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大阪(3) -- フラグシップとしての意識


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1989年5月17日。
海王丸より先に日本丸が大阪を出港することになりました。
天気はあいにくの小雨。
次の行き先は徳島です。

大阪での登檣礼は、これまでで一番良かったと思います。
私たちも船員の卵ですから、出港はどうするのかと私たちなりに検討していました。船首を川の上流に向けているので、どこかで反転しないといけないのですが、

  ・ 船首を岸壁に向けてまわるか、
  ・ 川の中央部に向けてまわるか、

のどちらかになります。
機船であればタグで斜め後ろに引っ張り出して、川の中央に舳先を向けていくのがいいのだと思います。
川の流れに逆らうほうが、舵の効きもよく安全だからです。

大阪寄港時の新聞記事
大阪寄港時の新聞記事

しかし、日本丸は帆船です。やはり、見せないといけません。
このことを大阪のパイロットもわかってくれていました。(って、実習生の分際でなんと図々しいんだろう(^^;)
船首の一本のラインを残して、船体を30度程岸壁から放して静止し、登檣礼をしました。
小雨だったのでオレンジのレインコートを着ており、白っぽい背景によけいに映えたようです。
海王丸の乗組員、実習生も登舷礼で見送ってくれました。

私は大阪出身なので、岸壁側の低いヤードを選ばせてもらったことを覚えています。
そして、登檣礼も終わりひと段落ついたときに、突然敬礼用意の号令がかかりました。
びっくりしました。
安治川の反対岸にいる商船三井(大阪商船三井船舶(**))のコンテナ船が、国旗をつかって敬礼していたのです。
あの船の乗組員も、きっと日本丸や海王丸の先輩たちなんですね。
私たちには日本のフラグシップに乗っているという自覚が、まだ備わっていなかったのかもしれません。


(**)
1884年に設立した「大阪商船」と、1942年に三井物産より船舶部が分社化してできた「三井船舶」が、1964年の海運大型集約により「大阪商船」と「三井船舶」が合併し「大阪商船三井船舶」となった。
このとき、同時に「日東商船」と「大同海運」が合併して「ジャパンライン」に、また「山下汽船」と「新日本汽船」が合併して「山下新日本汽船」となっている。
1989年には、「ジャパンライン」と「山下新日本汽船」が合併して「ナビックスライン」となったが、この「ナビックスライン」と「大阪商船三井船舶」が1999年に合併して「商船三井」となっている。

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