えや貧困をしのぐために、地中に埋まった独裁者に断ち切られた無念の思いの込められた亡骸は掘り返され風雨に打たれている。
普通では考えられないような行為ではある。
でもそれは僕等が今ここにいるからわからないのだ。
その行為は責められるべきかもしれないが、彼ら彼女らを責められるだろうか・・・・・・

2007.6.18
<脱 仲良しクラブ>
ココは僕のHPの裏日記みたいなものなんで、多少毒を含んだ事も書く。
僕はmixiもやっているのだけれど、どちらかというと海外とか遠方とか思いを同じくしながらも顔をあわせる事の難しい人との交流に使ってる部分が多い。
ではより近い人、例えばバンドメンバーとはどうかというと日記やコメントに目は通すけれども、それほどマメな対応はしないというかできない。
なにせ練習なりリハなり本番でどうせ顔を合わせるのである。その時音で話しているんだからそれでええんちゃうん?という考え。
どうしても伝えたい事があれば電話して直接話したり場合によっては「茶どう?」と呼び出して話す事もある。
バンド仲間というのは文字通り音楽を通して付き合っている。 アマチュアである僕達はことさらその傾向が強い。
プロならば、やな奴だろうがどんな奴であろうが割り切ってでもできる。 仕事だからだ。 金を得るための辛抱をする事もある。
僕達がかなりソリの合わない上司や同僚とでも何とかやっていくのと同じである。

ところで、アマチュアである僕達であってもBANDという形態の人間関係を構築するのに、必要以上に仲良しである必要は無いと思う。
逆に喧々諤々言い合って、火を吹きそうな状態でも良い音楽はできると思う。
もちろんお互いに対するリスペクトがあり、公私共に行動をともにできるような相手だったらそれはそれでよい事だと思う。
しかしメンバーのプライベートにことさらに立ち入ったり、また、聞きもしないのに身の上話に花が咲くというのは僕はごめんだ。
mixiの弊害がここにある。バンドメンバーの悩み事や心配事を知って一緒になって悩む事(悩むフリをする事)はバンドの運営には関係の無い事だ。
大人がやっているバンドであれば、基本的に一人一人のメンバーは自立しているはずだ。手を差し伸べられる事は意外と少ない。
例えば一時的な失職や会社の倒産廃業なんて事はこんな時代だからありえる。
でもそれとて本人の確固とした意思の元に再就職するなりして自分の力で生活の立て直しを図るのが普通の大人と言えるだろう。
周りのメンバーは黙ってその過程を見守ってあげるしかない。

そのメンバーが多少の犠牲もはらって時間をやりくりして練習やライブ本番に参加しているのだ。
それ以上何を求めろというのだろう。後は限られた時間のなかで真剣に音楽に取り組むだけである。
新年会、忘年会、飲み会やバーベキューもやりたきゃやりゃいいけど、別に僕は要らない。

だからバンドメンバーが全員mixiに参加していて、ほぼ毎日のように日記にコメントしあったりして仲良し気分を演出してる、というのを
僕は全く信用していない。逆にちょっと気持ち悪い。
そんなことよりも、リハや練習時において「そこはちょっと違う」「今のはおかしい」「もいっかいやり直し」とはっきり口に出して言える関係を
築くほうがBANDとしてはよほど進歩があるのではないかと思う。 
当然当初は摩擦もあろう。しかしその摩擦を越える事でしか前には行けないのではないか?
NET上で馴れ合うよりもスタジオでの摩擦を僕は選びたいと思う。

唯一mixiにおいて例外的に良いほうに機能してるのは東京などにある「〜〜SESSIONコミュ」における日常の交流で、
これは顔をあわせるのが唯一セッションの当日だけなので、普段から「次回のテーマは何か?」とか「この曲やろうよ!」 とかの打ち合わせを
mixi上で重ねているのである。  これはこれでええんではないかと思う。
やや辛口ではあるけれど、思ったことを忘備録


2007.6.17
<題名のない音楽会 羽健を送る>
僕が子供のころの日曜の朝はかなりの確率で「題名のない音楽会」を見ていた。 父の趣味だった。
司会は黛敏郎さんでかなり前衛的な現代音楽を取り上げるかと思えば、氏の右傾化した思想が表に出た企画があったりしてびっくりしたりもした。

そして時は流れ、2000年代。
いつしかかつての父の年齢になっていた僕は
再び「題名のない音楽会」を見ることが多くなった。
目当ては一人の音楽家。
司会の羽田健一郎さん。 
司会というよりMCとピアノ担当といっていい。
あらゆるジャンルを行き来する様子は自由で、何より音楽の素晴らしさを茶の間に届けたい、という気持ちに溢れていた。

今日の追悼番組
http://www.tv-asahi.co.jp/daimei/html/onair/back/07/0617/index.html
この番組には前田憲男さんも出て、こんなコメントをしていた。
「彼は脳の働きの80%をオヤジギャグを発するために使っていた。でも、オヤジギャグとは「発想とタイミング」そのもの。
それが生き生きとした音楽のためにはとても大事な事だ」

告別式出棺の時には佐藤允彦さんが「聖者の行進」をピアノで弾き、手拍子と歓声の中送られたという。

難しい顔ではなく、ニコニコと楽しそうにクラッシックの名曲の紹介をしてくれた。その笑顔が素敵な方でした。
58歳はあまりに若いけれども、いろんな音楽を教えてくれてありがとう。

今日の番組では全員の音楽が素晴らしかったです。
気持ちが感じられました。
やはり「思い」のある音楽は素晴らしい。そう思います。

大谷さんのツィゴイネルワイゼンが聴けたのも収穫でした。
流浪の民、ジプシーの音楽にモチーフを得たこの曲。
日本の音楽業界の中で広くの範囲を渡り歩いた羽健さんに似合う曲かもしれません。
この曲に見られるようなヴァイオリンの超絶技巧は流れ流れてアメリカ中東部や中南部に上陸し、
ブルーグラスのハイスピードなリックやプリングオフなどカントリーリックスなどに取り入れられていきます。
もちろん、ヨーロッパや北欧のギタリストやハードロックギタリストとそれに影響を受けた世界中のギタリストにも伝わっていますよね。


2007.6.12
<行きたいライブ忘備録>
5000円で買ったLITEONのDVDライターが絶好調。
いやあ、いい時代だ。 
DVDが20倍で焼けるなんて数年前には夢にも思わなかったなあ。
うちのノートPCではDVDの再エンコードが遅いという事をいまさらながらに認識した。 
やっぱ再エンコは寝てる間に限る。

さて行きたいライブ。
yasさんのリストをもとに作ってみました。
うーん  悩み多き夏秋じゃ・・・・・

★6/16(土)大阪茨木・Jack Lion 19:00/19:30
Welcome / ジャマーバンド
行きたいなあ。 でも仕事日。残念。  参加確率10%
WELCOMEのみなさん、また和歌山OLDTIMEに来て下さいね。

★6/19(火)大阪・RAIN DOGS
マダムギター長見順
 春一でちょっと見た。 平日。 ごめん。  参加確率0%

★6/20(水)千日前・クラブウォーター 18:30/19:00
"ジェロニモ・レーベルPresents 変なのがいっぱい Vol.2"
ウォーター移転直前大感謝Live
「恨み節弾き語りおんな」久ぼたなお子/ 「止まったら死んでまうサメのようなラケンロ〜ル」 ジェロニモ・レーベル
/「日本昔ばなし系 超★低速パンクfrom奈良」ハチワレ天満宮 /「美し〜い国を踊り倒す変体舞踊」袋坂ヤスオ/
以上の幕間にサブでミニステージ!
「チョチェック(東欧)やら」 ファルソス・ヒターノス 偽ジプシー /「テキサス〜メキシコ」プチConjunto"J"
↑ ちょっと気になるなあ・・・・大阪に居てたら行くパターン。 今回ごめん。 0%

★7/12(木)京都・磔磔 6:30/7:00
BO GUMBOS 20th Anniversary
3/4 GUMBOS(どんと他界後、残った3人での初ライブ)
え? 行きたい。 平日の京都。 無理。 参加確率5%

★7/18(水)なんばHatch 18:00/19:00
Japan Blues Carnival '07
Koko Taylor / Lurrie Bell
なんで平日やねん!! あかんやん。 参加確率10% 

★7/19(木)-22(日)フェスティバルゲート・BRIDGE
「11th Festival Beyond Innocence 2007〜FINAL〜」
4日間即興三昧
出演:アキビンオオケストラ/あふりらんぽ/アルタードステイツ/一楽儀光(どらビデオ)/今井和雄/UA/Won Jiksoo/内橋和久/梅田哲也/ウリチパン郡/おおたか静流/大谷安宏/OORUTAICHI/オシリペンペンズ/Optrum(伊東篤宏+進揚一郎)/かきつばた/勝井祐二/Carl Stone/gulpEpsh/KK.NULL/小島剛/Samm Bennett/sim(大島輝之、大谷能生、植村昌弘)/STYLE/千住宗臣/外山明/高橋悠治/竹村延和/千野秀一/チョモランマ/テニスコーツ/天鼓/ナスノミツル/二階堂和美/neco眠る/野村誠/灰野敬二/Haco/半野田拓/PAPA/FUTA9082/ふちがみとふなと/不破大輔/HEMLEN(古太郎、恵良真理、植村昌弘)
/BOGULTA/popo/マイクロふとし/巻上公一/三田村管打団?/
MUTANT/山本精一/芳垣安洋/YOSHIMI/吉田達也  ほか、まだまだたくさん!!!
※時間料金未定 http://www.beyond-innocence.org/
ちょっと気になってる。  調べてみます。

★7/29(日)新生クラブウォーター@十三
Conjunto"J" (フルサイズ)/ドス・タコス
コレも行きたい!! お!日曜だ。 いこうかなあ・・・参加確率70%

★8/4(土)心斎橋・クラブクアトロ 18:00/19:00
渋さ知らズオーケストラ
お お お 行きたい  でも仕事日。 参加確率5%  11月岸和田にします。 

★8/12(日)京都or大阪
Bruce Hughes with Scrappy Jud Newcomb
盆休み中の大阪実家滞在を良いことに・・・・ 狙ってます。

★8/18(土)大阪南船場・ペーニャ
Conjunto"J" (フルサイズ)詳細未定
これ行きたいなあ・・・・・ペーニャって好き。 でも仕事日。参加確率20%

★8/25(土)京都・拾得
LEODUO / イナヅマホーンズ
これ 行きます。  参加確率100% 車同乗同行者募集中。 KAZUBON決定。

★8/26(日)大阪・塚本ハウリンバー
LEODUO / Nakomi & Her Friends
★8/26(日)十三・テハンノ
ミニ版Conjunto"J"
26日のこの2つのハシゴは出来ないのか?? 車で5分ですが。 時間ずらしてください。

★8/26(日 )大阪・ビルボードこけら落とし
   Steely Dan    ジョンへリントンだ!フレディワシントンだ! わーい。    と思ったものの・・・
カジュアルで19000円?   誰が行くねん?  参加確率0%

★9/17(月祝 )大阪・ビルボード
 Maceo Parker+Pee Wee Ellis +Fred Wesley!!!!yeah!
カジュアルで6500円 行く!  参加確率90%
  しかし、9月9日福岡から19日の大阪まで12日にOFFがあるだけで移動含め10日間公演。
  誰がこんなん組むねん!  ヒドイ。

★9/23(日 )和歌山OLDTIME
  大上ルリ子+ジェニファー+大阪ロマン  参加確率100%
  これは行きます。 最小編成(ピアノ+パーカッション) 歌が前面に出るライブになります。楽しみ。
  パーカッションはかつての僕のバンド仲間である大樋稔さん。カホン中心のパーカッションと思われます。

★9/24(月祝 )大阪・ビルボード
 Larry Carlton  参加確率20%
カジュアルで6400円  この100円差は微妙だ。

★11/18(日 )大阪・岸和田浪切ホール
 渋さ知らズオーケストラ
行きます! 万難を排して。  参加確率100%
  近いのもいいなあ。 家から車で1時間。 

★11/29(木 )大阪・クラブクアトロ
  Derek Trucks Band
  7000円  何で月末の平日やねん。 でも行きたい。参加確率40% 


2007.5.25
<焼けぼっくいに火を付けよう!>
といっても不倫推奨ではありません。
mixiの日記の鮮度は短く、あっという間に忘れ去られる。ということについてはすでに書いた。
また、mixiの黎明期(といってもわずか数年前)より 「mixiは身内のヌル〜い傷の舐め合いツールである。」という指摘もある。

一方で、わずか数日の命にしてしまうには惜しいテーマをUPしておられる方も多い。
ならば思いっきり限定メンバーで傷どころかいろんなところを気の済むまで舐め合おうではないか!というのが趣旨(笑)
手順は簡単。
1ヶ月以上経った日記で書き込みメンバーを見て、これと思うところにチャッカマンが書き込む。
そのとき「着火♪」なり「再点火♪」の合図が必要かな?
要はまったり行きませんか?の合図です。 テーマの深掘りも良し、脱線するも良し。
オフラインのチャット状態みたいなもの。
多分そのときのメンバー以外誰も再点火したのを知らないし、来ない。
あとは何ヶ月掛けてでもお好きにどうぞ。 というわけです。
まぁ参加メンバーのノリ一つでしょうが。

実はこんなことがありました。某女性ボーカルさんの日記が数カ月の期間に渡って書き込まれ、
コメント数200まで行ってもう書き込めない状態になっても、さらに自分の古い書き込みを消してでも書く人が出てきたわけなんです。
この現象は「最新日記ではないので、もうこのメンバーしかどうせ見てないもんね」というある種の安堵感がもたらしたのではないか?と思います。
mixiのシステムを逆手に取ったともいえます。 別に最新日記でなくってもいいじゃん?


2007.5.22
<JAMA−BANDというバンド>

仕事で抱えていた3つ程の問題が一気に今日ポンポンと片付いた。
失策暴投をきっかけにホームに突入したランナーをバックホームでアウトにして飛び出したランナーもアウト、
ダブルプレーでチェンジみたいな感覚である。
やっぱりミスしても守らずに攻めないと道は開けないという事で。 
 ホッと一息。

6月3日に計画中のA LITTLE HOTSAUCEのライブも共演者も決定、店側とはノーチャージで話が付いた。
簡単なPAとマイク6本ほどを持ち込むことにし、 自主企画ライブみたいになってきた。

よし、これで日曜のJAMA-BAND@GOINGKOBEに集中できるぞ。
http://www.geocities.jp/ykawabata45/jama-index.htm

僕がJAMA-BANDの事を知ったのは2000年も近づいた頃。
その頃僕が参加していた月曜の練習集団「BLUEMONDAYS」のメンバーでもあった「アニキ」と「ヨガ小林」「イカテン」は知ってて
「キンちゃん」「ヒロジ」「ヤギュー」の事は実は知らなかった。(敬称略)
実は和歌山で1982年ごろから活動していたバンドだったというのは後から知った。
僕は91年頃に和歌山に引っ越してきて、それまでの和歌山の事は何にも知らないのです。

活動再開した2000年のOLDTIMEでのライブが初めてのライブ体験でした。
イスから転げ落ちるほど笑った。
「元気なじじい」「WHO ARE YOU」
「桂 こよねが死んだ夜」「もうやめよう」
「和歌浦ベイブルース」 あたりやったかな・・・・・
僕にはど真ん中の直球やったわけです。  以来ずっとファン。
毎週土曜のPM9時から12時までジャン荘1Fのスタジオは年間を通して確保してある。揃おうが揃うまいがスタジオに入る。
彼らはスタジオに入るのは練習だとは思っていない。
練習など各自家でやってくるもの。で、スタジオでは曲作りとヘッドアレンジの繰り返し。
アレンジはどんどん変わる。その中でもう「芸」といってもいい定番曲が出来てくる。

一緒にステージに乗せてもらったのは1度だけで2005年の2月。
http://www.geocities.jp/ykawabata45/05-02-13.htm
このときはOLDTIMEのBLUESNIGHTの二回目かなんかで。
高校生のホーンセクション青野、ちはる、白川の3人が学生服でフロントに立って。
ザ・バンドのトゥーサンアレンジみたいなホーンアレンジがハマッテタなあ。
実はこのときは仕事を辞めることを決意する直前で精神的には揺れていて、
このライブの後、3月に仕事を辞めて4月にはアメリカの南部を車で走ってた(笑)
そのせいかとても印象に残っているライブでもある。

今回のライブも3人のハタチ前後の男の子が当日参加するのだと思う。HIPHOP系。
2回目のリハの録音を聞きながらコレを書いていますが、笑えますよ〜〜彼らのキャラには。
一生懸命な若いコを見るのは楽しく、わずか3時間のリハで彼らもどんどん形になってくる。
曲もどんどん彼らに合わせて姿を変えていく。
最初はドギマギしながらみんなにどやされ、笑われしてたのが、最後にはハマッテくるから
彼らの感性には感心する。  後は当日まで彼らがどれだけ思いを持てるかという事に尽きると思う。
ま、彼らの出来に左右されるようじゃ悔しいんで、関係なくドーンと行きまっせ。

で、嬉しいニュースはそもそも今回僕が混ぜてもらうきっかけになった「アニキ欠場」が回避できたという情報。
てことは、トリプルギター(笑)     ニッチ奏法や時間差攻撃、隙間攻撃が必要だ(笑)
アニキが一番神戸に行けない事を実は悔しがってたに違いないので、ホント良かった。
特にアニキの歌が無いと・・・って部分が解決。 コレは大きいっすよ。
って事でレギュラー6人+4人の何と10人でステージに上がる事になります。やっかまし〜〜(笑)


2007.5.13
<GOING KOBE 07>

マスプロダクト化した大型野外フェスではなくて。
自分の町、かつて痛手を負った「神戸」という町でフリーコンサートがやりたい!
そんな一人の若者の思いが形になる。

GOING KOBE
http://starclub.jp/goingkobe07/#

彼の名は松原君といいます。
上記サイトのブログを良ければ読んでください。
今 彼は寝食を忘れて全ての段取りに奔走しています。
まだ当日のスケジューリングすら確定していないのです。
この土日は街頭に出てビラ配りをしていたようです。

5月27日、縁あってこのイベントに出演者として参加できる事になりました。是非松原君には会ってみたいと思います。
声をかけてくれたJAMA-BANDのあにきとJAMA-BANDのメンバーには感謝したいと思います。
昨夜はJAMA-BANDのリハ。計3回のリハで本番。
やる以上は一生懸命全力でやりまっせ〜〜

GOING KOBEはメインステージのポートアイランド、ワールド記念ホールに2ステージとストリートに2ステージ。
夙川学院大のアリーナ2ステージとストリート3ステージ。

音だししてるステージの横で次のステージのセッティングが進み、ノンストップで進行するパターン。

もう一つの楽しみがあるのは、僕らが出る夙川学院大ステージのトリが「渋さ知らズオーケストラ」だという事。
JAMAのメンバーはすでに「渋さ」モードに入っています。
JAMAは出番1番なんで、本番後は完全に1観客になっちゃいます。
渋さ、去年の9月だったか羽曳野の音楽祭に来てたんで行こうと思って行けなかった。 ずっとフジロックでのライブ動画とかでしか見れてない。

いやあ、無料だもんね。  すごいなあ。 やるなあ。

タイムテーブルが発表になりました。
http://starclub.jp/goingkobe07/timetable.htm
JAMA-BANDはMAYA STAGEでAM11時40分からです

主催者の松原君自身が案内する当日会場ガイド
http://kobe.tv/indies/goingkobe07_guide.html


2007.4.1
<新学期です>
今日から4月。
昨夜31日はHOMEである和歌山TAKE5でのライブ。
「WAVE」の基本形で。
JAMさん、KAZUBON、TOYOのトリオ+ES355。
シットインはピノ君とオースチン。
音量抑え目、8時に始まって10時には終了、苦情は来なかった。 良かった。
11時に完全撤収。ラーメン屋でのアフターアワーズは2時間に及んだ。
いつものごとくセットリストなし、KEYは現場で決定というスタイルで「What's goin on」からスタートした。
今日はギターバンド然とした編成ではあるけれど、WAVEらしい演奏になったと思います。
ピノ君のギターはエリッククラズノーみたいでかっこよかった。とってもきれいな赤の335DOT持って来ました。
高校生ギタリストオースチンもだんだん良くなっている様に思いました。
次は4月28日TAKE5が決まりました。
あと4月30日OLDTIMEでブルースナイト。
4月15日に吉備町内でJAMさんとDUOかTRIOで。
未定ですが5月4日に片男波の野外音楽堂でやるかも?
a little hotsauceはもう少し練習期間を取ってやって行きます。もうちょっとコーラスワークで練りたいことがあります。

あ、報告です。
ここのところmixiの日記休んでました。
その間にMyspaceのプロフ作りと英文での文通ごっこを楽しんでおりました。
辞書(といってももう活字の辞書は目がついていかないので、googleのオンライン辞書)を引き引き下手な英文を綴るのもなかなか新鮮でよろしかった。
mixiを始めて2年。
自分と自分を取り巻く環境が激変した2年間をmixiの日記が書き留めてくれてる部分はある。
さすがに2年もやってると、mixiのいいところとちょっとなというところも出てきた。
そんなおり、いみじくもyasさんが教えてくれたこの字幕つき動画を見て感じた事。これはmixiのちょっとなという部分そのものなのである。
http://jimaku.in/w/qhZC3kuxouE/Wq__SRukUCx
mixiは日記とコミュとレビューとアルバムなどのコンテンツと、それにつけるコメント、レスで成立している。
その中でも特に日記の比重が高いのだけれど、僕は上の動画でもあった「読み逃げ」なんて別に構わないと思ってるし、
みんな忙しい時はコメントやレスしてるヒマが無いときも多いと思う。
ただ、それが埋もれていくスピードも早く、埋もれたものが掘り返される事はまず無いといっていい。
また、興味を持った誰かの日記であっても、それにコメントをつけておかないと、日が変われば探すのが億劫でそのうち忘れてしまう。
日記に新規ポストやコメントしない限り鮮度保持できない「ムード」ってのは、スローなペースでNETで遊ぼうと思うとき、
逆に「しんどい」部分が出てくるのかなと思う。
ためしに3日間ほどポストしないで放置してみますと、1日のアクセス数はあっという間に5人〜10人に落ちます。
それはそれでなんら問題ないんだけれども、完全放置してるHPのアクセス数はその10倍以上あるんだから、
それをお留守にしてしまうのも失礼な話だな、とも思いまして。
現にHPの記事を見て丁寧かつ熱心なメールを送ってくださる方もいて、そんな方の事も思うと、もう少しHPをメンテしたいのです。
で、過去2年の結構膨大な日記の中からHP用に使えるものを発掘して移植するという作業をやります。
HPの再構成や溜まった写真のUPもやっておきたい。
a little hotsauceのHPも作らなきゃ・・・・
あと、英語の勉強も兼ねて、Myspaceで海外の方との交流も、もちっとやってみるべと思います。
という事で、mixiの日記の新規ポストは大幅に減ると思います。
もちろんログインはしますし皆様の日記に遊びにも行きますので、今までに変わらず遊んでくださいませね。
一応今日からNET生活の新学期スタートだと思っています。
なのでそんなご報告を。


2007.3.21
<YOUTUBEとMYSPACE>

ここんとこ休みの日はYOUTUBEを見たりでスタートする。
先日のライブでご一緒したGODCATさんがシェリルリンのGOT BE REALをカバーしていて、懐かしかった。
1979年 DISCO時代であります。
で、探してるとパティラベルバージョンが。
http://www.youtube.com/watch?v=yW7l6P_ySf8
マライヤは声がちょっと不調でかわいそう。

で、そこからまた深みにズブズブとはまっていくパターン。
リトルリチャード、アルグリーン、メイヴィススティプル、パティラベル(ハモンドはビリープレストン R.I.P)
http://www.youtube.com/watch?v=hu0K6iuFAsk
1985年、アポロシアター50周年。
このときの映像ではこれも。ジョーコッカー+パティ+ビリープレストン。
http://www.youtube.com/watch?v=OsdkGHX9Vqo
いつも書くのだがこのときのパティのかぶりものはジュラシックパークに出てくる恐竜(なんていう名前?)みたいだ。
このクリップのビリープレストンの笑顔がたまらない。 客席にはベリーゴーディの姿も見えますね。
このときの出演者リスト
エル・デバージ/ジョージ・マイケル/スモーキー・ロビンソン/マンハッタンズ/キャディラックス/ドリフターズ
  テンプテーションズ/フォー・トップス/シュープリームス/ザ・ミラクルズ/マービン・ゲイ/メリー・ウェルズ
  マーサ・リーブス/スティービー・ワンダー/サム・ハリス/ロッド・スチュワート/ナイル・ロジャース/ビリー・プレストン
  ジョー・コッカー/パティ・ラベル/デビー・アレン/マリリン・マックー/ジェニファー・ホリディ/テルマ・ヒューストン
  バネッサ・ウィリアムス/ニュー・エディション/ボーイ・ジョージ/ウィルソン・ピケット/チャック・ジャクソン
  リトル・リチャード/グレゴリー・ハインズ/アル・グリーン/メイビス・スティプルス/サラ・ボーン/ビリー・エクスタイン
  ジェームス・ブラウン/ルーサー・バンドロス/サミー・ディビス・Jr/コモドアーズ/ルー・ロウルズ/ダイアナ・ロス
だそうです・・・・・・・・・
多くがあの世へ行ってしまった。

メイヴィスは4月に新譜が出ます。
saoriさんの日記より。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=379890275&owner_id=2156487

で、なんだかんだ言って今日のMVPはこの人だ!
http://www.youtube.com/watch?v=n1-5efZbzfc
火も貸してあげるいい人。踊るスペースさりげなく探したり。
何よりこの腰つき!  がんばれ!負けるなムーサン!
この映像は去年秋のオークランドらしいのだが、オークランドといえば、さっきサンフランシスコの「うるまん」さんとスカイプで話した。
オークランド側でのライブによく行っているらしい。彼のブログにライブレポあります。
http://akirams.blogspot.com/
JEFFもどうしてるんだろうか・・・・ うるまんさんにJEFFのMyspace教えておきました。

Myspaceのアカウントも持ってるけどほとんど稼動せず。
日本版βバージョンもリリースされたことだし、JapaneseとEnglishの共存でやってみようか・・・・
英語のお勉強にもなるしね。
MyspaceはFirefoxというタブブラウザを別に立ち上げて全部そっちで管理と閲覧してます。

papaglowsfunkの情報も来たのでfriendsに加えてもらった。
しかしココはジョングロスが管理人なのだろうか?いや、それは忙しくて無理だろうなあ。
http://profile.myspace.com/index.cfm?fuseaction=user.viewprofile&friendid=43330679
今度出る新譜から一曲TOPに貼ってあります。 今までのCD全部日本盤でリリースらしいです。
少しでも窓口が拡がればいいな。

ビッグチーフモンクおじさん のも発見。
http://profile.myspace.com/index.cfm?fuseaction=user.viewprofile&friendid=130030070

そういや先日スティービーがTVに出てて、思い出したんだけど、
ルーサーのお葬式のときに歌ったはずなんで、動画がないかな?と思って探したらありました。
http://www.youtube.com/watch?v=-dpkGnkvmgI
こちらもあわせてご覧下さい。
http://www.youtube.com/watch?v=jRVBB64PJ8I
http://www.youtube.com/watch?v=hLQu2mYdJ1Q
あまりに素晴らしいシンガーをこの数年の間に次々失ってしまっている事に改めて気づかされますね。
Patti LaBelle & Gerald Levert - Here and Now Live (2005)
http://www.youtube.com/watch?v=zCZx1sipVjs
2005年にルーサーの死を悼んでいたGerald Levertは
去年11月に後を追うように亡くなりました。
ルーサー54歳、ジェラルド40歳。若すぎます。


2007.3.20
<姫路バレルライブレポ>
18日、日曜日は姫路のバレルでの「歌姫まつり」に行って来ました。
集合は11時に和歌山市内でした。阪和道→湾岸線→第2神明→姫路パイパスで約2時間半
途中のSAで「本格ドリップコーヒー自販機」の前で「コーヒールンバ」の調べで踊りながら、あっという間に白鷺城が見えるロイヤルホストで飯を食う我々。
レジのオネエチャン。僕らは怖くないよ。逃げないで。

リハを一番にとの連絡で4時過ぎに店に入るともう10人以上の各バンドのメンバーたちが楽器を入れて大混雑。すごい大人数。
リハスタート。ちょっと音を出すと、音が結構中低音で回る。特にフロアタムとベースの特定の帯域。
最初はベースかと思って音量下げるようにムーサンに言ったのだけど、どうやら違うみたい。
PAのEQでカット云々以前に部屋全体がそこで共振する感じなので、ナカオトをどうやってもあんまり変わらないと判断。
ま、がーんとやりましょう。

姫路名物の老舗シューマイをパンチさんたちに 教えてもらって一緒に食う。うまい。

そしてバレルに戻ると、もう始まっている!7時定刻に始まったようだ。
ご一緒させてもらうGOD CATさんがトップ。お客さんは満員状態。70年代が小中高だった僕にはジャストミートな選曲。
Voのミカさんはなんとアルトサックスを首に掛けて歌う。
良く練習しているバンドというのはちょっと聞くだけでもわかり、安定した演奏で楽しめました。

2バンド目がこの夜の色物、ゲテ物でございます、a little hotsauce 。
笑っていただけましたでしょうか?
危ない僕たちを見て指を指さないように。
この夜はムーサンを本番終了まで飲まさないとどうなるのか?という実験をやったのだけれど、結論は、飲んでも飲まなくても一緒だった(笑)
だったら泥酔でないところまでは飲んでもらったほうが「おもろい」と思うんで、次は飲んでもらおうかな?
今回もムーサンからライブ本番で飛び出す駄洒落ネタには個人的に笑いました。
飲んでるビールが「生えね毛」    またの名を「プロフェッサーナッシングロングヘア」
働く業界「アバレル業界」     エンディングでは怪しげなニセ牧師。
まさに色物路線の王道!  これからも極めてください。
しかしあのマイクにくくりつけたカズーはいつでも吹けるだけにあまりに危険だ。子供におしゃぶりだ。
会場から「そんなにやったら死んでしまうぞ!」と声がかかるのはいい事です。
「吹く上司」を目指してください。

BANDとしては課題山積で、ま、ぼちぼちもうちょっと詰めて行きたいなとは思います。
僕個人のこの夜はどうも集中力に欠けてて、凡ミス連発。
自分のリズムもどうも切れてなかったように感じます。お疲れかなあ・・・・眠いギターでした。
その割りに音ばっかりでかくて。 前のほうのお客さんごめんなさい。
ピッキング一つちゃんとできないようではあきまへん。   練習しま〜す。
会場からはスポックさんオノリオさんkyokoさんの声援(野次?)がこころ強かったです。
YES WE CAN以降ではパンチメンバーをはじめたくさんの乱入を頂いて楽しくできました。 

3バンド目はプロフェッサーロングヘア&ニューオリンズパンチ(フェスは居ません)←ここ迄がバンド名?
いきなり棟梁のMCでスタート。ギタートリオでのインスト。お!かっこええ!
オノリオさんも僕の耳元まで来て「グラちゃんのカウベル、ええやろええやろ! ハァハァ」
と仰ってましたがまさにその通りで、マラカス、タンバリン、カウベル。
どれをとっても自分の体の中にリズムがちゃんと流れてないとこういう楽器はハァハァにならないのです。
今度は和歌山に来てもらいたいなあ。 などと思っています。

こういう多バンド出演で大人数の参加のあるライブ(イベント)は楽しく過ごせる事が多く。
タイバンとかバトルなんて言葉が苦手な僕にはこういう形式のライブがうれしい。
面識のあるパンチメンバーはもちろん、GODCATのメンバーの方もたくさん声をかけてくれて嬉しかったです。
場を与えていただいた姫路バレルのマスター、たくさんおいでいただいたお客さんに感謝です。
できれば、もっと音楽談義に花咲かせたいところでしたが、帰路を急がざるを得ず、22時半には姫路を後にしました。
それでも集合場所で車乗り換えて自宅に着いたのはAM2時前。
7時半には会社に着いて仕事スタートしましたから、朦朧とした一日で今週が始まりました。さあ、後半もガンバロー。 
とりあえず今日はDREAMGIRLS(3回目)に行こうと思います。和歌山では23日で終わってしまうのです。


2007.3.11
映画「DREAM GIRLS」に熱を帯びている日々であります。
昨夜はレイトショーに行きました。2回目。
素晴らしい!
でももう一本、忘れてはならない映画がある。
「不都合な真実」である。この映画の事を他人事だと思っていないだろうか?
http://www.futsugou.jp/
残念ながら我が和歌山では一館たりとも上映されていない。   しかし、本当はこの町で上映すべきなのだ。
(その後の情報で、4月下旬からGWの間、上映が決まったようです。やれやれ)

これをご覧下さい。
http://flood.firetree.net/?ll=34.2341,135.1657&z=4&m=5
これは現在よりたった5M海面水位が上がったときに水没するエリアである。
では、5Mの護岸を全ての海岸線、河川、水路に施し、それに見合うポンプ設備を設置することは可能だろうか?否である。
という事は、このエリアは将来水没の折には見捨てられ、標高の高い地域に移転するという事になる。
和歌山では、来るべき大型地震とその後数時間後に複数やってくる津波に対するシュミレーションを行っている。
しかし将来「確実に」やってくる海水面上昇についてはどのように考えているのだろうか?
俺達私達の力ではどうしようもないもんなあ・・・・と全員が思うとき、それは将来確実に現実のものとなる。

2年前NEWORLEANSが災害にあったとき、これは他人事ではない、と本気で思ったものだ。
和歌山の市街地の多くが海水面と±0レベルもしくはそれ以下、という状況は堤防に守られて海水面に対して−レベルの土地を
多く抱えていたNEWORLEANSと状況は変わらない。海面を数メートル上げるだけで水没するのだ。
しかし、意外にこの町の人はこの事に対して無頓着なように感じる。
自分達だけは大丈夫だと思っているのかもしれない。


2007.2.27
<おめでとう ジェニファーハドソン>
http://www.eonet.ne.jp/~es355/jennifer.htm

あれこれ書かずにリンクだけします。
そのほうがいいでしょう。

クリップ
And I Am Telling You - Jennifer Hudson
http://www.youtube.com/watch?v=sMsYg_tACZQ

受賞式
Jennifer Hudson on the Oscars Feb 2007
http://www.youtube.com/watch?v=nbJnhA0X1sg

もちろんジェニファーホリデーを忘れるわけにはいきません。
ジェニファーハドソンが生まれたときにはジェニファーホリデーはこの歌をこうして歌っていたわけである。
ジェニファーハドソンにとってはとてつもないプレッシャーだっだだろう。しかしそれをはねのけて、ご覧の通り。素晴らしい!
And I am telling you I'm not going J. Holliday & J. Hudson
http://www.youtube.com/watch?v=mGw2tQLGjaw

Jennifer Hudson - I Am Changing @ David Letterman (01/08)   ベースはもちろんWill Lee ベースラインも聞き物です。http://www.youtube.com/watch?v=qSyTZtZ3JX4


2007.2.26

<和歌山BLUES NIGHT レポ>

今日は16〜18時で a little hotsauceの練習でした。
とはいえ欠席2名で3人(g、ds、cho)の練習だったので、
全体ではできない細かいところの調整、それとcho用のカラオケを録った。
移動中FM802からボズスキャッグスのJOJOが流れる。
思わずVolを上げる。リクエストしたのは高槻の20歳らしい。
そのままOLDTIMEに向かい、アンプをセットして某大病院へ。
今夜から闘病生活に入る義理の父の再入院に立ち会う。
この病院の最上階は素晴らしい展望のスカイラウンジみたいな食堂で、義理の母、妻と三人で晩飯。複雑な気持ちである。
結婚前後の事をぼーっと思い出したりもしていた。もう15年。
双方の親も年を取るはずだ。
で、OLDTIMEに舞い戻るともう1バンド目のhowlin'araki氏の
バンドがスタートしていた。
相変わらずゆったりとしたムードで、笑いも交えつつ、しかも
ちょっとしたミスですら笑いに持っていくその余裕は見習うべきものがある。音量は抑えて、だからこそ聞き取れるニュアンスがあって、ゆったりと楽しめました。
昨年暮れからテナーサックスが入っていて、大きな取り方で朗々と歌う感じのテナーは非常に好感が持てた。
これからも小手先に走らず、ホンカー道まっしぐらでイって欲しいものだ。今後が楽しみです。
2バンド目はチヒロクインテット。
もう知り合って何年になるのだろう。
彼の印象は最初から変わらない。小柄で優しい男だ。
しかしギター持って歌い出したら彼は変わる。
その剃刀のようにエッジの効いたテレキャスの音が僕は好きだ。そしてフロントマンとしての存在感、仕切り。
今回は長岡君のギターもすごく良くなっていたなあ。
でチヒロいわく「今日は大阪から刺客を連れてきました」
それが久米ハルキ君、24歳。
指弾きオンリーのストラト弾き。
うわははは! こんな奴おるンや!  すごい!
完全にイってしまうギター弾きを久々に見ました。
ムンクの叫びみたいになりながら地団駄踏みながら弾き切る様子はバデーがイってしまってるときっていうか、亀田が3RでKO狙ってラッシュしてるときみたいでもある。
いやあ ええもん見ました。 
今回は来てない和歌山の皆さん、見逃しましたな。
え?3バンド目のWAVEの演奏? 
それはまあええとしてこれまた久米君が後半ギターで入ったら
もうJAMさんも降ろしてくれません。
ブレイクやキメのたくさんある曲でドギマギしながらも目をキラキラさせて嬉しそうに弾いている姿をステージ上、至近距離で見ているこちらが嬉しくなりました。
終了後握手した彼の手の女の子のように細くて柔らかかったこと!
昨日は、若いギター弾きに対して愚痴っぽい日記を書いたところだったのだけれど、それが完全に吹き飛んだ。
こんな出会いもあるのだ。これはチヒロと初めてタイバンになった時も感じた事で、こういう出会いのためにBLUESNIGHTに参加しているともいえる。

ホントいい日でした。 


2007.2.20
<虚言癖>
虚言癖のある人っています。
まあそこまでいかなくても多少の嘘はつきものって部分はある。
内容、程度はいろいろですが、だいたいこんな感じですか?
@都合の悪いときに自分に降りかかる責任を回避するため
A自分を大きく見せるため
Bあえて事実を本人に伝えないほうがいいと判断したとき
C誰かを陥れようとするため、未確認の偽情報を第三者に流す。
Dもうめちゃくちゃ。何が嘘で何がホントか自分でもわかっていない。やや病的。

上の三つは程度の差こそあれ誰にでも経験があるのではないですか?
僕ですか?  ありますよそりゃ(笑)人間ですから。

ただね。下の二つはやっぱり問題。
D番は関わった人が災難というか、もう逃げるに限るのだけれど、
会社や学校など、ある程度の人数が所属する場所で上のCの人がいると混乱します。
あらぬ疑いやしなくていい争いが勃発します。
その発信源に対して免疫ができてる人なら「ま〜た言ってるよ。この人。しょーがねえなあ」で
眉に唾付けて話半分で聞く癖ができていますが、免疫の無い人は大変。
真に受けて気に病んで義憤に駆られ・・・・・・・
その結果が発信源と一緒になってさらに偽情報の伝播口コミに奔走する結果となります。
「おかしいなあ。まさかあ。あはは」というような話がもしも人づてに伝わってきたら、
まあ間違いなくC番さんがどこかにいます。
対処法は一つだけ。
雑音が聞こえるたびに「それ、違います。事実ではありません」とはっきり言い切って後は涼しい顔を通す事。
どうしても腹の中は煮えくり返りますし、突き止めてどないかしてやろうか、などと思いますが、意味のない事。
それが真実ではない証明は自分の仕事ではないし、その情報に振り回されてる周りがする事です。
「違う。NO」とはっきり大きく言い切る。それ以外は何もしなくてよろしい。後は時間の経過を待つのみ。


2007.2.16
(これは事情あって詳しく書けない状況に追い込まれた友人に宛てたものです。
ボカシて一般的に通じるように書いてますので自分のことかと勘違いなさらないで下さい)

<囚われの君へ贈る檄文>
(仲間である君へ、君が君であるために。)

今、君はどうしてこんな状況に自分が置かれているのか、もうわからなくなっていることだろう。
君は精神的にも肉体的にも囚われて逃れられないような気持ちになっているのではないか?

