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オークランド〜東京(1) -- この海が・・・


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オークランド出港後2日目、夢のような想いが一気に吹き飛ばされました。
試験の開始です。
私たちの航海は実習です。当然その成果を試すための試験が行われます。
結果は・・・そんなに悪くはなかったのですが・・・

この頃、私はひとつの実験を船の中でしています。
本当はオークランドにいるあいだにする予定だったのですが、すっかり忘れていたものです。
それは、北半球と南半球で渦のまわり方が違うと言うことを試して見たかったのです。(「コリオリの力」です。)
洗面所で絵の具などを流してわかりやすくしてやって見たのですが、あれくらいの距離ではどちらにまわっているか、あまりわからないものですね。
結局実験失敗。気象衛星の写真のような渦を自分の目では確かめられませんでした。
(【注】後日わかったことですが、そんな短い距離ではあの大きな力は働きません。)

さて、もうすぐ帰路の赤道通過です。どういう訳か帰りは静かに何も祝い事などはしません。
が、ここからは日本の(第二次世界大戦の)敗戦の歴史を遡っていくような感覚に陥りました。
ニューカレドニアの(今回は計画通り)西側を北上し、ソロモン諸島のはるか沖を通り、ニューブリテン島と言うところで変針点(船が針路を変えるところ)がありました。

青雲丸というか運輸省の練習船には船長、機関長の他に同等のレベルで専任教官という人が乗り組んでいます。
帆船では若い船長クラスの人が老練な船長の技術を得るためにその任を配し、一般の機船では船長の補佐をするためにベテランの船長経験者がその役目を担っていることが多いようです。

青雲丸では船長は今回初めての新米船長(当時45才)に対し、専任教官はかなり年配の人でした。
その専任教官が、この変針点のあたりで海に花束を流し、一升瓶からお酒をそそいでいるのを見ました。
専任教官や船長などには余り話しをする機会がないのですが、この時はいろんな話しを聞くことができました。

このあたり(ニューブリテン島にはラバウルという町がある)はその昔、専任教官の同僚や、先輩や、後輩達が、沢山亡くなったところだそうで・・・・たくさん聞いたようで、あまり詳しくは覚えていません。
しかし、このような仕事をなされている方は海軍出身の方も多く、それぞれに様々な思い出を持たれていて、その悲しい過去の現場にいあわせて、私たちは何も言葉が出てきませんでした。
「この海が・・・」そう言う思いを込めて、海を眺めるだけでした。

星雲丸のプープデッキ
星雲丸のプープデッキ(**1)

(**1)
この写真は、このページの内容とはあまり関係ありませんが、ちょうどこの海域あたりのスナップ写真です。
ちょうど日没の時刻で、当直班の2人が国旗を降ろそうとしています。他の実習生や乗組員が右側を見ていますが、グリーンフラッシュが見えないかと日没の様子を見ているのです。

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