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長期実習-国内編(4) -- 昭和天皇が崩御。「平成」へ


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私が東京に戻って来て3日目。
1989(昭和64)年1月7日。
この日は皆さんにもいろいろな思い出があるでしょう。
私は、青雲丸の甲板上にいました。

船では、練習船の日課でも書きましたが、朝8:00に旗章掲揚があります。
記録を見ますと、昭和天皇が崩御されたのが6:33、発表は7:55のニュースで、新しい年号はこの時点では未発表でした。

旗章掲揚では、前直班と次直班が8時の5分前にはすでに所定の場所に整列しています。
したがって、この重大ニュースは知り得ないことになります。旗を挙げるのは前直班の仕事です。
そして、私は次直班でした。

この時、当直航海士はぎりぎりまでニュースを見ていて、このニュースを知っていました。
それで、旗を挙げる担当の実習生に耳打ちして半旗にするように指示したようです。
ただ時間がなかったので、理由までは言えなかったようです。
しばらくして、8点鐘が鳴らされ、当直交代となりました。

しばらくして、部員さんの大きな声が甲板に響きました。
「こら、お前ら!旗が半旗になっておる。もっとちゃんと挙げんかーっ!」
部員さんは、実習生より早く準備しているので、もちろん実習生同様このニュースは知らなかったのです。

そして、ようやく甲板に出ているニュースを知らない実習生にも事実が知らされることとなりました。
当直航海士の言葉は今でも覚えています。
「本日6時33分。今上天皇ご崩御。したがって、旗章は半旗とする。」

さらに、この日から6日間、練習船では半旗をつづけることになりました。

P.S.
少し不謹慎ですが、私の手帳には「正月3が日以降、初めての土曜日に亡くなるとは、何か人為的なものがからんでいるように思われてイヤな気分がする。」とあります。
思い出してみると、今回の地震の時も同様ですが、色々な情報やデマが乱れ飛んでいたように思えます。

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