心配するな。 大丈夫だ。
今すぐ避難しろ。逃げろ。逃げていいんだ。今いる環境からまず離れる事だ。
その人間関係の中にいる限り、状況は好転しない。
精神的にも肉体的にも傷付き続けるだけだ。
誰かがそこへ手を差し伸べて救い出してくれる事も無い。

自分でゆっくり席を立ち、自分の足で去ることだ。
こればかりは誰の助けももらえない。
自分の意思で、自分の決意で、勇気を持って相手に対峙し、絶対にひるむな。

自分が消えても代わりはすぐ現れるだろう。世の中はそのようにできている。
逆切れ、仕返し、陰口、噂におびえるな。
そんなものはいつかは収まるようにできている。
それの届かないところへ行けばいい。自分にはもう関係の無い事だろう?

君の献身的な行いは残念ながら相手にとってはすでに当たり前の事であり、
感謝もへったくれも感じてはいない。
君の一生懸命な行いが、逆に詰られる材料になっているのだろう?
もう、離れたほうがいい。今すぐに。


2006.12.26
<JB。もう朝だよ。>
寝てしまっていた。
JBの訃報を知ったのが昨夜10時半、仕事中のこと。
車の運転席で携帯の画面をぼーっと見てた。
SAD X'MASやな・・・・・
帰ってきたのは11時半ごろかな・・・・
何か書いておかねばと思ったけど、気がついたら朝だった。
皆さんがしっかりと書かれているので、詳しくは書く事はやめます。
JB。あなたの音楽に、そしてあなたの音楽に影響を受けた多くの音楽に僕もまた大きな影響を受けています。
これは僕の中から決して消えることはないです。
ありがとう。ゆっくりと心安らかに休んでください。
こころよりご冥福をお祈りします。

http://www.funky-stuff.com/jamesbrown/
彼の最後の言葉は"I'm going away tonight."
だったそうです・・・・・・
JB。もう朝だよ。
ステージの上みたいにムクムクッと起き上がってまた歌いだすんでしょ?


2006.12.23
<イブイブ雑感>
なんとこの土日は連休である。いいんだろうか?
24日にまたまた街頭ライブ、これまたPA兼出演。 これは本当はちょっとあまり好きではないのです。
慌しくて、なんか中途半端で・・・・・ あまり出演のほかの方ともゆっくり話せない事多く。
でも乗りかかった舟は一生懸命漕がなきゃ! 沈む!
で、またまた前日積み込み。
で、午後からムーサンと隣町打田町で待ち合わせして。 コンビニの駐車場でカーS○Xならぬカー練習。
車内で練習と打ち合わせを。ムーサンは実は山一個隔てた隣町に住んでいるのです。
4時ごろ早々に解散し、ムーサンはケンタッキーの鳥やケーキを受け取りに帰っていきました。
僕は家に帰って、車乗り換えして娘の友人を迎えに。
このコは2歳の頃からうちのコの同級で(保育所2歳組) もう12年の付き合いで、ずっと成長を見守ってます。
身長166もあるって!げ!あんなに小さかったのに。
後部座席でしゃべってる二人の会話をさりげなく聞くのも、親としては貴重な情報収集の時間である。
まだ中2ではあるけれど、すでに社交的に付き合わざるを得ない女友達がいてて、実は結構嫌っているなんて話を聞くと
なるほどねえ・・・・・などと思う。ま、いろいろあるわな。
向かうはりんくうAEON。 もうここばっか・・・・・
フードコートや通路、本屋のベンチに座って人間チェックをするのが僕は結構好きだったりする。
いろんな家族やいろんなカップルの、その時々の瞬間が切り取られているような感じがして。

雑貨類を買ったり飯食ったりプリクラ行ったりとまあ適当に。で、やっぱりタワレコに。
X'masプレゼントはCD何でも買ってやると約束している以上、ここは逃げれないのだ。
出ました!浪速の倖田はん・・・・・・なんで5000円もすんねん・・・2CD+DVD? 儲かりまんなあ・・・・・
全国でこんな感じで今同時に何枚ぐらい売れてるんだろうか?
などと想像する。で、このCDを握り締めているわが娘。とほほ。


しかし! おかげでタワーのポイントが満点になりました。
時価3150円分。  どうしよう・・・・・・ えい!買っちゃえ!
夏以来、あまりに高すぎて買えないまま今まで来てたオーティスラッシュのモントルーLIVE1986のDVD。

4000円以上のDVDは辛いのです。よし!差額2000までなら。さっきまで見ていましたが、やや微妙。
やっぱりギタリストが4人も上がるステージはチューニングの問題が大きく、ただでさえ普段からチューニングに不安の多い
ラッシュ様であるので、そこが心配だったのですが。
冒頭一曲目にいきなり調弦が狂ってそのまま行ってしまいました。
もひとりのギターの人の調弦も微妙なのでなおさら音程のバラバラ感が増幅されちゃってます。
オーティスのアンプのVolも上がってなくて、ステージに走っていってツマミを上げに行きたい衝動に駆られました。
それでも降りてくる瞬間が何回もあって、それはそれでヨシとせねばならないのかな。
どうしても同年1986年の九段会館でのライブ盤でのうなりをあげるギター、ほとばしる歌と比べてしまうのはしょうがないとしても・・・・
在りし日のルーサーアリソンの姿も見れます。顔で弾き顔で歌うその姿は先日の砂川さんとイメージがダブりました。
クラプトンは・・・・・まあいつものミッドブースターって感じ。(わかる人にはわかるこの表現・・・・)
クラプトン目当てで買った人は「オーティスラッシュってギターも歌い方もクラプトンに似てるなあ・・・」なんて言ったりして・・・・冗談です。


2006.11.26
<dancing with the stars>
さっきCNNでやってて・・・・
ラリーキングのおっちゃんが踊ってました。
俺はフロリダに20年住んでたんだ、ダンスは得意だ って。

米ABCの人気番組dancing with the starsの決勝があって
ハリウッド俳優のマリオロペスと元NFLのスター、エミットスミスの対戦。
結果はエミットスミスの優勝。
日本でいう芸能人ダンス選手権のみたいな番組で、
3シーズン目が終わったところ。
この番組のいいのは「完全生中継」ということ。
一切の編集無し、真剣勝負である。
審査員も非常に手厳しい。
それでいて素晴らしいエンターテイメントになっている。
しかしマリオ君、やっぱさすがラテンの血だなあ・・・・
かっこいいわ。
これ見てしまうと日本の番組はちとつらいな。
詳しくは動画をどうぞ。
http://abc.go.com/primetime/dancing/


2006.11.24
<和歌山旧ビブレ前街頭ライブ>
ロックだジャズだラテンだブルーズだとジャンルをお題目に入れないと
イベントは出来ないものでしょうか?
僕はそういう「枠」を感じるのがすごく窮屈です。(イキじゃないですよワクですよ。)
海外にはNEWORLEANS「ジャズ」 とかモントルー「ジャズ」とかありますが、
これは単に記号としてそう入っているだけで、内容は多様にわたり、ジャンル分けなど出来ません。
東京や大阪のような大都市で、特定分野で演奏者もリスナーも人数がたくさんいるならば
成立しますが、今私が住む和歌山のような町ではどうなんでしょう?
もっと幅広く「洋楽」を紹介したい。FMのオンエアや本屋といっしょになったロードサイドのCDショップでは
ちょっと知ることの出来ない音楽で楽しいのが色々あるよ、という気持ちで野外街頭で音楽イベントをやります。
ふらりと買い物に来た親子連れ、カップル、中学生や高校生、年配の方。
もし少しでも足を止めてくれて音を楽しんでくれたらうれしい。

主催は僕、ES355です。(協賛は和歌山ぶらくり丁商店街の予定)
JC−120とベーアン、ドラムだけ楽器店TAKEOFFの協賛。
PA機材一式全てES355の持込で金銭の授受も一切なし。その代わり勝手に企画組ませてもらいます(笑)

 詳細が近日決まりますので、またどこかに新ページ作ります。

ゆるゆると音が出て、のんびりと聞けるようにしたいと思います。防寒対策だけして、よろしければお出かけください。
当然無料ですよ。椅子ありません。歩道ですから。新聞紙か折りたたみ椅子ご持参で。

ちなみにこの日は東京山手教会にて第2回ニューオリンズチャリティコンサートが開催されます。
マイミクでもあるmariさん(渡辺真理さん)もピアノで出演です。関東の方はぜひこちらへ!
http://mixi.jp/view_event.pl?id=12593544&comm_id=49518


2006.11.12
<クラプトン大阪12日レポ>
19時過ぎ、もう終わりました。  はや!
21時には和歌山自宅帰着。 はや!
子供同行の身にはありがたいコンサートでした。

スタート五時終了七時過ぎという、子供会の映画会みたいな時間でした。
約30年振りにクラプトンのコンサートに行った訳だが、結論的に言ってしまえば、当時ビンビン感じたロックコンサート特有の熱気は
もはや客席側には存在しなかったように感じた。
それに対してステージの上のメンバーとそこから出てくる音の方が圧倒的に熱い。その思いを強く感じましたね。
その落差がけっこう気になってしまった。
客席に対して、「中途半端に年とってるんじゃねえぞ!」と言ってやりたい気分です。あ、俺もか。

あまりそこばかり掘り下げるとまるでネガティブな印象の文章になるので、素晴らしかったステージ上のレポにいきましょう。
ステージ上の立ち位置はヨーロッパツアーと同じ。
デレクはステージに向かってドラム左側にスーパーリバーブを縦に二段積み。鳴ってるのは上の一台だけかな?
しかし彼の位置からは真正面にウィーリーウィークス、右目にはクラプトン、左目にはスティーブジョーダンが至近距離で見えるわけで。
彼も喜んで参加してるのが理解できる光景だ。
この位置はオールマンでもDTBでも同じ。彼にとっての定位置。
このツアーで彼の存在感はとても大きい。
それは彼の名前を全く知らずにこのコンサートを見た人でもそう感じたのではないかと思う。
続いてドイル。
一番出音がデカく、一番刺激的な音をだしてたのが実は彼。スローOLD LOVEで弾くアルバートキングマナーのオブリが良かった。
リズム隊。
チケット代に見合った素晴らしいPAの力でもアリーナ後方にはハイハットワークやライド、クラッシュのシンバルの音が飛びにくかったみたい。
スネアもスティーブジョーダン!てな音では拾えてなかったです。大阪城は結構難しい会場だと思う。
てかギターの音がバランス的にデカすぎるんじゃ?とも思う。まあ僕はいいんだけど。ドラム目当ての方にはごめんなさい。
対してベースはもうブリブリ。これは満足でした。前半ベースにソロが回った時はゾクゾクッと来ましたよ。ウィーリー。
KEYは2人ともDEEPなフィーリングを出していて良かったです。でも楽器隊にソロが回るとトイレに立つ人、結構多いね。
CHOは女性2枚、パーフェクトなコーラスワークでした。

TELL THE TRUTH やった。 5〜6曲目ぐらいやったかな。
いきなりDEREKのソロ炸裂で持っていってました。
で、スローブルースでの例の通称「デレクコーナー」
こんな感じの↓
http://www.youtube.com/watch?v=TbqYZK-5Q-I
すでにこの部分があることを知ってる心得たデレクファンが
会場の中に50人〜100人くらい?いて。(僕も含む)
盛んに声援を送ってましたね。でもYOUTUBEで見る海外に比べると声援がかなり少ない。
これじゃ本人、「俺よっぽど日本で人気ないのか?」と勘違いしてると思う。
14日15日の大阪の皆さん。東京その他の皆さん。
デレクコーナーをよろしくね。


2006.11.6
<OLDTIME BLUES WOMEN NIGHT>

昨夜11月5日は和歌山OLDTIMEでのBLUES NIGHT Vol.9
おかげさまでWAVEはこの企画の初回からほぼ全てに出演させていただいている。
そこにいつも混ぜてもらえる僕はホントに幸せもんだ。
だって、ホントはお客さん目線で客席でずっと見ていたいんだもん。いつもそう思う。
昨夜はまさにOLDTIME BLUES WOMEN NIGHTとも言うべき企画になった。
兵庫から bottlebattles のkyokoさん んで和歌山のshokoはん。
客席を見ると、郁ちゃんはいるわ、人生いろいろでHOMEに戻った宝子ちゃんはいるわ・・・・
みんなそれぞれ溜め込んだ女性ならではのBLUESを吐き出すがごとくの夜となった。ありゃまあ・・・・(笑)

スタートは店長松本氏+メラ氏のDUO。
やっぱ店長の歌とギターはええわ。 好き。
圧倒するような部分がなく、とつとつと歌う語り口の世界にすっと入っていってしまう。
店長のマーチンD-18はいつもながらにいい音でした。ああいうタッチでさらっとギターをよう弾かん僕にはあこがれ。
メラさんのストラトも渋めのバッキングで達者な一面を見せる。 JCでクリーンでやってると思ってて、音が伸びるなあと思ったら
足元にMAXONが。  いい音でした。

2番 大御所 Hoboヌキナさん。
まあ、独壇場ですわ。 オンリーワンワン。  最近はデルタからイカダで漕ぎ出してカリブ海を抜けてスエズ運河を越えて
太平洋を漂流中の様子。
実は打田トキオと競演したりしてて、息子がNYコロンビア大の学生で、ステファングロスマン人脈のギターを現地で習ってるなんて
話を聞くと、改めてすごいなあ・・・・と思う。
「ハイどうも!」 これで会場を爆笑させたり、独特のMCで笑い(失笑?)を取ったりしてるけど、
じっくり聞けば聞くほどそのギターと歌は味わい深い。 ぜひこの人のHOMEであるHobo's barにも足をお運びください。
Deepな世界がさらに広がっておりますよ。

3番(というか事実上のトリ)  BottleBattles
kyokoさん+KAZZことアケタさんのDUO。
mixiではもう1年以上のお付き合いだが初対面。うーん はじめて会った気がしない。
看板女優ことkyokoさん。ひさびさに「しっとーみとーきいとーやっとー」の播但弁が聞けた。
実は僕の実の妹は嫁いで姫路飾磨に住んどー。
kyokoさん。 キャラの強烈さは過去最高。 歌もええけどMCもさいこう。
「走り回ったら乳がブラからはみだすねん」「女のBLUESは更年期迎えてからヤ」
「仲悪いんや 私ら」
KAZZさん ドブロ弾き  僕と同い年。
10月にはワシントンに行って合衆国表彰の席で演奏!(主役はハワイアン大酋長さん)
送迎バスの後ろの席にメイビスステイプルが座っていたああああ?? 浦山氏!
kyokoさんにいたぶられながらも、終始冷静に演奏をする姿。 すばらしい。
時々は「なんでやねん!」と突っ込みを入れるあたりがさすが関西芸人の血。

番外 WAVE+SHOKO+僕+Dr.るふぉ  シットインでハープすっとこくん、ヌキナさん、kyokoさんKAZZさん
今回はSHOKOフューチャー。  でも何の曲やるかステージ上まで知らなかった。 KEYちゃんと決まってた?
なんか 打ち合わせらしきものやってたみたいだけど僕はステージ上から目が離せなかった。
そんな状態の男にいきなり1曲目のイントロ弾かすなよSHOKOはん。 1フレズレてスタートしたやん。
ステージ上がってマイク持ったら人格変わる女性をこうも連続で見るのは危険度が高いのかも知れぬ(笑)
こっちの人格も崩壊しそうになるわ(笑)
2人とも更年期だと言ってるのだけど、歌にはどう反映するんだろうか・・・・・・

いつものごとく乱入者多数。 
ふと見るとKAZZさんがジョニーウインターみたいなギターでアルバートキングみたいになってた(わかりにくいですか?)
大団円終了時には11時を過ぎておりました。
ありがたや ありがたや。  今回も参加させてもらえて。  
kyokoさんKAZZさんまた来てください。 次回は花山温泉と晩飯付き合います。 


2006.10.12
<中之島NEWORLEANS祭り>
10月8,9日行ってきました。
8の夜は四ツ橋BEATLESでのお楽しみ宴会パーティ。

シリルとそのバンドメンバー、Big Chief Monk Boudreax、ヒロナリさんまものさん、nakomiさん。
マッカチン、アッコさん、自由人kanakoさん、grasgrasさん棟梁さんシバハラさん、morishimaさん。今沢さん。
文屋さん、陶守さん。グッゴー三浦さん。ジロキチのしょーちゃん。あさこちゃん。afromaniagreenさん。
かくさん、yasさん、かよちんさん、JAMさん、toyoさん、るふぉさん。ヨシさんと新妻さん。大阪のしょうちゃん。
オノリオさんスポックさんhiroさんhiroさんの奥様。ムーサンツルピカーノさん。ボトルネックえがしらさん。
ヨシタケさんはじめザディコキックスのメンバー、マネースパイダー、ミステルズのメンバーのみなさん。
井山さん、仲さん。現場で会えなかったけど、mint jamさん、ペーニャ大作さん。

もし、漏れてたらごめんなさい。
おかげさまで、2日間、楽しく過ごせました。足腰に若干疲れが来てますが、心地よい疲れです。
まさに音楽漬けの2日間。よい時間でした。
これも参加していたすべての人の気持ちのおかげではないかと思います。

10月10日が誕生日のシリルネヴィルさん、おめでとう。
そして12日が誕生日のヒロナリさんと私、おめでとう。
毎年この日あたりはキンモクセイの香りがします。

レポです。
まず8日日曜。(イベント2日目)
起きたら昼だった。1週間の疲れがどっと出たのか・・・
起き抜けに吉本新喜劇を見る。島田珠代がイキ切っていて、
結構おもろい。僕、結構岩尾君好きやけどなあ・・・

あ、そんなこと言ってる場合じゃない!中之島に行かねば!
ということであわてて家を出る。電車に乗ったら3時前だった。
あわてていたのでシリルにサインをもらおうと目論んでいた単行本「魂の宿る街ニューオリンズから−ネヴィルブラザース自伝」
忘れてきたことに気がついた。 がく・・・


現地に淀屋橋から地上に上がると、御堂筋パレードのフィナーレのころだった。そうなんや。
10年以上前、御堂筋パレードにマグノリアスが出たこともあったな。
中之島に下りると、スーザホンやトロンボーンを持った吹奏楽系の人たちがいっぱい。日本のはちょっと違うけどルーツは一緒だからね。

ずんずん奥へ入っていくと、うわ!何だこりゃの世界が展開される。 
在阪大御所企業の宣伝ブース、関西系TV∞CH、などおよそNOと関係ないブースが続くのだ。
うーん。スポンサーだからね・・・・・無料だしなあ。
僕らが夢見るフリーコンサート。 ドカーンと金を出してくれて、看板以外一切宣伝なし、口も出さないスポンサー。無理か・・・・
チャリティのマルディグラビーズは買うつもりだったのでペッピンさんのブロンドお姉さんから買った(関西弁バリバリだけど)
うわあ、いてるわあ。マッカチン、晶子さんたち。
思えばハリケーン前のNO、GALACTICを見にTIPITINA'S
に行ったときに、この二人には出会ったのだ。
再会話に花が咲いている間に、シリルたちの出番が迫ってきた。
ヒロナリさんに聞くと現地での詰めたリハは特になかった模様。
ということはNOスタンダード、ネヴィルスタンダードナンバーの比率高いと言う事。
Cyril Neville and TRIBE 13の本番スタート!
あれ?音が小さいよ・・・ベースはアンプ生音だ。キックも
聞こえてこない。PAのLOW用のアンプ飛んだんか?
実は何でも後で聞くには、前日初日、音について近隣の億ションの住人からクレームがつき、
そのマンションが市が分譲したマンションで、高層階には発言力のつよ〜いどなたかが住んでるらしく、
2日目でさらに問題が悪化すれば、下手すれば最終日がパーになるような状態。
PAスタッフはどうしようもなかったらしい。でも小さくても抜ける音は出せるはずだ。
せめてギターソロのときに突くぐらいはできると思うんですが。
まあ、そんな悪条件にもかかわらずメンバーの思いはひしひしと伝わり、どんどんヒートアップしていく。
シリル! 若い!体もスリムだし動きも軽い。
歌もバッチリ。
SAXのTim Greenもフリーキーなトーンを織り交ぜながらさすがのブロウ。ヒロナリさんのギターぐるぐる奏法も見れた。
お、スーパーリバーブ銀パネだ。レンタルでこんなアンプあるんですね。充分盛り上がった状態で更なる山場が。
ビックチーフMonk Boudreauxの登場。白系のマルディグラインディアン衣装が存在感をさらに大きくする。
僕らの周りはちょっとした騒乱状態になった。
僕も興奮して舞い上がって1メートルぐらい浮いたような気がした。いやあ、エネルギッシュだわ。
楽屋とか裏舞台で遠目に拝見してるときは「人のいいおじいちゃん」って感じだけど、衣装着てタンバリン持ったらもう変身!やな。まさに。
この同じリズムとフレーズの繰り返しには一度入り込んだらもう抜けれませんよ的な魔力がある。それゆえ虜になってしまう人は後を絶たず。
逆に苦手な人は逃げてしまう(笑)
いやあこの世界が大阪でしかも無料で(ここを強調)見れてしまうことに素直に感謝。
遠くNEWORLEANSから、そして日本中から集まった人たち、普通の大阪市民がこうして一緒に音楽にどっぷりと浸かっている。
それだけですばらしいじゃないかと思う。
NEWORLEANSMUSICは決して音楽マニアだけのものじゃない。
現地JAZZFESTへ行けば普通に老いも若きも思い思いに音楽を楽しんでいる。まさに街の音楽だ。

主催、スタッフの苦労も多かったろうと思う。頭の固い役所、
諸団体、企業。その取りまとめ。警備、衛生、出店、近隣対策。
ダメ出しするのは簡単だし、確かにイベント全体を見て注文をつければいろいろある。
でも今回このイベントをやったということに意味があるのだ。今回が第一回目、次も必ずある。と期待したい。
では四ツ橋BEATLESへタクシーに乗って移動します。
北浜の証券取引所の前から2重連でTAXIスタート。目指すは四ツ橋BEATLES。
TAXIには計8人、僕、マッカチン、AKKOちゃん、morishimaさん
泥酔中のジロキチしょうちゃん、文屋さん、自由人kanakoさんシバハラさん、この8人でしたでしょうか?覚えてません。
何しろ、事前に参加を幹事のgrasgrasさんに言ってあるのはこのうち半分だけなのだ。入れるのかな?いけるやろう・・・
これやったらyasさんかよちんさんも来てもらったらよかったなあ。
しかしいつも感心するのは、ニューオリンズパンチのgrasgrasさん棟梁さんが決まって幹事を引き受けてくれてる事。
受付時点でみんなかなり酔ってるし、大変だったろうと思う。ありがとう。
この夜は昨年の今頃大阪のRAINDOGで開かれたGUMBOFEST
http://gumbofest.fc2web.com/
http://www.eonet.ne.jp/~es355/gumbofest.htm
これに参加したメンバーがまた集まるという趣旨でキャパが50弱と小さいため、声を多くにかけるという事が難しかったようで、
知らなかった!とお怒りの皆様、ごめんなさい。特にまものさんごめんね。
ざっと集まったメンバーは、
ニューオリンズパンチ、ザディコキックス、ミステルズ、マネースパイダー、ムーサン、スポックさん、オノリオさん、
hiroさんと奥さん、ヨシさんと奥さん、がる〜さん、陶守さん今澤さん、マッカチン、AKKOさん、kanakoさん、
morishimaさん文屋さん、ん〜〜〜〜覚えてない!教えてください。
楽器でいきましょう。
ギターはなぜか棟梁と僕のギターが2人ともシンラインのテレキャ。ベースはなぜかミュージックマンのスティングレイ。
オノリオさんのアコーディオン。スポックさんのバホ・キント(10弦バリトンギター)、フィドル、がる〜さんの6弦BANJO、
スポックさんのどこでもギロ。僕のどこでもシェーカー。店常備のキーボード。ブルースハープ。
もう、誰がどんな組み合わせで何をやったか覚えてないし、やたら楽しかったのだけは覚えてる。
ヨシさんが写真送ってくれたので、これを見る限り、なんだかいろいろやっていたようです。
最後の〆は文屋さんがジュニアウェルズを歌うということで、今ザーさんも入ってブルーズセットになった。
曲が始まってしばらくすると後ろからヒロナリさんとぼんちのおさむちゃんが入店。当然演奏に乱入。
もうムーサンのりのり(笑)曲の終わりでムーサンがいきなり「カレドニア」の決めをふって、
ブレイクの難しいこの曲で空中分解しそうになりながらも演奏はすべて終了と相成った。
店は12時半で閉めたいようだがみんな話し足らないようで
これが帰らないんですわ。ビートルズのマスターごめんなさい。なんせ日本中から集まってるもんで・・・
僕らは1時半回って出たのですが、ラストはどうなったのか知りません。この夜は泊まるところがなく、
結局昔大阪で仕事してたころよく泊まった鰻谷のカプセルにイン!おやすみ〜

この期間に初めて会った方の中に「しょうちゃん」という方が
2名います。 
一人は高円寺ジロキチのしょうちゃん、もう一人は大阪のしょうちゃん。
一度このブログをご覧ください。大阪のしょうちゃんのブログです。
世間には、うだうだとどうでもいいような身の回りのことを書き連ねる、
日記というにもお粗末なブログが氾濫する中、きちんとテーマを絞り込んで素晴らしいNEWORLEANSの紹介ブログになっています。
まずこのことを知ってほしい、というしょうちゃんのメッセージのページからどうぞ。
http://blogs.yahoo.co.jp/shooocyan/folder/1310045.html
このブログには中之島の写真の素晴らしいのがいっぱいUPされているので、雰囲気はそちらで楽しんでください。
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10月9日の朝だ!うわあ、眠い。寝たのが4時ごろだったか。朝風呂だ! カプセルはこれがいいのだ。
見晴らしのいい最上階の大浴場で朝日を浴びながら広い湯船に
浸かる。 あ〜いい気持ち。
チェックアウトしようとEVに乗ったら、今ザーさんが乗っていた。びっくり。
最寄の長堀から北浜まで約10分。電車の中で吊看板に思わず笑う。 
某議員さんとの不倫騒動で騒がれているモナちゃんの記事のキャッチ。
「甘かったかモナ」
オヤジギャグ全開。 やるなAERA。

さて連日で勝手は知ってるから11時のザディコキックスの
スタートまではのんびりしよう。
http://zydeco.jp/
持っていってたギターとかはキックスの楽屋テントに置かしてもらった。
AKKOちゃんが缶チューハイをくれたので早速1杯。
周りの女性たちが餅まきならぬビーズまき要員にスカウトされていく。この11時スタートというのはNOのJAZZFESTも一緒。
起き抜けの目覚まし代わりでがんばれ!キックス。
客席のパイプいすは何が始まるのかと興味シンシンの一般客。
平均年齢がミョーに高い。ご長寿早押しクイズのロケみたいだ。
いす席横で立ち見で踊りながら騒いでる僕らをじっと見てる
いす席の人がいたりして、なんだか変な感じ。
何曲か進行するうちに客席も「この音楽は理屈ぬきで楽しいなあ」と思って貰えたみたい。
手拍子する人や、リズムを取り出す人が続出する。ステージ上ではBOW!WOW!とかメェ〜〜〜〜
とか阿鼻叫喚状態だ。呼応して僕らも叫ぶ。BOW!BOW!
終了後はキックステントでラブボード6号に変身のgrasgrasちゃんが特訓中。3時からのサブステージでデビューだそうだ。
事の顛末はここ。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=240113502&owner_id=862938
さてステージではオルカバンドの登場。
ニューオリンズスタイルの転がるピアノは井山さん
http://homepage2.nifty.com/iyama/
ドラム島田和夫さん
http://www.orcaland.gr.jp/~morris/shimada/index.html
ベース 山本マーさん
ギター 仲さん
最高! 中国4000年の秘技も堪能した。
でも後で聞くと井山さんにスタッフから巻きが入っていたらしい。もっと聞きたかったなあ・・・・
ここから、みんなでサブステージに移動。
ここで3時からキックスの2回目のステージ。
結構リラックスムードで楽しい。お客さんとの距離感も限りなく0に近い。
ラブボード6号の衝撃のデビュー、テロリストならぬギロリスト、スポック氏の乱入など絵的にもインパクトが強く、笑いと
手拍子で会場がつつまれた。
ふと後ろを見ると、さっきまでピアノを弾き倒していた井山さんがマルディグラビーズを売って歩いている。
こういう雰囲気がいいなあ。 井山さんの笑顔。
さてとメインステージに戻ろう。
もう寺井尚子さんのviolinの音が聞こえている。
やっぱり音は小さめだなあ。しかし何だこの人出は!
ステージ周辺は人だかりである。ここはアキュラステージですか?
ヒロナリさんが日本酒をガンガンイキながらソーセージの売り子に徹している。なかなか商売上手です(笑)
渡辺香津美のソロギターがスタート!このとき僕はシリルにサインもらったりまものさんに挨拶するためにバックステージにいたのだが、
バックステージではシリルのバンドの若いギターの子が興奮してカズミを見ていた。「うあお!すげえ!」とか言ってる。
やっぱギター弾きは世界中一緒やナア。
この日のカズミはソロギターだったけど非常にアグレッシブなプレイで「大阪といえばブルーズやらんとあかんでしょ!」と
ブルーズを。途中で完全インプロの世界。勉強トリオ時代をふと思い出したりした。
ラストのマイルストーンはぶっ飛びの世界で良かった。

さあ、夕方日暮れ時、シリル+モンク+TRIBE13のトリがスタートする。
スタート前ヒロナリさんが日本語でのメッセージ。これが会場をひとつにした。
昨日は音響面で若干不満があったが、今日は結構音出てるぞ!
よっしゃ、その感じ。 ベースもバスドラも出だした。PA担当も「よし!行ってしまえ」と割り切ったのだろう。
それにつれ会場も一気にヒートアップ。いす席前方に陣取った熱心なファンたちがあっという間に立ち上がって踊りだす。
その興奮状態が回りに伝播してウェーブになっていく。
そして今夜もビッグチーフモンクの登場で会場は興奮の坩堝と化した。 
やはりあの衣装を着ると強烈なカリスマ性を発揮する。普段は人懐っこい笑顔のおじいちゃんなのに。
のちに聞くと未だトレーラーハウスに住むことを余儀なくされているのだそうだ。
しかしこのエンドレスな音世界というのは知らない人にとっては「なんだこれは」と受け取る人もいるようで、
いす席からは脱出を図る人がちらほらと(笑)
そのぶん僕らは前へ前へいけるわけで、いつの間にかステージ前まで進出。大騒ぎのうちにエンディングを迎えた。
大団円では全員がステージに上がり、感動の3日間は終了した。
今回のイベントは、やはり大阪のど真ん中でアクセスのいい場所、最高の天気、参加者の思い、主催協賛の力、
そして日本中から集まったお客さん、ただ通りかかって見た人、なんだかわからないけど来て見て聞いたら楽しかったという人、
すべてに恵まれて大成功だったと思う。
決してNEWORLEANSの音楽はマニアな音楽ファンだけのものではなくて、老若男女誰でも楽しめるはず。
また今回のイベントでだけ多種多様にわたるこの町の音楽のすべてを紹介できるわけはない。
だからこそ来年以降にも期待するし、また来年も見に行きたいと思う。

そして・・・・
祭りは楽しい。音楽も楽しい。飲んで歌って踊って。
みんなに会えて楽しい。
思いっきり楽しめばいい。へとへとになるまで遊んで、ぐっすり寝れば、さあ日が変わって朝だ。

さて、祭りの後、どうする?

この1年とすこし、ずっといろいろ考えることが多かった。
きっかけはハリケーンカトリーナ。
当初は都市部を巻き込んだ、大変な自然災害。というとらえ方
だった。 でもしばらくたち、数ヶ月、半年、一年と時間がたつに従って、やはりこれは人災だと確信するに至った。
で、自分に何ができる?
募金などの金銭的援助はもちろん大切だし、継続が大事だと思う。
でもここ日本ではそれだけじゃないような気もしてくる。
今こういう状態だ、ということを多くの人が知らない。
やっぱり声を出して何かを訴えるべきじゃないか?
「ちょっとおかしいで!」と。
別に街頭に出てどうのこうのでなくても、誰かが書いた一文をNET上で紹介しても良いし、誰かのブログを紹介したりトラックバックしてもいい。
最初は誰かの情報にリンクするという形でいいから、自分で何かを発信すべきなんだろうと思う。
NET上でも、実際はすべての人の書いたものをすべて チェックできるわけではないし、
知らないままどんどんと埋もれて行ってしまってる情報もたくさんある。

ここ数日の間でも、まったく知らなかった日記を読んで、一部の人は熱心にコメントしているけれど、
そのやり取りを知らない人の方が圧倒的多数なのだ、ということに改めて気がついた。
そして、日本にいるわれわれはまだまだ実態を知らない、ということにも。

DDBBの新譜(Dirty Dozen Brass Band - What's Going On)
がもたらした新しいネット上での出会い
saoriさんとmariさんを紹介します。
saoriさんはDDBBの新譜の対訳を担当した人。
mariさんこと渡辺真理さんはNEWORLEANS在住20年のピアニスト、
9th wardに住んでいて被災し多くを失った。
ご主人はDDBBのバリトンサックス、ロジャールイスである。

まずはsaoriさんの映画紹介から。
< When The Levees Broke - 堤防が決壊した時.. >

この映画は現在米国の有料ケーブルTV局HBOで放送されています。米国ではDVD化されると思いますが、日本版の発売は不明です。
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When The Levees Broke - 堤防が決壊した時..
http://www.hbo.com/docs/programs/whentheleveesbroke
ほとんどの人がNew Orleansの惨事はカトリナがもたらしたと思っているが、実際の被害は街の8割を洪水で破壊した堤防の決壊によるものなんだ。それをタイトルで言いたかった。先週になってやっと軍が白状した - やばい、やっちまった! - と。(HBO Spike Lee Interview)

堤防が決壊した時‥何人もの人が壮絶な爆発音を聞いた。9th Wardが65年にBetsyによる洪水に襲われた時、それが人工的な逃がし水であったと多くの人が確信したが、調べられる事はなかった。

堤防が決壊した時‥Katrinaはすでに東へ進路を変え、堤防衝突時はレベル1、最大でもレベル2だった。堤防はレベル3までは絶対に大丈夫だと言われていた。

堤防が決壊した時‥海水が人と家を飲み込んだ。車椅子に乗った妻を屋根まで引き上げた老人は、力つきて手を離した。目の前で老いた妻が水の中に沈んで行った。たくさんの遺体が水に浮いていた。

堤防が決壊した時‥遠方の息子は母を心配した。水がひいて母の家に行くと死者発見の印はなかった。安心して中に入ろうとすると、家には全部鍵がかかっていて、調べられた形跡はなかった。後に冷蔵庫の下敷きになっている遺体が発見された。

堤防が決壊した時‥人々は水につかりながら助けを求めた。水や食料がなく何日も過ごすSuperdomeは、険悪な様相を帯びて来た。誰かが「This Littel Light of Mine」を歌い出した。大勢の人が続いて、それは人権運動の時の様なマーチになった。

堤防が決壊した時‥人々は橋を渡って逃げようとした。橋の前には銃を構えた兵隊の列がいた。隣接したJefferson郡は独立国家宣言をし、New Orleansからの通行をいっさい遮断し、違法通行人は射殺すると言った。橋に続く高速の脇に、たくさんの遺体があった。

堤防が決壊した時‥大統領は休暇を取り、副大統領は釣りをし、国務長官は買物と舞台見物をし、FIMAはなにもしなかった。アメリカは2日でスリランカに救助物資を運んだが、New Orleansにはなにも運ばなかった。

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「堤防が決壊した時‥」このタイトルには末尾がありません。見た人がつけなければいけないのです。Spike Leeは100人の被災者にインタヴューして、それぞれの物語を大事に編集しました。ここに書いたのは、私が感じた末尾のほんの一部です。他にもたくさんの末尾が収録されています。

Spike Leeは悲惨な映像の連続を音楽て繋ぎます。メンバーのほとんどが家を失ったHot 8 Brass Bandは、New Yorkで街頭演奏「えっと〜、New Orleansから来ました!おれらの地元ではチップいただくのが習わしなんで〜、よろしくっ!」
http://www.tipsevents.com/foundation/coop/hot8/
サイトから5曲フルにダウンロードできます。

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「堤防が決壊した時‥」を見て、日記に書きたかったけれど、ずっと書けなかったです。あまりにもショック、絶望、無力感で。でも昨日、参加している市民団体MoveOn.orgからメールが届きました。

「堤防が決壊した時‥」をみんなで見よう!自宅で鑑賞会を開こう!鑑賞会に参加しよう!このページでZIPコードを入れると、最寄りの鑑賞会場が探せます。
http://100voicesj.com/redirect/moveon01.html

MoveOn.orgが協賛するのはColorOfChange.orgという団体です。その人口の大半が黒人である低所得者層の人権を守るための活動に、サイトから賛同署名できます。

堤防が決壊した時‥なにかしなければならないと思った。

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When the Levees Broke - Clip 1
http://www.youtube.com/watch?v=e6z2OoJwT-c

初めて自分たちが「refugees」と呼ばれているのを知った時は、耳を疑ったよ。自分の国にいて「難民」呼ばわりか?「難民」っていうのは国を追われた者の事だろ。俺たちは自国内で国を追われたのか?

