eoさんの旅ノート
こ こ 8月28日〜8月31日 9月1日〜9月6日
コーカサス3国周遊… アゼルバイジャン・ジョージア・アルメニア  

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高台からカスピ海とバクー市街地を見る

 「コーカサス」という名に、私はロマンを感じる。 今、自分がいる場所とは遠く離れたところにあって、今、私のまわりにある俗世間とも遠く離れた、なにか清らかな空気に満ちた、言ってみれば、ある桃源郷のような世界。要するに、こんな子供っぽい(違うコトバで表現すれば、無責任な)夢を抱いて、私達はコーカサスに向かったのだ。旅行は常にツレアイと一緒だが、今回の旅は私の方が積極的だった。

 今回の旅は旅行社催行のツアーに参加した。「ワールド航空サービス」催行の「コーカサス三国周遊の旅 15日間」 ツアー参加者はツアー客15名プラス添乗員1名。各観光地では現地ガイドが付く。

「ワールド航空サービス」作成の「オリジナル教養ガイド」から
地図

 旅行コースは、8月25日アゼルバイジャンのバクーに着いたその日にゴブスタン観光、翌8月26日は宮殿などを含めてバクーの市街地観光、カスピ海遊覧、そしてその日に、ジョージアの首都トビリシへ飛行機で移動。8月27日は、画家ピロスマニの作品のある国立美術館、いくつかの教会見学。午後、自由行動。8月28日、ムツヘタ観光、いくつかの教会見学。午後、ジョージア軍用道路を通り、カズベキへ。

 全体のコースの概略は次の通り。
 8月29日、四輪駆動車に分乗してカズベキ山を望む絶景ポイントへ。午後、トビリシへ。8月30日、ゴリのスターリン博物館へ。午後、グルジア正教の教会。8月31日、スワネティ地方の中心メスティアへ。9月1日、四輪駆動車に分乗してウシグリへ。コーカサスの風景が見事。9月2日、トリアレティ山脈の麓アハルティへ。9月3日、山岳風景を見ながらアルメニア国境へ。アルメニアの首都エレヴァンへ。9月4日、アララト山を背景に建つ修道院へ。午後、いくつかの教会見学。9月5日、修道院や神殿を見学、エレヴァンへ。9月6日、国境を越えてトビリシへ。湖、修道院を見る。トビリシから飛行機でバクー経由でドーハへ。帰国へ。9月7日、成田着。
 なんだか知らない名前が多いが、行きましょう!

8月25日

 8月24日成田発「カタール航空」で、ドーハ経由で、カスピ海を越えてアゼルバイジャンの首都バクーに着いたのは8月25日朝。旅行社ツアーだから、迎えた現地ガイドの挨拶の後、すぐに観光が始まった。

 バクー (アゼルバイジャン)

バクー  

 石油景気の中で、バクーは今や登り調子にある街だ。

 バクーの街は美しい。

 

 趣のある旧市街、
 その真ん中に聳える3本の火焔タワーも、街の景色に溶け込んで見える。

 まず、世界遺産ゴブスタンへ向かう。
 バスで1時間ほども走ったが、バクーの街を出ると直ぐにまわりは荒野になった。都心らしいバクーの街との違いには驚くほど。まだまだバクーは新興都市への形成途中なのだ、と思う。
石油  

 その荒野には、
  無数というほど多くの石油汲み上げ器(正式には何というのだろうか)があり、そのどれもが、軽快に動いている。
 石油を基にした新興都市としての面目躍如たるものがある。
ゴブスタン  

 荒野の中に、岩が小山のようになったところに世界遺産ゴブスタンはある。

 ここにある岩絵の最古のものは約2万年のもの。約6000点の岩絵があるそうだ。
 人間の絵だけでなく、船など様々な絵がある。
 なんとなく他の遺跡と違うと思うのは、そうだ! その岩絵が描かれているのが、岩の低い位置にあるものから、見上げるような高い位置に描かれたものまで、高低差がある、ということだ。

