eoさんの旅ノート
ここ 船7日目〜10日目 船11日目〜帰国へ

スター・プリンセス号で行く 南極半島クルーズの旅    改訂版

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 2010年と2011年、2度の南極半島クルーズをした。2度とも同じスター・プリンセス号で行く南極半島クルーズの旅。内容はほとんど同じだが、南極半島を出てからの帰路のコースが少し違っている。クルーズ日数としては、2010年クルーズは17日間、2011年クルーズは18日間であった。このページは、2010年のクルーズと2011年クルーズを合わせての記録である。
 2010年と2011年とで内容が少し違う場合は、 【2010年】 【2011年】 と分けて書いてあるが、内容にほとんど違いがないか、又は、特に意味があるほどの違いはないという場合は、 【2010年】 だけを記してある。

【2010年】
 南極を見てみたいという気持ちは以前からあったが、なかば諦めていた。
わがつれあいは船酔いに弱い。明石から淡路島に渡る船でも彼は酔うのだ。南極に行くには、あの、魔のドレーク海峡を越えなければならない。船酔いが心配というより、恐怖の方が先にたつ。南極ツアーの経験がある旅行添乗員から、ドレーク海峡では、食事の際にテーブルの上の皿やグラスが床に向かってザーッと流れ落ちる、というような揺れ方をするという話を聞いたりして、怖れをなしたのだ。多分、自分達には耐えられないだろう。だから、南極行きは無理、と半ば諦めていた。
 ところが、10万トンクラスの巨大客船はドレーク海峡でもあまり揺れないという。その巨大客船で行く南極ツアーがあるというのだ。

 早速、パンフレットを取り寄せ、説明会に出かけて話も聞いた。
確かに、あまり揺れないそうだが、しかし、これも程度の問題であって、揺れるには揺れる、それがその人に耐えられる範囲かどうかという話のようではある。が、とにかく、「自分たちにも行けるかも」という気持ちが出てきた。
 とにかく、H社のパックツアー「スタープリンセス号でゆく南極半島クルーズ」に参加を申込んだ。海側・バルコニー付きの客室を予約。
 コースは、ブエノスアイレスへ向かいそこでスタープリンセス号に乗船。ブエノスアイレスからフォークランド諸島を経て南極半島へ。ほぼ4日間かけて南極を見るが、しかし上陸できない。2000人以上の客の南極上陸は環境保護の面から許可されないそうだ(そうでしょうね)。南極海域を出てからは、アルゼンチンのウシュアイア、チリのプンタアレーナス、ウルグァイのモンテビデオを経てブエノスアイレスへ戻り帰国、となる。
 この船の南極クルーズのコースは船を運行するプリンセス社の設定コースである。それに加えて、日本・ブエノスアイレス間の往復の航空機での移動、ホテル滞在、船の乗船・下船の世話と、そして、クルーズの間でいくつかのオプショナルツアー的なサービスで花を添えたのが、H社(だけではないが)のパックツアーということになる。