When the Levees Broke - Clip 2
http://youtube.com/watch?v=dSY8VD0xc2E

倒壊した自分の家に行くのに差し止められた二人。なぜならそこがチェイニーの訪問で閉鎖されていたから。二人はこのすべての光景と援助がないことの怒りを表現するために視察現場に行き「Go f○○k yourself, Mr. Cheney」と叫んだ。‥このことはメディアで報道されました。

When the Levees Broke - 16分のクリップ
http://100VoicesJ.com/redirect/LeveesGoogle.html



続いてmariさんの直近の日記。
被災後も現地に留まっている 方の現状を良く伝える一文です。
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家の保険の請求書が、我が家のポーチに届いていたーー郵便が来たというのは一ついいニュースかも。
 しかし、何で1000ドルのものが、1800ドルになるのだ!洪水保険からはお金貰ったけど、
家の保険からは1900ドルしか貰ってないんだぞ。どうなってるんでしょう。
 
電話会社に電話したら、電話がつなげるかどうかは、その道の状況による。
うちは11月末ぐらいでしょうーーということです。どうせ、それまでに戻る気遣いはないがーー。

もう一つ、腹が立つのは、家を直すために州がくれるお金、ミシシッピではどんどん出してるが、
ルイジアナはなかなか出さないんだ(速度も、金額も)と、うちの会計士が言ってました。
政治家が、少しでも自分の懐に入れる分を残そうとしてるのよねえ、と彼女はため息をつきました。
そんなことで、いつになったら皆、家に帰れる!?
更に言うと、全然手つかずの隣の家、小さな木が昨日の嵐で倒れてきて、うちの塀が壊れた。なんのこっちゃ。

自分の家でなくても、とりあえずニューオリンズに帰ってくると、まず初めは皆大喜びです。
それからーー現実に打ちのめされます。皆、多かれ少なかれ、鬱になります。
最初っから、酒や薬に溺れている人もいます。
ただでさえ少ない医者の中でも精神科のケアはもの凄く遅れてしまっていて、
普段なら処方された薬を飲んで適応している人が、警察につかまったりしています。嗚呼!
 
不幸を不幸と思うなとか、この不幸をバネにせよ、と言ったって、町全体がこうなのですから無理です。
それでも、世界中の、他の国の、他の国の政府(或はこの国の政府)にもっと痛めつけられている人たちのことを考えたい、
世間にこの現実を少しでも知らしめたい、他の人を少しでも慰めたい、それが自分の心も癒してくれる筈なのですーーー
そう思って、少しでもいい演奏をし、この町のことを書いていきたいと思います。


2006.8.27
<LEODUO+イナズマホーンズ@拾得 ライブレポ>
8月26日午後
大阪南船場のyasさんかよちんさんのデザイン事務所に車を走らせる。少し来ないとこの辺も景色が変わってるのに気がつく。
3人で高速に乗って京都へ向かう。夕方の空を稲妻があちこちを走り、まさにイナズマホーンズを見に行くにはいい感じ。
南インターから東寺の前を右ターンといういつものコースから、今日は京都駅の東「たかばし」の新福菜館へ。
真っ黒スープのラーメンと焼き飯を食べておなかの下ごしらえを。これまた今日の黒い音楽に合う濃いお味でした。
これ、さっぱり系って紹介されてるけどそうなんかな?
さっぱりってイメージはバナナホールのそばの揚子江の塩ラーメンみたいなものだと思っていたんだけど。
その後お東さん(東本願寺)の前を北上し拾得へ向かう。拾得の前に来たとき「あっ」と小さな声が出てしまった。
南側の壁面と屋根が一部崩れ、シートがかけられている。屋根も少し下がっているように見える。大変!
なんでも6月〜7月の長雨に夜中に崩れたらしい。
幸い店の中は問題ないようで、落雷による停電もこのあたりはなく、ライブは予定通りスタートできそうだ。
入ると、ステージかぶりつきでnakomiさんが。なぜか今夜はセレブないでたちでいらっしゃる。ゴージャスです。
何でも小堀さんに「商売替えしたんか?」と言われたらしい・・・・・・
ふと自分を見ると、海水浴帰りみたいな格好である。Tシャツ半パンビーチサンダル(和歌山では水雪駄と言う)
しかしこれが正解であったと後で感じた熱いライブのレポです。
しかし、直接面識のない小堀さんがいきなりこちらに歩いてこられて「ES355さんでしょ?」って声かけられたのには、正直驚きました。
そのあとLEOさん連れてきてくれて紹介してくれたり。恐縮です。感激です。
mintjamさんもnakomiさんが紹介してくれた。 いやあmixiの力だな。いい出会いサイトだなあ(笑)
さて、定刻を迎えるころには拾得はほぼ満席状態になった。
いつもそうだが前にはバイクや自転車がいっぱい。
客席の平均年齢はやや高め。(人のことは言えないが)メンバーの昔馴染みやその奥さんといったフレンドリーな雰囲気が流れ、
遠方から来た我々も緊張することもなくリラックス。
後ろではテリーさんがBGMを選んだりする姿。いいなあ、この感じ。昔からまったく変わらない。
拾得や磔磔にはその歴史や内装も含め独特のムードがあり、それ故マジックが起こる。
京都在住の人、学生、全国の音楽ファン、みんなが京都の老舗ライブハウスを守っている。

さあ、スタートはLEODUOから。
小堀AYAMACHI(正)さんとLEOさんの2名のDUO。
私もやったことがあるけれど歌+ギターのDUOは大変だ。
ホトケさんのDUOみたいなスタイルだと、ギター2本+歌なんで、ソロも回したりできるけど、
ギター1本はソロ弾いたりするとベースラインも和音も何にもなくなっちゃうので、困ってしまうのである。
その点、ベーシストの弾くベースラインをキープしたギターに聞き入ってしまった。
そしてLEOさんの歌。実は昨年の渋谷オーチャードのTVでしか見たことがないというのが本当で、キチンと生で聞くのは初めて。
いやあいいわあ。好きです。女性の声にスモーキーと形容するのは不適当かもしれませんが、太くてスモーキーな声、
そしてゆっくりしっかり歌と言葉を伝えようとする歌い方に、はまり込んでしまいました。
客席からの昔なじみの声援に答える姿は、小堀さんにとってここもHOMEの一部なのだなあと感じる。
後に控えるイナズマホーンズとの関連も考えて選曲はR&B、SOULにシフトして。
選曲も絶妙なものがあります。 私にはジャストミートです。カキーン。

そしてイナズマホーンズ。ホトケさんの日記に書いてあって気になっていたバンド。
http://www.hotoke-blues.com/mynotes/diary_index.html
2004年の12月30日の日記に書いてあります。
ちょうど1年前昨年9月にも拾得とハウリンで同じようにあったのに、行けていなかった。
そのころ時間だけはたっぷりあったのに。何してたんだろう・・・・・・
CNNでカトリーナ被害の速報をずっと見ていたころだ。かなりショックを受けていたなあ。
でも当時のライブ写真を見てると裕美(まもの)さんもライブで歌っている。
やはり音楽なのだ、歌なのだ。 そう思うのに僕はもう少し時間がかかった。

イナズマホーンズに話を戻します。リーダーでVoの小泉さとしさんはウェストのメンバーなど京都の人にとっては
昔馴染みで皆が知ってる方なのでしょうが、私は初めて。
私が京都に通っていたのは80年〜84年頃ですが、当時は出会うチャンスがなかった。
このバンドではさとしさんの実のアニキさんがTpで吹いてます。
Vo+4管+g2本+Key+リズム隊の典型的ソウルバンド形態。出てくる音も、もろそれ。
さとしさんのMCやステージングに笑いの要素がふんだんに振りかけてあり、僕は腹がよじれるかと思うぐらい笑わしてもらいました。
客席の声援(野次?)に笑いで返すやり取りはまるで関西の芸人さんのよう。
マラカス人生、タンバリン人生、兄嫁が作ってくれたスパンコールの襟巻き・・・・・人生幸朗師匠・・・・・
でもさとしさんはじめすべてのメンバーにソウルミュージックへのリスペクトと愛がこもっており、僕は好きになりました。
最後はアリーサのthinkをLEOさんの歌、小堀さんの親指ベースで・・
大盛り上がりのうちに終わりました。
終演後はAYAMACHIさんに飲み物までご馳走になって・・・・ それ逆ですよぉ。ごちそう様でした(ペコ)
「いやあ、楽しかったなあ、笑ったなあ、良かったなあ・・・・」と話しながら雨上がりの京都を後にしました。
また来年なのでしょうか? 楽しみにしています。


2006.7.31
基本的に占いってあまりしない。
統計学や心理学の一種と思ってる節あり。
でもNEWORLEANS在住「まもの」さんに教えてもらった
生年月日だけでやる占いで久々に爆笑した。
少しでも私の人となりを知る人は笑ってください。
うちの奥さん、笑いすぎてひっくり返ってました。

さてその結果は・・・・・・・

1961年 10月 12日生まれのあなた

今年の誕生日まで、あと73日 前回の誕生日から292日目です。
生まれてこのかた16363日目です 今日は 良い事がありますように。
あなたの ほへと数秘は 3 DX △ です。
年齢44歳は 感情がテーマです。今までに無い感情の高ぶりは思わぬ結果を引き寄せますが、
人間として一段階成長する事でしょう。すごくいい事もありますが地雷も落ちています。
> 3の意味
・基本性格
好きな事しかしない、純粋な人。
興味のある事、好きな事意外は非常にストレスを感じます。好きな事を仕事にするか、。好きな趣味を持って下さい。
集中と怠惰の差が激しく、集中したときのタイミングの良さは神懸かりですが、モチベーションの低いときは時間を無駄にしがちです。
・人間関係
人間関係は飾り気を嫌い、素朴で素直な関係を求めます。一見クールな部分はありますが、これと思えば面倒見はいい方です。
性格的に利己的な部分もありますが、基本的にまず自分ありきな性格なので自分を否定する人に対しては非情な部分があります
恋愛は純粋な部分と秘めた衝動。基本的には純真なので大人のドロドロした恋愛は無理ですね。意外と恋愛が苦手な人も多いです。
衝動を抑え込みすぎると無感情になる場合があります、感情の解放も大切です。
・生活
仕事はわずらわしい人間関係が絡むと効率が著しく低下します。あとは好きな仕事か否かが問題です。
・金運
趣味には消えていきます。先にも出てましたが仕事に自分の能力が生かされてるかが大切です。
>補正オプション
DX:何かに熱中する、人として強いパワーを持つ。
△:現実的にしっかりしている、もしくは現実に振り回される。優れた実行力と判断。
若干原因を探らず,物事に対して、即物的に対処法を行う所は注意。金運はアップ補正。

あはははははは 笑うわあ・・・・・
めったにこういうの薦めないし、バトンとかも好きじゃないけど、よければどうぞ。
http://www.geocities.jp/standing_art/hoheto/kazu.html


2006.7.20
<蜘蛛の糸>

この野郎、いつも小難しいこと書きやがって! とお嘆きの皆様。
今日は皆が小学校か中学校ぐらいでよんだであろう、芥川です。
大正時代に書かれたんですね。こんな文体だったんだ・・・・・・
http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/92_14545.html
インターネットは読書も出来ちゃう。  便利だ。
どうです? 改めて読んだご感想は・・・・・
いろいろ感じ方が変わってきているのは、あなたが年月を重ねてきたからかもですね。

自分に幸運の糸が垂れ下がってきたように感じたとき、それはなぜ自分にやってきたのか?
本当に自分ひとりだけなのか? そもそもそれは本当に幸運なのか?
逆に何かの始まりを教えてくれているからなのか?

これを180度転回させるとこうなります。

自分に不運の糸が垂れ下がってきたように感じるとき、それはなぜ自分にやってきたのか?
本当に自分ひとりだけなのか? そもそもそれは本当に不運なのか?
逆に何かの始まりを教えてくれているからなのか?

「好都合の不都合、不都合の好都合」
 この話を、とあるところで聞いて、いろんなことを眺めて、見て、考えて、そうすると
  「なるほどなあ〜」と思うことが多々あります。自分の身の回りでも。自分自身にも。


2006.7.16
<FOUR TOPSとCAROL KEYE>
最近は「FOUR TOPS」で検索するとジャニーズ関連しかHITしないってご存知でした?   ま、それはいいとして。
今日は、キャロルケイという一人の白人女性ベーシストについて。
このあたりは詳しい方は学者のごとく研究されているので、そちらをご参照いただくとして。
今回は彼女の名前をはじめて聞いた、という方向けのさわりの話です。

この夏、ビーチボーイズの「PETSOUNDS」のDVD付スペシャルエディションが発売になるらしい、というのはmorishimaさんの情報。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=160854524&owner_id=471054
1966年発表のこのアルバムでベースをプレイしているのがキャロルケイその人。
60年代から70年代前半にかけて、LAのスタジオ内において彼女は引っ張りだこで非常に多忙であった。当時はミュージシャンの
クレジットはジャケットに印刷されていないことが多かったが、その躍動的なベースラインは聞くものに強い印象を与えたはずだ。

実は彼女の参加曲の代表的なものにMOTOWNのヒット曲が数多く含まれている。という事実。
MOTOWNは60年代中ごろからLAに拠点を作り、LAでの録音をスタートしていて、当時のLAのスタジオミュージシャンはかなりの曲の
「カラオケ」作りに参加している。
誰が歌うのか、最終的にどんなアレンジになるのか、どのアルバムに収録なのか、自分のテイクが採用されるのか差換えられてしまうのか、
そういったことは全くわからないまま、どんどんと譜面が渡され、録音されていったという。
しかし、その事実はMOTOWN側の否定により葬り去られてしまい、それゆえ「これは私が演奏した」と言う声は逆に誹謗中傷とともに、
黙殺されることになる。その誹謗中傷には同業者も加わっているというから心が痛む。
去年公開された、MOTOWNのいわゆるFUNKBROSを取り上げた映画はたしかに素晴らしかったし、MOTOWN初期のジェームスジェマーソンの
うねるようなベースラインは不滅だと思う。しかしそれだけにとらわれては物事を片側からだけ見ることになる。
なるほどMOTOWNのベースはどう聞いても一人ではない。
もう一種類、飛び跳ねながら弾むようなちょっと音数の多いベースが存在する。ジェマーソンの音質に似せるために
ややこもった音にEQされているが、スタジオではもっとブライトな音が出ていたはず。
しかもそれはかなりの確率でピックで弾かれているのだ。
「ベースのノリはやっぱり指弾きでないと・・・・」という先入観はこれを聞けば崩壊するかもしれない。
ポールマッカートニーは「MOTOWNのベースの奴のプレイにはびっくりした」と述懐しているのだが、これは実は彼女のプレイだった可能性が高い。
事実ポールのベーススタイルはビートルズ中盤(60年代後半)以降明らかに変化している。
ここで彼女自身の演奏によるMOTOWNの名曲のベースラインを2つ紹介します。
http://www.carolkaye.com/www/library/sounds/bass_only/i_was_made_to_love_her.wav
http://www.carolkaye.com/www/library/sounds/bass_only/bernadette.mp3
前者はステーィビー、後者はフォートップス。
特にフォートップスのこのバーナデッドやリーチアウトアイルビーゼアなんかは彼女の特徴全開。
フォートップスは70年代に入るとABC/DUNHILLというレーベルに移り、デニス・ランバートとブライアン・ポッターという
当時売れっ子のチームと組むことになります。完全にLAスタジオシーンの職人達によって作られた珠玉の音。
72年のKeeper Of The Castleが良い例だと思います。このアルバムからはAin't no woman(Like the one I've got)
というヒット曲も生まれています。ベースラインを聞いてみてください。(未確認ですが多分・・・・)(正確な情報求む)
http://www.eonet.ne.jp/~es355/aintnowomanliketheoneivegotfortops.mp3
(この音源は期間限定で。すこし経ったら消します) 

余談ですが、当時このABC/DUNHILLのプロデューサーだったゲーリーカッツはスティーリーダンをNYからLAに呼び寄せた張本人。
スティーリーダンの例のお二人さんは当時の東海岸とLA周辺の音楽現場の進め方のあまりの違いにびっくりしたとインタビューで答えています。

写真は74年ごろのLAのスタジオ風景です。


キャロルケイ オフシャルサイト
http://www.carolkaye.com/index.htm
例の有名な「モータウンミステリー」
http://www.addmoremusic.net/Motown/mot_toc.html


2006.7.12
<ダブルミーニング>
SOUL爺さんと言う方の日記「矛盾」を読んで考えてみたこと。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=173387046&owner_id=754871&comment_count=25

自己矛盾に葛藤したり、自己嫌悪に陥ったりすることは誰にでもあると思うし、それはそれで人間らしいと言う事もできると思う。
でも、ほとほと困ったなあ、と思うのは、お題の言葉、「ダブルミーニング」を操る個人、集団に接したときである。
「ダブルミーニング」という言葉は、その言葉どおり一つの言葉、文章に2つの意味を持たせることである。
もちろん、これは上等な言葉遊びであって、いわゆる駄洒落、ジョーク、また物語や小説における伏線や、
隠し設定といった意味合いで普通に使われています。
ところが、これが意図してコミュニケーションの現場で使われだすと混乱が生じるわけです。
その言葉には、全く違う意味が込められていて、それを解れと。読み取れよ、と。
その意味が解らない人は何がなんだかわからない状態に追い込まれる。振り回される。
僕は京都に悪い印象は何もない、ということを前置きした上で。
典型的な例では「京のお茶漬け」でありましょうか?
帰り際、「まあそんな急がんとお茶漬けでも・・・」と言われて、
それを真に受けて「じゃあ、お言葉に甘えてご馳走になります」なんて答えたら・・・・・
帰った後にその人は「何と空気の読めない常識のない人」として陰口の集中砲火を浴びている・・・・らしい。
こういったことは京都だけのことではなくて、全国的に、どちらかと言うと閉鎖的な人間集団の中でよく使われている。
目的は簡単で「ヨソモノ」の排除である。
特定の閉じた集団でしか通じない暗黙の言葉のルールを作って、それを解さない人をはじき飛ばそうとするのが目的なのだろうと思う。
そうする事で、ある集団に異分子が入り込むことを防いできた歴史があるのだろうと思う。
「山」と問われたら「川」と答えなくちゃいかんのである。他の答えだと殺されちゃうのである。
普通では考えられないことがこの世界では起こる。 表面上交わされている言葉は何の意味も為さない。
大変疲れる。 あ〜あヤダヤダ。 と精神的に疲れる。
僕の対処法は完全無視。気付かないフリ。 そういうことに無頓着な無邪気な人間を演ずる。
しかし、時と場合によっては完全戦争に突入も辞さず、というスタンス。
表現がどうであれ、口にしてることと、思っていることが全く違うってのは、ストレートな人間には普通は理解しがたいし、
口にしてることとその人の要求が全く違ってて、こっちはそれを慮ってその要求をかなえてあげなければ、その人間が不機嫌になる、
なんてのも、しまいに「勝手にせ〜よ」と言いたくなる。
必要以上に自分を卑下して、「そんなことないよ」と言ってあげないと不機嫌、とか。
心の中ではえらく自信があって、人一倍褒めてもらいたい癖にね。「構ってちゃん」というべきか。 
でも、ときどきいるのよね。 そんなお人。男性女性に関わらず。


2006.7.9
<僕にとってのインターネットとは>

NEWORLEANSのHIDIからSKYPEのアカウントリクエストが来た。
オフラインだったのでメッセだけ入れておいた。元気そうで何より。

さあ、いよいよ今夜はワールドカップ決勝。
今夜はジダンの男の去り際を見届けたいと思っている。
2時まで起きていることができるのか?がんばるで。

今日は某講演会の音響担当を大阪梅田で。
自分にできるのか?と思っていた大役であるが、1ヶ月以上前から来た話を受けない訳にはいかない。
与えて頂いたご縁は、全て受け止めるのだ。来た話はまず受ける。それが縁というもの。
結果としてやらしていただいて本当に良かった。良い経験になりました。
どんな会かというと中心会という故常岡一郎さんの教えを伝えていこうとするメンバーの集まりで、
ゲストのAIKAさんという歌手の方の音響担当でした。
なぜかAIKAさんとは小学校が隣、生まれも一年違いということもあり、控え室でお昼を頂きながら
2人で小一時間話しました。 神戸震災のこと、neworleansのこと。池田の町のこと。
実は80年代は神戸でblackmusicをやっていたこと。ゴスペルの話。
お互いが今一緒にやっているメンバーのこと。
短い時間だったけれど、心が浄化された気分がしました。

会の中で話される方々も社会の中できちんと仕事をやり遂げられた方ばかりで、
感じる部分が多かった。
たとえば「不都合の好都合、好都合の不都合」というお話。
これは「ピンチはチャンスの始まり、チャンスはピンチの始まり」とか「好事魔多し」と同じような意味だけれど、
「困ったなあ・・・どうしたもんかなあ・・・・」などと悩むようなことは、結局その人にとって後に良い結果を生むことがある。
逆に「よし!うまくやったぞ。なんて運がいいんだ!」などと得意になっていると、そこには大きな落とし穴が口を開けて待っている。
というようなお話でした。  それぞれの業界で、ある意味修羅場も何度もくぐっておられる方の経験を元に話される内容は
説得力もあってとても興味深かった。

さて、インターネット考である。
今日の集まりもそうであるし、よく読んだ中村天風さんも書いていることだけれど。
コトバには力がある。良きコトバには善き事が宿り、悪いコトバには悪しきことが宿る。とも言います。
暗病嘆(暗く病んだ嘆き)より明元素(明るく元気に素直に)
自分の運命は自分のこころが作る。 今の自分の心持、コトバが明日の自分を作る。
だから極力ポジティブな人と関わりなさい。ネガティブな人とは関わっちゃいけません。とも言う。
僕も一歩外へ出ればできるだけ明るく元気に素直にやってる(つもり)、主体的に能動的に動いてる(つもり)

でも。でもね。
今日みたいに人間的にすばらしい人の集まりならば、全くネガティブなことを感じることはないんだけど。
場合によっては、仕事で、プライベートで、関わる人を選り好みなどできないときもある。
なるほど。と解る。 解ることと、自分の心の動きとは別なときもある。
解っていてもいつもどんなときもそう思えるとは限らない。
そこが自分という人間の至らなさであり、未熟さである。と同時に極めて人間らしい部分でもある。
時に自分の中に毒がたまる。それは外へ吐き出したほうが良い。(と勝手に思っている)
でもそれは友人に愚痴ったり、相談と称して延々と吐き出したりすれば実害が出る。
時間の浪費、相手の迷惑、ネガティブの伝播である。
自分の中のネガティブは人知れず吐き出すに限る。
筒井康隆的に言えば「痰壺」である。(汚くてごめんなさい)
もちろん、人間の中にたまる「毒」は決して美しいものではないし、他人が見て気分の良いものではなかろう。
僕はインターネットを「痰壺」のように使っているときが時々ある。これは否定できない。
誰も駅の痰壺が美しいと思わないのと同じ。吐き出した毒は醜く汚い。
誰も痰壺の中など覗きこみたくないとは思うが、インターネットは覗きこめてしまう。
だから、もし僕の書くことの中に毒を見つけたときは、そっと見ない振りをして通り過ぎて欲しい。
「そんな事書くな!文句愚痴不満不平を言うな!」と叱って頂いても結構。
なぜなら実生活でそれをしないためのインターネット活用なのだからである。


2006.7.3
<チャ〜〜〜〜ンプ!>
ワールドカップはベスト8をベスト4に絞るすばらしい消耗戦が続き、見てるこちらもぐったりの週末となった。
サッカーの無いTV、今夜はBSの映画を1本見ました。
BSの映画はCMも入らないしちゃんと字幕だし、映画を見たと実感できます。

79年、「チャンプ」
当時子役の男の子に話題が集まったが、やはりこの子には泣かされてしまう。
ジョンボイトとフェイダナウェイが別れた夫婦を演じる。
じつはこの映画、当時リアルタイムで映画館で見た。その頃僕は18ぐらいか・・・・・解るわけないな。その年じゃ。
ジョンボイト自身も2回目の結婚で一男一女を授かったものの、この映画の発表前には離婚している。
その女の子がアンジェリーナジョリー。当時4才。
いろんな見方ができると思う。
「何かを手に入れた」 と思ったときには「何かを失っている」
逆に
「何かを失った」時は「他の大切なことに気がつく機会」
何かに夢中になっているときは、実は何かが見えていないということ。
すごく大切なものを失いつつあるのに、それに気がつかない振りをしてしまう。
そして失ってから、それがいかに大切であったかに気がつく。


2006.6.27
<見えない敵>
先週のニュースの中で2点、テポドンと東大阪の現役大学生が絡んだ殺人事件。
共通するのは題名通り「見えない敵」であろう。 テポドンの場合は周辺国や米国が自国を敵視していると思い込み、
それに対抗するため、また外交カードとして使う為の大陸間弾道ミサイルである。当然、核を搭載可能。
その照準は東京なのだとか脅威をあおる報道も流れたのだが、ハッキリ言ってそんなことは北朝鮮にとってもどーでも良いことで、
結局は「俺はこんなに強いんだぞ!だからもっと認めてくれよ!」とわめいているガキ大将の論理みたいなもんである。
当然そんな国に対して周囲は警戒する。で、その反応を受けて、余計に本来敵でも何でも無い対象まで敵に見えて来る道理である。

東大阪の事件はそもそも女を取った取られたレベルのくだらないアンチャン同士の喧嘩である。
しかし、そこに本当はありもしない背後組織の存在をちらつかせた事で、話はとんでもない結末を迎えた。
目の前の相手が脅威なのではなく、「見えない敵」がたまらなく怖くなってきたのだ。結果は目の前の相手を抹殺するまでに至った。

このように、「見えない敵」は時に破滅を招くほどのエネルギーを持っている。 例えそれが実在していなくても。
相手の中に、もしくは相手の向こう側に敵を見つけようとするからおかしくなってくるのだと思う。
そもそも存在しないゆえに「見えない」わけだから、そこに生じるのは「疑心暗鬼」である。
疑心暗鬼は徐々に増大してまさに制御不可能な「鬼」と化す。

回り道となった。  では、「本当の敵」はどこにいるのだろう? というのが今夜のテーマである。
北朝鮮の場合は、自国の経済問題や食料、エネルギー問題、またそれを引き起こす原因となっている
子供っぽい独裁者に国の全てを牛耳られ、不必要なことに金を使いまくり国民が辛酸を舐めているという現実そのもの。
またそれらの現実をそのまま見せようとしない、また認めようとしない思想統制を強いる独裁者。
そして、米国を中心とする同盟国の中にあるものは、仮想敵を常に作り、その脅威を煽ることで軍事費に対する支出を
認めさせ、軍需産業に金を流そうとする動きが過去から未来に向かって永遠にあるということだ。
また、環境問題やエネルギー、食料問題、人口のこと。これらは1国の問題ではなく地球全体の問題。
つまり敵は外に無く、内に有り。 ということになる。

東大阪の事件を例に取れば、表面上2つのグループの抗争であるから、敵はそれぞれ相手とその向こう側に見ていたはず。
ところが、そもそもの発端は何か? ある未熟な女性=「私っていろいろ言い寄られて困ってるの」という「モテてま〜す自慢娘」
に振り回されて翻弄され、頭に来たというのがきっかけだろう。 
しかし、そのばからしさに先に気が付けば、本当の敵はそのくだらない女とそれに振り回される自分自身の幼さだ、
ということを発見できているはずなのである。
その女を切って、それぞれ別の女の子とめぐり合っていれば、それなりに彼らもお互い幸せだったのではないか?となる。
何も冷たい土の中や、刑務所に入る必要はお互いに無かったのだ。

何かに腹が立つ、何かを敵視してしまう。そんなときにはそもそもいったいそれは何に起因するものなのか? を見るべきだと思う。
それを冷静に見つめること、つまり、その怒りの方向を変えて、別の方向や自分自身を良く見つめてみることだと思う。


2006.6.25
<PHS>
ピーエイチエス 言いにくいから略してピッチ。
最近見ません。 このまま消えていくのでしょうか・・・・・
でも、我が家にはPHSが現在5台未だに稼動しています。 外線電話の子機と家庭内内線電話として。あっちこっちに転がっています。
ちなみに外出時のトランシーバー代わりにもなるんですよ。車2〜3台でつるんで走るときとかは便利なんです。キャンプのときとか。
外線もK-OPTICOMのIP電話に切り替えてしまいましたから、事実上NTTとは完全に無縁になってます。
この子機たちは旧NTTパーソナル(パルディオ)が和歌山に立ち上がった当時からの端末で、当初はアンテナが和歌山市内でも数えるほどしかなく、
アンテナ新設情報を仲間内で交換していたぐらいでした。当時はNTTも一生懸命普及にがんばっていたので、携帯1台も、PHSあわせて2台持っても
あまり経費的に変わらず、電話番号2つ持てるメリットやデータ通信の関係もあって2丁拳銃をやっていたわけです。
ほとんどがシャープの端末です。初期95年ごろの202S 翌96年の203S 翌97年の312S 以降ドッチーモやDOCOMOPHSの最終版まで所有し、
ちょっとした博物館状態。
この中では312Sが究極だったと思う。 軽い、薄い、小さい。  PHSの長所を最大限生かしたモデルだったと思う。
その後端末はメール対応、液晶画面の大型化、カラー化など肥大化が進み、携帯電話と変わらない大きさとなってしまった。
PHSの良さは通話品質の良さ、電波の出力が小さく電磁波の影響も小さい、消費電力が少なく、電池が驚くほど持つ。
一回満充電したら1週間ぐらい平気。
そんなメリットがあって、今でも医療現場での連絡用、工場内や企業の内線電話として今でも使われている現場は多い。
病棟で看護師さんがポッケに突っ込んで歩いているのをよく見ますよね。
今の携帯電話はWEB、音楽、カメラ、メール、ワンセグTV、お財布、カラー液晶と機能を集約し、それと引き換えに大きく重くなっている。
電池の持ちはどんどん悪くなっている。で、電池がまた重くなる悪循環。
電話単体として考えればこんなにでっかいのはいらないのだ。 邪魔なのだ。
今日は家で312Sを使って電話をしていてそんなことを思っていた。これで充分やん・・・・・・
家の外線電話ですらSKYPEに取って代わられそうな勢いなんで、いつまで使うのかわからないけど、
電池が完全にアウトになるまでは使います。 でもね・・・・10年以上経つのにまだ電池OKなんですわ。


2006.6.24
<サツキマス>
ハイヴィジョンで長良川のサツキマスを釣る番組をやっててしばらく見てました。場所は岐阜市内金華橋と忠節橋の間。
ここは県庁や市役所のそばで、市内ど真ん中。
立派な37.5cmのサツキマスが釣れました。

一応簡単に説明しておきますと、サツキマスとは元来渓流で生きるアマゴが川を下り、海に下ります。
そこで海水に適応するために銀毛化してまた生まれた川を遡上する。寸法は川にいたときの2倍以上になっています。
もっとも最近は海に下るまでにダム湖に遮られることも多く、ここで銀化大型化したものもあります。
また、全てのアマゴが下流に下るわけでもないのです。
陸封されて眠っていたサケ、マス類の本能が海への降下、生まれた川への遡上をさせるのでしょう。
分水嶺から向こう(日本海側)ではサクラマスといいます。これはヤマメの降海したものです。
どうも説明がへたくそだ。
この方がきちんと解説してくれてます。http://www001.upp.so-net.ne.jp/masmas/amago.html

実は私の住む和歌山、紀ノ川でもサツキマスは遡上する。いや、今もしているはずだ、と信じたい。
巨大な河口堰ができてしまってからはその光景が悲しくて行っていないのだがそれまでは毎年春になると行っていた。
有吉さんの小説にも出てくるJRの鉄橋の下ぐらいの場所。今は水没してしまいジェットスキーが走り回っている。
小さな洗い堰の真下は汽水域になっていて、そこに立ちこんでいるとたくさんの魚に出会える。
アユ、スズキ、フナ、ブラックバス、キビレチヌ、ライギョ、ボラ、ウナギ、コイ、サツキマス、ナマズ・・・・
アユやサツキマスが自分の足元をビュンビュン飛んで行く。
4月5月6月、僕の狙いはサツキマスのみ。スプーンという小型の金属のルアーで狙います。
アユの稚魚のイミテーションです。
サイズは30cm台、40cm手前まで。
たまたま隣合わせたおっちゃんが30cmUPのサツキマスを釣って感動してこう言った。
「川で何十年もアマゴ釣っててめったに釣れないこんなサイズがここ来たら一日で釣れたわ!」
僕は答えた。「でも、あんまり他所で言わんといて下さいね。雑誌とかで紹介されたら大阪あたりからいっぱい人来ますから。」
おっちゃん「おっしゃおっしゃ、そのほうがええな。わかった。」

でももう内緒にする必要もないだろう。もうそのポイントは水の下でヘドロに埋まっている。


2006.6.21
<蛍の思い出>

もうすぐ蛍の季節が終わり、夏がやってきます。
なぜか今夜はこれを書いておきたい気持ちになって、思いつくままに書いてみます。
僕は中1まで大阪府池田市、中2から大阪府箕面市で育った。
どちらの家も団地だったが、裏に山が迫り川が流れ蛍が飛び、ふくろうが鳴き、
窓際で勉強してると網戸にカブトムシが激突するという環境だった。
昭和の40年代〜50年代のことである。西暦で言うと1960年代半ば〜70年代。
両親は1935年生まれであるから、終戦のときに10歳。
大阪吹田の小学校の同級なのだそうだ。空襲から防空壕に逃げ、戦後は焼け跡の中で10代を過ごしている。
その後どこで再会したのかとかの馴れ初めは未だ聞けていない。
皆が貧しかったこの時代、苦学生だった親父は夜学で高校、大学へと進んだ。
中学時代、ある日親父の本棚にあった英語の辞書がボロボロだったのに気付き、驚いたものだ。
大学では作家の開高健さんの5年後輩にあたる。焼け跡、釣りキチ、ノンベエ。共通項が多くあり、イメージを重ねている部分もある。
親父の遊び場は戦後の十三のビリヤード場やジャン荘であったらしい。
記憶の片隅に昼間の十三の町を歩いて行き付けのジャン荘へ同行する小さい男の子の姿(自分)がある。
家へ帰ってくるときはシラフであった試しが無く、酔って団地の階段がまともに昇れない
ドタバタした足音も記憶に刷り込まれている。
手にはなぜか十三「門黒寿司」の竹の皮に包まれたバッテラ。
僕と4つ年下の妹にはあまりこの酸っぱい寿司は歓迎されてなかったように思う。
酔っている親父ははっきり言って好きではなかった。後に酔ってクダ巻く男を見ると嫌悪感を抱くようになったのは
このころの影響が影を落としているのかも知れぬ。
へら、ちぬ、あゆ、石鯛と魚釣りに熱中する親父は時々へら釣りに小学生だった僕を連れ出してくれた。
そんな親父と酔って正体を無くしている親父に僕は大きな落差を感じていたのだと思う。

この季節になると、親父はバス停から川へ向かい、蛍を数匹、掌のなかに入れて家に持ち帰ってきた。
親父がそっと手を開くと、すでに明かりの落ちた狭い2DKでそのぼんやりした光を蛍たちは点滅させたのだ。
きっと僕と妹はその光を見たまま眠りについたのだろう。

次の朝、僕たちきょうだいは川へ蛍を逃がしに行くよう言われ、学校へ行く前に
川へ蛍を帰してあげた。  「蛍の命は短いんやで」親父はそう言った。
その当時の親父は35歳ぐらいだろう。今の僕よりはるかに若い。

それから早いもので35年以上の歳月が流れ、親父は70を過ぎた。
あれだけ無茶をし、酒タバコをガンガン呑み、止めろと言っても聞く耳持たず。
何の薬やら見分けも付かないほどの持病もち。これで70を迎えられるんだから、神様も不公平だな。
自分自身はこの年まで生きている自信はまったく無い。

世代は一回転し、今度は子供と蛍を見ている自分にはたと気づく。
蛍の命が短いのと同じように、人の一生も振り返れば短いのかも知れない。
病気に倒れ、細くなった親父の手足や真っ白になった髪を見たりするにつけ、そう思う。
酒酌み交わして語り合うなんてことは今までほとんど無かったし、これからは酒すら
禁じられてしまうだろうから、無理だなあ。 じゃあ、お茶でも飲みますか?
部屋へ蛍を連れて帰ったら、書いたようなエピソード覚えてるかなあ・・・・・

変わっていくのが当たり前。 自分も親も子供も、周囲の人間、友達も。
ゆっくり過ぎていくような錯覚の中ではそれに気づかないこともある。
でも、ふと振り返ると、驚くほどの月日は流れ、確実に全てが変化していく。
だからこそ、今が大切。今をどう生きるか。
そんなことを考えさせられる「気付き」のきっかけはいつも他の誰かからもらうのだ。
自分ひとりではなかなか気付くことはできない。


