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長期実習-国内編(3) --
鹿児島から東京へ。昭和最後のXマス



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鹿児島には12/19の夜に着いて、12/22の朝に出発しました。
むかうは東京です。(鹿児島は東京に年末につくための時間稼ぎだったのかな?)

鹿児島はご存知の通り桜島のある所です。
したがって海底は溶岩です。そこに錨を入れるため、パシッと噛むと走錨(錨が海底から外れて船が走り出すこと)することもありません。
その反面、抜く時に外れにくいのです。

どうしても錨が外れない時は、船では錨の巻き取り装置の力の方が錨鎖よりも強く作ってあります。
つまり、いざという時は錨鎖が切れます。練習船でも今までに少なくともひとつは、錨を鹿児島沖の海底に落っことしていると聞いています。

東京には12/24に着きました。晴海の練習船専用桟橋です。
この日、青雲丸の3等無線士の人が田舎の仕事をつぐために任意退職されました。
挨拶での最後のフレーズは「自分の夢と、時間と、人を大切に!」でした。

この日は私の人生最悪のクリスマスイブでした。
私の班はこの日停泊当直に当たっていたので、上陸もできないのです。
さらに、この船は私たち大学生の他に、高専の学生も乗っていた(彼らは19才か20才)ので、船長命令で成人の日(**1)まで船内禁酒になっていたのです。
夜もふけてくると、船の周りにはアベックが沢山集まって来てなんとも情けない状態でした。
次の日は上陸できたのですが、銀座のソニービルでボヤに巻き込まれました。

12/26から1/4までは定例外泊です。
これが、私の昭和最後のクリスマスの出来事でした。(**2)


(**1)
当時(1988〜1989年)では成人の日は1月15日。


(**2)
当然、そのときは昭和の最後になるとは思いもしていません。
あとから書いているからこのような記述になっています。

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