 申し込んではみたが、船酔いへの不安は依然として残る。船室はできるだけ揺れの少ない客室を希望した。
 船では、高層より低層の方が、また、船先や船尾などの船の端部分よりは真ん中の客室の方が、揺れが小さいそうだ。より低層の、より真ん中に近い客室を予約してもらうようH社に頼みこんだが、パックツアーとしての限界もあるようだ。努力はしてくれたようだが、真ん中に近い客室というわけにはいかなかった。
 ツアーの予約も終え、日が経ってきて、何となく「本当に南極に行くんだ!」という気になってくると、やはり客室の位置が気になる。プリンセス社の日本代理店「Cruise Vacation」に客室の空きを問い合わせると、ほぼ真ん中で、しかもより低層の客室に空きがあるというではないか。日本代理店への直接予約に乗り換えてもいいかな、という考えが浮かんだ。
 直接予約、つまり個人旅行となると、まず言葉の心配がある。
 この船に日本人コーディネーターが乗船することは確認した。足が地に着いていない海の上でのことだ。万一、「この船はまさに沈没せんとししつあり! 海に飛び込む用意をせよ!」なんていう緊急放送が流れた場合(ホンの2年前に、南極で、乗員乗客154人を乗せた観光船が氷山に衝突して沈没した!) 、私達の頼りない英語力で理解できるかどうか。更に詳しい、細かい指示があった場合、私達に理解も対応もできる筈がない。しかし、日本人コーディネーターがいれば、必ず日本語放送がある筈だ。また、大型客船の日本人コーディネーターは、日本のツアー添乗員がすること程度のことはやってくれる。だから、旅行社の添乗員がいなくても、日本人コーディネーターが乗っていれば安心だ。
 個人旅行に変えることに気持ちがなびいたのには、もう一つ理由があった。航空機で日本・ブエノスアイレス間を往復するのであれば、マイレージプログラムでそれなりの距離のマイルが稼げる。しかし、H社のパックツアーが利用する航空会社のマイレージプログラムは、私達のもつメインのマイレージではない。これが重大問題という程ではないが、しかし、マイルは稼げないより稼げる方が良い。  インターネットで格安航空券を調べてみた。同じような日程で、デルタ航空で予約可能かどうか……空きがあった。予約可能だ。
 若干の迷いはあったが、迷っている時間はない。数日後になれば予約が取れるかどうか分からない。パックツアーの予約のキャンセル期限もある。

 Cruise Vacationでスタープリンセス号の希望通りの客室を予約。インターネットで、大阪-成田-アトランタ-ブエノスアイレス往復の格安航空券も予約。そして、H社のパックツアーの予約をキャンセルした。キャンセル料金がかかる数日前だった。
 こうなると、ブエノスアイレスのホテルの予約が必要になる。街歩きにも便利なように、ブエノスアイレスの街中にあるホテル・シェラトン・リベルタドールをインターネットで予約。H社のパックツアーでは-ブエノスアイレスでのホテル泊は往きの1泊だけだが、私達は往き復りの2泊、つまり、前泊・後泊で、ブエノスアイレスのホテルを確保した。
 旅行費用は、H社のパックツアーよりも15万円ほど安くなる勘定だ。

 ここまでの準備ができたのが2009年11月末。クルーズ出発まであと2ヶ月だ。

 南極クルーズといっても、巨大客船なので南極上陸はしない。私達はそれを納得して巨大客船の乗客となるのだ。上陸したいならば、砕氷船など、トン数のもっと小さな船を利用することになる。私達のように船の揺れを気にするのであれば、トン数の小さな船は、当然ながら対象外になる。
 上陸しないので、触れるほど間近でペンギンを見るとか、南極の氷で"ロック".とか、etc.etcできない。船の上から南極の景観を楽しむだけである。だけ?、、私達にはそれで充分だ。

【2011年】
 前年に見た南極半島の景観が素晴らしかったので、いつか再び訪れたいとは思っていた。前年のクルーズの際に「環境問題があるので、大型船での南極クルーズはこの2、3年で止めになるかも」という話を聞いていたので、可能であれば、それまでには再訪したいという気持ちはあった。
 プリンセス社のクルーズパンフレットを取り寄せたら、あれ? 南極半島クルーズのコースが載っていない。
 プリンセス社の日本代理店「Cruise Vacation」にメールで問い合わせると、「プリンセス社の南極半島クルーズは2011年度が最後である。クルーズのコース予定は2、3年先をほぼ確定する必要があるので、環境問題を考慮して前倒しで決まったものである」という返事。ちょっとうろたえた。
 聞くだけでも聞いてみようと「バルコニー付きキャビンの空きがあるか」を問い合わせると、「どのクラスのキャビンも満室でしたが、なんというタイミング!たった今、ご希望のキャビンのキャンセルが1つだけありました!」という返事。 ホンマかいな !?
 聞くだけ聞いてはみたが、こちらは今年に行く予定はしていなかったわけである。だが、揺れる小型船に乗る勇気のない私達にはこれが多分南極行きの最後のチャンスとなる。どうする?え?どうする?と迷いに迷い、そして、思い切って、エイヤッと決めた。 これが2010年11月26日。クルーズ出発は2011年1月9日、出発までに1ヶ月強しかない。
 時間がないので、航空券、ホテルの手配は11月26日にすべて済ませた。航空券はデルタ航空のホームページで確保。ホテルは、往きのブエノスアイレス滞在は前年と同じホテル・シェラトン・リベルタドールをインターネットで予約。帰りは、船のバルパライソ入港は早朝でバルパライソからサンチャゴ空港までの移動に2時間ほどはかかるが、航空機の出発予定時間が夜10時過ぎなので、サンチャゴ滞在なしで帰国便に乗ることにした。