ゴブスタン
 

 この高低差にある壁に人々はどうやって描いたかと言えば…同じ場所が、時代によって、高かったり低かったりしていたのだ。描かれた岩絵が、低い位置から高い位置まで高低差があるのは、彼等の立つ位置が時代によって高低差をもっていたからだ、という。

 カスピ海の海面の変動がその大きな原因だった。  カスピ海の水位は何世紀にもわたり上下の変動を繰り返してきた、という。
 カスピ海の海面の変動に伴って、この地域の文化は一旦はカスピ海に沈み、また水が減って地面が現われ、そこに新しい文化が加わる、をくり返した。最近になって本格的に発掘されて、アゼルバイジャンの国立保護区となった。カスピ海の海面の変動は、このあたりの人類が文化を築いた後に何度も繰り返しおきているということだ。多分、長くても、この数万年の間に。本来、人類の歴史は非常に長〜いから、その長さから考えれば、カスピ海の海面の変動はホンの短期間の間に何度も繰り返したということだ。地球は、不思議だ。
 カスピ海の水位は、この今世紀になっても、変動を続けているという。原因等いまだに調査中らしい。とにかく、カスピ海の水位の変動は驚くべきことだ。

殉教者の小道
 バスでバクー市街に戻った。
 カスピ海や旧市街を眺められる高台があり、そこへ行くのに「殉教者の小道」と名がついた坂道を上がってゆく。そこからは、カスピ海や旧市街の展望が素晴らしい。

 「殉教者の小道」には、死者の顔写真入りのパネルがずらりと並んでいるが、そのどれも、死去の日付は1990年1月20日となっている。ここは、1990年1月20日のソ連からのバクー侵攻で亡くなった人たちの共同墓地なのだ。
 パネルの人物は皆、若い。彼等を悼んでいるのはよく分かるが、ここに「殉教者の小道」という名が付いているのだ。彼等は宗教のために戦ったわけではないと思うが、「殉教者」ですか。なんとなく、アゼルバイジャンの人々のソ連に対する怨念のようなものまで感じる。

 ホテルにチェックインし、早めの夕食の後、希望者だけ火焔タワーのイルミネーションを見に行った。
 写真7枚だけですが、スライドショーにしました。

火焔タワーのイルミネーション   スライドショー      (写真7枚)
 
火焔タワー

8月26日 バクー

 バクーの旧市街を歩く。バクーの旧市街は、「乙女の望楼」、シルヴァン=シャフ=ハーン宮殿と共に、世界遺産である。
 都市としてのバクーの歴史は古く、5世紀頃には建設されていたという。ここの油田の存在も8世紀には広く知られており、19世紀後半には油井の掘削が始まり、20世紀初頭には、世界の石油生産の過半を占めるほどであったが、その後、中東の石油産出が始まってから衰退した。更にその後、ソ連からの独立も経て、更に、中東の石油産出衰退と共にバクーの石油産出が見直されるようになり、バクーは都市としても復活。だから、バクーは本当の意味の「新興都市」ではなく、古い都市なのだ。それが、最近、新興都市なみに世界から注目を集めている。

 14〜15世紀に建てられたというシルヴァン=シャフ=ハーン宮殿を見学。モスク、霊廟、ハマム等が組み合わさった建物。宮殿と共にまわりの街並みまでが土色で統一されており、独特の雰囲気をもつ旧市街だった。
 「乙女の望楼」。塔の中の階段を上がったが展望はモヒトツだったそうだ。この塔から女性がカスピ海に身を投げたという伝説があるようだが…昔は、カスピ海がそこまできていたが、今は水位が減って、カスピ海は遠くに見えるだけだし、ということらしい。