2006.6.11
<SONYというメーカー>
初めてSONY製品を買ったのは、スカイセンサー5500という3波ラジオで、目的は当時ブームの
短波放送を聞くためだった。遠くイギリスから飛んでくるBBCの放送などにかじりついていた。
1970年代前半のこと。今でもそのラジオは現役である。
そのころ松下は「クイントリックス」を連呼する坊屋三郎さんのCMが流れ、SONYは1ガン3ビーム
とかいうトリニトロンのCMを流していた。技術力を訴えるようなCMだったと記憶している。
ちなみに1975年大学卒初任給83,600円 のときに、20型で198,000円、27型に至っては
598,000円という資料が残っている。いかに当時のTVが高価なものかがわかる。
http://www.sonyshop-yoshida.co.jp/1975tv.html

いつしかSONYは大企業になり、ウォークマンのSONYであり、VAIOのSONYになった。
で、TVはどうか?やっぱりSONYのブラウン管というものに何がしかの気持ちを持っているのは、
あの70年代を過ごした時期があるからではないかと思っている。
軽小短薄などという言葉が生まれ、その最先端を行く会社、それを実現するための
精密な部品や回路を作ることのできる技術のある会社。そんな「イメージ」があった。
と同時に、独自規格を次々と立ち上げ、その規格が定着しないと見ると、使っているユーザーを
さっさと見捨ててその規格を打ち切る。
そんな例がいくつもあり、その変わり身の早さにあきれたユーザーは数多い。
私のHPでも一時そんなSONYの姿勢に疑問を持ち、叱咤激励キャンペーンを張ったものだから
SONY社員にマークされ、SONY社内から1日に何度もご訪問アクセスを頂戴する羽目になった。
さすがに最近はどの会社も仕事中にNETで遊んでるとチェックが入るようで、企業と官公庁からの
アクセスは激減したのではあるが。
また、「ソニータイマー」などという不名誉な時限故障装置が仕込まれていて、
ある期間をおいて突如発動する、などとまことしやかに語られもした。
このあたりもこのSONYというブランドに対して「好きだけど嫌い、嫌いだけど好き」みたいな
屈折した愛情を示していることのあらわれではないか?と思っている。
ちなみにウチにあるSONY製品。タイマー状況は?
<スカイセンサー5500> 
   30年以上を経てまだ使える。 ケースやストラップはぼろぼろに崩れ去った。

<ウォークマン第一世代>   
    動くけど使ってない。

<レコーディングウォークマン>  
    なぜだか壊れた。  でも5年は使えた。

<MDレコーディングウォークマン>  
    やはりpickupの不調が2年経たずに発症。しかしこれはMD全体に
    いえることで、今やMDに対して機械的信頼感は皆無である。SHARP、VICTORみんな壊れた。
    しかも寿命はどれも短い。 いまやシリコンのMP3プレイヤー i-riverがその役目を担っている。

<VAIO C-1>
    はや4年経過。HDがウイウイと唸りはするがノントラブル。壊れるのはOSばかりなり。自己責任の1m落下テスト数度クリア済み。

<結婚時に買った32型トリニトロンBS内蔵TV。>
    これがなんと15年もった。 タイマー発動せず。 奇跡的だ。
    うちの夫婦がもったこと以上に驚き。

ほらね。「ソニータイマー」なんてあり得ない。 壊れる時は壊れるし、壊れないものもある。

で、このテレビが最近不調で。電源が入ったり切れたり、画面が点いたり消えたり・・・・・
ポルターガイスト現象チックな動作をするんで、見てたら気がおかしくなってくる。
本当におかしくなる前に、火を噴いて火事になる前に買い換えましょうということになった。
家電業界はこぞって、オリンピックだワールドカップだ地デジだ2011年だと騒いで
大型プラズマを買わそうと必死の販売攻勢をかけている。  そうは問屋が卸さん!
うちは2年前にDVDプレイヤーがプログレッシブ対応になり、1年前にはデジタルケーブルの
チューナーが来ている。hivision的な信号はとっくに来てるのよ。地デジはすでに見てるのよ。
無いのはモニターだけ。という状況だった。

そんな中、数年前から気になってたTVがあった。
http://www.ecat.sony.co.jp/visual/tv/products/index.cfm?PD=15004&KM=KD-28HR500
最後のスーパーファインピッチFDトリニトロン管モデル。最後の日本製。
《KD-28HR500》  走査線は0.37mmピッチ/1345本
これ、当時20万近かったのだと思う。 手が出なかったし、第一うちのTVが壊れてくれなかった。
結局このモデルは噂を呼んであっという間に完売し、後継機種にバトンタッチ。
それがこれ。↓
http://www.ecat.sony.co.jp/visual/tv/products/index.cfm?PD=16758&KM=KD-28HR500B
これはただのFDトリニトロン管にグレードダウン。製造もマレーシアに移った。
《KD-28HR500B》走査線約0.5mmピッチ/859本 これじゃあ、後継機の名が泣く。
Bというのは「B級」という意味?などと揶揄されることも。
ただ、これでさえ12〜13万が実勢だったと思うし、時代があっという間にプラズマ液晶に
移行していく中、生産も絞ったようで、あっという間に生産終了。あまり見かけなくなった。
買い替えで探していると、ブラウン管28インチワイドが異様な安さである。
3万円台でごろごろある。ただね。これらはD1端子のみ対応でhivisionは写ります、というだけで。
似て非なるものなんよね。
というわけで、ありました。残り少ない500Bが。ホントはBの付かない500が欲しいけど、
無いんだからしょうがない。500Bも7万円代まで値が落ちれば納得です。
D4端子にデジタルケーブルチューナーを突っ込んで、DVDもコンポーネントから突っ込みましょう。
一応1125固定の信号がTVに入ってますが、若干走査線の数が足りません。でも充分。
ま、また10年ほどしたら考えます。そのころは大型プラズマ、楽々10万切るやろな。
SONYは今やプラズマ液晶ともに、他メーカーの後塵を浴びる形になっています。
ブラウン管時代に一時代を築き、それが終わってゆく。
ブラウン管の最後の時代は、やはりブラウン管とともにすごしたいと思います。
壊れるまで・・・・ 2016年?2020年? 

このTV。実は映画マニアであるうちの奥さんへのプレゼントであります。
去年一年、苦しい家計を支えてくれたことに何かお返しを、と思いました。
そんなこといいながら、実はワールドカップをハイヴィジョンで見たかっただけだ!と
叱られております。
しかしハイヴィジョンで見るサッカーワールドカップ。よろしおまっせ。


2006.6.5
<BAND   LIVE   一期一会>
今日は村上ファンドの村上さん逮捕のNEWS
インサイダー取引つまり「ぬけがけ」はダメです。
株の世界でも汚いことはダメです。という結論。
この話はこれにて終了。

話変わって、訃報です。
坂本達哉さん 38歳。今日がお通夜、明日お葬式。
関東を中心に活動するBLUESMAN。
あまりに早すぎる別れに昨日からNET上でもお悔やみが相次いだ。
もっと命があれば・・・・もっとたくさんの人とたくさんの音楽を作っていけたであろう。
そして何より彼の人生でこれからできたであろうたくさんの大切なこと・・・・
ご家族ご友人の悲しみを思うと心が痛みます。
  心よりご冥福をお祈りします。
mixiではウェストロードBB、LEODUOの小堀さんが弔文を書いておられます。

曲りなりにもそれなりの年月を音楽と過ごしていると、いままでいかにたくさんの音楽仲間やBANDと関わってきたかということを改めて感じる。
しかし、ずっとずっと同じ道を歩き続けることは難しい。
というよりも、皆その人なりの道を歩いていて、その時期にたまたまオーバーラップしていただけだ、ということにあとから気づく。
だから、ある人が違う道に旅立って行くときはそれを見送り、またいつか会う日を楽しみにするしかない。
命ある限り、いつかどこかでまたその道は重なるかも知れない。

あるBANDがLIVEをやっていたら、それは実は一期一会のある時期の一瞬を切り取ったものなのだと思います。
プロなのかアマチュアなのか? ウマイのかヘタなのか? それは実はあまり関係ない。
今この空間を共有すること、それがとっても大切なことだとわかっているから、おのずと真剣になるし、一生懸命になる。練習後に涙を流すこともある。
その結果が「楽しかったLIVE」に繋がるのだと思う。
だから、「楽しくやってるんですから、ほっといてください」的な考えで運営されている一部のBANDとは
「楽しい」という言葉は一緒だけれど、スタートもゴールも随分違うのではないかと思う。

あるBANDに参加することは「人と出会うこと」。
「人と出会うこと」そして「別れていく事」それは人生そのものだ。
BANDを通じてそれを疑似体験できることで、今一緒にやっているBANDメンバーを心から大切に思う。
今のメンバーが集まれて良かったと思う。
みんな大人の集団なのだから、それぞれの私生活にはノータッチ。
練習とライブで顔合わす以外はそれぞれ自分の生活がある。
そこへは誰も入り込むことはないし、口出しすることもない。
みんなでどこかに遊びに行きましょう、なんてこともない。
ただ、スタジオや本番の時間だけは全員が1ヶ所でクロスする。
BANDってそういうもんだと思います。


2006.5.26
<甘い記憶。苦い記憶>

過去の記憶というのものはどんな味がしますか?
甘い記憶、苦い記憶という言葉がある。
その両方が入り混じった記憶もあるかなあ・・・・
でも今、自分がここに立っていること。
それは過去のそういった出来事の積み重ねの結果なんだよね。
都合の悪い記憶をデリートボタンを押すように消しながら
生きていく人もいるけれど、きっとそれは自分のこころの中に
嘘をついているよね。
きっと本当は消し去りたい記憶ほどこころに刻まれて
消えることが無いんだと思う。
でもそんな出来事こそが自分を成長させてくれている。
だからそこから目をそむけて、無かったことにするのは
成長のチャンスを自ら放棄してることなんじゃないんだろうか。
そして同じ事のくり返しをしてしまうことになる。

長いようで短い人生、いろいろな人が目の前を通りすぎていく。
ある一時期、一緒に時間や空間を共有していたけれど、
忽然と姿を消してしまった人。
付かず離れず何故か長い間付き合いのある人。
そして今、目の前にいて一緒に何かを共有してる人。
みんなみんな大切な人だ。
その人たちのおかげで今、僕はここにいる。


2006.5.23  (若干加筆しました)
<僕がブログをやらない理由>
先日、とある人とNET上で話していたときこんな会話になった。
「どうしてES355さんはHPとMIXIなんですか?ブログは?なんでやらないの?」
私がだらだらと長文を書きなぐっているのを見て、当然ブログの一個や二個持ってると思われたらしい。

僕がブログをやらない(あえて嫌いだと書かせてもらう)にはわけがある。
ブログがブームになって、M木谷さんのブログだのHエモンのブログだのを使ってお気軽に「無料で」スタートした人は多いだろう。
でも、無料ほど怖いものはないというのが世の中の常識。
ましてNETの世界で本当に「代償無しの無料」なんて言葉を信じてたらまるでアホである。
上記を代表とするポータルの運営サイドが「無料」という甘い言葉の代わりに何を得ているのか?
ということは理解しておいて損は無いだろう。
彼らが一番欲しいものそれは「アクセス」と「その個別情報」である。
その全てを分析解析し、それを売る。アクセス数に応じた金も動く。
どうすればアクセス数が増え、何をキーワードにすればいいのか?
ブログに書いてるほうコメント入れてるほうはのんびりと遊びでやってるわけだが、
それを管理するサーバーではとてつもないスピードでその分析をやってるわけである。
そして各ユーザーに興味のありそうな広告を載せたり、地域に応じた情報提供をしたりしているわけだ。 商売の匂いがぷんぷんする。
もちろん通販、オークションなどの情報も最適のものが選んでという具合。
ブログの最大の機能でもあるトラックバックについても、商売っ気のあるサイトやブログへの誘導、アダルト系への誘導など、
ブログ運営している人が削除に追われる、というのはよく見かけることである。
また、いわゆる「足跡」(不完全なアクセスログ)についても、自動巡回プログラムを仕込んで、
めったやたらにどんどん足跡つけまくるということも行われている。
目的は結局商用サイトへの誘導である。

僕が気に入らないのは、そこまで利用しておきながら、この「アクセス」という情報は全て
彼らの手の中にある、ということなのだ。
結局ブログの作成者は内容の管理をしているだけであって、アクセスの管理については
手出しできない、ということになる。
いたずら書きを一生懸命消して回るようなコメント消し、トラバ消しに追われるのが
NETをやる目的ではなかろう? と思うのだ。

インターネットの世界では、本来アクセスした瞬間にそのIPアドレスや端末のOS、ホスト名はわかるようになっている。
IPがわかればだいたいのことはわかってくる。
プロ串を刺してくる場合はそれだけで何か怪しいというのもわかる。
たとえば僕のHPではアクセス解析と全てのログは取れるようにかなり初期の段階からしてある。
これは悪意からではなくて、もし第三者からのいわれ無き攻撃や荒らしにあった場合、
当然こちらはそれに対して反撃する情報を得る権利がある、ということなのだ。
ぼくのHPの最下段にはご愛嬌で、アクセスしてくれた人のPCのIPアドレスと都道府県が
表示されるようになってます。それぐらいのことは掴んでますよ、掴まれてますよ、ということ。
また、おいでいただかなくても結構、とブロックする権限は自分が握っていたい。
ブログはそういった部分を全て運営会社が握っていて、ユーザーはなんにも出来ないのが現状ではないのかなあ。

本来のブログのあり方はスタートした時点では次に書くこんな感じだったと思う。
「あるテーマに沿った記事をまとめている人、それに対してトラックバックする人の記事が有機的に結びついて、
関連していくことで膨大な情報が構築される。」
アメリカでブログに火が付いて報じられたときも、私はそのようなイメージを持っていた。
日本でもブログですばらしい内容を積み上げている人はたくさんいます。私は音楽系を閲覧することが多いのだが
そのエネルギーと情熱に感心する方もたくさんおられる。
ところが、ここ日本ではどんどん方向がズレて行ってるように感じるのです。一部なのかも知れませんが。
わりと最近になって普通にブログをスタートさせている人や、10代を中心とする若い世代は
確かに日記的な使い方してるパターンが多いかもしれません。

いろんな人のブログを見て回ることが多いのだけれど、見るも無残な荒れ果て方を
しているところもある。閉鎖するのも面倒で放置しているのだろうけれど。
どうしてそうなってしまったのか?  それを考えたときに、ブログの性質をよく考える必要がある。
ブログは完全OPENである。WWW まさにワールドワイドウェブである。
全世界に門戸は開かれているし、誰でもが閲覧できる。
GOOGLEでもワードはHITするから、どこから誰が来るかなんて想像も付かない。
書かれている内容を作成者がおでこに貼って渋谷やタイムズスクエアを歩いているのとおんなじだ。
しかし、しかしである。書かれている内容のあまりのサムさに「良くこんなことを公衆の面前で書けるなあ」と何度も感じたことがある。
友達同士が電話でヒソヒソしゃべってるようなことを、世界中の人が見ることが出来るのだ。
読んであきれかえる人が出てきても不思議ではないだろう。
本来身内話に留めておくべき話をOPENにしちゃうので、眉をひそめられるのである。
コメントも自由だ。第三者が勝手にコメントを書く。誰が何を書こうと自由である。
時にはひどいコメントもある。しかしコメント記入を許可してるのは本人なのだ。 

内輪話は内輪ですりゃいいじゃん?と思ってたところ、MIXIに招待されたのが1年前。
これはまさに身内間の内輪話にはうってつけだと思った。
当初そう思ってスタートしたが、自分にとって思わぬ拡がりを見せた。
自分がかつて憧れていた存在と知り合うきっかけに・・・そして旧知の仲との長い年月を経た上での再会。
びっくりするようなことが次々に起こったのは事実である。
HPでも検索して探し当てて訪問してくれたりメールをくれたりする奇特な方も何人もいたのだが、
それはその人がこちらに興味を持って近づいて来てくれたのであって、その人が何をどう思って
毎日を過ごして生きているのかなんて知りようが無い。接点はごくごく狭いわけです。
でもMIXIの場合は、基本的に皆が自分の関心のあることだけ書いてるので、その人が
何が好きで、何に今夢中で、何に今怒っているのか? なんてことが良くわかる。
共感できる部分、相反する部分、いろんなことがわかるし、理解しやすい。
もちろんMIXIをはじめとするSNSの目的ははっきりしている。ブログとさして変わらない。
レビューを書いて誰かがそこからAMAZONに飛んで買い物すれば、謝礼は寄稿者ではなく
運営会社に転がり込むようになっている。
でも個人のトップページからは商売っ気を排除しやすいという部分はメリット。

当分 僕はHPとMIXIで行きます。 ブログはやらない。
ある程度きれいなところでまとめてある(多少の毒はあっても)HP。
もう少し個人的な内面に突っ込んだmixi。この2つの使い分けですね。最終mixiは「友達にだけ公開」にするかも知れません。
そんな内容が入ってくれば、ですが。  今のところはその必要性は感じてませんし、どこの誰に見られても申し開きのできるものには
なっていると思います。 また、それ以上先にはたとえNETの中であれ、突っ込んで行きたくないというのはあります。    
ただ、これは僕の考えであって、他の誰かに押し付けようとするものではありません。
NETの使い方なんて個人の自由、好きにすればいいこと。他人がとやかく言うことではありません。


2006.5.19
<馬鹿は死ななきゃ直らない?>
最近怒りぎみでごめんなさい。
まずはお世話になってるマイミクshakapapaさん(和歌山の知る人ぞ知るお店「楽−RAKU」のマスター)の日記をご覧ください。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=137525884&owner_id=330969&comment_count=2

MIXI関係ない方にかいつまんで説明しますと、深夜shakapapaさんの自宅兼お店前のゆるいコーナーで中央分離帯を飛び越え
数十メーター吹っ飛んで車は大破。 なぜか運転手と助手席の2名が逃走。 後部座席の2人を救出を近所の人が行った直後
車が炎上し、全焼した。というお話。
よく4人とも生きていたなあという事故。
何故運転者や助手席の者が逃げなきゃいけなかったか?
無免許か飲酒以外には考えられない。
まあ、無免許は論外として、今のこの日本と言う国において 酒を飲んで車を運転する、しかも暴走に近いスピードを出す。
このことが一体どういうことなのかを考えることが出来ない人がまだまだいることには本当にあきれ返る。
相手が親だろうが年上であろうが先輩だろうが偉い人?だろうが関係ない。
わたしははっきりその人に言ってあげたい。「アホちゃう?」
ましてや、「フーセン吹かされたけど出なくてセーフやった」
たら「どうやって家に帰ったか覚えてない」たら「俺は飲んでも大丈夫」(一体何を根拠にゆーとんねん)たら
寝ぼけた武勇伝を他人に吹聴してる奴には相手が誰だろうと、こう言ってあげる。
「一回死んでから交通刑務所へ行けや」
被害者の命を奪い、その家族を不幸のどん底に突き落とし、自分の家族親戚を生き地獄に突き落とす。
そんなことをイメージすら出来ず、目の前のアルコールの誘惑に負ける。
一杯のアルコールに自制心を失い次々と飲んでしまう。代行タクシーを呼ぶことさえ出来ない。
車を置いてタクシーで帰る判断すら出来ない。
そんなブレーキさえ掛けれないならその人は、はっきり言ってこころのネジが外れてしまってます。
自滅願望。破滅願望。自傷行為の代償行為。
そうとしか思えません。
あ、特定の誰かに向けてるわけではないので。一般論。
でも、ちょっとでも「ドキッ」とした人は、改めて下さいな。
大切な人の為に、そして何より自分の為に。

(追記6−25)
こんなことを書いてると、一部直接の知り合いに喧嘩売ってるように聞こえるかもしれません。
でも、誰かが言ってやらんといかんのです。   もっと早く言ってやれば・・・・・と後で悔やむぐらいなら。
もしこれ読んだ人で、「あ、この人・・・」と思う人がいるなら、ぜひその近くの人は心を鬼にして言ってやって下さい。
頭 本気で張り回してやってください。
最近、和歌山の某ドラマーが飲酒運転で摘発されました。90日免停、数十万の罰金。でもそんな問題じゃないのです。
もしそれで人身死亡事故を起こせばどうなるか? 
被害者への贖罪から一生逃れられることは無いのはもちろん、
保険は1円も下りず、賠償金に一生をささげ、仕事家族を失うことになるかも知れない。
場合によっては交通刑務所が待っているだろう。
そのことをイメージして欲しいのです。


2006.5.2
<So far away>

遠く離れてしまった・・・・・
近くにいるのに心が離れてしまう場合もある。
逆に心は触れているのに物理的に遠くにいることもある。
それは運命のいたずらが原因のときもあるし、
何かの誤解からそうなっていることもある。
また、ある人の寿命が尽きてしまったからというときもある。

なんであれ、伝えたい思いが伝わらない事はつらい。
もしくは伝えてはいけない時もあるし、もはや伝えようがない時もある。
そのつらい気持ちがいろいろあることを「BLUES」と呼ぶのだろう。
ならば、それは世界中共通だ。

幸い、僕らは素人だけれど、歌ったり楽器を奏でたりすることができる。
何年経っても、楽器を自分の思うようには鳴らすことはできない。
でも、思いを乗せることはできる。
目の前で聞いてくれているお客さんに向けてはもちろんのこと、
今、目の前にはいないけれど、伝えたい人にも向けて演奏したいと思う。
「どう?元気にしてる?僕は元気にやってるよ。こうして今も音出してるよ。」

明日5月3日はオープンエアーのフリーコンサート。出番は2時から3時ごろかな?
場所は和歌山 和歌浦片男波野外音楽堂。お気に入りの場所。
芝生の上に座ったりねっころがったり、犬と遊んだりしてるお客さん。
自分の出した音が海に向かって飛んでいく。
できれば思いも一緒に飛んでいけばいいなあと思います。


2006.4.23
<さあ!いよいよFESTWEEK突入!>
今年は28日29日30日と5月の5日6日7日。
ざっと出演者はこんな感じ。
Fats Domino, Bruce Springsteen with the Seeger Sessions Band, Jimmy Buffett, Dave Matthews Band, Paul Simon, Bob Dylan,
Lionel Richie, Keith Urban, Yolanda Adams, Herbie Hancock, La India, The Meters, Allen Toussaint w/ Elvis Costello, Etta James,
Dr. John, The Ohio Players, Irma Thomas, Ani DiFranco, Keb’ Mo’, Hugh Masekela, Robert Randolph and the Family Band, Koko Taylor,
Pete Fountain, Doug Kershaw, Little Feat, Bishop Paul S. Morton, Sr., The Radiators, Sam Moore, Doug E. Fresh & Slick Rick,
Warren Haynes, Angelique Kidjo, Yerba Buena, Chris Owens,Irvin Mayfield, Buckwheat Zydeco, Galactic, Deacon John,
Rebirth Brass Band, Preservation Hall Jazz Band, Donald Harrison w/ Eddie Palmieri, Snooks Eaglin,Cowboy Mouth, Clarence “Frogman” Henry,
Kermit Ruffins, Roland Guerin w/ Marcus Roberts, Sonny Landreth, Walter “Wolfman” Washington, Terence Blanchard,
the subdudes, Ellis Marsalis w/ Lew Tabackin, Nicholas Payton, The Dirty Dozen Brass Band, and many, many more.
http://www.nojazzfest.com/
今週ぐらいからマイミクの一部の方が続々とNEWORLEANSに渡る。まだまだ復興が進まない町。いろいろ問題も残ったままだ。
町の風景を見て改めて心が痛むことも多いだろう。
でも、世界中から音楽ファンがまたこの町に集まること。
その音楽を心から楽しむこと。それが一番のこころの支援なのだと思う。
昨夜いつものTAKE5という店の月1LIVEを演るのに行ったら、5月3日の和歌山和歌浦片男波野外音楽堂での出番が決まった。
僕にとってはここがフェアグラウンドのステージだと思って思いっきりガーンとラウドに演ってこようと思います。
NEWORLEANSにこころを馳せて、この空と海が向こうと繋がっている事を感じながら音を出したいと思います。


2005.12.27  <2005年の個人まとめ>
2005年 この年を個人的に振り返っておくことは大事なことだと思う。
ちょうど1年前、2004年末。僕はまだ事務所の片隅で仕事に忙殺されていた。
仕事自体もそうであったが、人間関係の面でもストレスが溜まってもうどうにもならない感覚に襲われていた。
ついにその職場を辞めようと思ったのはその頃だ。ピンと張っていた何かが切れてしまいそうな気配を感じていた。
年が明けて、職場の中間管理職(僕もその一人だった)が、一人また一人と離脱していくようになった。
組織として人を繋ぎ止めていく力がなくなって来つつあったのだろうと思う。仕事の山場をひとつ越えた時点で、職場を離れた。3月のこと。
組織としての管理能力を問われ、当時の支店のTOP2名は更迭されたと聞いた。
その後どうなったのかは知らぬが、今もその根本的問題点はそう変わらないと思う。
退職手続きと同時に住宅ローンの組換えを正式退職までに終えた。これは綱渡りであった。一歩間違えばアウトであった。
また、退職と同時にひとつの計画が実現可能になった。 NEWORLEANSのJAZZFESTを見に行くことである。
南部の町を車で走りたいという夢もあった。今しかない。すぐにNETで手配を開始。飛行機以外は全部自分で手配した。
4月中旬からアメリカ南部へ。これについては旅行記があります。ここで得たことは大きいと自分で思う。
http://www.eonet.ne.jp/~es355/NEWORLEANS.htm
5月に入り、帰国後、音楽活動が徐々に活発化する。参加BANDが3つ。それぞれの練習とライブ。
それで気は紛れてはいたが、精神的には不安な毎日を送っていたのだと思う。
一つはやはり無職の不安。これは男性にとっては重い。いままで、一応20年ほどは仕事を曲りなりに続けてきている。
それを失うことの不安は大きい。
それをあえて選択する「ニート」について調べたり考え出したりするようになったのもこの頃。
自己都合の退職は3ヶ月の欠格期間があって、僕の場合8月ごろまでは、どこからもお金は入ってこない時期であった。
つまり、この期間は蓄えと自分の所有物(楽器とか)の処分によって家計を廻していた時期でもある。それも一つ不安定要素の一つであった。
価値観を切り替えていかなければいけない時期でもあった。モノへの執着を捨てるという・・・・
その反動であろうか、自分に対しての逃避的行動がしばらく続く。現実から逃げようとしていたのかもしれないが、刹那的な生活であったように思う。
6月7月ごろはそんな感じで日が過ぎた。自分自身に自信が持てない状況下で無理に居場所を求めたのかも知れない。
本来この時期に自分というもの、家族、仕事、音楽に真正面から向き合い、取り組んでおくべきであったのかも?
と今となっては思えるのだが、その頃はそうは思えなかった。そこが自分の弱いところであると思う。
実質それらを真剣に考え出すのは8月に入ってからのことである。
その頃からちょうどいわゆる失業保険が毎月定額で入り、結構いい額をもらえるのである。
それはそれで安心できた事もあり、精神的には落ち着いてきた。厄介ないくつかの諸問題からも開放されて、ようやく自分に目が向いてきた。
このあたりが頭が切り替わった時期でもある。ハッと目が覚めた頃と言ってもよい。これが8月下旬から9月頃。

時を同じくして、春に行ったNEWORLEANSを中心とする南部をハリケーンが何度も襲った。最初のカトリーナが上陸コースをほぼ確定した頃から
うちの家ではCNNが24時間付きっぱなしになった。その光景には大変なショックを受けざるを得なかった。
現地の知人と連絡を取り合ったり、NO現地で知り合って、今は全国各地にいる人たちとの連絡を取り出したのもこの頃。
CNNから流れてくる情報量と国内で流れる情報量の差に愕然とした。
各地で活発な支援活動がスタートする。その情報を見ながら、自分に何が出来て、今何をやらなければいけないかを考えた。
やっぱり音楽をちゃんとやろう。派手にイベントを立ち上げることはできないけれど、自分で音楽をやって、聞きに来てくれたお客さんに手作りの
フライヤーを配ろう。募金活動は控えめにやって、感じてくれた人には協力してもらおう。
そう思い立って、やっと自分で動き出した。すると不思議なもので、いろんな人との出会いが一気に拡がった。今までなかなか会えなかった人とも
会って話が出来たり、名前は知ってても話が出来なかった人とも面識が出来たりするようになる。お店もいろんな店に出入りし出す。
縁の出来た人から、ライブの共演を持ちかけられたり、横でギター弾いてくれといわれたり、ブッキング入れてくれたりと・・・・・
基本的に来た話をWブッキングにならない限り、全部受けたら、夏以降今まで定期的に参加させてもらってたのを含めて
30本近いライブを年内に経験できた。
中でも10月23日のGUMBOFESTは忘れられないものの一つ。ここでの出会いも今後大事にしていきたい。
まあもちろんいい事ばかりではなくて、今まで限られた時間の中で、割と限定、固定メンバーで接してた部分があるんだけれど、
それを間口を一気に拡げたもんだから、まあ、たくさんの人が目の前に現れることになった。当然、いろんな人がいる。
数は少ないのだけれど「ああ、この人とはいつかは訣別だな」と直感で思った人もあって、とりあえずはその中には入ってみたが、
最終的には、事実その通りになった。
これは先入観で見ている訳では無く、第一印象の部分。だからそういった自分の動物的カンを改めて見直した時期でもあった。
時間だけはやたらあったので、本はたくさん読めた。これは大収穫。 仕事に追い回されている時は、何かに悩むことはあっても、
それについて考える為の何かのヒントをもらえそうな本を探し、それを読むなんて余裕が無かった。買っても落ち着いて読んでなかった。
それらを読み返し、自分でも驚くほどたくさんの本を買って読むうち、だんだん解って来た事があった。
今まで自分をさんざん振り回し、試し、または遠まわしに操作しようとしていた人たちの精神構造である。
先にこれらの智恵があったら、こんなに悩まなくていいのに・・・・とも思ったが、その渦の中にいるときは、かえって解らないものだ。
また、その経験が無ければ、本に書かれていることの本質が解らない。字面でわかった気になるだけだ。
往々にして、全てが終わった後に全てがわかる。という事を実体験した時期だった。
こうして2005年が暮れて行く。自分にとっては良き一年であった。色々な事を考えた。
出会いと訣別の年。自分を見つめる年。失うものもあったけれども、それ以上に得るものが多い年であった。 


2005.12.22
<和歌山の津波シュミレーション>
すでに発表されてだいぶ経つのだが、一体
どれぐらいの人が見たのだろうか?
NOでも浸水シュミレーションはとうに発表されていたと聞く。
ただ、それがどれだけ浸透しているかが問題だと思う。
家にPCがない、あっても使い方が解らない、NETが嫌いだ。
ではそのような人にどう伝えるかを考えないと、
「あれだけ警告したじゃないか!」などと寝ぼけた事を
事後に言うハメになる。それは行政側の怠慢であると思う。

TOP
http://bousai.joi.wakayama-u.ac.jp/archives/tsunami_cg.htm
和歌山の浸水シュミレーション
http://bousai.joi.wakayama-u.ac.jp/tsunami/2d/wakayama3_nashi.wmv
和歌山大橋のCG
http://bousai.joi.wakayama-u.ac.jp/tsunami/3d/animation/04wakayama-shi_kinokawa/04big.mpg
海南市の浸水シュミレーション(第2波が3m以上の浸水をもたらす)
これはショッキングです。船尾日方から坂を越えて黒江まで?
http://bousai.joi.wakayama-u.ac.jp/tsunami/2d/kainan_nashi.wmv
田辺市CG
http://bousai.joi.wakayama-u.ac.jp/tsunami/3d/animation/06tanabe-shi/06big.mpg
但しこれらは、紀ノ川の堤防や防潮堤、水門などが、すべて
完璧に働くという事が前提のシュミレーションだと思う。
今回のNOの場合のように、切れるはずのない?堤防が切れた時の想定は全くされていないのではないか?
水門が実際には閉まらなかった、などという例は過去いくらでもあり、このような巨大津波が大地震の後に来る、という事を
考えても、まず地震で水門や堤防が物理的に壊れて、その1時間後〜2時間後に津波が襲う、
という最悪のシナリオもシュミレーションしてみるべきだと思う。
この浸水マップを見て安心する人が出るのが余計恐い。うちは逃げなくて大丈夫、と。

湯浅の深専寺に150年前に建てられた石碑があります。
 http://www.bo-sai.co.jp/tunamikokoroe.htm
 過去の経験に学ばなければいけないと思います。
 要は避難場所とそこへどの経路、どの方法で行くか。  何分以内に。 そこへはどれぐらいの人数が殺到するか?
 という事を具体的に考えておかないといけないのです。 基本的に車は使い物にならないと考えた方がいい。
 2輪で行けるところまで行って、そこで2輪を捨てるというのが、一番とは思うが、全員が使える手ではない。
 では裏山に歩いて上がるとして、そこまで荷物をまとめてリュックを担いで上がるとして何分掛かるのか?
 散歩がてら一度自分の足で上がってみるのがよいと思います。
 その道の細さに驚くかも知れません。そんな山道に何千人が殺到しても、渋滞して前に進めない可能性大。
 特に海南の場合などは山上に万単位の人間が上がれる広場とそこまでの道をきちんと作っておくことが、大切かと思います。
 防潮堤を越す津波が来る想定ですから、止めることよりも、避難を第一に考えるべきかと思います。


2005.12.11
法律を学ぶ前に 君にはやるべきことがあった。
母親に言われるがまま受験勉強だけをすればいいのでは無かった。
試験でいい点を取るだけではダメだったのだ。
親の言う事は時として間違っている。
人の財布を盗んではいけない。その事をまず学ぶべきだった。
YESとNOをはっきリ意識して自分の人生を切り開く必要があったのだ。
小学校6年の子供でも「自分」を持っている。言う事を聞いてくれないこともある。
そんな事が「自分」と「相手」をきちんと見つめられない君には理解できなかった。
君は小6の子供に「自我確立」の面で太刀打ちできなかったのだ。
尊敬されるはずが逆だったのだろう?それが許せないのか?
子供の目と勘は実に正確に君の心の中を見抜いたのだ。
これから、君が座学で勉強した裁判を現場で学ぶことになる。
自分で責任を取りなさい。もはや親のせいでも世間のせいでもない。
23歳。年だけは立派な大人なのだから。

次々と失われる幼い命に心からご冥福をお祈りします。
ごめん。今の40代50代60代70代の大人の責任や。
自分らのことばっかりで、次の世代の事を何にも考えてない
その日暮らしのことばっかりやってたからや。
政治、国債、年金、教育、外交、自然環境。
次の世代にツケばっかり回してしまったね。ごめんな。

私も今回の被害者の親と同世代でもあり、その悲しみを考えるとやり切れません。
と同時に加害者の親の悲しみも想像しておくべきだと思うのです。
子供には充分に金を掛け、教育費を掛けエスカレーターの私立高校大学に通わせ、色々あったあげくの卒業間近だったのです。
こんなはずじゃなかった。どうして?の気持ち。
被害者、被害者遺族、世間に申し訳ないという気持ち。
自分の子供に良かれと思ってした事は、ことごとく裏目に入ってしまった。
やはり子育ての根本的な部分が間違っていたとしか思えません。
最終的にきちんと親離れして自分の二本の足で自立すること。それをサポートしてやることが子育ての基本かと思われます。
しかし、然るべきときに愛情を注いでないのに、突き放すときだけは突き放すのでは、本人の人格が壊れていくだけでしょう。
彼は親との関係の中で何度もそんな経験をしているはずです。
人の物を盗んで烈火のごとく叱られる。そんなことは幼少期の間に済ませておくべきなのです。
愛情から叱られるのと、世間体に悪いからと叱られるのでは結果は180度違う。


2005.12.2
ついにやりやがったな という策が登場。
V社のケータイ同士で、特定の1つの相手との通話、メールし放題で月315円定額。
V社は春に2台分解約に行って、そのときの窓口の印象が大変悪かったので、やや批判的に見てる前提で書きます。
ご存知のようにD社と同様、相次ぐ解約に苦しむV社のある意味「捨て身」とも言える契約奪回策として、スタートであります。
問題は、これはV社の契約回線数の回復には役立っても、通話料の増収にはそれほど直結しないだろうこと。
まあトラフィックは余ってるだろうから大丈夫か・・・
また、V社は過去、優遇的契約条件で多くの契約を集めておきながら、突如その条件を解消した前歴があり、それが多くの顧客離れを呼んだのだ。
今回もこの「LOVE定額」(笑)がいつまで続けることができるのか?またその体力が残っているのか?が疑問。

これによって交わされるであろう会話を考えるとゾッとするものがあります。
「あ、もう遅いな。明日早いし、ケータイ代もかかるからそろそろ・・・・」
「な〜にいってるの○○くん。この間ケータイ変えたじゃない いくら喋っても315円よ。
もうちょっといいでしょ。私ね、今日嫌なことがあったのよ。聞〜いてくれる〜(わよね当然)」
「・・・・う・・・うん」(がっくりうなだれ)
この会話がされた時すでに1時間経過、嫌なことのグチはさらに1時間以上続くのでした・・・・・・

うわあ、これは受難が待ってるぞ。NOと言ってブチッと電話を切れない奴は大変だ。知らない間に電話依存、メール依存が
2人の密着をさらに進行させ、共依存状態に突入。だらだらと通話とメールのやり取りが常時繰り返され2人だけの世界に埋没していく・・・・
コミュニケーションしているようで、それがこころのふれあいを深める事にはつながらない。
量ばかり増えて質は全く深まっていかないパターンにハマル人が出てきそうです。怖い。
遠距離恋愛限定とかにしとけよ!
とぼやいてる間にCMが始まった。 エルメスこと伊藤美咲が出てきて。
「す き かな」「うん すき」「すきすき」「すき!」
と必死で自分の気持ちを固定化しようと努力するオンナを演じている。これは非常に示唆的だな。
だんだん言っているうちに(例え嘘でも)その気になっていく心理。そのズルさ。
これらのセリフは相手があって言っているようには聞こえない。独り言のようだ。
いつまでたっても通じない一方通行のコミュニケーションを暗示するコマーシャルに思える。
月315円でLOVEは買えない。そう断言する。


 2005.11.18
今日は曽野綾子さんの随筆を読んでいて・・・・・
この方、私の両親よりちょい上かな? 読んでると、親を饒舌にして喋らしたら同じ事を言ってそうで耳の痛い部分がありますね。
こんな一節が・・・・「選択は人間精神の勇気の証である。 だから、バナナとあんぱんを両手に握りしめて食べているのが
子供ならいいけれど、大人だったらうんざりする。」

これを読んでこんな光景が浮かんで来ました。バナナもあんぱんも親が与えたのかもしれないのです。
つまり、親は教えると言う事で責任を取らなくてはいけない。
子供が泣いている。両方食べたい。と。 聞いてみました。「どっちが先に食べたい?」
「バナナ。でも手がふさがってるから皮がむけないの」
「そうか。じゃあ。」と言うなりあんぱんを取り上げて戸棚の中にしまってしまいました。「これで食べれるね」
「でも、ひどい。両方食べたかったのに」「今日はひとつにしておきなさい。また明日ね」
半泣きのままバナナを食べるうちに涙は止まりました。
頭を撫でつつ、皮をむいてあげて、口へ運んでやることも出来るだろう。 両方同時に食べさせることも。
それは一見優しいようで、実は自立を妨げる行為だろう。
そうする事は、選択すると言う事、ひとつのことに集中する事、自分で出来ることを自分でやる事、
バナナもあんぱんもすごくとっても美味しいという事。
それを本人が学ぶチャンスを逃してしまう事になる。
泣けば何とかなると思う子を育てる事になる。
しかし、そんな甘えを引きずったまま大人になっている人のなんと多いことよ。
あれもこれも手を出してどれも中途半端。うまくいかなければ他人のせい。自分の置かれた環境のせい。
どれも手にしたままでは物事はうまくいかない。時には地面に荷物を置かなくてはいけないときもある。


2005.11.3
紀ノ川市が7日からスタートです。
打田、粉河、那賀、桃山、貴志川の5町合併。人口約7万。
そして新年からは有田川町スタート。
吉備、金屋、清水の3町合併。人口3万。
3万の人口といえば、和歌山市の10分の一にも満たない。
しかし、ここには何とも言いようのないくらい味の濃い(笑) 良いミュージシャンが数多く棲息する。
何故だ?何故なんだ?
昨夜も吉備町のJUKEJOINT「布袋」でのできごと。
到着するとすでに、うえまえ君がピアノと歌。尾根サンがギター。中西君がカホーン。さらーッとリハモードで演奏中。
それがまた良いのだ。尾根サンもすごいのだ。
何でも、急にピアノの発表会での演奏が決まり、助っ人を頼んだのだとか・・・・・町内で日常的にこんな演奏がさらっと聞ける。
まだ理屈だへったくれだが身に付いてない、スポンジのように吸収する小さな子供の耳が集まるピアノ発表会で、
尾根サンの絶妙なギターが静かに「炸裂」するのである。
これって地域密着の文化じゃないですか。
お客さんには元レデンプションズのドラムBONZOオチャム氏、そして若い兄ちゃんが。
お、ベース持ってる。ケースにはマーカスミラーのサインが・・・・上田君。21歳だそうだ。達者ないいべースを弾く。
アイドルベーシストはマーカスとグラハムとロッコだそうな。君、おっさんみたいなこと言うね。
このO芸大JAZZ研のベーシストは、なんと有田川町へのUターン就職を狙ってるらしい。芸大→国語教師?? 
でも音楽や美術の採用枠を狙うよりはるかに賢いなあ。
聞けば昔、尾根サンにギター習ってたらしい。やっぱり門下生やったんか!道理で・・・
この町で音楽をやってるメンバーが必ずしも皆尾根サンの門下ではないんだけど、
その影響でいろんな系統の人たちが刺激を受けて活発になってるのはある。
しかも皆ジャンルなど最初から気にしてないのだ。オープンマインドである。
小さなコミュニティだからこそのメリットであるともいえる。一人の男の存在が音楽シーンを変える。
音に対する考え方を変える。音でのコミュニケーションが取れるメンバーが育つ。それが実現した町である。 ホメスギですか?