 プリンセス社が南極コースを取りやめたのは、大型観光船の南極乗り入れを禁止する法律ができたからではない。(実際、できていない。) 環境問題への世論を考慮して自粛、ということだそうだ。だから、将来、大型観光船の南極乗り入れが再開されないとは限らない。しかし、どうでしょうね?

 前年のクルーズとのコースの違いは帰路である。南極海域を出てチリのプンタアレーナスまでは前年と同じ。2011年クルーズは、この後、チリの海岸線に沿って北上、チャカプコ、プエルトモン、そして最後にバルパライソへ。バルパライソはチリの首都サンチャゴの外港である。
 このホームページでは、船内の様子、食事etc.の、スタープリンセス号そのものが分かる写真は、残念だが、ほとんど掲載していない。とにかく景観が素晴らしかったので、景観の写真を多く見てほしいと考えた。また、景観についての説明はあまりしていない。聞く(読む)より、見るのが一番!

【2010年】 2010年1月31日

 8時45分関西空港発の日本航空JL52便で成田へ。日航とデルタ航空は提携関係がないので、関空では成田までの便のチェックインだけ。ただし、日本出国手続きはここ関空で。
 成田空港のデルタ航空乗継カウンターで、アトランタそしてブエノスアイレスまでの14時55分発DL280便のチェックインをする。

 2010年2月1日
 定刻通り13時15分にアトランタ着、アトランタ19時40分発DL101便でブエノスアイレスに向かう。
 ブエノスアイレスには予定より少し早く、7時am過ぎに到着。
 到着ロビーにエアポートタクシーの受付があり、その窓口で私達を手招きしている。私達は予約しているわけではないので、単なる呼び込みだが、利用しようと思ってもいたので、手続きをし支払いを済ませた。現地通貨は持っていなかったが、クレジットカードが使用できた。ポーターがさっさと私達の荷物をカートに乗せ、私達を先導する。用意されたタクシーにスっと乗り、今日の宿泊を予約しているホテル・シェラトン・リベルタドールに向かう。このタクシーサービスはなかなか便利だ。
 22年ほど前、私達はパタゴニア旅行のパックツアーに参加してこの方面には来たことがあるので、今回のクルーズ旅行で行く、ブエノスアイレス、ウシュアイア、プンタアレーナスへは私達には2度目の訪問になる。だから、ここブエノスアイレスにも思い出がある。しかし、タクシーの車窓から街をずっと眺め続けても、22年前の街の面影は見つけられなかった。

 9時am頃にはホテルに到着。ホテルのチェックイン開始時間は3時pm。やけに早く到着したものだ。せめて荷物だけでも預けようとフロントに頼むと、私達の客室はもう使用可能だという。良かった!シャワーなど浴びて、落ち着く。
 昼前には街に出てみる。ブエノスアイレスの繁華街フロリダ通りはホテルから歩いて数分。Citibankカードを使って、CitibankのATMで必要な現地通貨を引き出す。船に乗ると米ドル払いだし、現金も不要なので、必要な現地通貨は、ここブエノスアイレス滞在中の食事代くらいだ。
 ぶらぶら歩いた後、Shopping Mollの地下にあるフードコートで大きな餃子のようなパン、エンパナーダというらしい、とケーキを食べる。どちらも予想外に美味しかったので、夕食もここで食べることにした。夕食はリブステーキとケーキ。肉はさすがに美味しい。

