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門司〜大阪(1) -- 『大嵐』


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門司でのセイルドリルはすごい人手でした。
5月のゴールデンウィーク中だったことにもよるのでしょう。関門海峡では次の日、源平合戦祭りも行われていました。

帆船が寄港する港は、ほとんどが市などの要請によるものです。
この年(1989年)は、開港何周年とか市政何周年とかの行事の一環で呼ばれていることが多かったようです。

さて、日本丸は門司からは大阪に向かうのですが、ここでまた日付を確認してみますと、門司出港は5月6日、そして大阪港外に錨泊したのが5月12日です。
門司−大阪間は瀬戸内海を通ると12時間もあれば行くでしょう。それが、6日?
そうです、ここでも帆走訓練があったのです。
門司に向かうときは、九州の西側を通り、さらに玄海灘で錨泊しました。
しかし、今回は豊後水道を抜けていきなり四国沖に出たので、帆走期間は4日間にもなりました。私たちにとって初めての本格的な帆走です。

前回同様、四国沖ということで航行している船舶が少ないと言うわけではないので、夜間の帆走はしませんでした。
そのため、毎日朝にすべてのセールを上げ、夕方にはすべてを畳んで機走に移るのです。
このときは帆走は何てしんどいのだろうと思いました。(本格的に帆走に入ったときは、セールはあまり触りません。)

大阪へ向かうあいだの帆走最後の日、正確な資料が残っていませんので私の記憶だけが頼りですが、確か暗くなるずっと前に畳帆という事になったのです。
直接的な原因は、あまりにも東側に行きすぎて、大阪港外に予定通りにつくかどうか微妙になってきたからでした(紀伊半島の東側まで行ってしまった)。畳帆中に機走が始まり、機走の当直班以外は畳帆作業に取りかかりました。
このとき私は機走の当直班だったのですが、その時は「よかったあ〜」と思ったものでした。

なぜなら、畳帆途中に雨が激しく降り出し、風も結構吹いていました。
畳帆作業は大変困難を極めました。(と思います(^^; ワタシハ,ヤッテイナイモンデ・・・)
文字で書くとあっけない感じですが、『大嵐』と言ってもいいほどでした。
機走の当直をしていても、視界が気になるくらいの大雨です。
あとで思うと「ああいう経験もしたかったな。」とも思ったのですが、このときは本当に当直班で良かったと思ったものでした。

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