今夜その尾根サン率いるWAVEがOLDTIMEでBLUESNIGHTに出ます。ドラムは特別参加オチャム氏。
練習、リハ無し。ぶっつけ。曲が終わらないかも知れません。
でも何かが起こる瞬間はあります。


2005.10.28
子供(娘)と10時台のドラマを見るぐらいになってきました。いつに間にか大きくなるのよねン。子供は・・・・
花より男子2 先週からやってます。 以前深夜枠で台湾のイケメンでやったりしてたな。この話。
と、見てると、主演の井上真央ちゃんがなかなかいい女優さんで。
コレはポッと出ではないなあ、と思って調べていると やっぱり子役上がり。もう10年のキャリアがある。
と言う事は、そのもっと前から実はやってるということ。宮沢りえも出てた「三井のリハウス」も経験済み。
いい仕事選んでいい女優になってもらいたいモンです。
SWINGGIRLSの上野樹里を見たときもそうでしたが、新しい女優さん俳優さんの登場はすごくうれしい気持ちになりますね。
1987年生まれのこの子の親は多分僕らと同世代。子役からその道に進ませてるというのは、やはりすごいな、と。
上記のようにうまくいけば何も問題は無いのですが、本人の意志の無いうちから進路を誘導していくことは、非常にリスキーな賭けなわけです。
コレは芸事でも学業でもなんにでも言えることであろうと思います。
一歩間違えば、挫折の山と自我喪失と自暴自棄を経験させてしまいがちです。世の中にはそんな人、いっぱいいます。
いろんな面での困ったチャンを育成しかねない。


2005.10.22
ここ数日知人の女性のところにその女友達から困った相談が舞込んでいるようだ。
相談を受けてる本人も「気にしてない、関わらないようにしてる」というものの、それをまたこちらに言ってくる所を見ると、
口には出さねどボディブローのように、こたえているのだろう。
その相談とは何か。「ひどい男にひっかかって、いい様に扱われている。心身共にボロボロにされた。でも好きだから別れられない。
もう死んでやろうかと思う。」というもの。  またかよ。    その相談とやらで、周りを巻き込むのはやめてくれ。
思えば、そういう相談者っていうのは身の回りに結構いたりする。会社の中、クラスの中、友人・・・・・その他いろいろ。
結論は一つ。原因は相手の男のせいでもなんでもない。元相談者の心の中の問題なのだ。
それをクリアしない限り、元相談者の相談事とやらは永遠に続く。不幸な身の上話もずっと続く。
今まで生きてきた環境の中で、関わってきた人との出来事の積み重ねは、愛情の欠損と人間不信をこころの底へ
INPUTしてしまっていて、もう自力で取り除くことは出来ない。
その結果、なぜか自分を粗末に扱い、都合の良い存在としか思わず、ないがしろにする相手に吸い寄せられる。
それはまるで麻薬に魅入られたジャンキーのようですらある。
そしてそこにすがりつく自分の姿を自分で再確認し、それを切々と友人に訴えるのである。
たまったものではないのがその話に付き合わされる友人達だ。
その人にはもちろんいいところもいっぱいあるので、悩んでいるのは辛いだろうなと皆、思ってくれる。
みんなそれぞれ自分の問題も悩みも抱えているのに、時間を割いて会ったり電話で話す。
またか!と思いつつ、聞いてあげる。アドバイスもする。それも真剣に考えて。
でもほとんどそれを聞いてはいない。素通りしてしまう。当の本人は自分の話に夢中だ。
話している間だけは自分が安心していられる、心が落ち着く。
話を聞いてくれることは自分を認めてくれていることだ。それがすごく嬉しい。
ただしかし、いかに自分はひどい目にあっているか、それを延々話すことが、話している相手に対して
いかにひどい仕打ちであるかと言う事は想像もつかないのである。
なぜか?本人の頭の中は自分のことで一杯だから。可愛いのは自分だけ。が本音。
基本的に自分の悩みで頭の中は一杯だから、友人を大事にしようと言う気持ちは吹っ飛んでいる。
自分の都合で、連絡が入り、電話が入り、メールが来る。相手の都合はお構いなし。
深刻な様子で頼み事をしてくる、大変だと思って色々考える。アイデアを出したりするが、
それには答えずほったらかし。 随分しばらくたって「あれはもう解決した」でおわり。
そんなことの繰り返しで、本質に気づいた友人達はやがて疲れてしまい、一人そしてまた一人と去っていこうとする。
さっきまで話を聞いてくれていた「いい人」が、距離を置こうとすると、「私を見捨てる最低な人間」に急変した様に感じてしまう。
いい友達だと思っていたのに裏切られた。 許すことは出来ない。と言う。
しかし、その人の要求は「黙って聞き続けること」である。「私に何かあれば、みんな駆けつけて慰めて欲しい。」それが無言の要求である。
そんな要求にずっと付き合える友人はいない。身内でも無理だ。
自分というものが今ひとつわからない。自己蔑視に悩み、自分には価値が無いと思い込んでいながら、
そのくせ人一倍プライドも高く、注目されたい認められたい評価されたい気持ちが強い。
一番向き合うべきは、自分自身。自分をよく見つめること。
自分の力で立って、自分が大切だと思わない限り、自分で自分を痛めつける発想や行動は無くならないだろう。

一方では災害や事故で大切な人を失い、家を失い財産を失って不安に震える人も多くいる。
天涯孤独になってしまって、話を聞いてくれることやメールのやり取りで、本当に心が休まる人が世界中に多くいる。
僕は冒頭のような自分自身と周囲に甘えた話に時間を割くぐらいなら、本当に必要とされて喜んでもらえることに時間と労力を
割きたいと思っている。 皆、持っている時間は一定だ。


2005.10.13
 実は昨日が誕生日でして、もう40も過ぎるとうれしくとも何とも無いのですが、声を掛けてくれるのは単純に嬉しくもあり・・・・・
そんな中、NEWORLEANSからバトンルージュに避難中のハイディからNET経由でバースデーカードが昨日届いた。
きれいな花に添えて、メッセージが「YOJI あなたは前回のJAZZFESTを見ることを選んでほんとにラッキーだったわね。私は今年はあんまり
会場にいることが出来なかったけど。  今度フレンチクォーターフェスがあるけど、きっと盛り上がるわよ。」とありました。
お礼のメールをつたない英文で綴る中で、ハリケーン通過後から初めてもらったメールで姉さんのGINAの消息が不明であることを聞いて、
それからずっと聞けなかったことを聞くべきかどうかを迷っていました。「ジーナは大丈夫だった?」と。
でも、これがずっと聞けなかったのです。最悪の事態が頭をよぎり、その時の彼女の気持ちを考えると、どうしても聞けなかった。
彼女がそのことに触れるまではこちらから聞くのはよそう。そう思っていました。
でも昨日。もうあれから1ヶ月半近く経過した中で、やはり聞いておくべきだと思って聞いてみました。「ジーナは、ファミリーは大丈夫?」
そして今日その返事が来ました。 「ジーナは大丈夫。でも彼女は全てを失ってしまった。家も、制作スタジオも何も残っていない。
私は彼女に対しての寄金を募ることをを開始しました。そしてそれで残った作品のドライクリーニングが出来るようにしたいと思ってる。
バトンルージュは交通が不便で、車も欲しいけど、仕事を探すことが非常に難しい状態。でもどうやってでも、私はやりきるわ!」
姉のGINAはバテック染めの作家で、現地で僕も作品を一つ分けてもらった。それは部屋に飾ってある。レンガ色の地色に楽器が・・・
ピアノとそれを弾く手、ギター、トランペット、サックス、太鼓・・・   今にもそこから音楽が聞こえてきそうだ。
慌てなくていいから、自分で出来ることをやっていこうと思う。何かの形で働きかけていこう。そしてやっぱり音楽をやっていこうと思う。


2005.10.3
この数ヶ月、いわゆる家族トラウマ、アタッチメントトラウマに起因する「ひきこもり」「共依存」「恋愛依存」「回避依存」「DV」といったキーワードで
いろいろ本を読み進めています。ある意味戦後日本の問題がここにも現れてきているというのが印象です。
もちろん本は心理学的要素が大きく臨床例や、カウンセラーから見たクライアントの実例が多く紹介されているのですが、
もっと身近で本音でどろどろとしたものを書いてるところは無いか?と思ったら、あるじゃないですか!
電車男で一気に全国の全家庭に認知されてしまった「2ちゃんねる」です。
興味深いスレッドを読んでみたので紹介します。もうすぐ1000を超えてしばらくは見れると思いますが、後に鯖落ちdat落ちになってしまうと
思われるのでうちのサーバー内にアーカイブしておきます。
元スレ               http://love3.2ch.net/test/read.cgi/ex/1095056640/
アーカイブ10月3日        http://www.eonet.ne.jp/~es355/riyuu.htm
まあ 読んでいて思うのは、一般に男性は女性を、女性は男性を責めるけれど、どっちもどっちだねと言うのが率直な感想。
それよりもその一個人が今まで育ってきた過程と、それをどう乗り越えてきたのか、乗り越えれていないのかというのが大切だと思う。
人は赤ん坊として生まれて、1回目の離乳を経て学校に通いだす。そこから2回目の精神的離乳をどこで実現するか?なのでしょう。
親離れ、子離れ、親からの自立。  これが意識せずに出来た人、死別などの別離で無理やりせざるを得なかった人、自分自身と闘って実現した人
未だ出来ていない人(年齢に関わらず)。そこに上記の家族トラウマ、アタッチメントトラウマが潜在意識の中に根付いてしまっている。
上の2ちゃんスレの中には、相手とちゃんとした恋愛が出来ない人。コミュニケーションが取れないまま恋愛に突っ走る人。
本当の自分の気持ちが解らないまま、なんだか成り行きで流れていく人。色々出てきます。
まず自分を知ろう。そして何でも自分で決めよう。これからどうしていきたいのかを常に考えよう。そして自分を大切にしよう。
そうして欲しいと心から願います。


2005.9.28
今日はMIXI用に本のレビューを一つ書いたので、それを転載。あちこちほうぼうのBBSなどに重複投稿するのは
マルチポストになるんでしょうが、MIXIと自HPのコンテンツであるここだけだから、まあ許してちょうだい。

「心に橋を架ける言葉」     2005年 8月   扶桑社
加藤 諦三, ドロシー・ロー・ノルト, 石井 千春

伝えよう 架け橋になって     
伝えよう あの人に
伝えよう 落ち着いて        
伝えよう 意見を聞いて
伝えよう 耳をかたむけて      
伝えよう 気持ちを汲んで
伝えよう 世界を広げて       
伝えよう ゆとりを持って
伝えよう 歩み寄って        
伝えよう 正直に
伝えたい 率直に          
伝えたい 諦めずに
伝えたい 機転を利かせて     
伝えたい 相手の立場に立って
伝えたい 手をさしのべて      
きっと伝わる 心を開いて、智恵の声を聞けば

この16行のドロシー・ロー・ノルトの詩が目次になっています。 この目次を見ればソフトな啓発本と思うかも知れません。
しかし、著者は加藤諦三である。ワタシは実は隠れファンである。
いままでに、「自分を見つめる心理学」や「思いやりの心理」「やさしさと冷たさの心理」「不機嫌と甘えの心理」などを
1冊でも読んだことがあればおなじみの、あの加藤諦三ワールドが展開される。
今回の作品はある種、総集編的に網羅されていると思う。
自分のこころが弱ってる時はさらにヘコミます。コテンパンにやられます。言葉にオブラートがかかってません、ダイレクトです。
必死にバリアを張って隠していても、それをナイフでズバッと切り開いて自分の弱みを目の前に置かれるような鋭さがあります。
否定すればするほど、未だ乗り越えられていない自分の壁と未完成さを思い知らされます。
でも、そんなときのほうが読む価値があるのではないかと思います
なぜかと言うと、ヘコンでいるときは、それを自分の事として感じることができるからです。
逆にこころが強い時、例えば自信に満ち溢れて恐いモンなんてないぜ!なんて時はあまり意味がないでしょう。
それは我が事として感じられないから。読みながら、どこか他人事のように単なる座学として読み流してしまうのではないか。
良く言われる「知る」ことと「わかる」ことは違うというのはそう言う事です。
世の中には、知識として知っていても、その意味が本当に解っているかどうかを自分で気づかずにいる人が多い。
なにより自分自身を自分で解っていないことが多いのものです。
言葉は辛辣で、一見過激なように感じるかも知れませんが、内容は現代心理学のど真ん中を行ってることは読めば解ります。
独りよがりでなく、相手とこころの交流のあるコミュニケーションを取りたいと求めている人にお勧め。
子育て、男女関係、社内の人間関係、夫婦関係、親子関係、友人関係など、人とのコミュニケーションに
ふとうまくいかない何かを感じたことのある人は、多分ジャストミートする部分がどこかに記されているはず。
著者のHPも是非どうぞ。
http://www.kato-lab.net/


2005.9.21
<磨く>
今日はマイクスタンドを2本磨いた。不精して使った後にベランダに放置した為に錆びてしまったのだ。
しかもそれから何年も経っている為に、頑固な錆びになっている。スチールウールにコンパウンドをつけてガリガリとやる。
おー。昔自転車の錆び落としをよくやったなあ・・・・・ 僕らが子供の頃は自転車はとてもとても高いモノで、錆びたとか古いぐらいの理由では
おいそれとは買ってもらえなかったのだ。錆を落としては556で磨いて、またコンパウンドで磨く。メッキが生きているところは
この作業の繰り返しでピカピカになった。鉄部までイってしまってるとことはダメなんで、塗料でタッチアップすることにしよう。
モノを磨くという行為はこころの浄化に役に立つのだそうだ。確かに一心不乱にやってると雑念が飛ぶ。
ある程度人生を重ねてきて、「磨く」ことを趣味にする人は多い。対象は流木であったり、石であったり、銀のライターだったり、
釣りのリールだったりするわけだが・・・

そのあとコンパウンドの付いた雑巾で家中のちょっとしたところを磨いていく。ドアノブや蛇口や台所の水周り・・・
おー ピカピカしてきて気持ちいいぞお。でも最初は全部ピカピカだったんだよね。
そうこうしてるうちに、部屋から奥さんが出てきて「何やってんのん?」と・・・「あー いや むにゃむにゃ・・・・」とごまかします。
生活の中で、毎日ルーチンでやることを適当に分担してうちの家はやるのですが、これをキチンとすることはとっても大事なことです。
食器の洗い物や洗濯などは溜まって行きますから。気づいたら気づいた人がする。
でも、そこから漏れている部分も毎日じゃなくても手入れは必要です。職人さんが自分の道具は毎日手入れするように、
僕らも自分の身の回りは手入れしていかなくちゃなあ、と改めて感じた。
まあこれはモノに限らず、自分の体やこころ、他人との人間関係も含めてでしょうね。
油断してほって置けば、きっと知らない間に錆び付いてきてしまうのでしょう。
そんな今日は、うちの夫婦の14回目の結婚記念日でした。15年目に突入であります。
世間様に言わせりゃ、夫婦としてまだまだケツが青いと言う事になるのでしょうが・・・・
ただ純粋にここまで来れてるのはひとえに奥さんの度量の賜物としか言い様がないな。
ありがたく思っておりますよ。音楽もさしてもらって、好きなように生きさしてもらって・・・・・
これからも自分が自分らしく生きていくようにしか出来ないと思いますが、お許しください。
と、ポイントを稼ぎつつ、楽器を持ってフラフラと出かける嫁不孝を再度許しておくれ。

ちなみに9月21日はジャコパストリアスの命日でもあります。



2005.9.11
本日 9.11テロから4年。 国内では選挙。 個人的には遠路、御坊市でライブ。そして今帰ってきて聞いたのが訃報。
陶守 さんの追悼文を引用させていただきます。

CLARENCE "GATEMOUTH" BROWN
クラレンス“ゲイトマウス”ブラウン

Gatemouth 1924年4月18日、ルイジアナ州ヴィントン生まれ
2005年9月10日、テキサス州オレンジにて逝去

2004年夏、肺ガンであることが発覚し闘病中だったゲイトマウスは、9月10日の朝、息を引き取ったそうです。(彼のキーボード・プレイヤー、ジョー・クラウン氏の情報)8月末アメリカ南部を襲ったハリケーン・カトリーナでスライデルの自宅が全壊し、テキサス州オレンジに住む姪の家身を寄せていましたが、その避難先で亡くなったということです。

肺ガン発覚時は余命は6ヶ月ほどと診断され、ファンに衝撃を与えましたが、その後も弱る体にむちを打つようにライブ活動を続け、2005年4月には誰もが出演は無理だと思っていたニューオリンズ・ジャズフェスのステージもこなしました。その後ツアーに復帰する意向も示していたそうですし、実際ジャズフェス以降もライブはやっていたようですが、さすがに病魔には勝てず残念な結果となりました。今回の自宅の全壊は病に侵された身には相当精神的にもこたえたのでしょう。

来日は、2003年のパークタワー公演が最後となりました。あのときも以前より老け込んだ印象はありましたが、ギターを弾くとさすがと思わせるものがまだまだありました。

ゲイトマウスは"Born In Louisiana"の中で「おれはルイジアナ州で生まれ、テキサス州の側で育った」と歌っています。彼が最期を迎えたテキサス州オレンジは、彼が育った故郷の街です。スライデルの自宅に戻れなかったのは残念ですが、昔懐かしい街で最期を迎えたのはせめてもの救いだろうと思います。 つつしんでご冥福をお祈りいたします。

2005.9.11 陶守正寛

全く同感。 悲しいNOのNEWSを見ながら、胸を詰まらせていただろうなあ と思うと、辛いものがあります。
頑固一徹、独自のスタイルを貫き通したブルーズ人生でした。
フレディキングの映像でのバックバンドを仕切る若きゲイトマウスの姿が浮かんできます。
ゆっくり休んでください。旧友に会ってください。  安らかに・・・・・


2005.9.10
<バグースでライブ>
 今日9月10日はバグースのピースロッカーズアコーステックライブに参加。企画は同じ町内の多空さん。
リハ時に多空さんやバグースのKAYOさんと打ち合わせ。KAYOさんからは台風14号の四万十のことを歌で伝えたいとのこと。
私からはNEWORLEANSのことをステージ上で幕間を使って説明して欲しいとのこと。
100枚ほどコピーしておいたNOフライヤーを先にお客さんにバラ撒いておいて、やおらステージに上がって口上を述べる。
その後の出番のKAYOさん含むバグースバンドがどんとの歌で、NOと四万十のことを歌ってくれた。
すごくこころに届いた。 ありがとうKAYOさん!
その後で多空さんの横でギターを弾く。バックにはバグースバンドが残る。
いい一日だった。 波の音。波打ち際で遊ぶ子供たちや犬達。何故かかかった虹。暮れていく空。 夏の終わり。初秋の気配・・・
和歌山のミュージシャン達。
多空さん バグースバンド KAYOさん 上前クン(ヨッシー)&TOMOMIさんHIKOさん+ハープミノルさん のりことカッキン
 チャトルケトスストリングバンド あがさちゃん。  のんびりと暖かいお客さん・・・・実はNETでは知っていたdpさんCAROLさん。
9月17日には(桑名)HALKO がバグースに来るらしい。
この季節になると思い出す曲がある。 「夜の海」  兄貴の桑名正博作曲 下田逸郎作詞。
夏の終わりと共に終わっていく恋を歌った曲で、実は歌詞は男版と女版があり、HALKOは女版を歌う。
高校生の頃、心斎橋周防町のあたりにあった、桑名母経営の「ゴーストタウン」によく遊びに行っていた。ませた高校生である。
ちょっと違う煙の香りもプンプンしてたな。(もちろん昔の話ですよ。封印。)
千里中央のセルシーにベーカーズショップと来て、タダで見れるというので、自転車で行ったこともあったな。
あれからもう25年以上たつのか・・・ぼくにとってのスタンダードナンバー。今のHALKOさんは、ますます、ますます いい歌を歌います。
ぜひ17日は バグースへどうぞ!


2005.9.9
<アーロンネビル>
今日はアーロンネビルがCNNで歌っていた。 1927年のミシシッピー川の水害を歌ったもの。
悲しみの情感をぐっと抑えた歌がこころに響く。ああ、こんな歌い方があるのだ。
悲しい、ショックだと大声で泣くのでは無い。
彼は心の中で泣いている。歌がこんなに染み入るなんて・・

あれから10日以上経過した。
現地と避難所ではまだまだ長い被災生活が続く。
最初は色んなコメントや日記を書いたりもしていたのだが、最近ではあまり簡単にコメントすら書けなくなってきた。事態を知れば知るほど・・・・・
日本にも台風が通過して被害が出たが、災害の復興支援は一過性のものではいけないと感じています。
では、ここ日本でどうすれば長期的に働きかけていけるのか?自分には何が出来るのか?
今週は7日10日11日とライブ3連発。手製のフライヤーを作って 手渡ししようかと思います。
色々な支援方法、支援先の団体が今は揃ってきているので、それを整理して、あとは見た人の判断に全て任せる。押し付け無し。
特定の考えに偏らず、一切の政治色無し、自分にお金は通過させない。
これをポリシーにいきたいと思っています。


2005.9.4深夜
<セブンイレブン>
提案だと思ってください。
US赤十字に直接$25をカード決済したとします。
すると、US赤十字のHP上の累計金額と、累計人数が上がりますが、日本にいる普通の一般の人がそれに気付くことはまずありません。
ではこう考えたらどうか?と思って今日実行してみたわけです。$25決済した。そう思って千円札を3枚用意します。
それで知ってるセブンイレブンに行って、募金箱に千円札を一枚入れます。バンドの練習帰りに車で3ヶ所回ったのです。
案の定お札はどれにも入っていませんでした。
いわゆる「見せ金」「誘い金」ですが、募金には違いありません。それをたまたま買い物に入った人が見て、
たとえ50円でも100円でも募金額が上がれば、それは誰かに働きかけたことになると思ったのです。
ほんの小さいことですし額の多少ではないことはわかっていますが、どうせなら何かの効果がある方法を、と思ったのです。


2005.9.4朝
<CNNで>
日本時間4日午前中CNNの特番でクラプトンとジョンメイヤーが2人でアコギで演ってた。おそらくLIVEだったかも知れない。
曲は「broken heart」  もちろん今回のカトリーナ被害に捧げるために歌っている。
本人達からはMCもコメントも何も無い。ただカメラの前でギターを弾き、歌う。
それで気持ちは伝わる。それはアメリカ中、そしてCNNを見ている世界中の人は同じ気持ちだからだ。
そこで、今、日本の中はどうだろうか? もし今日のNEWSやワイドショーでこの演奏を流して同じように人々の心に響くだろうか?
日にちが経過するにつれて、NET上にも色々な意見、コメントがUPされるようになってきた。
辛口な意見をあえて述べている部分が一部見受けられるが、例えばこんな感じだ。

「日本では起こらない略奪や発砲、暴行が何故あんなに起こるのだ?やっぱりアメリカはそんな国だったのだ」
「今、人が死んでいるのは米南部だけではない。バクダットでも1000人以上死んでいる。」
「戦場のようだ、というが本当の戦場の中で苦しんでいる人は世界中にいることを忘れてはいけない」
「貧困、人種の問題はアメリカだけでなく、全世界的な問題だ。今なぜアメリカに援助が必要か?」

なるほど、その一つ一つをとらえれば確かにそうだ、と思わせる部分はある。
ただ一ついえるのは、その意見がどの国の国民が言っているのか?と言う事だ。
わが国の大災害時にどこの国からの援助も受けなかったというのか?
アメリカの底辺に脈々と流れる貧困、人種の問題は、普通に日本で暮らす上ではまず理解できないと思う。
アメリカという国が抱える問題は確かにある。BUSH政権に対する反感も確かに根強い。
しかしそれらにとらわれるあまり、あれらの映像にこころが痛まない、動かないとすれば、
それはもう感受性がストレートではないということなのではないだろうか?
今、支援は世界中で求められている。私たちはその全てに手を差し伸べることは出来ないだろう。
どこに、どのように支援するかは個人の判断に委ねられている。誰からも強制されるものではない。
だからこそ、自分から主体的に情報を取り入れて欲しいのだ。


2005.9.2
<信じる>
今日もNOでは、状況が刻々と変わりつつも、大きく劇的に何かが良くなるといったことは無かったようです。時間がかかる・・・・・・


さて、僕達は時々、後から考えればちっぽけなことにこだわったり、それで腹を立ててみたり、人を恨んだり妬んだり憎んだりする事がある。
そして、口を開けば「信じられない」「信じていたのに裏切られた」なんて言葉をつい言ってしまう。
身近にいる自分を取り巻く人々を信じずして誰を信じるというのか?一人っきりで生きていくとでも言うのか?
意外にこのことが解ってなくて、自分で自分を一人っきりにしている場合が多い。そんなことではいけないなあと思う。

今、NOでは誰も信じる事の出来ない状況が、何日も続いている。このことが原因となる精神の荒廃が心配だ。
人を信じれない状況に追い込まれたとき、こころは確実に荒む。現地でのこころのケアも今後大きな課題だろう。
大災害でそうなったのなら理屈も通るが、恵まれた環境に置かれた僕達が自分でその状況に持っていくのは、甘えであろう。

このような大災害を目にするたび、つくづく思う。
今日一日を無事に終えれて本当に良かった と思えているか?
自分は今日、誰かの役に立てただろうか?
自分は今日、誰かを暖かい気分にすることができただろうか?と。
不満を言って、グチを言って、文句を垂れて、一日を終えたのでは、現地の人に申し訳ない。


(9月1日)
一通のメールにこんなに心が躍ることはめったにない。
neworleansに行った時、友達になったハイディ。
性別、国籍を超えて交流を続けたい人。
安否を尋ねるメールへの返信はずっとなかった。
避難しているはず、停電だからPCは使えないはず。
そう思いながら凝視するCNNの映像からは彼女の家付近が完全に冠水している様子がわかる。
心の中に心配が何度もよぎる。
昨日深夜彼女からのメールがあった。元気だと・・良かった!!
しかし彼女の実姉ジーナの消息がつかめないと。
お姉さんはバテック染めの作家で、FESTの時に出店で紹介してもらって、
店の撤収も手伝ったので、面識もある人。
避難したのだけれど、カトリーナが上陸した方向の街
だったので、心配している。電話が通じない。
きっと無事だと信じているが・・・・ と伝えてきました。
電力のない中、バラバラに離れた家族、親類の安否が
お互いに確認できないケースが多々あるようです。
9.11の時にもあったメッセージボードの役割を
果たす何かが現地に必要だと思います。

写真はオーリアンズ通りからフェアグラウンドへ歩いていく
途中での景色です。今年4月。美しい町でした。
左から私 heidi jina allen 4月24日FEST会場にて。
    


2005.8.31
<喪失感>
大切にしていたものを失った時、人は深い喪失感を持つ。
大切に思う人との関係、大切な人そのものの存在、大切な思い出の詰まった場所・・・・・



その喪失は全く想像も出来ないほど突然やってくる。あっけないほどに・・・
しばらく口も聞けなくなるようなショックを受け、誰とも話もしたくないような気持ちになるだろう。
時には涙にくれて、立ち上がれなくなる時もあるだろう。
しばらくは喪失感に気付くこともない。生きることに精一杯だから。
しかし、やっと落ち着いた時、大きな喪失感がやってくる。これは必ずやってくる。
もし、喪失感が何もないとしたら、失ったものが大切では無かったのか、その人がもうこころを失ってしまったのだろう。
喪失感を乗り越えて人はやっと立ち上がる。いや、喪失感があるからこそ立ち上がれるのだともいえる。
喪失感が無ければ立ち上がれないままかも知れない。そのままうずくまったまま終わってしまうだろう。
だから、どんなに時間がかかっても、人は必ずやがて立ち上がり、周囲の人と声を掛け合いながら、力を得ていくのだ。
そして、そのエネルギーが、今日の行動になり、新しい明日を作って行くに違いない。
今日を生きよう。精一杯。誰かを憎むことなく。
だまされた、と嘆くより、自分自身をだまして生き続けることのない道を選ぼう。
自分を自分らしく生きていこう。


2005.8.23
<破壊衝動>
最近、子供たちがよく切れる。と言う事について書いたのがもう5年程前だったろうか?
最近の新聞記事を騒がす事件。これには誰もが目を疑う。
切れてしまって、目の前にある「もの」を破壊してしまうその衝動のエネルギーはすさまじい。
それがどんなに大切なものであっても、である。 たとえそれが人の命であっても。
自分のしたいことが通らない、自分の思い通りにならない、他人が自分の思うように動いてくれない。言う事を聞かない。
そんなことは当たり前なのだ。 自分は自分の都合で動き、他人は他人の都合で動く。
それを解っていながら、自分中心にものを考え、その通りにならないことに不満を鬱積させる。
話し合ってお互いの妥協点を見つけ出す必要があるのに、もうその余地は無い。
爆発して終わりである。テロも同じだ。周りを巻き込んでもう取り返しはつかない。
その瞬間に冷静になれというのは、もはや無理なのであろうか?もう誰の声も届かないのか?
糸1本でもいい、こころに通じる何かが残っていれば、それをたぐり寄せれば何とかなる可能性は残っている。
時間をかけて、向こうに届くまで、話をしよう。サジを投げるのはまだ早い。
こちらがあきらめれば全てが終わる。
孤立化していく国家、民族、個人に向けて・・・・何が出来るのだろう?


2005.8.17
<男子諸君!>
先日ですね。用があって久々に電車に乗ったわけです。
で、右横に座った男性のやることがとても気になったんですね。年の頃おそらく20代前半〜中盤ぐらいの男性。まあ男前です。
何をするかというと、バッグから携帯を取り出し、カメラ起動、液晶に自分の顔を映して顔チェック。というより前髪を気にしている様子。
で、納得したのか携帯をバッグへ。これを見て「なるほどそんな鏡代わりの使い方もあるんやね〜」と思ったのです。
しかし、唖然としたのはこの後、数分もしないうちにまたバッグから携帯が・・・・・また前髪を触ってる。  え? また!  え?また!
これを彼は約30分の乗車時間の間ずっと繰り返していた。 )○( ←自分の口がこんな形になってたのでは?と思う。ポカーン)
彼は一体携帯の液晶画面の中に何を見たのであろうか???
男子諸君よ! 鏡を見るなら前髪より自分の目を見なさい。 その目は輝いているか? 闘志があるのか?
負けへんで!ぐらいの意志が其処にこめられているのか?
これから勝負に出るのなら、前髪ぐらい上げとかなアカンで。就職面接に挑む時、本気の仕事にこれから入る時、男は前髪を上げる。
それは単に髪型の問題ではないのだ。 自分の目と眉には意志の力が自然と出る。だからそこを隠したくないのだ。
君の携帯電話は一体何人とつながっているの?それはどんな人間関係?ほんとに深い話が出来る?
携帯のおかげで、メールのおかげで本当に人間関係は円滑?本当にそうなの?
伝えたいことがあるなら本人に直接伝えなさい。口があるなら。メールごときの文字数で何が伝わるの?
ってこんなこと言い出すと、古いと言われるのでしょう。  ええよ 勝手に言うとけ!