 夜、暗くなってから再びフロリダ通りを歩いた。立ち並ぶ商店の明かりで通りは華やかに明るい。通りの中央を占めているのは、帯状にずーっと連なる露店だ。文字通りの露店。道路の真ん中に布を広げ、そこに、アクセサリやハンドバックetc.etc.をひろげて通行人に呼びかけている。通行人の大半は、観光客ではなく、現地の若い人々のようにみえる。
 私はフロリダ通りには思い出がある。
 22年前、私達はフロリダ通りを歩いていた。夜で、通りを歩く人はほとんどなかった。
フロリダ通り
 勿論、露店などはない。私達が深夜に歩いた筈はないが、夜も遅い時間だったのだろうか。商店の明かりは既に消えていたように思う。しかしフロリダ通りの、その道は暗くはなかった。ほの明かるかった、という感じか。
 道の真ん中に、男性が小さな椅子に腰掛けてギターを奏でていて、その哀しげな音色が通りを流れていた。私達はその哀しげな音色に引き寄せられるようにゆっくりと歩いて近づき、彼の前に置かれた、いくつかのコインがはいっている小さな箱に、私達もコインを静かに置き、そして、ゆっくりと立ち去ろうとした。

 その時、礼のつもりだったのか、彼がそっと振り向き、私達の方に眼を向けたのだ。それを見て、私は思わず足が止まりそうになった。はにかんだような、優しい、濡れたような瞳が、そこにあったのだ。
 ちょっとキザな言い方だが、ブエノスアイレスの、アルゼンチンの、哀しい、優しいなにかに触れたような気がしたのだ。
 だから、私にとって、思い出のブエノスアイレスは哀愁の街だった。
 今、私は、フロリダ通りの喧騒の中に立ち、22年前の、ほの明かるいフロリダ通りでのあの優しい瞳を思い出し・・・・少しばかり感傷にふけっている、、、。
 "旅" には・・・・何か 不思議なものがある。

【船1日目】  【2010年】 2010年2月2日 ブエノスアイレス出港

 天気は晴。今日、スタープリンセス号に乗船する。乗船受付け開始時間は1時pmと聞いているが、混雑しそうだから早めに行くことにした。
 ホテルの前でタクシーを停めて、日本の代理店からもらった乗船受付場所の地図を運転手に見せるが、運転手はスペイン語しか理解できないので、ホテルスタッフに説明してもらう。とにかく理解したらしい運転手は、今度は、地図にあるC埠頭は大変広いのだが、そのどこなのか?と言っているようだが、とにかく行ってみよう、と出発。
 タクシーが着いたところは、荷物を持った人や持たない人やらがごった返している雑然とした場所だったが、何となく乗船受付場所らしくもある。近くにプリンセス社のバッチを胸に付けた人を見つけて、ここだと納得。わがタクシーはちょうどいい場所に着けてくれたのだ。

 乗船受付けはすでに始まっていた。客室番号の荷札を付けた荷物を指定場所に預けた後、正式に乗船チェックインだが、クレジットカードを提示してクルーズカードをもらうだけで簡単に済んだ。誘導に従ってバスに乗り、乗船口でクルーズカードを機械にスキャンして読ませ、乗船。11時am頃だった。
 私達の客室はすでに使える状態になっているそうだ。さっそく客室に行ってみると、日本人コーディネーターの土屋さんからのメッセージがドアに貼り付けてある。個人旅行客なので特に気をつかってくれているのだろうか。ありがたい。この日から下船日まで、欠かさず土屋さんは毎日メッセージメモを届けてくれた。外国客船に乗船する場合、諸手続き文書が結構複雑でしかも全部外国語で書いてある為、個人旅行の場合は少し不安なところがあるが、こんな時に、日本人コーディネーターの存在はありがたい。そこまでやってもらわなくても自分でやりますから、と言いたいほど、私達のために土屋さんは準備をしてくれた。おかげで、個人旅行であることからくる不安面を全く感じないで済んだ。