 この後、カスピ海のミニクルーズの予定だったが、少しでも風がある、とか、客の集まりが悪い場合はクルーズは欠航になるので、クルーズの船が動くかどうか、どうだか、と添乗員は言っていたが、そよ風が吹いているだけなのに、案の定、私達の予定の船便は欠航。私達客にとっては「なんじゃい!」という感じ。欠航の理由は客の集まりの問題だろうが、商売気のないところは…面白い。

 その代替観光がすでに用意されていた。「燃える山」見物とゾロアスター教(拝火教)寺院の観光。

燃える山
 燃える山。
 写真技術が下手なので燃えているようには見えないが、実際は炎を出して燃えている。

 昔は、目の前の見上げるような丘の全体が炎を噴出していたそうだが、今は、燃えているのは丘のごく一部、数メートルだけ。しかし、雨が降っても雪が降ってもこの炎は消えないそうだ。

汲み上げ器

 

 

 今は、その炎の源たる石油の、その汲み上げ器の林立を横目に見ながら、ゾロアスター教寺院に向かった。

寺院
 

 寺院の中央には、今でも炎があった。人工の炎が。

 ”燃える山”が石油汲み上げ器に変わるにつれ、火を崇めたゾロアスター教(拝火教)は衰退を加速していったようだ。

 夕刻には、飛行機でジョージア(グルジア)の首都トビリシへ向かい、直ぐにホテルに入った。

夜景
 

 ホテルの部屋からトビリシ市街地の夜景が美しく見えたので、写真を撮った。

 左方に金色に見えるのはツミンダ・サメバ大聖堂。中央で明るいのは Public Service Hall。 Public Service Hall の側をクラ川が流れている。

 右方で明るいのは、国会議事堂か。

8月27日 トビリシ (ジョージア)

メヒテ教会
 

 バスで、クラ川に沿って進み、旧市街のメヒテ教会で下車観光。

 女性はスカーフを着用。今日は日曜日なのでミサの最中、ちょっと遠慮しながら見物。
 教会の中が人でいっぱいなのは、教会員だけでなく観光客が多いからだ。教会には迷惑だろうが、観光地だから仕方ない、ですか。
 しかし、あまりに人が多いので、早々に教会から出てきた。イコンばかり目に付いたなど、西ヨーロッパのキリスト教会とは雰囲気がまるで違っていた。

ユダヤ教のシナゴーグを見学した後、シオニ大聖堂を見学。
シオニ大聖堂  

 

シオニ大聖堂
 長い間、このシオニ大聖堂がジョージア正教の総本山だった。
 現在は、金色屋根のツミンダ・サメバ大聖堂がその任を担っている。
シオニ大聖堂  

 

 東方系のキリスト教会に伝統的なイコノスタシス(神父が祈る場所と信者が祈る場所との間にある、イコンで覆われた壁)が美しい。

 ジョージアにキリスト教を伝えた聖女ニノの十字架もあった。

 バスで丘をあがり、「ジョージアの母」像の近くまで歩き、ナリカラ要塞近くから市街地を見下ろした。

トビリシ

 この後、ロープウェイで下山。国立絵画館へ行き、画家ピコ・ピロスマニの作品を中心に見る。
 ピロスマニは「100万本のバラ」のエピソードで有名だ。ある時、この街にフランスからやって来た女優マルガリータを一目見て恋に落ちたピロスマニは、自分の家まで売って資金を作り、マルガリータの泊まるホテルの前の広場をいっぱいのバラの花で飾った。マルガリータは、金持ちがいつものようにやってるんだ、ぐらいにしか考えなかったという。家まで失ったピロスマニは貧しいまま死んでいったそうだ。ロシアで大ヒットしたという加藤登紀子の「100万本のバラ」のモデルである。これは、実話である。私はちょっと驚いた。実話とは知らなかった。

 午後は自由行動。
 夕食の際、無形文化遺産となっている、3っの違う音域から成り立つ多声音楽を聞かせてもらった。

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