2005.8.14
 <山篭り>
内観という言葉を聞かれた事のある方は多いと思います。
自分のこころの中を過去にさかのぼって調べていき、自分と関わりのあった人とどのように関わってきたかを思い出していきます。
忘れていたようなことも思い出してきます。
そういった精神的な「作業」を繰り返す中で、過去の自分、今の自分、そしてこれからの自分を発見することです。
本格的に取り組みますと約1週間それなりの研修施設に入ってやらなくてはいけませんし、費用も数十万かかります。
そこで「プチ内観」などと言う言葉が出てきたように、日常生活の中で時間をとってやってみましょうということなのだが・・・・これが実に難しい!
生活の中の雑音、TV、パソコン、音楽、携帯、他の誰か。ことごとくこれらが自分のこころと向き合うことの邪魔をする。
考えてみて欲しい。一人っきりで自分で自分のこころと話をする時間を毎日少しでも取れていますか?何ものにも邪魔されず集中して・・・・・・
そこで私は、何かに悩んだ時や転機が訪れたとき、時々単車で小旅行に出ます。今回は龍神方面に行きました。
持っていくものはテントとシュラフと水と食料のみ。後は温泉セットと歯ブラシぐらいかな。
テント張るのは山の中、キャンプ場には行きません。夜は真っ暗。静かです。
1泊ではちょっと足りない。最低でも2泊以上自然の中で何もしないでいると、こころも落ち着いてきていろんなことが頭の中をよぎります。
あれもこれもと欲張ってはいけません。当面の一番の悩みの一部分でもクリアできればOK。わだかまりや不安、ちょっとしたこころの中のひっかっかりのほとんどは、他に原因があるのではなくて自分のこころの中に答えがありますから、それを見つけてすっきりと下山であります。
もちろんそれですべてが解決というほど甘くはありません。相手のある悩みもありますし。ただ解決への糸口をつかむということなんでしょう。
夏の数日もしご興味があればお試しあれ。別に宗教的要素はありません。
いろいろと言われることもあります。特に女性には理解してもらえないことが多いです。
一人でそんなことして何が楽しいのか?一人でそんな人里離れたところで寂しくないか?
何故孤独になりたいのか?そんなことしてたら被害妄想が進むと言われたり。ははは(笑)
でも、他者と自分の関係や、今の自分と本当の自分の関係、そういったことをじっくり考えたいとき、一人っきりになることは逆に必要です。
一人っきりになることを恐れるのは、ただ単に寂しいのがいやなのではなくて、本当の自分に向き合うのが怖いのだ とも言える。
だから常に誰かとつるんでいたいし、その誰かは自分にとって心地よい人間であって欲しいのだ。自分を認めてくれる人、お上手を言ってくれる人
ちやほやしてくれる人が常にそばにいてくれることを求める。自分の心の周りを様々な雑音でマスキングしてしまいたいのだろう。
逆に自分に厳しい人、耳に優しくない意見をズバッと言ってくれる人を遠ざけようとする、又は逃げようとする。
本当はその意見が一番自分にとっては克服しなければいけないことを含んでいるのに、それにうすうす気付きながら逃げる。
一旦、孤独に身をおくこと、それは自分自身をリセットし、そしてやはり自分は他者の存在なくして生きて行けないのだと言う事を
改めて再確認することでもある。


2005.7.21
  <相互不信>
 これは色んな場面で起こり得ます。 個人間 民族間 国家間 。常にではないが、人と人が接するところに起こる可能性を含んでいる。 
向こうはこっちを信じてくれているのか? いや、その前にこっちは向こうを信じているのか? それに確信がもてない、安心できない。
だから向こうがどう出てくるかがわからない。不安になる。ビクビクする。ちょとしたことに過剰反応する。それが更に相手を刺激してしまう。
しまいには、訳がわからなくなって、刃を突きつけるようなことをしでかす。突拍子も無い行動に出る。
それは相手に「恐れ」を感じ、それがどんどん増大して、最後に制御が利かなくなって攻撃に出る瞬間です。
そして決まって最後には「それは向こうが悪いのだ」と言うのです。なんと悲しい結末なのでしょう。
本当は信頼関係で結ばれていたいはずなのです。お互い安心していたい。本当は仲良くしたい。
そこに最初のちょっとしたボタンの掛け違いがあるはずなのです。ほんの小さなことかもしれません。
でも、その小さなことを見逃したのでしょうか? それとも知ってはいたが処理を誤ったのでしょうか?
些細なこと、と思わずに意見が食い違えばきちんと話をする。 お互いに価値観や文化、ものの考え方が「違う」ことを認識する。
違って当たり前なのに、何故それが認められないのか? そこに人間のエゴの奥深さ、えげつなさがあります。
決して「正しいのはいつも自分だ」とは思わないこと。こちらが正しいと思っているように、向こうも自分が正しいと思っている。
このことが、お互いにエゴの力で見えなくなってしまう。
修復できなくなってしまう前に、今、目の前にある小さな誤解を解いていかなくては。
違う、そうじゃない、それは本意じゃない、といい続けなければ。 わかってもらえるまで。


2005.3.8
 昨年から世間ではちょっとしたブルーズブームに沸いております。 CDショップに特設コーナーが出来、
2万円以上するDVDBOXSETが売れる。

個人的な意見です。今回のブーム(といえるのか?)はいいことだと素直に思ってます。
たとえ誰かが仕掛けて誰かが儲けているとしてもです。最近の色々なブルーズマンのインタビューを読んでも、今回のブームで自分の周辺は何も変わらないと語っています。では何が変わるか?今までブルーズを聞いたことがない新しい世代の新しいファン層が出てくる。素晴らしいことだと思います。
ところが最近ちょっと気になることもあるのです。ブルーズファン?ブルーズマニア?の中には非常に偏狭な嗜好性を持ってる人が多々いて(これはJAZZの世界も同じ)こういう新たなブームを良しとしないわけです。
排他的なんですね、考えが。要はわからんよそ者は入ってくるなと。
そういう人は死んでしまった人の古いレコードだけを後生大事に守っているように見えます。
今を生きているブルーズマンがいて、その姿をこの2005年に自分の心に刻み込むことが出来る。これを素晴らしいとどうして思えないのか不思議です。どの国だろうが、肌の色だろうがカンケーない。ブルーズとはそういうものだ。そう私は考えます。


2003.12.31

 まもなく2003年が終わり2004年がやってきます。 今年一年は皆さんにとってどんな一年でしたか?
このぶつぶつに前回UPしたのが春ごろで、 イラクにアメリカが攻め込んだ頃ですから、半年以上前です。 それから世界はどうなったのでしょうか?
毎年この時期になるとこれから世界はどうなっていくのかなあ ということを考えてしまいます。
別に悲観論者でもなんでもないのですが、アメリカについていくこと に対しての漠然とした不安がやはりあります。
この60年ほど世界で起きている紛争や戦争のほとんどにアメリカが 関与している事実。
自分自身は手を下さなくても、別の国に戦争させる以前の「代理戦争」から今は形を変え、
対テロという名目の元に、 いわば地球の半分近くを敵に回して「自ら仕掛けて」いく戦いに。
そしてそれに対しての協力を国の意思として行っているこの国日本。
高度な国家的な戦略は別として、この国が平和に向かって進んでいるのか、 それとも危機的な状況に向かって進んでいるのかは、
それぞれ国民が 感じればよいことなのでしょうが、ワタシ個人としては、後者のほうである といわざるを得ません。
今日の生活、明日の食いブチに追われる多くの国民にとって、あまり 考えたくもないことなのかもしれませんが、
年に何回かは、こんなことを 考えるのも良いのではないでしょうか?
2004年、どこの国にも血が流れることのない1年でありますように。
ラブアンドピース。この言葉は決して古くなりません。


2003.3.25

 私はここ数日考え込んでしまっている。
私たちは本当のことを何も知らされてはいない。  おそらくアメリカに住む人も同じであろう。
しかし、これはやはり戦争なのだ。
悲惨な光景が日々双方に繰り返されているが  ここ日本には公に公開されるものは  何も入ってこない。
この国の代表はインタビューで  ボケたような事を言っている。
2ちゃん経由でもなんでもいいから  アルジャジーラなどがUPしているストリーミング映像を  一度両目をよく開けて見るがいい。
決して目を逸らさず現実を見るべきだ。  安易な賛戦論や評論は現実の前には無意味だろう。
人間はこの悲しみからどうやったらいつになったら  逃れることができるのだろう。


2002.07.16
 今日は大阪JR難波駅の上にできた「なんばHATCH」のこけら落としイベント
「osaka-chicago blues fes」に行ってきました。
メインアクトはotis clay それにbilly branchのsons of blues debora collmannの3組 
  これをシカゴから呼んでしかも2日公演!その上 なんと入場料無料!! 
そんなバカな!   ということなんですが実はお金は全部大阪市が持ってる。
このビルは湊町リバーシティといいましてFM大阪もここに引っ越してきているビルです。
大阪市としても何とかこのビルを起点に音楽の新しい波を作っていこうという目論見です。
大阪市とシカゴは実は姉妹都市であるということを知っている人は意外と少ない。
そういったことの解消も理由としてはあるのかも?

さて今回のイベントの内容は
  駆けつけたのが午後8時ごろ
オープニングアクトのデボラコールマンの演奏が終わって
ビリーブランチのサンズオブブルーズが始まるころ。
今回は事前情報も何も仕入れてなかったのでメンツも知らず。
ハープとヴォーカルのビリーブランチがもちろんリーダー
バンドがかなりタイトなリズムを作り出しています。
最近はブルーズのみならずゴスペルクワイアのバックバンドにしても
とてもリズムはタイトです。  曲によってはまるでファンクバンドのような
タイト(締まった)リズムがでてきます。
60年代後半以降 ブラックコミュニティにおいてはファンクというのは
ごくごく当たり前に体に染み付いたリズムなのだといえます。
そして上物ですがギター ピアノ共に日本人のようです。
よくよく見るとピアノは あっ   アリヨさんだ。
ウオーッ  ピアノソロ かっこええ!
ギターにも会場から「まるやまー!」と応援が飛びます。
おお ぎたーもええぞ!
見た目59年のES335のサンバーストを弾きまくります。(本物?ヒストリック?)
最近のかなりドライブさせたサウンドではなくて、フェンダーのツインリバーブ(銀パネ)の
ナチュラルドライブがいい感じ。
あくまでもシカゴブルーズの流儀には則っているものの、
もっとモダンにしたギターワークでした。
ビリーブランチのバンドは長らくSHUN菊田さんもメンバーだったこともあり、
日本人ギタリストに対する信頼はかなりあるようです。

実際シカゴに行ったとき、バデイの店のマンデーセッションに行ったのですが、
アメリカ人でも全然ブルーズギターに聞こえん人もいっぱいいる。
特に素人レベルでのブルーズに対する理解は意外に低い。
なんかハードロックみたいなギターになってしまう人もいるんですよ。
中でもシカゴブルーズというスタイルで弾く人は逆に少ない。
いわゆるレイボーン風は結構いるんやけど。
まあバディですらハードドライビングですから・・・・
ですから意外と現地のブルーズマンにとっても日本人ギタリストのほうが
シカゴブルーズというイメージに近いギターを弾くのかも知れません。
菊田さんはここ1年ほどココテイラーのバンドに入って世界中を回っていますが、
これはやっぱりすごいことだと思います。

さてさて いよいよトリのオーティス クレイ
この人は過去二回見たことがあります。一度は京都磔磔
もう一度は大阪の確かサンケイホールかどこか。
当時はいわゆるホッジス兄弟とかのメンフィス組がバック。
ちょっとルーズなリズムと荒削りなアレンジ。
でもその中にあるあの良き時代のソウルミュージックのエッセンスが詰まったものでした。
さてそれから20数年・・・・果たしてオーティスはどうなっているんだろう?
期待と不安。
老いぼれてよれよれになってるんじゃないだろうか?

そんな中 バックバンドの登場!1曲目メンバー紹介的なインスト。
うあー  今の音やん! 
アースか!というようなアレンジ。 シカゴというよりLA系のような感じ。
ギターの人がバンマスのようですが、なんかポールジャクソンJr.のような
カッティングを見せるかと思うとうねうねとしたGソロを延々と・・・。
ちょっと僕としてはタイプで無いのでややうんざり。
3管のホーンセクは真ん中のアルトが現地調達なのでしょうか? 大阪のNAOちゃんという女性。
ペットの人に譜面を指差してもらいながら吹いていますがバンドには溶け込んでいます。
性格のよさそーなかわいらしい笑顔がどちらかというと暑苦しいオトコ集団に咲く一輪の花。
そうこうしているうちに2曲目に入り、大将オーティスの登場!
ギターの人もさっきまでの派手派手ギターワークは影を潜め、MCでは
煽り役になり、サイドワークに徹しています。結構さっきまでのプレイとは
大きく違い今度は伝統的R&Bのサイドワークです。
でもギターはストラトなんですが、ちょっと「らしくない」音かな?
原因はアクティブのサーキットのせいか、腰に付けたワイヤレスのせいか?
しかし、上のほうにも書いたのですが、今のバックバンドは概してリズムがタイト。
これはリズム隊が年齢層が若いせいもあると思うのですが。オーティスのバンドのベースなんか6弦ですもん。
編成はドラム、ベース、ギター1本、キーボード&ハモンドB3、パーカッション、3管のホーンセクション。
コーラスはホーン陣を含めほぼ全員が歌うので無し。
このバンドでアメリカの各フェスティバルを転戦していたようで、よくまとまっていたと思います。
さて肝心のオーティス。
  不安は吹き飛びました。 円熟の境地。 ますます渋くなった声。
本当の意味でのラストソウルマンの一人といえる彼がバリバリの現役であることを目の当たりにして
チョッと目頭が熱くなるワタシ。
シャウトするときはあえてマイクを思いっきり離してオフマイクにするのですが、
かすかに聞こえてくるその声に思わず「イエーッ」と反応してしまう。
アンコールのラブ&ハピネス迄 一気に持っていかれてしまいました。
まだまだ元気にがんばって欲しい。オーティス。 
結局終了は11時10分頃   こんなに濃いフェスが2夜連続。しかも無料。
東京で同じメンツのライブがあってそっちは7000円ですから
大阪市さん がんばってまたフリーコンサートやってください。
あちこちにいろんな施設遊ばせてるんですから・・・
でもあんまり市の関係者に招待状横流ししまくるのは辞めて欲しい。
見たところ半分近くそんな方々がいたような。
8時ごろには立ち見が出るほどぎっしりいっぱいなのに何でオーティスの出番前に帰っちゃうわけ??
オーティスも「Hey ! 何で帰んねや??」ってステージの上で首ひねってましたよ。


2002.07.02

久々に通勤電車の中で打っています。
梅雨の合間の青空。ずっとじめじめした湿気が気持ち悪かったのですが、今日は心なしか爽やかに感じます。
さて、
昨夜はOLDTIMEで久々にライブに参加しました。
心臓移植を早急にしないと命を失う可能性の高い難病と闘う和歌山在住の高校生竹井俊隆くんが
海外での渡航手術を受けるための費用を支援するのが目的のライブ。
出演者は勿論お客さんから頂いたチャージはそっくりそのまま当日来てくれていた「としたかくんを守る会」
の事務局の方に手渡されます。
勿論このことはOLDTIMEの店長松本さんの気持ちによるもの。
この日集まったのは バグース、上前さんとワンネス、今回のライブの発起人である尾根さんのWAVE、そしてJAMA−BAND。
盆暮れのオールナイトイベントでも実現しそうに無い濃い組み合わせ。
今回のこのイベントは最近のライブやイベントの中で最も心温まるものとなりました。
まずステージ上や客席にいる人たちが「今日はなんでここに集まってきたか?」ということをはっきりと感じていたということ。
そしてステージ上の人はメッセージやうたや音で思いを伝えようとする。
出番でない出演者もすぐ客席に帰ってきてお客さんと一緒に反応する。

いろんな機材トラブルは頻発したのですが、そんなことはあんまり気にならなかった。
事務局の方々も普段聞きなれてなければかなり耳に辛かったでしょうがあんな遅くまで(12時過ぎ)付き合ってくれて
最後のJAMAのときにはハジけて手を取り合って踊っていました。
お約束では絶対ありえないこんなことはやっぱり音楽+思いのなせるわざだと思います。
もちろん今回のこの支援活動は終わったわけではなく、UCLAでの心臓移植手術とそれに伴う費用9000万円に対して
あと4300万円を残しています。しかもタイムリミット付き。
できたらいいなあではいけないのです。
今後、何かの形で中押しが出来ればと考えています。

さて、尾根さんのWAVEに混ぜてもらった私ですが、普段の弾き込みが足りないのがまともに出た。
この半年家にいる時間が減って練習不足の上に 週一のブルマンも無くなって月一のTAKE5でのWAVEのライブでさえ
休まざるを得ないありさま。
ギターが弾ける弾けない以前に 指の強度が不足してしまっていたようです。
ギター自体はライブで一番あてにしているブレードのテレキャス。
このギターに基礎練用に ちょっと太めの .011から始まるゲージの弦を張ってあったのですが、
これが痛い結果を生むことに・・・・
1曲目はミディアムのシャッフル(エブリデイ??)です。
のっけから尾根さんのテンションは上がっています。
歌詞はあって無いんですが、今日はそんな伝え方とはちがうんやあ!という無言の指令か?
はい、わかりました。  思いっきりやりましょう!
練習不足や何かのコンディションが悪いときは恐々やるとろくなことになりません。
開き直って思い切ってやる。 それしかありません。
そうやな、今日は闘病中の俊隆君を力付けるイベントやもんな。
持ってるエネルギーを全部ぶつけんと逆に失礼やな。
などと思っているうちにもうソロが回ってきました。
思いっきり弾きました。いきなり1曲目から・・・。
しかし指先に激痛が・・・ 
なんと久しぶりの指爪の肉離れ! 痛いんですわこれが。 手を洗っても痛い。
スクイーズ系ギタリストの持病といってもよいと思います。まあクラシックやジャズ系ではなりようがないのですが。
ただしこんなことは自慢にも何にもなりません。  単なる鍛錬不足ですから。
結局 ハープや津軽三味線の三木さんの飛び入りまであって、
指の痛みなんて忘れてしまうほど一気にステージが進行してWAVEの出番は終了。
後に控えるトリのJAMA−BANDの露払い役とお客さんの予熱にはなったかな?

JAMAもステージではキレキレの金ちゃんや煽りまくるK−BROS. 客席側も無理なく自然に盛り上がっていきます。
最後は私も事務局の人たちと手に手をとって踊っていました。   やっぱりロックやで!!

全体に暖かいムードと、自然発生的な盛り上がり、あとは演奏者と客席とが気持ちで繋がっている良いライブでした。
出演者も普通出番前後は外へ出てしまったりして、あんまり他を聞いてなかったりすることもあるのですが、
今回はそれも必要最小限で、出演者自身も参加者として他のバンドを楽しんでいましたね。

結局OLDTIMEを出たのは午前1時半ごろ
車のハンドルを握って指の痛いのを思い出しました。しかも中指だけじゃなくて薬指までなってる。  トホホ・・・・
練習します。  ハイ。


2002.06.26
 あっという間に半年近くの月日が過ぎました。
何をしていたかというと1月に書いたように半単身赴任状態で大阪に泊まることが多くて、
ホテルに帰っても本を読んだりして過ごすことが多くて。
PCのほうもHPの更新より色んな実験みたいなことをやったり、今まで使っていなかったソフトの
勉強したりしてるほうが多かったかもしれません。
普段着マシンのC1のOS入れ替えに難儀したり、
春ごろにはハードディスクのクラッシュに見舞われたりもしました。

さて、明るい話題ではうちのマンションに光ファイバーがやっと来そうです。
K-OPTICOMのマンションタイプ 10MBと100MBがあるんですが、
うちのマンションは250軒も入っているので、100MBになりそうです。
ファイバーといっても部屋までダイレクトに入ってはこなくて
一旦マンションの設備室まで引き込みそこからはメタル線(電話線)経由で各部屋に。
言わば同じ建物内に基地局があるADSLみたいなもんです。
IP5つ、メアド5つ、HP50MB無料、プロバイダ代不要の常時接続で3980円!
ついに日本の回線環境と値段もここまで来たかという内容です。
しかし、お隣韓国は何年も前にこのファイバー網を完成していたという事実は意外と日本では
認知されていません。
なんと、日本という国はアジアの中でも通信環境とPC普及率の点ですでに後進国です。
先日ワールドカップの関連で韓国について取り上げたドキュメント番組が深夜にあって、
完全に市民生活の中にPCが入り込んでいる様子が撮影されていました。
「PC房」(PCバン)で完全ブラインドタッチでチャットを楽しむ学生、
家にいながらにしてストリーミングDJに週一回なってしまう主婦。
学校教育内での扱いも完全に実技として必要不可欠なものとして取り上げられています。
やっぱりこの国の「負けたらアカン」精神はすごい!
勿論サッカーでもそれを思い知ったわけですが、実はIT分野でもすでに日本は
負けに入っているような気がします。
電車の中で一斉に老若男女が携帯電話を取り出して、メールを打っている姿を
見るにつけ、ますますこう思います。
「あんたら、ちょっと気持ち悪いで!本でも雑誌でも読めよ!」


2002.01.26
 ここのところ更新が滞っていました。 というのも11日から26日まで家に帰るのが週に1日だけ
という状態で半単身赴任状態、ほとんどが難波のホテル暮らしでした、大体深夜に帰ってきて早朝に出る
というパターンで、俗世間といわば遮断された状態になります。
こういう生活は社会情報が不足気味になります。 で、ともすれば部屋に帰ってきてTVを付ける
というパターンになりがちです。 ところが、そんな時間帯は大相撲ダイジェストやら深夜枠の
どーでもいいような番組でほとんどのチャンネルが構成されていて、そのうち寝てしまうと・・・・
ところが、フロントで新聞を買ってくるとなかなかいいのです。
まず斜めにあらで読んでおいてポイントだけつまむ、さらに突っ込んでいきたいときはNETで検索
それが結構短時間でできるわけです。
最近 「ANIKI’S VOICE」 のあにきさんが「ここ行ってごらん」とBBS上で情報をくれた
アフガン関係の過去の記事を読んでいて感じたんですが、
やはり意図的に情報が操作されて出てくる可能性が非常に高いのがテレビというメディアで
記事の中ではまさに「ヘッドギア」という表現がなされていたように、人の心を一時無思考状態に
持っていく力があるように思うのです。 そこへさも真実のような情報をすっとインプットすると
それは自動的に記憶や深層心理として刷り込まれていく。
それほどの威力がある「武器」なわけです。 ましてほとんどのひとがTVを情報収集の手段として
日常的に利用している。
もし今の世にヒトラーがいたら 彼はTVを徹底的に活用したであろうとも言われています。
世の権力者がこれを有効に使っていないはずはなかろうと考える方が自然です

このメディア(TV)の特徴は流れが一方通行であるということ。
つまり、一旦発せられた情報はその瞬間から 大多数のTVを盲目的に信じる人にとっては
「ああいってるけど それは嘘やデ」 「実は現場では全然違うんや」 「どうもニュースソースが怪しい」
という声はほとんど届きません。
ただ 一方的に流されてきた画像と音声を あまり深く考えることなく目と耳が追っているだけになります。
しかもそれが何回も何回も反復されます。 すると人間は不思議なものでそれを疑うことができなくなる。
一種の既成事実としてインプットされてしまうわけです。
だから TVは怖い。 一般的に昔の親の世代がよく言った「TVばっかりみていたらアホになるで」
というのは言葉を変えると「操作された情報を刷り込まれてしまうデ」もしくは「自分自身の価値判断の
物差しが確立していない間は意識操作されやすいから 気をつけたほうがええデ」となります。 
 確かに現在ではTVは重要な情報源のひとつです。 ただTVを通じて入ってくる情報は
ひとつの出来事に対してある切り口で切り取った一部分でしかないということ。
表面的に放送されていることの裏には膨大な量の違う事実の積み上げがあります。
ですから物事の捉え方次第ではどのようにでも「切れる」わけで、場合によっては
作為的に加工されたものかもしれない可能性があるということを覚えておかなければいけません。
現在 私たちは実に多様な情報入手ルートを持つに至りました。 NETはその最たるものです。
そこで次の課題を与えられています。 常に「この話はホンマ?」 「本当のところはどうなん?」
「じゃあ調べてみよう!」 「ふーん そうか」「そうやったんか」「でも自分としてはこう考えるデ」
「ところで自分はどうすべきか?」「ではこんな行動を起こしてみよう」
という流れで一つの物事を見ていく必要がありそうです。


2002.01.04
 2002年になりました。 毎年 年末年始になるといろんな事を考えます。
自分のこと 家族のこと 周りの人々のこと 世の中のこと・・・・
とりとめもなく あーだこーだと考えてみるものの 例年コレだ!などと確信することもなく
新年の慌しさに巻き込まれていっておしまい・・・・  これがパターンだったんですね。
そういった従来のパターンからの脱却 それが自己改革の第一歩ですわね、まあ。
昨年末は珍らしくゆっくりと家で大掃除などして過ごせたせいもあって NHKの紅白をつけっ放しに
しておいて、耳が止まったときだけ目が画面に行くという感じ。
そのまま 流れで行く年来る年へいって その直後の番組で画面に釘付けになりました。
2001年 この年は世界中の人が「一体どうすれば平和になるのだろう?」「どうしてこんなことが?」
ということを考えざるを得なかったとしでした。
ところが一人一人の人間として一体何が出来るのか?を考えた時に はたと困ってしまった人が多いと思います。
きっとどこかのえらい人が何かをしてくれて解決してくれるのかな?と思っている人もあるかもしれません。
ところが それは違う と私は思っていたわけなんです。  どこの国でも最高責任者は世論の上に立って
はじめてその地位があります。  それが無ければ ただのおっさんです。 つまり後押しする強烈な力が存在する。
それが軍需産業だったりする・・・。結局政治家には戦争をSTOPする力がないのではなくて、できないのです。
軍にとっては「敵」がいつでも必要です。 でなければ何から国を守っていいのかわかりません。
いつの世も「外敵」から我が国を守る。 それが軍及び軍需産業の目的です。
ですから いつまでたっても 敵を無くする事にエネルギーは使われず、 敵を探すこと又は敵を作り出す事に
エネルギーとお金を使い続ける循環を繰り返すことになります。
今回のテロが起こるまで アメリカは一番何を脅威とし、対策費を使ってきたか。
それは 対ミサイル迎撃システムでした。 アメリカを敵とみなす第三国またはテロ集団が旧ソ連のミサイルを
闇ルートで入手し、発射された事を検知すれば ありとあらゆる手段を使って撃ち落す。
宇宙空間から迎撃ミサイルを発射することにも多大な研究費を使ってきました。
ところが 今回のテロで使われたものは 旅客機操縦の訓練学校へ入る学費とパソコンでできるフライトシュミレーター
あとは 命知らずのテロリストを養成(洗脳?)すること  それだけだったのです。

今回のこのTV番組に出てきた人々は皆 現場の人々です。
冒頭には ダライラマをはじめとする著名人がでてきます。
あとは ノーベル平和賞を受賞した科学者たち
そのあとには世界中の紛争地域で医療活動をする「名前なき医師団」  地雷除去を行う女性など
いわゆる NGOに所属する人なのですが  どの人も立場や職務こそ違えど みな現場で戦ってきた人たちです。
皆 一様にいままでやってきたことを一瞬にして打ち砕かれるような経験をしています。
皆 安全なところに身を置いて考えている政治家の目線ではなく、現場で毎日命を失う子供たちや女性たち
を見ながらそしてまだ10代の兵士が息を引き取っていくのを見守りながら考えます。
「一体どうすれば平和になるんだろう?」
 
  もちろんテロは許されざる行為であって国際的に認められた裁判によって裁かれるべきです。
  しかし大量の兵器による報復ではテロは無くならない。憎悪は憎悪を呼ぶ。
  憎悪は次の世代に受け継がれていく。 
  対話と相互理解を深める・・・時間はかかってもそれしか解決の糸口は見えてこない。
  相手の事を本当に理解して関心を持っていたら いまどんな助けと援助が必要か見えてくるでしょう。
  しかし そういったベースがない中での援助は外交テクニックやポーズが目的なのですから、
  ピントはずれに終わる。  持続性もない。  そのときだけ・・・・・。
  しかし、世界中の難民の状況をみれば一時的なサポートで事が解決するわけがない。
  番組中である人が発言していました 「私の世代はもうすぐ終わる。 私の世代は世界を平和に
  することがとうとうできなかった。 いま世界を動かしている世代でも恐らく無理だろう。ならば、
  今の子供たちの世代に賭けようじゃないか。  子供たち同士の交流を深め、対立している民族や
  国家の枠を超えた対話の場を少しずつでも持っていくこと。 こどもたちのネットワークを作っていくこと
  をサポートし 本当の意味でのグローバル化や 地球人をつくる手助けをする。
  子供たち それが人類に残された唯一の希望かもしれない。」
  
  そんな意見のある中 その子供たちは親を戦争で奪われ 自らも厳しい環境のなか常に生死のはざま
  に追い込まれている。  そんな子供が生き残りやはり兵士となり、「今までお前がこんなにつらい目に
  遭ってきたのは あの国のせいなんだよ!」と教育される。 これが今までのアフガンだったのです。  

 遠い国で生活し それぞれが今 自分と自分の周囲が生きていくことにのみ目を向けがちですが、
どこの国にも自分を含む自国のことばっかり考えず、国境を越えて地球レベルの平和を考え、行動している人がいます。
「そんな夢みたいなこといってては自国の安全は守れないぞ!貴様!」という意見もあるでしょう。
もちろん 兵器も武器も時によっては必要でしょう。 必要あらばその威力で何かをせねばならない。
そのための訓練はやらないといけません。 銃口をふさいだ銃はもはや玩具です。
しかし、国際社会の中で 各国のTOPが世界平和という「夢」を語らない今、
市民レベルで人類の究極の「夢」である「平和」を考えることが大切なのではないでしょうか?
そのステップはゆっくりで振り出しに戻ったりするかもしれませんが、いまからひとりひとりが真剣に
考えて小さなことを実行していって 実現するのが何十年後かもしれません。
それまでにたくさんの犠牲がでることでしょう。
人間に対する警鐘は鳴らされたままです。


2001.12.28
   (スキーに行ってきました)
  あっという間にもう帰りのバスの中です。今回久しぶりに夜行バスでのスキーツアーに参加してみて感じたこと
それはバスの快適度upです。 昔よく行っていた頃は(20年〜15年前です)ホント ボロバスに窮屈な思いで座っていたものですが
最近はサルーンカーという奴ですが ちゃんとトイレも付いているし座席はそこそこ広いし快適でした。
行ってきたのは新潟県妙高山系赤倉温泉 くまどースキー場 スノーボーダーが多いように書いてありましたが傾斜のゆるいだらだら坂もあり
子供と一緒に行くにはばっちりでした。
以前あったスノーボーダー=山の暴走族という感じも無く 全体的にマナーも良くていやな気分にもならずにすみました。
温泉はさらっとした泉質で熱くなく 長湯向き 2日目は吹雪いたこともあって4時頃にゲレンデを引き上げて ゆっくり温泉浸り  
ゆっくり出来ました。
あと今は11時ですが上越から高速に乗っています。 これがまた早い! 行きなどは7時半ごろ和歌山発
10時ごろ新大阪発で 5時半には赤倉に着いていました。
昔は 志賀高原方面は諏訪湖のあたりで中央高速を降りて地道を延々走ったものです。
夜9時ぐらいに出て 7時ぐらい?  渋滞がひどくて10時を回ったこともありましたっけ・・・・
いやあ やっぱり信州 良かったです 雪質もいいし、思ったより乗車時間は短いし、
しんどいめをして近場のスキー場に行くよりもかえって楽かも知れません。


2001.12.26
   (信州へ行ってきます)
  今 スキーバスに乗っています。 行き先は新潟 赤倉温泉 子供と2人です。
バスの集合時間まで少しあったので 開店間もないごはんやさん「てっぺん」へ開店お祝いに行ってきました。
いいお店です。内装造作はもちろんまっさらできれいなのはもちろん 店のあちこちに手造りとおぼしき品々
そして 真ん中には大きなまあるい古時計 
コンパクトだけどこだわったオーデイオセットからはもちろん あにき選曲のBGMがエンドレスで流れています。
しかも その音源はちっちゃなMP3プレイヤ−から来ているようです。
それに加えて この店の本当の魅力は 店主ひろよさんとそのおかあさん この2世代による手造りの家庭料理にあります。
まるでご家庭に遊びにきたような料理と店のスタッフの笑顔  そんなヒューマンタッチがあるお店です。
ぜひ 食べに行ってみてください。  きっと皆さん気に入ると思いますよ!
さて 今回も 愛用のSONY C1と一緒に行ってきます。  1台何役行けるか?
ゲーム機 デジカメ デジビデ MP3プレイヤー ヴィデオプレイヤー  HPの更新 
メールチェック  地図ソフトで現在地チェック   こんなところでしょうか。
詳しくは改めて報告します。 帰りは 29日の朝です。
29日は夜8時半から 尾根さんのところのWAVEのライブがありますのでそれまでに起きて行かなくては・・
なかなか遊ぶのにもパワーが必要ですね。
では いってきまーす!


2001.12.23
    (パーディさんのHPに写真が載った!)
 下の19日の書き込みをしたのが 本当は20日AM00:30。
 そのときにメール添付してパーディさんに写真を送ったんですね。
 今出張先にいまして大阪南港の住生の研修施設「コスモスクエア」の部屋で
 彼のオフィシャルサイトをチェックしてみたんです。
 載ってましたよ 送った写真が! しかも世界のTOPミュージシャンの写真と並んでるんです。
 BB KING  マックス ローチ   ウィル リー  そんな人たちの写真とともに
 コメント入りの写真がUPされていました。
 ”BERNARD in from wakayama. JAPAN with the "blue monday"band"
 実際はブルーマンデイに関わっている全員が写真に写っていないのですが
 パーディさんは 現在ブルマンが活動休止中なのを 残念がっていて
 「やりなさい、KEEPON!」 とか話してくれていたので、そんなメッセージを
 込めてくれていたのかな?とも感じます。
 彼のすごいところは 約束を必ず果たすところ 「〜〜するからね」と自分で約束したことが
 今まで ほとんど実現してきている。
 日本人にありがちな 社交辞令的な守られない約束は絶対しない。
 こういうことは 見習う点が多いです。
 人との接し方の部分ですごく誠実だなと感じます。
 お礼のメールをうとうと思っているのですが英語力がないので また変な英語の羅列を送ってしまいそうです。
 まあ ええか  伝わるもんね なんとか 


2001.12.19
    (忘年会 WITH BERNARD PURDIE)
  仕事を終えて 宴会会場である 「あっちむいてホイ」に着いたのは9時30分すぎ
すでに3階の座敷では BERNARD を囲んで鍋がうどんを残すのみ・・・となっていました。
なんでも 充分刺身で食ってもうまいウマズラハゲを鍋にしたとのこと  しまった! 遅かった!
最新のCDにサインして手売りしてもらいました。

題名は「KING OF THE BEET」 
今日はコレを1日中聞いてるのですが いいです。
昔からこのテの音楽を聴いてきた人にとってはたまらないエッセンスが詰まっています。

ちゃんと 人間が人間の手とハートと楽器と歌で音楽を作っていた時代の音。
これだけは 絶対色あせない。
メロデイ リズム ホーンセクション ストリングセクション コーラス これらが絡み合います。
前へ出たり引っ込んだりしながら カウンターメロディとして メロディを引き立てます。
この日 2次会で皆で行ったのは ライブハウス OLDTIME 
ここでのスペシャルな出来事はご本人の解説付きで「KING OF THE BEAT」のCD鑑賞会に
なった事。 
レコーデイングの様子や共演者のこと(ホルへ ダルトやデイジー ガレスピー他)
リズム や メロディ の事  ホーンやストリングSECTIONの話、
はたまた 話は飛んで昔のエピソードへ 
アレサのフィルモアライブの時は 「もう終わり!」と思って
アレサの方をみると アレサが笑顔で「客席にレイチャールズを見つけたわ!」
まだやるの?とはじめた例の有名なパフォーマンスは実に45分以上も終わらず
終わったのはAM1:00 8時ごろはじまってから 終わるまでバンドには1回も休憩は無し。
もちろんアレサは何回か休憩したり衣装替えたりしたらしいですが・・・・

てな話を楽しく聞いているうちに あっという間に1時半 翌日は成田から帰国とのことで
解散となりました。
今回は東京でのワイルドターキーブルースフェスのため(パークタワーのこと?)だったそうですが
東京での打ち上げは朝の5時までだったとか?
「あのギタリストは良かったぞ ニューオーりンズの ジョアン 〜〜〜って奴」とか言うので
「それってひょっとして日本人みたいな JUNE YAMAGISHI のこと?」というと
そうそう そんな名前だ! とか言ってました。
彼は山岸が元々日本人だということも 昔塩次さんと一緒のバンドにいたこと・・
なーんにも知らないみたいです。 
一人のアメリカ人のギタリストとして 同じ土俵で評価されている・・・
そんな 山岸ってやっぱりすばらしいと思いました。
アメリカにすんでアメリカで仕事をするということは文字通りアメリカ市民になること。
「オレ、外タレやで!」 これが最近の彼のせりふです。

バーナードの約束 「今日みんなでとった写真をE−MAILで送ってくれよ! HPにUPするから!」
もちろん すぐ送っておきましたよ! 