 14階のホライゾンコートで昼食。乗船客はまだ少ないのでさすがに空いている。24時間オープンのブッフェレストランだが、通常なら、昼時には大抵満席で、いい席を探すのは難しい。

   3時pm過ぎから、日本人客だけが対象の、避難訓練と船内説明会。コーディネーター土屋さんが行う。ここで初めて土屋さんと対面。
 今回のクルーズでの日本人客の数はなんと130人。個人旅行は私達2人だけということで、128人がパックツアー客として参加。南極半島クルーズは、この冬はプリンセス社としては2回だけ、今回はその2回目だが、1回目クルーズでの日本人客は30人だったという。後で聞いたが、クルーズの日本代理店は、来年は日本人数百人の参加を目指したいと、商売気を出しているようだ。

【船1日目】  【2011年】 2011年1月9日 ブエノスアイレス出港

 1時pm過ぎに乗船。例によって、すぐに14階のホライゾンコートで昼食。やはり前年と同じく、3時pm過ぎから、日本人客だけが対象の、避難訓練と船内説明会。日本人コーディネーターは今回は2人乗船。うち1人は、大型船・小型船を含めた南極クルーズの、いわばプロ級の人だそうだ。
 今回のクルーズでの日本人客の数はなんとなんと230人、ただし、個人旅行客は私達2人だけ。

【船2日目】  【2010年】 2010年2月3日 終日航海

 10時amから寄港地や航路について説明会。土屋さんが講師の日本人向け説明会。地図と、そして歴史的背景などを含めた詳細な説明文などの資料が配られる。資料は、土屋さんが自分で調べて作成したものだそうだ。ここらあたりの情報について、これほど詳細な資料は日本では入手できない。彼女はサービス精神満点、そして、大変な勉強家である。

 このクルーズの目的地である南極半島は、南極大陸の、その北西部に突き出した、というより、髭のように細く延びた、小さな半島である。南極大陸は、南極点を円の中心とする、いわゆる南極圏Antarctic Circleに囲まれているわけだが、北西部に細く突き出た半島は、その先っぽが南極圏の円を突き破って、圏外に延びている。このクルーズのメーン・コース南極半島とは、南極半島のこの先っぽの部分。だから、私達この船の観光客は南極圏には入らない。

予定コースの概略は、   ( コース関連概略図 はこちら)
フォークランド諸島のスタンレーに寄港の後、ドレーク海峡をかすめるようにして真っ直ぐ南下。
南極第1日目から”南極クルーズ”の景観の中を行く。まずエレファント島、その後、Antarctic Sound(氷山街道)を通ってホープ湾へ向かう。
南極第2日目は、ホープ湾エスペランザ基地、そして、ポーランドの基地があるアドミラルティ湾
南極第3日目は、ゲルラーシュ海峡を通ってノイマイヤー氷河周辺へ
南極第4日目は、デセプション島
その翌日は北上、ドレーク海峡を越えて、南米大陸の南端ホーン岬へ向かう。
世界最南端の町ウシュアイアに寄港の後、フィヨルドを通って、プンタアレーナスへ寄港。フィヨルドでは氷河が見られるかも。そして、モンテビデオに寄って、ブエノスアイレスへ向かう。

 南極での4日間の予定は、あくまで予定、とのこと。氷(山)の状態、風の状況によっては、進めない、行けない、行かない可能性も。コース予定では南極半島を4日間でまわることになっているが、この同じクルーズの前回は、気象悪化の予報を受けて、4日間の予定を3日間に切り上げて、1日早く南極海を抜けて北上したそうだ。船会社としても、タイタニックにはなりたくない、と。そうですよね
 この後、キッチン見学会。私は前に見てるからと参加せず、つれあいだけ参加。しかし、前と違って、実際に調理する場も見学できてナカナカ良かったそうだ。
 この後、コーディネーター土屋さんが私達2人のために、船内を歩いて説明してくれた。

 昼食は「本日の特別ランチ 英国風パブランチ」。通常は有料(座席代)のレストランであるクラウングリルで。勿論、今回は無料。せっかくの”英国風”ということなので、フィッシュ&チップスなど注文。やはり、美味!これもせっかくなので、ギネスを注文。アルコール飲料なので、これは有料。
 終日航海の日は、通常、午後にシアター等で、南極に関する専門家による説明会や講演会が毎日行なわれていて、客室のテレビでも同時放送される。私達は、土屋さんによる詳細な説明会でも聞いたし・・・・というのは言い訳で、英語の聴き取りに自信がないので参加しなかった。しかし、南極に関する説明や講演は何でも聴いておけば良かった、ビデオ映像も見れたろうし、と後になって少し後悔した。

シャンペンウォーターフォール  

 今夜はプリンセスクルーズ恒例のシャンペンウォーターフォール・パーティがある。

 夕食の後、船中央の吹き抜けにあるロビーで大勢の着飾った客をかき分け、サービスされるカクテルをいただきながら、”シャンペンウォーターフォール”を眺めて、その後、シアターへ繰り出した。

 ショーは毎日、シアターやビスタ・ラウンジなど複数の場所でやっていて、私達は殆ど毎日欠かさずショーを観る。


【船3日目】  【2010年】 2010年2月4日 終日航海

 そろそろ涼しくなってきた。じっとしていると船の揺れはあまり感じない。だが、室内プールの水が激しく波打ち、ものすごい水しぶきを上げ、大波となってプールの壁面に激しく打ちつけている。見ているだけで船酔いになりそうだ。

 終日航海の日は、私達には、クルーズ生活を本当に楽しめる日になる。
 船内では、終日航海日か寄港地に停泊の日かを問わず、ダンス教室etc.etc楽しめる催しものは一日中あるが、基本的には、私達はあまり参加しない。私達はプールサイドのデッキチェアに寝そべって読書とか、ジャグジーにつかるとかして、のんびり過ごす。終日航海の日は特に、本当に時間を忘れてデッキチェアに寝そべっていられる。これだけでも贅沢だ。更に更に、こんなにしていて南極まで行けるとは、なんという贅沢!
 私はコーヒー党である。喫茶のコーヒーカード(20ドル)を購入して、24時間ブッフェ・ホライゾンコートのコーヒーとは一味違う、喫茶のレギュラー・コーヒーを何度も貰う。喫茶のレギュラー・コーヒーは通常は1ドルだが、コーヒーカードを提示すれば無料。  このコーヒーカード、プリンセスの船内で購入したカードであれば他のどのプリンセスでも喫茶のレギュラー・コーヒーは無料で貰えたが、最近、それが変わった。2012年頃から、レギュラー・コーヒー無料はその船内で購入のカードの場合だけとなった。

 船の揺れはそれほど感じないのだが、少し気分が悪い。念のため酔い止め薬を服用。船酔いが心配だった筈のつれあいは不思議に元気。

 夜、コーディネーター土屋さん主催「南十字星をさがそう会」に私達も参加。甲板に出て、土屋さんが「あれが南十字星。あれは・・・・」と説明してくれた。南十字星よりも、”天の川”が、まるで砕いた宝石を天に散りばめたかのように、濃く鮮やかに見えたのが素晴らしかった。

【船3日目】  【2011年】 2011年1月11日 終日航海

 海を見ていても、ただ一面の霧。ぼお〜っ ぼお〜っ という船の汽笛が、なんとなく寒さを余計に感じさせる。
 ビスタラウンジで、南極に詳しい日本人コーディネーターさんによる、今回のクルーズコースや南極についてのレクチャーが行われた。そのコーディネーターさんの南極への愛着が感じられるようなレクチャー内容だった。日本人客のほとんどが参加しているようだ。