2001.12.14
   (BERNERD PURDIEの来和に寄せて)
 実は来週火曜日(18日)に彼が和歌山に来てくれることになっているそうです。
NYのテロがあって早3ヶ月 日本ではニュースと新聞の中だけがそのことを思い出させ、
日本の一般の人の心の中にはもう記憶になってしまった感があります。
私はあのことを絶対忘れてはいけないと思い、いつも持ち歩くPC(SONY C1)のデスクトップに
去年NYに行ったとき バッテリーパークからフェリーに乗った時に撮った写真を貼り付けています。
(この写真は このHPの中にもUPしてあります。)
もちろんそこには 在りし日のWTCツインタワーが建っています。
その写真の中からはあの日あのビルの下で流れていた音楽が流れてくるのです。
決して感傷や思い出だけの為ではありません。
未だあの下で眠っている人への追悼と 何故同じ人間が憎しみ合うのか?その一番心の底にあるのは
実は「人間のエゴ」ではないのか?といったことをいつもPCを立ち上げるたびに思っています。
自分だけが正しい 自分の言うことを聞かない人間は敵だ そんな自己中心的な考えがどんな結末を
生むのか?  それを今回示唆しているような気がしてなりません。。
それは 会社でも家庭でも人間関係があるところ全て同じだと思うのです。  人と人がいる所にはすべて同じ事が起こりえる。
大切にすべき同じ人間を時として傷つけてしまう  そんな人間の心の闇・・・何故?・・・・
そんな中 NHK教育の番組で「人間講座」というものをたまたま見ました。
そこでは 親鸞の「歎異抄}を取り上げていました。
出身学校が真宗系だったこともあって一応「通り過ぎたことがある」歎異抄
決して当時一生懸命勉強したとはいえません。  いえばかじっただけです
しかし このテレビでやっっていた内容がその日の自分の心の中にどーんと
入ってきたのです。  さっそくテキストを買ってきました。
全ての人に襲い掛かる不幸 戦争 その原因は心の中にある。 誰の心の中にも必ずある心の闇
それを エゴというのでしょうか?  人はそれと戦って現代まで進化してきたはずなのに100年たっても
1000年たっても 克服できないでいる。

さて バーナードです。 
 この方は 少なくともわたしにとって「雲の上の人」でした。  もちろん今でもそうですけどね。
幾多の名盤に歴史的な録音を残し いままで成し遂げてきた仕事の数々・・・
腕利きのNYのセッションマン 
しかし こんな噂を聞いたこともあります。
かなり プライドの高い人  仕事を思いっきり選ぶ  録り直しを嫌う   などなど
だから はじめてあった時はびびりました。 ましてや隣でギターを弾く羽目になったときは
平静を装うもののはっきりいってびびりまくり!
しかしそんな気持ちが嘘のようになくなり 自然体で接することが出来るようになっ た。
また 数々の噂ほとんどでたらめであることが確信できたんです。
彼は非常に紳士であり、想像していたような「怖い人」ではなくて 非常に暖かい人柄・・・
数々の噂はひょっとするとかつて若かりし頃仕事の現場で激しくぶつかりあっていたり、仕事を取り合っていた時代の
エピソードが一人歩きしているのでしょう。
その後の彼のキャリアは40年以上になります。   しかもプロフェッショナルの現場で無数の人と出会いながら・・・・
彼のさりげない配慮や思いやりはそんな中から培われてきたに違いありません
彼が和歌山に住む私たちと付き合ってくれているのには目的があります。
目的という言葉は適切ではないですね、使命といって言いと思います。
「音楽」のすばらしさを楽しむことを伝えたい、またそれはどういう風に音を感じればいいのか・・・
音楽を奏でることは人とコミュニケートすること・・・
こういったエッセンスを世界中の人に伝えたい・・・自分が今まで厳しい仕事の現場で学んできたことを
わかり易い形で伝えることがこれからの自分に与えられた仕事だ。  彼はこんな風に思っていたようです。
所謂 世間に良くあるテクニック解説の為の教則ビデオではなくて もっと大事なことを伝えるものを作りたい。
最近 失われがちになっている大切なことを伝えたい。
そう思っていたところに裕子ちゃんがブルーノートに現れ、和歌山のメンバーと この土地がたまたまあった。
そこからビッグ愛という多目的ホールでの公開ビデオ収録までわずか半年でした。
2000年の5月11日 この日 私たちはバーナードが運んできてくれた色んな「出会い」に遭遇します。
それはバンドメンバーである ROY や ROB 塩次さんたちだけではなく 関西一円からわざわざ足を運んでくれた人
和歌山市内に住んでいて たまたまラジオを聞いて知った親子 中学生の孫とおばあちゃん ドラムをこれからはじめたい子
音楽に出会うことは人と出会うこと・・・  それを証明するように 彼の周りには人が集まり、彼はいつも上機嫌で接しています。
もう何回も彼には会っていますが 不機嫌で無愛想な瞬間には未だ出会っていません。
きちんと目を見て一生懸命話し掛け(こちらの英語力にはお構いなく) 握手し HUGし サインする。
ハードスケジュールの中 疲れているのにそれはずっと変わりません。
多分 彼は世界中で同じように人と接しながら 一年中ツアーやSESSION GIG を続けているのだと思います。
すごい人だとホントに思います。   
今回 集合場所はベースの貴志さんが和歌山市駅前にオープンした居酒屋なんだそうな・・・ 遅くなっても絶対行くつもり。


2001.12.13
(通勤)
  大阪へ通いだしてはや2週間がたちました。
 朝は大体5時45分ぐらいに起きて 7時前の電車に乗ります。
帰りは大体11時〜12時ごろに帰宅かな?
何たる通勤地獄! と思われる方もおおりでしょうが これが結構な自由時間なんですよ。
今コレ打っているのも帰りの電車の中 メールのレスはほとんど電車の中になりました。
今朝は行きの電車の中で 立ってメールを打ったんですが これが結構C1 やるな!
という感じで sバッテリー装着で軽くしといて 左手で保持 左親指はAキーの上に
後は右手中心の 入力です。  ちょっと両手に比べれば不自由ですがそれでもI−MODE
に比べれば 2倍以上のスピードで打てます。
こういったことは やっぱり小型軽量のサブノートの本領発揮というところでしょう。
メールぐらい家で打てよ! ということでしょうが 家に帰ると起きておれないのです。 ねむい!
何とか 頑張ってやっております。
幸い 今の職場には 若い世代が多く 彼ら彼女らの若さ一生懸命さに助けてもらっているような
気がします。   やっぱり環境変われば気分も変わるという都合の良さを実感しています。


2001.12.6
今日も電車の中からです。
実は4日の火曜日に NUITLOVE(早野翠)さんの和歌山オールドタイムでのライブがあって。
大阪での仕事が終わったのが10時半 諦めながら 関空の近くの駅からオールドへTEL
すると 彼女が電話に出て いくチャンもいてるので とにかく来るまで待ってるとのこと
最後には店長の松本さんの「とにかく来い!」という一言で 駆けつけることに・・・・
店に着いたのは12時も回った頃  
店には5人ぐらいしか残っていませんでした
久しぶりの再会に固い握手をして 話しこむことしばし・・・
出てくるのは やや重めの話
思うのは 女性ひとりっきりで音楽をやって しかも 各地を回っていくことの大変さです。
思うことをはっきり言うことをためらうやさしさがある彼女は各地で出会う人間にも気を使います。
だから 大きな態度に出られて傷つくこともあるし 基本的に人を信じて生きてきているゆえに
そして女性であるが故に 常識で考えると信じられない仕打ちをうけたりすることがあるようです。
でもしかし そんな彼女のPUREな部分が彼女に歌を歌わせ 曲や詩を書かせるのだと思います。
今回は オリジナルや 日本語の歌詞の曲も用意していたようで 新境地を見せてくれていたようです。
そのあと スペシャルな出来事としては 1曲も聞けなかった私にまたまた気を使ってくれて
私 いくチャン オールドの店の男の子 この3人だけになった時 3曲ほど歌ってくれました。
良かったです。  夜中のシークレットライブ 
もしこれを読んで 聞いてみたいと思った方は タワーレコードで扱っているので 問い合わせて見て下さい。
ちゃんと彼女にいくばくかのMONEYが入る方法は CDを買うか ライブにいくか この2つしかないわけで・・・

せやけど NUITちゃん 物言わなあかんときは 思い切って がーん と言わなあかんでえ!
過激に何かに立ち向かっていくのも それはそれで パワーはいるけど 素晴らしいことやでえ
頑張ってください   応援します。


2001.11.27
最近 仕事の環境が変わりました。
大阪まで電車通勤をしています。   実は以前も和歌山から大阪まで通勤していたことがあって(もうかれこれ8年ぐらい前のことです。)
再発見したことが多くありました。  
読み物が片付く  これはねえ助かるんです
結構乱読つんどくのタイプの私は家や会社に読みたい本がいっぱいあって たまる一方 単車通勤をしていた頃は通勤中に読むわけにも行かず・・・・
あとは町が確実に変わっているのに気がついたり
そしてサボり気味のこのHPの更新も少しはできる。(やっぱり電車の中で打っています。)
新しい部署にはすぐ慣れるとおもいます。
今この入力はSONYのC1でやっているのですが、最近のお気に入りが新入りの(でも中古)IBMのTHINKPAD240です
会社ではではもっぱらこれ!  だってキーボードがやっぱり良いのです。
これで打ちなれてくると他のではいやになってきます。
前のオーナーが(K君)何を思ったかメモリーを256MBも増設してくれていまして何と320MBものメモリーを積んでいます
ということはOSはWIN2000PROFESSIONALしかないでしょう!
ということでこのセレロン300のマシンは「絶対落ちない 固まらないお仕事マシン」ということで第2の人生を送ることになります。
 やっぱりノートの魅力は仕事にも生かせます。
まず入力の場所を選ばない
最近は会議の議事録をとることが多いのですがその場でリアルタイムで打ち込んでいます。
ちゃんとしたタイピングを覚えておかなかったことを悔やんでいます。目指すはブラインドタッチ!!
LANケーブルさえきてればそこが仕事場 CD-ROMなんていらんもんね!
だって 会社には数え切れくらいのFDDやCD-ROMがあってそれがほとんど使われることなくネットワークで繋がっている・・・
これを使わない手は無いでしょう!
あとは秘蔵のMP-3ファイルを忍ばせてあるし WIN2000のピンボールだってあるぞ!(これは仕事中はちょとね)
これからは持ち歩きがC1 会社置きっぱなしが240 家では自作のXPマシンという使い分けになりそうです。
お仕事ファイルやHPのファイルはこの3台で同期をとっておけばOK!
そしてさらにモバイラー度が加速しそうなのでPHSの通信カードもほしいし  (地下鉄の待ち時間にメールチェックできるぞ)
遊びではじめたPCライフも公私ともに生活の一部となりつつあります。


2001.10.30
   <その後>
 前回9日の「ぶつぶつ」Up以来色々な方からメールや書き込みをいただきました。
 ご心配をおかけした上にお心遣いを戴きましてありがとうございました。
あの時点での思いというのは現在でもそう変わっていないと思いますし、何か確信に近い物になってきました。
それはそれとして今の心境としては、良い意味での抵抗者または反逆者でいたいということ。
今の会社はとあるサービス会社の支店なのですが、だんだんと物が言いにくい雰囲気になってきているようなのです。
会議などでも 本来の意味での議論がなされていない。
つまり いま本当に問題となっているのは何かということに目を向けず、表面上出てきていることについてそれが誰のせいか? 
などという大人気ないことをやりあっているわけです。
誰かの問題は皆の問題であって その問題解決は会社をあげて取り組まなければいけないし 特定の誰かの責任にしてしまっても その問題の起こる
「根」は残ったままで また別の形となって再発する。
結局 問題があることをまず認めること そしてその「根」の部分には自分たち自身も関わっていることを直視しなければいけないと思います。


2001.10.9
  <訣別のとき近し>
といっても 音楽関係のことではありません。 たとえばバンドが解散するとか 抜けるとか・・・
ブルマンはここ2回ほど練習に参加できていないし、果たして次に行った時はどうなっているかな?
しかしブルマンやwaveはありがたいことに参加した瞬間に自分のやるべきことを考えて音を出していく事を
許されている集団なので 極論ですがギターの本数が当日多ければ 「よし!今日はカウベル叩くぞ!」でもokなわけです。
あれ?本題からそれましたね
そうそう 訣別  そう  訣別
たもとをわかつ とか はっきりと意思を持ってお別れする決意をする。  うん そうや。
もう 10代や20代ではない。 家族や借財など背負うものもある。
うかつなことはできない年齢だ。
決して感情に任せた判断は出来ない。 ここはぐっと足を踏ん張って考えるときだ。
特に今はこんなご時世だ。 失業者があふれ 景気も悪く 中東ではまたもやミサイルが飛んでいる。
厳しい時代である。 おいそれと再就職は出来ないだろう。 
しかしである。 
そんな時代だからこそ 本当に信頼しうる人間と仕事がしたい。
食うため 自分の身を守るため 生活のためならなんでもする  それはそうだ。
しかし、保身のみ 自分だけ 人のことなんてどうでもいい 
自分に降りかかる火の粉は人に押し付けてしまえ!  そんな人間たちと
家族と過ごす時間の何倍もの時間を費やしていくことにはもううんざりだ。
確かに会社全体を見渡してみれば そんな人間ばかりでないこともわかる。
男気のある人も 責任感を超えた使命感で仕事をしている人たちもいる。
しかし はっきり言ってダメなようだ   少なくとも数年前まではこうではなかったような気がする。
それは根本的な体質を見抜けなかった私の目が節穴だったのか?
それとも組織もろとも変質してしまったのか?
ニチイ=マイカルが人材の流出が相次いで 今や責任のなすり付け合いを国民や顧客の目の前でやっている。
企業=人ではなかったか?   人より我がのメンツや体面のほうが大切なのか?
人を大切にしない会社に人を留める力など備わりはしない。
社外で恥をかくより 社内で恥をかくほうが怖いのか?

これから具体的にスケジュールを立てて動いて行こうと思っています。  


2001.9.24
  今日はぶつぶつではなくて TVを見た感想なぞ・・・
うちで見れる衛星放送は 国営放送局のBS1とBS2 結構ここでやってるドキュメンタリーが面白くて見ることが多い。
今日見たのは 徳島NHK制作の「阿波踊り」の音楽として有名な あの「えらいやっちゃえらいやっちゃよいよいよいよい」「踊る阿呆に見る阿呆
同じ阿呆なら踊らにゃそんそん」  つまり「よしこの」という曲をとりあげたものでした。
これが吹き込まれ有名になったのが昭和6年 コロムビアレコードから お鯉さんという方が歌ったものでした。
お鯉さん 現在94歳  バリバリ元気です。
そしてお鯉さんに教えを乞う20代のお弟子さんの姿  もちろん女性です。
よしこのは 2拍子で延々と同じリズムが続きますが じつは 本手(主旋律)と 替手(副旋律)が交互にやってきます。
そしてこの本手と替手が切り替わるときには 相手の弾いたものをちゃんと受けて 答えていくわけです。
つまり コールアンドレスポンスですね。
邦楽の世界はそれは見事な口承伝承の世界です。
譜面(らしきものはある)に頼らず ひたすらお師匠さんのあとをついて覚えていく 何回も何回も・・・
そして 家に帰ってお師匠さんのテープを何回も何回も聞いてまねをする。
細かなニュアンスや声の微妙な音程やダイナミックスはとても書いたものに表すことは出来ません。
だからこそ それこそ何年もかけて他の誰もが真似の出来ない「うた」が受け継がれていくのです。
この中で一番弟子の鯉実さんは お鯉さんから伴奏者として一番信頼されていて
お鯉さんは自分自身か鯉実さんの三味線以外では歌わないという話がありました。
その鯉実さんは小学校から弟子入りしていて もう20年以上のキャリアがあるのですが
小さい頃はそれは元気に大きな声で歌っていたそうです。
ところが ある日突然歌えなくなった。 お師匠さんが目線で「歌ってよ」と合図を出しても彼女は歌えません。
ただひたすらお師匠さんの伴奏に徹している。
やればやるほど奥が深い  そんな世界を象徴するようなエピソードでした。


2001.9.11
  僕たちはこの日を忘れてはいけないと思う。  それは単に悲劇があったと言う事だけではない。
これは同じ人間が行ったことなのだ。テロである以上、何かの思想に突き動かされてやっているはず。
つまり、正しいと信じて行動した結果がこれである。
僕たちの身の回りにも無いだろうか? 正しいと信じて行動して、その結果が悲劇になっていくことが・・・・・・


2001.9.7
「仲間の足を引っ張るとは?  仲間の後押しをするとは?」
お久しぶりです。  夏前後から例のコンピューターウィルス騒動とPCの不調に悩まされ すっかり更新もしてませんでしたね。
いきなり上のような御題をつけてみたんですが・・・・
皆さん 職場の人間関係に悩んでいる人はいないですか??
いやー 最近ちょっとへこんでます。  まあ今の職場なんですけどね 
最近何か心が荒れてるのかなんなのかわからないですが 他人の足を引っ張って喜んでる輩が出てきたんですよ
まあ こんなことは日常茶飯事の会社もあるでしょうが 自分自身いままでそういったこととは無縁に仕事ができてたもので
抵抗力が無かったのか いささかショックではあります。
意見 考え方 仕事に対するスタンス こういったことは 千差万別であってあたりまえ  
時には苦言を言わなくてはならない場面も多々あるでしょう。
しかし どんな場合であってもそれは面と向かって本人に言うべきで 
そうでなければそれは単なる 陰口 ぼやき チクリのたぐいと変わりありません。
ましてそこに真実と違う内容が盛り込まれていたら・・・・
そしてさも正義の味方のようなふりをしながら 本人は安全なところに身を隠しながら 尾ひれをつけた話をするわけで・・・
しかもその内容が他人に聞いた単なる噂話だったりする。 さらにその真偽を確かめすらしていない。
あーーーーーーーやだやだ
大昔に 百貨店の売り場に立っていたことがあって そのときに女性達の噂話がうるさかったことがありましたが
まさか 今の職場内に「○○○の腐ったような奴」がいるなんて・・・・・
なんぼでも 話聞いたるさかい 表へ出ておいで!   根性無し君!




その点 音楽関係ではズバズバ来た方が気持ちいいもんで 言ったり言われたりがしょっちゅうですよね。
「今日のその音 ちょっとないんちゃう?」 「あーーこれじゃあ歌えんわ!」「もっとよく聞いて音出して!」
「音 大きかったデ  耳刺すで」 「もうちょっとちゃんとやろうや」 などなど
これらは 少しでも高いレベルへ皆で行こうという目標のもと 仲間である相手に厳しいことを言ったり言われたり
しているわけで  いわば 「仲間を後押しする」言葉ですよねえ
仕事の現場でも一緒だと思うんだけどなあ 仲間の足を引っ張るのと後押しするのと
どちらが成果が上がるかはおのずと明らかであります。


2001.4.12
最近 かなり頭にくることが職場のなかで多々あって 久しぶりにぶつぶつと言ってみたいと思います
昨日 勤務している会社がとある権力にやられると言う事件がありまして 実はそれを裏から動かしたある組織があったという
いきさつがあったということがうっすらとわかってきました。
たしかにつけこまれる隙がなかったわけではなく そこに相手が狙いやすい弱みがあったことは事実です
しかし気になったのはそれを面白おかしく取り上げるマスコミと客観的に事実を記述し双方の言い分をきちんと記載したマスコミの差が
大きく出たことです  ジャーナリストは本当の「悪」とは何なのかをきちんと見極める必要があると思うし いまのこの国の
政治と権力 そしてそこに群がる腐敗しきった輩に対してこそ矛先を向けるべきではないのか。
たとえば 宅配便大手の S急便  ここが無ければ日本の物流の何分の一かはSTOPするだろうし 企業の多くが業務に支障を
きたすことは間違い有りません。  しかし先日の報道では 複数の現職警察官の口座に給与名目で多くのお金が振り込まれていた
とのこと そして会社内に多数の警察OBが勤務しているのは周知の事実です
これはその会社だけに問題があるわけではなく(もちろんその会社にそういったことをよしとする または必要悪だと暗黙のうちに
認めてしまう体質があることは認めざるを得ないでしょう) その会社の弱みを握り それをネタにたかるがごとき権力側の腐敗が
あるといっても言い過ぎではないと思います。
また そういった権力とRIGHTな政治結社との仲良し関係は古く戦前からこの国の伝統的な癒着体質を象徴するものです
そして多くの人がそういったことはこの国ではやむを得ない必要悪であってそこに使われる献金 賄賂 裏金 人の引き受けといった
ことは必要経費であることを認めているのではないでしょうか。

しかしこれはアメリカでも禁酒法時代からそうであったように そのつながりを明らかにしてしてその連鎖を断ち切っていかなければ
その国の腐敗体質は変わっていかないのです。    マスコミ ジャーナリストの本当の仕事はそこではないのですか
最初にマスコミ業界を目指した時の高邁な理想を 番記者をやっているうちに忘れてしまってませんか?
真実を見据えるレンズがちょっと曇ってませんか?   ほんとに足を使って事実を集めて確認しましたか?


2001.3.13
ついに月一になってしまいました。
最近あにきのとこの「日本のロック」の記事を中心として ゴスペルについて改めて考えたり のりさんがレゲエを切り口に絡んできたりと
面白い展開を見せてきました。
ワタシは ゴスペルが好きです。レゲエも好きです。 ところがクリスチャンでもなければラスタマンでもない。
実家の仏壇は浄土真宗 学校も真宗系の学校だけど信仰心が本当に心底あるかと問われると自信が無い。
一介の会社勤めおまけに日本人です。 どこから見ても・・・
でも ゴスペルやレゲエやはたまたいろんな「魂の音楽」にたまらなく惹かれる日本人でもあります。
ではそのどこに惹かれているんでしょう?
以前ワタシがかけていた コンテンポラリーな今風ゴスペルを聞いて「カッコええ」といったひとがいました。
きっとそれはアレンジやサウンドのことを言っているのだと思います。
しかしなぜ「かっこよい」音にしないといけないかには訳があります。
それはブラックコミュニティー内の若い世代の教会離れにあります。これはかなり深刻なものがあるようです。
ゆえに彼らの好むHIPHOP系のノリの曲やファンクノリの曲をとりいれていく必要があるというわけです。
手元にあるカークフランクリンのライブ映像などみてると 見事に世代別に分けて曲を作っている感じがあります。
はい つぎは大人向きですよ ハイ次は子供達!君達用にはラップだよ!てな感じで
しかしアレンジがどうであれ 結局最後に何を聞いているかというと やっぱりウタなんですね
その圧倒的なパワーにのけぞりそうになりながらも どんどんとそのウタに引き込まれていく  やっぱりこのての音楽の
醍醐味は最終ウタに尽きる。 しかもそのウタは宗教的なバックボーンに生まれた瞬間から裏打ちされている。 
だからこそ あにきはVOCALとして取り組むのはけっして軽軽しく扱うべきでないといっているのだと思います。
今の日本の俄かゴスペルブームに警鐘すら鳴らしているのだと思います。 
 綾戸さんはTV番組のなかでこう言っていました
「あんたが信じる宗教はなんでもええ 日蓮宗でも天理教でもなんでもOKや 気持ちを上に(天に)向かって
歌えばそれがゴスペルなんやでえ」
そう 私たちにも何か天に祈りたくなる瞬間が何度も有ったはず そんな気持ちを込めて口から出てくるものはそれが例えウタ
でなかったとしても一種のゴスペルであるといえるでしょう。
去年の夏 初めて訪れた NYハーレムの教会の中から聞こえてきたゴスペルに誘われるように中へ入ったまま
2時間ほど座っていました。
日曜礼拝が終わったあと皆が話し掛けて来ました そんな中でこんな質問がありました。
「君はキリスト教を信じているのかい?」
そのとき すかさず 綾戸効果が出ました
「うーん 日本は仏教の国でうちの家も仏教なんだ でも 今日はここで両親や家族やおじいちゃんおばあちゃんや先祖のことを
思いながら座っていたんですよ」
そう答えた時 そばにいたシスターが「そうよ! それでいいのよ ぜんぜん問題ないわ」と言ってくれました。  
こういった会話はツアーで大人数で教会へいっても出来ないんじゃないかとおもいます。
そうそう その教会にいた人ほとんどが アレサフランクリンやバーナードパーディのことを知っていたことを付け加えておきます。
当たり前と言えば当たり前ですが やはり現地でのしかも教会内での知名度はすごいものがあります。
こんなところへ子供のころから 週に最低1回は行くんだもんなあ
やっぱり 文化だなあ   とおもいます。


2001.2.13
 ほんとうに久々の更新です。
すっかり忘れてるんだろうと思われてるに違いないのですが少し書いてみます
この12日もブルマンのライヴでした。
今回は 名古屋のバナナフィッシュと言う女性VOCALをフューチャーしたバンドとのタイバン
やはり今回も感じさせられたのは 音楽をやる上での「意識」の違いでした
リハのときも店主でありミキサーでもある松本さんに礼儀正しくしながらもしかしバンドのサウンドチェックにはきっちり要望を伝える
その上で「あ もう大丈夫です あとは本番よろしくお願いします」とリハを終える。  その向こう側には今まで積み重ねてきた練習や
ライブでの場数から来る自信 そしてリハはリハ あくまで本番で完全燃焼しようという思いが感じられました。
バンドとしての音については個人的な好みにも左右されますが 1BOXカーに機材とメンバーを詰め込んで 街から街へ移動する そんな
姿に なにか「ええよなあ かっこええよなあ」と感じたひともいるはずです
そして本番にはちゃんと衣装を替えて出てくる  このあたりもわれわれは考える必要もありそうです
別に衣装のことではないしきちんとキメる必要は無いかもしれませんが 
ステージに立たせてもらうんだ という「意識」は最低必要なように思います。

あと 当日ある方に声をかけられたのですが 「もっと君がBLUESGUITARをギュワ−ンと弾くんだと思ってたよ」 と・・・
他のホームページでも 「ブルーズギタリスト」と書かれる事もあるのだけれども ワタシは自分のことをブルーズギタリストやブルーズマンと
思ったことは一度も無い   そんなことは恐れ多くて思えません
確かに 好きではあるしベースとしてはその要素は多分にあるとは思う
ただ それに向かって 横道にそれず ひたすらに取り組んできたかと言うと 全くお恥ずかしい限りでもある。
しかし そんな「音」を出すことを 期待してくれたひとがいるのも事実。
もっと楽器に対しての 練習時間が欲しい。   もう少し楽器を触って「意識して」練習したいと思う。
ライブなどで自分の楽器が思うように鳴らせられないのが とても歯がゆい。
もっとちゃんと弾けるはずなのに   と思ってしまう。


2000.10.25

 この月曜日23日はBLUEMONDAYSのLIVEでした  場所はひさびさのOLDTIME

お客さんも知ったメンバーが多く比較的リラックスしたなかでスタートしました

さて今夜はそのLIVEをMDで生録音した音源をプレイバックしたあとで書き込んでいるんですが

生録する目的にはいくつかあります  1つはもちろん自分の演奏自体のチェックです

1回目に聞く時はやはり自分のギターの音を中心に聞いてしまいます

その自分の演奏ですが 今回はちょっとひどかった。 なんか注意力散漫な感じのミストーンは

連発するし テンション低いしで みなさんに大迷惑となってしまいました すみません

なんでなんかな〜?  ほとんどがメンタルな部分だと思うのですが・・・集中力や気の入れ方に

問題ありです  自分にとっての課題ですね  今後も音楽をやっていく上での・・・

やっぱり 意識して通常の仕事モードの自分や疲れてボケた頭の中を切り替える時間を

作る必要がありそうです    なんかアニキはいつも決まった喫茶店に行くようにしてるみたいだし

綾戸サンなんかは 神戸のオリエンタルかどこかのホテルに行って2000円ぐらいのコーヒーを

飲むのを儀式にしてるようです   自分だけの儀式の時間をつくらねば・・・・

 

2つめはバンドとしての全体の音やまとまりぐあいのチェックです

この点でも OKは出せないかな?   特にちゃんと終われない曲が何曲もあったりしてお互いの

音が注意深く聞けてなかったり お互いの意思を音の中から聞き取ることがきちんと出来てない

瞬間が時々ありました (もちろん自分を含んでです)

フロントでヴォーカル陣がキレキレになってても 伴奏陣は少しだけ冷静さを残しておく・・

「キレた音は出さないといけないが 演奏自体がキレてしまっちゃいけない」歌伴バンドの一番難しい

命題ではありますが・・・・

 

3つめはお客さんの反応です

今回のお客さんは 皆 音楽が好き!を素直に出せる人たちばかりで身内関係が多かったこともあり

比較的好意的に聴いてもらえたようです     もちろん好意的なお客さんであるからこそ

甘えてはいけないというのは 基本だとは思います

ただ アニキのライブレポにもあったように 身内の多いときは完全に内輪受けの世界に

入ってしまって ポンと飛び込みで入ったお客さんにかえって疎外感を与えかねないものです

その意味では今回ラスト曲「I’ll be there」で大合唱となった部分をはじめ客席との距離感は

かなり近かったように感じます

結論としては     やっぱりブルマンはもっと練習すればもっと良くなる!(よかった!)

             練習すべき点は まだまだまだまだ た〜くさんある!(うれしー!)

一番練習せなあかんのは おまえやろー! という皆さんの声が聞こえてきそうなので

これからの課題をきちんと決めて取り組んでいきたいと思います

音源をとって改めて聴くということは 本番中に気付いた事はよりはっきりわかりますし

その時は気付かなかったことも冷静に聴くと見えてきます

やはり 練習集団 ブルマンとしては  ライブをやる=さらに高いレベルへ!

というスタンスなので ただ騒いで終わり とはしたくないですもんね


2000.10.21

また和歌山駅前の話題です

週末深夜の駅前はちょっとした無法地帯と化します

直管マフラーの爆音とパラパラ族 ナンパ待ちの女の子など警察車の回転灯が回る中

ちょっと異様な雰囲気になってます

当然 警察の車が常駐して警備してるので 目の前でおかしなことをしでかすやつらは

いないのですが 警官にちょっかいかけるやつらがいるんですわ

若者にいらわれて ニヤニヤ笑っている警官を見て 頼りないなあと思うのは自分だけ

ではないと思います

もっと取り締まれよ! 車はほとんど違法改造やで!と思うこちらの気持ちとは裏腹に

だま−って見てるだけ しかもおちょくられてると・・・・

アメリカの警察を見て思ったのはやっぱり威厳があるというか無言の”力”をもっているように

感じたことです   それはあのおっきなエンブレムだったり腰にぶら下がったGUNや警棒

太い二の腕に象徴されるわけですがそれが単なる飾りではなく実際に使用されることも多く

逃げてもそれこそヘリコプターで追っかけてこられる・・・

そんな”力”はやはり嫌われたり恨まれたりもするし 銃で狙われることもあるでしょう

しかし それを上回る力で押さえ込んでいる印象でした

それに対してこの日本では いままで人の良さとかモラルとかを頼りに放置していたことが

家庭や学校でのしつけがほとんどできていない世代の出現によって一気に噴出している

ように感じます

みなさん 町やニュース 新聞を見ててそう思いませんか?


2000.10.18

ここのところ夜中に和歌山駅下の地下道をくぐることがおおいのですが

ちょっとした変化がありました   

いままでストリートの子たちがやっていたのは 地下道上がってすぐの和歌山近鉄の玄関まわり

パイプシャッターの前あたりがメインステージでそれを取り巻くように別グループが点在するという

図式だったんです

ところがもうそのあたりにはギターを持った子はいないんです

なぜか? それはパイプシャッターの中の店舗部分(もちろん無人)から有線か何かの音声が

大音量で流れていてとてもじゃないが歌なんて歌えない状況になってしまってるんです

確かにビル側とすれば夜中にギターをかき鳴らして歌を歌う子たちは「騒音」を

発しているんでしょうがそれを妨害するためにじゃあ自ら騒音を撒き散らしていいのか?

誰も聞いていないアンプリファイドされた音こそ騒音ではないのか?

あまりに大人のやることとして幼稚な発想ではないのか?

今夜なんてそのうるさい音声のなかでホームレスのおっちゃんが寝てたぞ!気の毒やないか!

今夜はその大人げない元国有鉄道系のおかたに次の話をプレゼントします

あにきに聞いた話です

「ある町の公園内にある美術館(博物館だったかな??)の正面玄関の横の壁は御影石か何か

で鏡面に磨かれてピカピカに光っていました   前に立つと人の姿が鮮明に写ってまるで

鏡のようです  ある日からストリートダンスをやっているグループがその前にきて練習を

するようになりました  もちろん自分達の踊りをチェックして上達するためにです

その子たちは毎週毎週やってきます そして熱心に練習して帰るのです

その姿をじっとみつめる人の姿がありました  この施設の館長さんです

館長さんは何も言いません   ただ毎週来てただひたすら練習する若者の姿を見ている

だけでした

そしてある日 ダンスの練習をしにいつものメンバーがいつものように石の壁の前に集合

してきました   そしてそのメンバーの見たものは・・・・・

それは石の壁の上に重ねて貼られた 「本当の鏡」 だったのです」

別に正式な許可証なんてなくても 「黙認」さえあれば 「文化」は育つんだよ・・・・

という館長さんの独り言が聞こえてきそうなエピソードですね


2000.10.11

ホントに久しぶりの更新です

この間には NYとCHICAGOの旅行日記の更新をしたり 9月上旬のBLUESFILEとWAVEの

OLDTIMEでのLIVE   はたまた子供の運動会など  あっという間に3ヶ月が過ぎました

そして10月8日は紀南御坊市民会館でのBLUEMONDAYSのLIVEでした

いわゆる 市の文化祭の一部としてのアマチュアコンサートに参加させてもらうという形で

行って来ました

一応テープ審査と書類で選考されるとのことだったのですが 今回のバンマス ミホ様の

無言の力によって出演資格とリハの不参加を勝ち取った私たちは悠然と出番の1時間前の

PM3:00に楽屋入りしたのでした

すでにコンサート自体は中盤を迎えており会場を見に客席へ・・

ステージ上には ひな壇で段差はつけられてるし コンピューター仕掛けの大規模なLIGHTING

ジェネシスみたいにスポットはくるくる回るは スモークマシンはあるはで・・・・

自分が10代から20代に出たステージを考えると信じられないぐらいのリッチなステージなんです

と  こ  ろ  が   お客さんが少ない    というより ほとんどパラパラ状態

え〜〜〜〜なんで?    こんなに素晴らしいステージなのに!

もし自分が地元で彼らぐらいの年代ならば知り合いから連れまで呼びまくると思うんやけどなあ・・

などと思いながら楽屋へ・・・

すでに先着のメンバーと 同じく和歌山市内から参加のバンドメンバーが個室でリラックスした

感じで談笑していました   ブルマンの楽屋はすぐいつものブルマン状態です

別に今日やる曲の打ち合わせや音合わせでなく 全く関係ない曲をみんなで歌ったりで

(EAGLESの I CAN’T TELL YOU WHYですが 懐かしかった!

この曲が 「秋や!」と言ったイカテンの感覚に同感! ワタシも昔からそう思ってたもので・・・

そういえば 昔行ったEAGLESの万博公園でのコンサートも秋やったなあ・・・・)

今日感じたのは 御坊市はこんな素晴らしい「場」をお金をかけて用意してくれていますが

それを生かすも殺すもそこに参加する地元バンドのかたの熱意じゃないかなということです

音楽をするひとがみな「一度はあのステージへ」と感じるかどうかがそのイベントの権威だと

思うんですが そんなものは最初からあるもんじゃない 皆で作っていくもんだと思います

昔でしたら「8.8ROCKDAY」の決勝ステージみたいなもんですね

あともうひとつ

たくさん集まるコンサートでは他のバンドをもっと見よう!ステージ袖からでいいから・・

そしてもっと他のバンドのメンバーに声をかけよう!  音楽に対して何らかの思いをもって

集まってきたものどおし 何か語れることがあるでしょう?

「がんばれよ」でも「イエー」でも 「その楽器見せて」でもなんでもいいんやけど・・

まあこんなこと言ってるのがまさに「ぶつぶつ」なわけで・・・


2000.7.15(土)

  連日 遅いです  何がって仕事です 仕事      ふ〜〜 

2.3日2時3時に会社を出る毎日が続いて さすがに会社の温情で駅前のホテルをとってくれました

地下道をくぐると 今夜の宿なんですが 何か誰かおるぞという予感があって階段を上がっていくと

いてました ストリートやってる子が・・   とりあえず 1曲聞いて 「何かやるか?」と聞いたところ

「やりますやります!」との返事  どこから来たんや? と聞いたところ

「由良です」 との返事      最近紀南の子が気に入ってるワタシ

何故かというと ミョ-に明るい すぐ人と仲良くなる 話し掛ける人間をあんまり拒否しない

つまり オープンなんですね  人間が   

結局5曲ほどやったんですが  楽しかったです  彼らのオリジナル曲や即席ブルーズ講座など

30分ほど 遊びました   彼らも面白かったというもんで こんなセッションみたいなことは普段せんのか?

と質問すると ほとんどやったことないとの返事    おーーーい 誰か音楽で遊ぶ方法を教えたってくれーー

とはいうものの それは誰かが教えるものではないとは思います     自分らで探してくれい!

 1980年代生まれ    そんな子達が what’s going on を歌い 「mother mother , brother brother」

とうたう時代   いいじゃないですか 別にファッションでも 別にあの時代を知らなくても・・・

僕らの大好きな BLACK MUSIC が彼ら彼女らを惹き付けているのは事実。

BLACK MUSIC NEVER DIE    ということです 


2000.6.7(水)

  今日は会社のパーティがあって 早朝からJR大阪駅西側の西梅田再開発地域の中心にある 

リッツカールトンホテルに行ってきました

いやあ この辺の変わりようといったら・・・・

ちょっと前まで広大な空き地で ミュージカルCATSの仮設テントがあったりして何にもないところの

イメージがあったところなんですが いまや「ここはマンハッタンか??」というような光景に様変わりしています

数日前にも書いたことなんですが 町作りというものは 計画した時点で大体「終わって」しまっていること

が多く 後でどうこうしようと思っても 後の祭りということが多いんです

たとえば 導線や交通アクセス 公園の配置などなど

今日見た この西梅田の開発 が成功してるのかどうかは まだわかりません

ひょっとすると 数十年後に本当の評価が出るのかもしれません

コンクリートや鉄筋 鉄骨は 朽ちていきますが  生きている「木」は朽ちるどころか 年々成長を続け

木陰をつくったりもするんです

再開発なんて どこかの 「都市計画の専門家」がやってるはずですが  もっと外国の「美しい」と呼ばれる街を

勉強してもらいたいもんです。


2000.6.6(火)

 昨日の夜は ブルーマンデーズ の練習でした    今度6月11日に和歌山の片男波という海岸のそばにある

野外音楽堂でのライブがあるので その練習を中心にやりました。

そのイベントはもちろん楽しみです  10代の若い子達のちょっぴり緊張しながら演奏したり 歌ったりする姿

また 高校生の女の子のダンスチームが出たりと 朝から夕方まで ごろごろしながら海を見たりと・・・・

しかし ブルマン が新たな展開を見せてきそうなので そちらももっと楽しみなんです

そもそもブルマンは練習のためのワークショップみたいなもので バンドとはちょっとちがうんです。

その場に「居る」ひとがメンバーだというわけで つどつどメンバーは変わります。参加自由ということです。

ただ ここ半年ほどはメンバーが固定化してきて何か変化を皆が期待していたのは事実かもしれません。

そこで 新たな動き   まず アニキ作曲 作詞=歌う本人 のオリジナル曲へのトライ

そして デモテープの作成   そして 和歌山県外に打って出る!   よっしゃ〜〜!

ワタシは みんな(もちろんアニキやヨガさんは別として)に 和歌山以外のライブハウスや野外コンサートを

体験してもらいたいんです。

全然 自分達のことを認知してないお客さんの前で演奏するというプレッシャーを感じるのも度胸がついて

絶対良いと思います。

あと夏場に向けて 街頭やマリーナシティに繰り出す!  名付けて ブルマンセカンドラインヴァ−ジョン!

まあ こんなことを考えること自体が楽しいんですよねえ。 


2000.6.5(月)

  昨日の続きです。   その公園で夕方まで遊んだあと折角 堺まで来たんだからCDでも見ていこうと

思ってレコード屋に行きました。

堺といえば  「SAM’S」  です

昨日のGETは   CHARMAINE NEVILLE  −  QUEEN OF THE MARDI GRAS

            L. J. REYNOLDS    − LOVE IS ABOUT TO START

            THE DRAMATICS    − IF YOU COME BACK TO ME

の3枚  あとは デルフォニックスの新譜や 吾妻&ロイ ゲインズなんかもありましたが 資金不足でした

本題はここからで 店長と喋ってて ショッキングなニュースが入ってきました。

僕の大好きな JOHNNIE TAYLOR が 6月1日亡くなったとの知らせ・・・62歳だそうです

なんでも店長は今年のシカゴ ブルース フェスに行く予定をしてて トリがJOHNNIE TAYLORなんで楽しみに

してた矢先とか 「また 大事な人を 生で見逃してもた・・・・」      2人でしばし落ち込んでしまいました

 

ここで簡単に JONNIE TAYLOR について

1938・5・5生  アーカンソー生まれ 後にシカゴ移住   ゴスペルシンガーとしてのキャリアスタートでした

57年 サム クックの後任として ソウルスタラ−ズのリードシンガーとなる

スペシャルテイ  から  サー そして STAX へ移籍 R&Bシンガーとして数々のヒットを飛ばす・・

その後コロンビア ビバリーグレン等を転々とし 最後に行き着いたのが MALACO RECORDS でした

ここでの彼は 渋く 枯れた味のヴォーカルでそれほど力まず自然体だったようにおもいます

90年代にはいっても 安定して アルバムをリリース   実の娘さんとのDUETなども印象的でした

BOBBY WOMACK と並んで 一度生で見たいリストの上位に常にいた人だけに残念です

心より ご冥福をお祈りします  


2000.6.4(日)

  前回の書き込みから はや一ヶ月・・・

早いものです  もちろんこの間には5.11のPURDIE氏イベントがらみの大忙しがあったり、会社内の

部署移動のバタバタや 月末期末といった処理関係 はたまたいままでほとんど導入されてなかった仕事のPC化

をいきなり進行させたもんだから ひとりバタバタとしてました。 まあほとんどは自分の慣れのなさに原因があるん

ですけどね    決してこのページのことを忘れてたわけではないんです。

 さて今日 6.4は会社の運動会ということで 堺市にある大泉緑地公園で一日過ごしてきました。

この公園がすばらしいところで 広大な敷地 たくさんの木々 地面にはクローバーが生えて緑のじゅうたん・・・

たくさんの人が思い思いの過ごし方をしている感じでとてもよいところでした。

この公園は大阪府営でほかには 服部や鶴見なんかにもあると思います。

ここでいいたいのは わが町和歌山の公園事情です。  この町にはこんな公園がない!