【船4日目】  【2010年】 2010年2月5日 フォークランド諸島

 10時半、フォークランド諸島のスタンレーに着く。着く直前には雹が降り、バルコニーに白く積もった。やはり気温はかなり低いようだ。甲板で海を眺めていると、風が非常に強い。
 午後、大型船は接岸できないので、テンダーボートでスタンレーに渡る。
 スタンレーはフォークランド諸島の首都であるが、都市というよりは村である。無料バスで博物館へ行く。帰りは港まで歩いた。住宅や庭など可愛い感じで、戦争の跡を感じさせない、のどかな村だ。実は、船内で、上陸の際はアルゼンチンというような文字のはいったTシャツ等を決して着ていかないように、という注意があった。世界の政治状況は、ムズカシイですね。
 対岸に見える島はまるで荒地。ここスタンレーも、冬はどんなに厳しいだろう。

 ここフォークランド諸島にはペンギンの生息地があり、船からもオプショナルツアーが出ているし、ツアーでなくとも、自動車をチャーターして個人で行くこともできる。チャーター客を待つ自動車が港に並んでいるそうだ。行きたい気持ちはないではなかったが、私達は行かなかった。実は、つれあいは昨年夏に足を骨折しており、折れた骨が繋がるのをサポートするための金属棒が、今、彼の足の中に埋め込まれている。ペンギンを見に行くオプショナルツアーの説明文には「”荒地を歩行”する」と明記してあるが、彼は”荒地”を歩くには不安がある。だから、今回の旅は、私達にとっては、特別にのんびりと過ごすつもりの旅なのである。

【船4日目】  【2011年】 2011年1月12日 フォークランド諸島

 小雨。テンダーボートで上陸。  郵便局まで行ってポストに絵はがきを投函。前年の日本人コーディネーター土屋さんが私達のために、フォークランドの切手を貼った白紙の絵はがきを用意してくれていたので、宛先etc.を書いて日本に送ったのだ。(絵はがきは、ほぼ1ヶ月後に日本の宛先に届いた。)

【船5日目】 【2010年】 2010年2月6日 終日航海

 船は一路、南極へ向かっている。
 船内にいると波は穏やかに見えるが、外気の気温は3℃。7Fのプロムナードデッキを歩いてぐるりと一周したが、波は船内で見るのとはかなり違う。デッキを歩くと、荒れた海がいやでも眼に入る。気分的には、見ない方がいいような気がした。
 ランチで賑わうブッフェレストランの横ではケーキブッフェがオープン。

【船5日目】  【2011年】 2011年1月13日 終日航海

 前年と比べると波は穏やか。7Fのプロムナードデッキを気持ちよく歩いた。

【船6日目】  【2010年】 2010年2月7日 エレファント島

 いよいよ南極海に入る。
 今日から11日まで、南極海にいる間、環境保護のため、外デッキとバルコニーでの喫煙は禁止。また、帽子など、身に着けている小物が海へ飛んだり、落ちたりしないように厳重注意を、などが伝えられる。

 朝早く、水平線上に巨大な氷山が見えた。
 9時30分、エレファント島に近づく。雲が多かったが、午後からは天気が回復して晴れ間も見えるが、雲は白いエレファント島に張り付いたままだ。
   暗い写真が多いが、実際もこんな感じで、暗かった。

エレファント島周辺の景観   スライドショー   (写真21枚)  
エレファント島

 エレファント島周辺で、大勢のペンギンが海を跳ぶ姿をビデオ撮影しましたので、動画にしました。
 表示時間は25秒ほど。海が荒れていました。荒波を見ただけで船酔いする人は見ない方がいいかも。

  ペンギンが海を跳ぶ  16Mbの動画です。

 4時pm過ぎには、エレファント島を離れる。
 甲板に出ていると、風の唸り声がごうごうと耳を打つ。
 夕刻、強風のため、明日の予定の、Antarctic Sound(氷山街道)に入るのは中止と知らされる。風で氷山がどのように流されるか予測できないので危険なのだ、と。ホープ湾エスペランザ基地へは向かわないということだ。

【船6日目】  【2011年】 2011年1月14日 エレファント島

 霧、そして雪。エレファント島の山容がぼんやりと見えた。

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