和歌山には確かに海あり山あり川ありで自然にはめぐまれています。 

しかしここの行政はそれにあぐらをかいていないか?  そんな気がします。

自然が最初から「ある」のと 積極的に「残す」または「作る」のは根本的にスタート地点が違います。

今の時代 自然はほっておけばどんどん失われていきます  これは 自然が自分でそうしているのではなく

もちろん「人間」がそうするのです。  10年20年後にはもっと加速していることでしょう。

それに対し積極的に残し作った場合でも それが自然として定着するには長い年月を要します

木であれば 20年から30年でしょう   でも30年前に植えたから今立派な木としてあるわけです。

つまり 今の公園事情の差は 20〜30年前の行政の意識レベルの差だと言い切ってもいいのではないですか?

とすれば 今の行政の意識レベルの差が20〜30年後に大きな違いとなって出現する・・・・ぞっとします

町の中に木があるのは城と目抜き通りと神社仏閣と個人の敷地のみ  そんな町にしていいんでしょうか?

「木?そんなもん山にいったら何ぼでも生えてるやんけ!木植えて金になるんけ?」そんな政治家の声が

聞こえてきそうですね

NYのセントラルパークや ロンドンのハイドパークは わずか数年でできあがったわけではありません

しかし 計画そのものは比較的短期に出来上がったのではないでしょうか?

要は 最初に「やろう!」と思うこと あとはお金と頭の使い方だけでしょう。 それはそのまま 「文化」であると

いえます。

いまだけ良ければいいのか? それとも 後の世代に残すものを考えるのか?


2000.5.2(水)

  今夜はアニキとこのジャマーバンドのライブがあるというのに 店番をしているワタシ・・・

この春から部署 が変わって まだリズムがつかめていません。

ただPC触っている時間は増えたかな?  といっても WORDやEXCELばっかりですが・・・

実はこの数ヶ月  熱中していたことがあってね  それはパソコンの「組み立て」なんです。

そもそもはNYUILOVEさんのPCパーツうります!の書き込みからはじまりました。

そのパーツの受け渡しにごたつくあいだ インターネットのオークションの世界にはいっていきました

そこはいわゆる パソコンマニア や おたく の巣窟といってもよい光景でPCパーツの流通量だけが

異常に多いんです    ただ単価は結構安くて 数千円からせいぜい数万までのものがほとんど

ここはいっちょ勉強してみるか と参加してみました

そこでGETしたのが いまのメインマシンのマザーボード ABITのBE-6とCPU セレロン400でした

あとは安くあげるために リサイクルショップでIBMの15インチDISPLAYを4800円でGET

ケースもオークションで7500円で新品300W電源のものをGET(なんとスケルトンブルーだ!)

あとオークションではA4TECH社のトラックボールマウスを激安で入手しましたがこれがすぐれもので

最近ではこれなしでは困るという状態に・・・    コロコロボール  いいよ!

結局新品でそろえたパーツは HDD(IBM 20GB  7200RPM)とDVD−ROM  メモリーぐらい

あとは LANやSCSIなどカード類ですね

で  組み立て ですが これは超簡単!  つなぐだけ あとねじまわしだけ  なーんも問題なし

さて激安で組んだこのPC  結果はというと これがとっても快適なんです

とくにハードディスクのアクセスがぜんぜんちがいます

このBE-6というマザーはATA/66という規格をサポートしてるのですが この効果が絶大で いままで

CPUが遅いとおもっていたのは錯覚で実はHDDが遅かったのではと思わされます

いまメーカー製でも798や なんと398もある時代 CPUのスペックばかりが大きく書かれていますが

ぜひこのATA/66をサポートしているマザーの乗っかったものにしてください

さてさて こうして1台完成したころ NYUIさんから まるまる1台組めるだけのパーツが届きました

これにはCD-Rも内蔵した 焼きマシンとすべく また組み立てがスタートしました

このマシンを欲しいと言った友人といっしょにTRYしました

こっちはちょっと苦労  それはマザーが I WILL のXA-100 でK6-2の400までサポートしており

これには当初K6-2の300が乗ってました

友人はこれに手持ちのK6-450が乗れば買うというのです    燃えました

マザーのBIOS のUPDATE に初トライです  さんざん試行錯誤の果てに   ついにBIOS画面に

「I WILL Y2K」の文字と CPU 450MHZの文字が出たときには  2人で感激しました  ほんまに

NYUIさんが心配していたSCSIとの相性問題もクリアしてCD-RもOK!  無事お嫁にいきました。

 さて問題なのは我がマシン その名も「BLUES」号です DVD-ROMもソフトDVDも装備してさあDVD!

とおもったんですが  ソフトDVDの「シネマスター2000」が 起動すらしない!   なんで???

最初セレロン400では 能力不足なのかな?とCPUを疑ったんですが ここでも問題はCPUではなく

なんとグラフィックボードのチップが 対応していないことが判明     またお金が・・・・・・要るの?

金欠のワタシは 最新のGForce256とかそんな高額なものはあきらめまして(35000円ほどする)

選んだボードは DVD再生では定評のある ATIのRAGE FURY PRO 32MBとなりました

ヘビーなゲーマーではないワタシにとってはこれでも上等すぎるぐらいで お値段は18000円でした

このマシンでCD-Rを焼きながらDVDをソフト再生するという荒業に挑んだところ難なくクリア

ということは CPUの能力はそれほど要求されないってこと?   このCPU中古で4000円ですよ たったの

何万円も出してPENVなどの高価なCPUにする必要性が今のワタシにはありません

雑誌等を見れば さも最新マシンでなけりゃ だめなのか?という錯覚にとらわれがちですが

上記のマシン 6万円そこそこで仕上がってます  それでCD-R DVD  20GBのHDDなど

既製のメーカー製であれば10万円代のマシンスペックにはなっているはずです

中古パーツ利用の自作  ほんとに勉強になりました  何よりパソコンのハードには強くなること

保証します  まだのひとは是非10万円ほどもって いっしょに日本橋へいきましょう!

結構人の買い物に付き合って 口出すのも(お金をださずに・・・)楽しいので・・・・・・・


2000.4.17(火)

  この間一体何をしていたんだ! とお怒りのぶつぶつフリークの皆様おまたせしました

復活していきなりぼやくのもなんなので 柔らかい話題から・・・

私はもともと大阪人で和歌山には縁遠かったのですが 縁あって和歌山に住んで約10年です

やはり感心するのは 自然の豊かさです  この季節はやはり花見!   といえばまず桜ですね

もちろん紀三井寺 和歌山城をはじめ吉野も近いので長く桜は楽しめます     

そうそう2月の南部の梅林も素晴らしい     しかし・・・・・

             

本当にきれいだなあと思うのは 桃山町の桃です

桃のピンクは桜より濃く  収穫しやすいように枝はひくく張られ 花は目の前を咲き誇っています

桃源郷ということばは「パラダイス」と同義に使われますが まさにそんなかんじ 花のトンネルをくぐって

歩き回っていると しばし時間を忘れます

  しかしこの満開状態もほんの数日で おいしくてきれいな桃を

つくるために 摘花されて(間引かれて)しまいます 

だから そのころは皆 桃の木の下で花の短い命を楽しむというわけです

もちろん ここは公共の場ではなく 個人の畑の中     桃農家の方もこの時期は立ち入り黙認です

ただし ゴミや空き缶を持ってかえるのは 当たり前なので気をつけてください

ここは農家のかたの 仕事場 なのです  桃農家にとっては開花後 収穫までの数ヶ月 睡眠時間をも

削るハードワークとなります   丹精こめて作った桃のきれいなこと!

もしよければ来年でもまたきてください   時期は だいたい 桜の直後 4月10日前後です 菜の花もきれいですよ   だいたい 同時期です


2000.2.29(火)

    いやあ 久しぶりの更新です  飽きっぽい性格を見事に表現したこの↓ブランク

さぞかし 書く事が溜まったかというと・・・・???

まずは一部の方より報告をせよ! との声も有るこの話題から・・・

       女3人子供1人おやじ1人藤井寺へ遠征する! 

今回 ミホちゃんイクちゃんに加え 薫ちゃんも参加希望とのことで これで 女性3人に男はおれ1人 でへへ

へへへへ〜〜〜と 鼻の下を伸ばして しかも初めて会う NUITLOVEさんもこれまた女性というわけで

やめられまへんな状態で さて出発と思ったその時 つかまりました 我が娘に・・・「どこいくのん?」て

そして「ライヴ」 と答えると 「わたしもいく〜〜〜」てなんでそうなるん???

実はうちの子 4歳ぐらいからライブハウスに出入りしてまして 和歌山のグレイトギタリストの「尾根サン」の

ファンでもあります   だからライブと聞くと なにか楽しいことが待っていることを知ってしまってるんですね

やじきた道中のような 藤井寺遠征がこうしてスタートしました

 

二月二六日 この日関西の山沿いはこの冬一番の雪 和歌山の山々もわずか数時間でまっしろに・・・

イクチャンの頑丈な4WDでなら大丈夫大丈夫   なんせサハラ砂漠も走り切った車やしなあ

しかしおやじはここでも大迷惑 運転はしない  ナビとしても役立たず ただしゃべってるだけ

イクちゃん怒る!   一般市民の車に「おらー はよいかんかい!」と怒鳴るはで おやじとしては

寝たふりをかまして 嵐の過ぎ行くのを待ってるうち 現地着  (だいぶ脚色してます)

しかし 藤井寺は なかなかDEEPな町で アーケード街が縦横に走り  目的の「バグース」に到達するのに

ちょっと苦労しました (市営駐車場も全然わからんぞー)

 

リハ中の店内を 覗いてみると  おったおった NUITLOVEこと早野みどりさん  カウンターでモバイル

ノートパソコンに入力中でした    初めましてと言った瞬間に お好み焼き屋に飯食いに入ってました

やっぱり大阪に来たら お好み たべてもらわんと・・

彼女 お好みを3分割にして 小さいのを3枚焼いてました 発見したんですが こうすると 出来あがりが早く 

はよ食べれる うーん 知らなかった  せやけど 焦げるのも早いぞ みどりちゃん!

彼女は始発の鈍行で名古屋にくるつもりが寝過ごしてしまい 横浜から名古屋までのぞみで来たらしい 

そこから近鉄特急で大阪入りするはずが 橿原あたりで迷子になってたとのこと  

ついゆっくり食べてしまい  店に戻ると席がもう無い!ぐらいお客サン入ってる  ゲエーッ まさか立ち見?

幸い丸イスが多数でてきて  普段20〜30ぐらいのキャパの「バグース」は約50人近くのお客さんを

入れてさあライブのスタートです  

 

 1番手は 地元でしょうか? 3人組のバンドです

結構淡々とした進行で ギターの子はデイレイの多用でぴよぴよとやってます   ポリスのアンデイサマーズ的と

いうか浮遊するようなサウンドなんですが    とらえどころなく最後まで続いてしまいました

個人的には もっとガツンとやってね と言う感じでしょうか?   あといいたいのは 対バンのときは他の

出演者の演奏を聞いて帰ろうね ということです  自分達の出番が終わってさっさと帰ってたらダ〜メダ〜メ

たとえ自分達と系統が違おうが 聞いて損はないはずなのになあ  損してるな と思いました

 

さて2番手 京都の坂本亜希子さん(p&Vo) とオべーションの羽栗クンのDUO  この二人は風貌だけ見ると

「お姫様と落武者の恋」 って感じですが 音は さすがと感じさせるものでした

ふだん 「RAG」 や「とがとが」でやってるそう   

ヴィーナスやナチュラルウーマン といった 曲を入れながらも オリジナル中心の曲でしっとりと聞かせる

曲が多く 良かったです    ブルマンでいえば ともちゃんにも聞かせたかったな・・・

 

さてさて3番手に登場がNUITLOVEこと早野みどり の登場!

1曲目 ほんのすこし 緊張気味でのスタートから 暴露ネタをふくむMCを入れたりするうちにどんどん

彼女の世界をつくっていきます  あやどさんのMCを聞いてても思うんですが 彼女のMCは「自分そのまま」

というか 等身大の自分を語っています  

知ってる知ってない できるできない について正直に暴露してしまいます      

『「私 この曲はまだあんまり上手にできないんですう」と言っておいて じゃーんとやるのは嫌いなんだよ

 次の曲はいつもやってっからちょっとうまいんだよ  ○○という曲です』

といって聞かせる Dr.John のようなニューオーリンズスタイルの曲や ラグタイムの曲 ブルーズ

には 彼女自身の個性がちゃんとあります    決して誰々そっくりといった 愚は犯してません

今はやりのJーR&B の歌手はある意味皆良く似た歌い方とバックのサウンドで どれ聞いても一緒に

思える時が多いんですが  NUITLOVEみたいなタイプはちょっとおらんでしょう!

スワンピーなピアノに太い声 声はこれからもっと枯れたいい声になって行く感じで・・・ よかったっす!

休憩後すぐ入れ替わるようにでてきたのが 三重県は伊賀上野市から登場の 久保さん率いる「パラダイス

レヴュウ」です  今回はギタートリオプラスVoの4人編成です

選曲は サウスやふさのすけ等もいれつつ 極度におたくの世界に行く事もない なじみの有る曲中心で

とても良かったです  とくに 近藤房之助さんが 「ねずみ」という企画盤でカバーしていた「ME」という

曲は 自分でも尾根サンとこの曲で持ちこもうと思ってたんで ちょっとくやしかったっす!

 

さて 弾き語り中心の今回のライブ お客さんも リズムに飢えていたのか 一気に 店全体のVOLT数を上げて

しまうような熱い演奏に 皆 体が動き出し NUITも加わった最後の「ダンス天国」 でみんな踊ってました

即席和歌山産のコーラス隊もちゃんとレスポンスしてるし ミホちゃんなんか イスのうえまであがって

踊ってたもんな  

とにかく 楽しく過ごせた今回のライブ ほんとは もっとゆっくりと NUITさんや久保さん達と酒のんでいろんな話

もしたかったんですが メンバーを考えると 早く和歌山へ帰らねばと 終了後 即お別れになってしまいました

今度は ぜひ NUITLOVEさんも パラレヴィも 和歌山へきていただきたいし そうできるように動いて行きたい

と思っています

ブルマン的に見れば 行って良かったなと思っています  特に女性Voチームの3人が一緒に半日行動したこと

はいままでなかったと思うので(自分達のライヴや練習をのぞく) 一体感も増したように思うし 28日の

キレキレヴォーカル聞いたりすると 何かが変わったんやろかと思ってみたり・・・

まあ 良い影響であることは たしかです 

こんど カオリちゃんは あやどさんのチケットもとったそうですし・・・    えらいことになりそうです 


2000.2.11(金)

  今週はこのコーナー少し休んでましたが今日は休みなので少し書きます

この4日の間にも色んなことが・・・・・

ネット上で新しい知り合いができました  ひとりは ニュイラブさんこと早野みどりさん  このかたは横浜中心で

VOCALとPIANOをやってるプロの女性 4歳の男のコの母親でもあります  今度関西〜中国方面のツアー

で2・26には藤井寺のバグースでライブ その後山口とかそっち方面を回るとのこと

そのバグースなんですが 2・7のブルマン練習で参加者を募ったところイクちゃんみほちゃんが

「絶対イキたい!」といってくれて 僕含め3人で車相乗りで行く事に決定! 

やっぱりこれなんですわ 自分で 「あ! これいきたい!」と思って参加したものからは 絶対なにか得るもの

があるし なんとなしにつれて行かれたものはそれなりです(たまにとんでもない例外もありますけど)

まずは自分の主体的な姿勢がなければ ほんとに吸収できることもすどうりしてしまうことが多いです

とにかく ライブやコンサートはその場にいてたもんの勝ち!  いくらあとでライブ盤になったり 生録音の

音源を聞いても それが良ければ良いほど 悔しい思いをします 

 

もし 自分が何かの仕事人だったと仮定して100%赤字の仕事に手弁当で行きますか?

世間には確かに赤字の仕事はあるでしょう  でもそのリスクはプロダクションやエージェントや会社持ちです

もしそのリスクが100%自分にかかってくるとしたら・・・   

それをはねのけるものは 待っていてくれるお客さんがいてくれてることと じぶんのことを知らない人の前で

自身を表現してわかってもらいたい というプロ意識そのものだと思います

そこには いつも友達や知り合い身内の中でライブをやって 動員かけてお客さんを集めるアマチュアには

なかなか理解できないプレッシャーがあるはずです

そんな彼女の姿勢を見せてもらって もちろん音楽を楽しませてもらってこようと思ってます

それと その日ゲストで出演し4曲ほど演奏するらしい 「パラダイスレビュー」のギタリスト 久保さん

この方はニュイラブさんのBBSで知り合いましたが こちらが出したメールに即 丁寧な反応をしていただいて

26日に初めてお会いする予定になってます (なんかライブ兼OFF会みたい?)

この方もすごい!   三重県の伊賀上野市のCATV局のデイレクターらしいんですが「伊賀上野の乱」

というブルースFESを企画していて今年で4年目 今年は2.25日 伸ちゃん 小島 マーテイーブレイシー

ポールジャクソンの4ピースバンド あとハイロウズなどゲストを迎えてやるらしいです

世代は アニキ と同じ あと生まれ育ちともに京都 以前は元ファッツボトルBBの田中晴之さんや

ピアノのアリヨさんとかとやっていたらしい    HPの計画もあるそうで アニキのHPみて感激したと

メールに書いてくれてました   やっぱり地方はこういう方の存在があって初めて活気ずくんやなーと

あとはPC自作の準備を進めているのと 昨日和歌山でのBERNARD PURDIE のクリニックに

なんとCHUCK RAINEY が同行するというビッグニュースが飛び込んで来たり・・

これらの話題はまたあらためて・・・


2000.2.6(日)

 いやな事件にいやな結末  新聞を読むだけではーっとため息がでます

新聞にはどーんと落ち込ませるような記事がありますが これも何かを考えるきっかけにはなります

ひとつ先週拾った記事があります ここで取り上げられてあることは ワンネスのBBSでも語られていたように

ペットを飼う人のモラルが重要だということです こんなひどい飼い主もいれば 本当に家族の一員として

動物を愛している人もいます (ただただ可愛がるだけではなく しつけの部分を含め責任を持って動物と

付き合っているということです) 

僕は動物が大好きです 仕事で外回りをすると知ったワンちゃんがあちこちにいてみんなしっぽもちぎれんばか

りに走ってきます  でも   我が家ではペットは飼いません というより 飼えません それは

色んな面で責任が取れないからです  将来はわかりませんが現在はそうです

さて この記事で感じて欲しい事  彼女はショッキングな出来事に遭遇して そのあと「自分にできること」を

考え始めた  ここが一番シンプルですが 大変重要です 

一歩立ち止まって 良く考える この書けば簡単なことが 日々の生活と時間と仕事に追われるといかに

わたしたちはできていないかということです       色々評論はすれどもそのあとの行動がまったくできない

というのはじつはな〜〜んにも考えていないことの証明でしょう

事実彼女は考えた後 行動に移ってます しかも彼女にできる具体的な行動をちゃんと考えての上で です

彼女が訴えたかった「飼い主のモラル」を問うための問題提起はこれからも日本中をまわるのでしょう


2000.2.5(土)

 なんとか体調のほうは回復に向かいそうですが  今回のはつらかった 熱は薬で押さえられる程度まで

しか あがらないんですが 体のだるさ 肩というより背中全体の痛み等 もうじっとしててもしんどい状態で

どうしようもなかったです 仕事は休みたいけど休めないし

 

そんな意識不明の状態のなか BIGNEWS が飛び込んできました

あのバーナード パーデイ 氏が 和歌山にきて バンドクリニックとそれのビデオ収録をするというのです

くわしくは あにきサイトのよもやまコーナーに熱い思いとともに 紹介されてますのでよんでみてください

 

アメリカ南部のミシシッピー 州に ジャクソン市という町があります 州都ではありますが アメリカの中では

それほど大都市ではないはずです   そこに「MALACO」というレコード会社があります

CD紹介でも取り上げているジョニーテイラーやボビーブランドなど実力のある 元スター(と世間は思っている

だけ)を集めて 有る意味では 彼らが「人気」のあった時代以上に素晴らしい作品をリリースしてくれています

実はアメリカ も 日本 も実は状況が似ている一面があって 本当に実力のある人が 日の目をみれずに

メジャーとの契約を切られてマイナーでの活動を余儀なくされています ボビーウォマックなどもそうです

もちろんプロモーションやMTVなどに金を掛けないと売れないのは向こうも一緒 もちろんヒットチャートに

でてくることもそう有りません 

 しかし これらの作品を聞いてみてください  過去自分たち自身で作り上げてきた文化に対する敬意を

持って 素晴らしい歌手による本物の歌を聞かせてくれます しかも 声はますます渋く 円熟の境地です

サム クックやオーテイスレデイングは若くして亡くなりましたが もし今 この時代に存命であったら

アメリカのレコード業界は一体どんな扱いをしてるんだろうか?それを想像するとぞっとする時があります

それぐらいいま アメリカも日本も売れるもの=良いもの=大事 となってきているように思います

そして それに対して そうじゃないだろ!のスタンスで売れようが売れまいが 良いと信じたものを

または価値があると信じたものをリリースしてくれる MALACOや 日本ではP-VINE

こういったレーベルがあって本当にいま嬉しいと思います

そして 今私達が住んでいるこの 和歌山 のまちが アメリカのJACKSONのようになれないことはない

情報の発信はいまや世界のどんなところからでも 世界に向かってできる時代になってきました

さあ なにをやっていきましょうか?


2000.2.4(金)

 きょうは風邪引きのせいか 頭がまひして あんまりどたまにくることもなく平穏に過ぎました

プレイヤー3月号買ってきました  この雑誌 必ずどこか引かれる企画があってついつい買ってしまう

今回はALBUM LEGEND でTHE BAND の2ND 「THE BAND」がとりあげられているのと

いつもの 吾妻光良さんのコラム(今回爆笑) あとここのところずっと毎回楽しみにしているのが

沼沢尚 (DS) のコラムです  ここは全パートのひとが必見だとおもいます

今回のテーマは師匠との問答 「練習とは」

どんなレベルにおいても 技術的な練習と精神的な練習を両立させること 

ともすれば 練習=テクニックを習得すること  ととらえられがちだが

体と心はくっついてるんだから「MENTAL PRACTICE=精神的な練習」が大事だよ と

自分の感情を隠すことはない  ここというところで「どうだ」と開き直って自分を

表現する そんなこころのありようが大切だよ  と要約するとそんな感じに近いと

思います  興味の有る方はぜひどうぞ  今回は買って損はない号ですね

フィートのビルペインと佐橋佳幸の対談や松本隆さんドラムを語るのコーナーなど(この道はどこに行くんだろう でも走り続けようか いつかどこかに着くよ)

 

話かわって ぼくは会社員なもんでよく会議というものにでます

なかにいるんですよ ぜんぜんしゃべらないひと しゃべりすぎるひと 声だけ大きくて内容のないひと

追随するだけのひと 良い事いってるのに声の通らない人 話の流れを無視して自分の言いたい事だけ

言う人 ただメモ取りだけの人 都合の良い時は元気 都合の悪いときは静か  とか

うえのいくつかは自分の事です

ぼくらの税金が給料の国会議員が会議をすっぽかすなんてあほらしい行動してるけど

会議に出ている以上何かを伝えて自分を表現できる 心の強さをもっていたい

たとえボロクソに言われようとね

これは音楽もいっしょだなあ

やる以上 思いきって 遠慮なく ガツンとね あんまり回りばっかりきにせんと

「おまえ うるさい!」と言われたら幸せモン

「ごめんちゃい」(また人生幸朗か!) とあやまりつつ また音をだすのだ!(歌うのだ!)

少なくとも遠慮遠慮で中途半端な音(歌)よりきもちいいぜ!

まあこんなかんじでやって行こうよ!ブルマンのみんな!


2000.2.3(木)

  風邪引きました 多分 子供(小学校一年です)からGETしてしまったのでしょう

ただこれから仕事も加速がついて忙しくなってくるので いまDOWNするわけにいかないので

今回は早めに医者にいって ねじ伏せてしまえと 今日はいってきました

というわけできょうは早めにねるとします  お詫びに2月2日紀の川河口の夕日のPHOTOでもどうぞ 煙突から煙のところが住友金属 和歌山製鉄所です


2000.2.2(水)

  ここ数日人生幸朗師匠のごとくぼやきまくってきたので ちょっと話題を変えて・・・

最近「キれる」ということばを日常的に使うことが多いように見聞きします

とくにこどもたちがすぐ「キレル」ということが教育の現場でも問題になっているとのこと

ここでいう「キレル」は ちょっとしたことですぐかっとなり 怒りのため見境いの無い暴力や言動で

まわりに多大な迷惑をかける  そのような意味で使われているようです

なぜ いまそうなのかは ちょっと置いておくとして

その「キレタ」状態はどんな状態なんでしょう

きっと何かの感情に大きくこころを揺さぶられ  頭のなかはまっしろけ 自分が自分でないような

かんぜんにOUT OF CONTOROL な状態   脳のなかに何かが分泌されてスパークしてる

こんな感じでしょうか?

怒りという感情に動かされてのそういった状態はまわりにほんとに迷惑をかけるし場合によっては

人を本当に傷つけたり物がこわれたりすることもあってやはり問題です

 ところが その当人 案外そのあと けろっとしてたりする むしろすがすがしいさわやかな顔してたり

する いままで人格が変わったようになってたのに・・・・

普通だとそこまで感情をあらわにしたあと  自己嫌悪に陥ったりしそうなのに なぜなのか?

それは「キレル」ことに自浄作用というか鬱積したものを発散する快感があるとしか思えない

キレル子供たちは日々の暮らしのなかで 「頭の中が真っ白け」状態になることを怒りの感情から得ることしか

たまたま体験していなくて また「キレル」ことを待ち望んで常に臨戦体制で待機しているのではないか?

場合によってはナイフなどをポケットに忍ばせて・・・

                  

ところがこの「頭の中がまっしろけ」状態はほかの場面でも体験することがあります

例えばスポーツ マラソン等のときの「ランナーズハイ」は有名ですし  それは知らなくても体育系の

クラブにいた事の有る方なら 基礎練や筋力トレーニング等で ある限界を超えたときに「頭真っ白」状態

になることは経験済みのこととおもいます

バイク乗りもスキーヤーもスノーボーダーもウィンドサーフィンで空中を飛ぶ人や空から落下傘つけて

飛び降りる人  バンジージャンプ  山登り などなどなど 

はたまた音楽の世界でも自分で一種のトランス状態をつくりだして意識と無意識の間すれすれの

ところで自分の内面をさらけだすように歌ったり演奏することの可能な人もいる(皆ではない)

もちろんこれには先天的にその能力を授かった人と訓練によってそれを体得した人がいますが

多分にそのひとの意識のありように左右されるような気がします  その能力はあきらかにあるのに

その状態をひっぱりだした経験がない人もいる     それも意識と環境にだいぶ左右されるのでは?

あ  あと人間として大事なことは 大切なひととの大切な時間 いわずもがなのことですが

これも「頭の中が真っ白け」の最たるものでしょう

 そしてどれにも共通するのは 「ここから先へいったら怖い」という意識がどれにもあってさいしょは

その一歩手前でUターンしたりするんですが (歯止めがかかった状態)

それを超えたときに 病み付きになるような何かがあるんでしょう (ナニのことばっかりとちがいますよ!)

 

 さて冒頭の「キレル」こどものはなし かれらにとって唯一 「頭の中が真っ白」になるきっかけ

それが「怒り」の感情しかないのであれば  ほかに「頭の中が真っ白」になれるような

熱中できるようなもの それを与えるのは誰の役目なんだろう?   いつの時代も子供たちは

それを勝手に探し出して 友達と熱中できたものですが 果たしていまの子供達に自力でそれを

探す力が備わっているのか?  またそれを育む学校であり家庭であり町内であるのか?

やはり 大人の責任は重い 


2000.2.1(火)

   1.30の文章に補足

現在 週刊誌2誌の広告掲載を取りやめているY新聞の決断は正解   どうしても編集方針に合わない

もしくはこの広告は一般大衆にみせるにそぐわない そういった広告主とはきちんと話し合いと交渉のうえ

広告記載をお断りすればいいと思う   言いたいのはお金をもらうな ということです またはお金をもらって

いる(契約している)のにかってに中身を印刷直前に削るな  この2点

 

ここにとりあげた雑誌には一切広告がありません この雑誌には広告主から自由になって正しい批評をしたい

正しい情報をなんとか伝えたい そういった明確な編集方針にさわやかな潔さを感じます

 

さて 前述の新聞の件 取りやめの理由は「露骨な性表現」「女性差別につながる性の商品化」が含まれるから

見るに耐えないと・・・   それに対して 約9割が是認とのこと   (我が家も勧誘されて購読中ですが)

しかしその雑誌は日本中のコンビニにあるのは現実だし  まちを歩けばそこに書かれているような看板

ネオン あげくはみずからを売り歩く10代の女の子たち・・・・

 中にかかれていることは 大嘘もオーバーな表現も多いけど いまの時代の風俗の真実もちょっぴり入ってる 

良くも悪くも「情報」です 良ければとりいれ悪ければちらとみて切り捨てる  皆そうして生きているのでは?

切り捨てることまでどうしてひとまかせにするの?  清濁併せ呑むなんて言葉もあるが・・・

 

実際   新聞には見るに耐えない 「現実」 がいっぱいつまってるじゃないか    異様な事件 

悲惨な事故  審議して議論して前へ進めるのが仕事のくせに「審議拒否」とかいってふてくされて昼寝

している政治家  終わる事の決して無い戦争=殺し合い  人生相談には家族の崩壊が毎日毎日

これらの「現実」を子供達に 生で 見せれますか?見せたいですか?

見せたくないからこそ ジャーナリズムは真実を伝え モラルに訴えている モラルは読む側に要求される

記事 に脚色は要らない 広告に黒ベタ や 削除は要らない そのまま載せて欲しい 

そして「これがそのままの事実だ しかしここに問題がある それに対して当社はこう考える」 と書いて欲しい

作為的に加工された情報が怖いのは 戦前戦中を過ごしてきた方が一番良く知っている 

情報を自分のおもうままに操作できるなんて考えに ジャーナリズムではなくて 経営者としての

独裁者的な思いあがりを感じる    情報収集のルートは1つじゃないんだ


2000.1.31(月)

またまた 「情報」について   きょうはそのお値段について

僕達は現在INTERNETでこうやって遊んでますが 費用もそれ相応にかかってます

皆それ相応のコストをなんとか安くあげようと「テレホーだい」その他色々手を尽くしてますがどうも・・・・

これはNTTさんに問題があるんですよ!   高すぎる!

アメリカでは つなぎっぱなし でプロバイダー分含め通信費約2000円から3000円だそうです

これが現在のアメリカのE−ビジネスの飛躍的発展=好景気 を支えているんです

日本ではNTTがこのままでは E コマース どころかE コマッタ になりかねない

不況からの脱出は 新しい形のビジネスの創出しか手は無いのに 足ひっぱってまっせえ えぬてーてー

ぼくはもうNTTと手を切ろうとおもってます  ケーブルTVのINTERNETサービスを検討してます

いちにちじゅうつなぎっぱなしの128kbsでプロバイダー込み で月定額6000円です

いまうちのマンションにも工事の下調べに入ってます

はやくケーブルひいてくれ!  がんばれ J−COM!   あとは月3000円か4000円ぐらいまで

値下げしてね!


2000.1.30(日)

ここんとこ「情報」 をキーワードにぶつぶつ言っております

あにきさんの「よもやま」でもとりあげられてたことですが   ぼくが頭にくるのはあの「ワイドショー」に

でてくるコメンテーターと呼ばれる人達   なんだありゃ?  芸能ネタであろうが時事ネタだろうが

報道(ジャーナリズム)は事実を的確に伝えて 難しい点を解説してくれればいいんだよっ!

だれも あり○さんの私的な意見なんか聞きたくないよ!   それこそ「情報操作」だろが!

暗にある特定のほうへ話の方向をもっていこうとするのがみえみえ  したり顔でわかったようなことを

ゆうてるだけでギャラもらえるんなら そらやめられまへんわなあ 

10人いれば10人の意見があるんだし  反対意見が言えるような番組でないと 自分で考える力のない人

(最近このテの人多し)はそっちへもってかれちゃいますよ

まだ ゾマホンていう 留学生がでてきて おおモメするたけしの番組のほうが 健全だぞ!

あの「THE WIDE」って番組(あの吾妻光良さんもスタッフでテロップでてくるけど) 内容はともかくとして

あのもっていきよう はちょっとやばい 10CH=日テレ=Y新聞なんだけど Y新聞は広告主の広告の

文字を勝手に削除して印刷するんですよ  表現がもろだということで   広告のなかみを勝手に触るんなら

代金もらうなよ!  載せるなよ!  と言いたいです


2000.1.29(土)

土曜日といえば 思い出すのは 小学生高学年〜中学生のころ 学校が終わると飛んでかえってきて

FM大阪の 歌謡 BEST 10〜POPS BEST 10 を聞くのが楽しみでした

午後1時から1時間ずつの番組でした  時は70年代に入り もうビートルズはなく

それぞれがソロアルバムをだしていたころです  POPSのチャートの上位には ウイングスやジョンレノン

ステイービーワンダー や カーペンターズ や サイモン&ガーファンクル ニールヤングなど

歌謡のチャートにも荒井由実さんなど新しい流れが食い込んでくる頃

この頃の音楽ビジネスは一体どんなものだったんだろう?とかんがえることがあります

和洋ともに「メガヒット」のようにばか売れすることはなくても 何か新しい音楽や良い音楽をリスナーも

探していたし レコード会社も 何か新しいシーンを作ろうとしていたように思います

対して 現在はどうか?  一部のCDは発売前からメガヒットを約束されている(聞く前なのにどうして?)

たとえ 焼き直しやパクリのような音楽であってもです

そしてプロダクションやメーカーには巨額のお金が流れ込むようになっている

その一方では長く活動してきた歌手がリストラ対象となり契約解除の運命  スタジオミュージシャンには

仕事がない状態  うーん と 考えてしまいます

このようなことになった原因にメディアによる巧みな情報操作があって また裏でそうすべく大きなお金が

使われていることを 自分でチョイスする力のまだない一般消費者(特に10代の子供達)は知らない

そして大事なおこずかいやお年玉やバイト代がこれらのCD代に消えて行くのです

それらのCDは大切にCDラックに保管されることもなく 消費されて 1年後には古本SHOPに山積みの運命

です     もっと買うべきCDはいくらでもあるだろう とぼやきたくもなります

 

いま  ネット経由による音楽配信に注目が集まっています  大手企業(ソニー他)はほとんど参入済みで

今年前半より一斉に立ちあがってきます

ここで重要なことはたとえ田舎に住んでいても 完全にセルフプロデュースで個人から世界にむけて発信できる

もちろん運営会社のピンハネはあるにせよ 一曲いくらの収益も入ってくる

そこへ合わせて最近の自家録音機材の進化と低価格化が後押しする

あとはなにをやるか!でしょう

情報は操作されるものではなくて  自分でも発信し 自分で収集して自分で分析すべき時代になってきました

多種多様な価値観と好み   皆が同じCDを何百万枚も買うという時代はもうすぐ終わるのかもしれません


2000.1.28(金)

こんなページを立ち上げたものの なにを書いていけばよいのやら

あにきさんのように 毎日更新して日記のように書いていくには僕にはあまりに不精すぎて荷が重い

ただBBSに書きこむにはあまりに私的なことや せっかく何かの話題で盛り上がっているBBSに

ぜ〜んぜん違う話題をもってくるのも 話の腰を折るようでいやだし

それでも 日々 何かを感じることはあるわけで  まあ誰かのリアクションがあることは全く期待せずに

つらつらと不定期に書いていこうということです

なにか酔った人が電車の中でぶつぶつひとりごとを言ってるみたいなもんでしょうか

あと このページには画像が貼れるので そんなお色気の有る部分も入れて(アダルトとちがうよ)いこうかなと

 (和歌山の朝日って場所から見た夕日です。 なんじゃそれ?)

夕焼けは ほんと一瞬で終わってしまうので でじ亀君は車に常備!

てゆうてもたいそうなもんではなくて ザウルスにおまけでついてる28万画素のものです

でもHPにUPするならこんなんで充分!   あんまり上等の亀はファイルが巨大すぎてPHOTOSHOPなんかも

処理時間ばっかり食うし結局時間の無駄!

なんていうことのない写真でも見てるひとによっては感じ方が違いますよね

例えば上の写真を見て何か昔を思い出す人もいるのでは?

「小学校の頃 空き地で友達と野球やってて何人かは家へ帰ってしまいました でも僕はまだ家に帰りたくない

ので友達と夕焼けをみながら話をしています 帰りたくないなー」  僕的にはそんな感じの写真ですね

あ そうそう  先日紀ノ川の大堰の工事中の写真を徳島吉野川第十堰の活動してる方に添付して送ったんです

早速 先方のHPにUPして使ってくれてます

CGや予想図よりも実際にできてきている物の迫力のほうが説得力があるということでしょうか

イメージより現実のほうが リアルだというのは当然のことですし  正確に伝えられるはずです

ただ それには 伝え方と 伝える意図といった事のほうが重要だったりします

いわゆる  「情報操作」  ですね     この件はまた次回に