eoさんの旅ノート
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コーカサス3国周遊… アゼルバイジャン・ジョージア・アルメニア  

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ジョージア最高峰 シュハラ山

9月1日

 昨夜の天候はすごかった。激しい雷鳴。雷光が私達が横たわる部屋の中にまで届くようだった。1メートル以上ありそうな部屋のベランダのひさしをモノともせず、直接正面から豪雨が窓をたたきつけた。明日の天気はダメだろうなあ。これまでまあまあの天気だったしな。しょうがないか…。

メスティア  朝、雨は降っていない。とにかく、どこまで行けるか分からないが行きましょう、と、四輪駆動車に分乗して出発。

 するとするといつの間にか、太陽の光が。
 日頃から良いことをするもんですねえ、と思うことしきり (^_^)

 昨夜の豪雨で川のようになった道を四輪駆動車はバシャバシャと越えて進んで、遂にウシュグリ村に到着したが、途中何か所も、地元の人々が復旧作業をしていた。ありがとう。
メスティア

青い空も見えてきた。

小さな聖マリア教会の後ろには、
ジョージア最高峰のシュハラ山5200mが
今にも雲から姿を現わしそうだ。

この山の向こうは、ロシアだそうです。


メスティア  
 各家にシンボルのようにある塔について、話を聞いた。

 「血の掟」ともいわれる塔だが、12世紀頃に建てられた。「血の掟」のコトバの通り、この塔が造られた背景には大変恐ろしい習慣があった。家族の仲間が殺されると、復讐のため相手を殺害、そしてまた、その復讐で相手をまた殺害し…と、時にその戦いは、どちらか の一族が絶滅するまで続けられたほど血生臭いものだったそうだ。塔の家は5階建てから7階建てにまで及び、人だけでなく家畜も立て篭もることができたとか。最後の事件は、1930年台だっという。

 今、これだけの塔が残っているのは、多分、取り潰すのが大変だからではなく、観光客を呼ぶ材料になるからだろう。

メスティア

 ちょっと血生臭い話を聞いた後は、
 美味しい食事にしましょう。

 

 食事の内容は、大抵、こんな感じでした。
 いくつもの料理の皿がテーブルに並べられ、そこから自分の皿に取るという…。


9月2日

 今日から、ジョージアのメスティアからアルメニアに向かって南下する。
 特別に風光明媚というわけではないが、この地域も何となくいい景色なので、写真は8枚だけですが、スライドショーにしました。

    (写真8枚)
 
風景

 このツアーコース全体に景色は良かったが、国別に特徴を言えば、アゼルバイジャンは荒地が結構多かった。だが、その殆どに石油汲み上げ器があったので、"荒地"と言うのは間違いかも知れない。
 そして、ジョージアは、緑が溢れるほどだった。 緑、緑、緑。 緑溢れる国としては、ヨーロッパで第一はジョージアだろう。
 これから行くアルメニアは、どうだろうか。

 今夜はアハルツィエ泊。

9月3日

 今日は、アルメニア国境を越える。
 ヨーロッパではシェンゲン条約に加盟している場合は自由通過だったが、最近は、そのヨーロッパでも何かと難しい問題があるようだ。EUに加盟しているとか、または、加盟の手続き中とかでも、国境の越え方はいろいろだ。ヨーロッパでは、国と国との関係は、今でも、動いている状態なのだ。
 ジョージアからアルメニアに入るには国境を越える手続きが必要だ。VISAも必要だが、これはツアー会社が用意(有料)した。簡単な面接もあったが、思ったほど時間もかからず通過した。しかし待ち時間など考えれば、それなりの時間を考えておく必要がある。

 国境通過の後、ギュムリで評判だという鱒三昧のレストランで昼食をとった。

メスティア  

エレヴァンに向かう途中の景色。

 ジョージアでは見なかった、荒涼とした景色。

 実際には荒地ではなく、丈の低い草が生えているのだが、緑の地ではない。

 夕刻、アルメニアの首都エレヴァンに入った。

9月4日
アララト山  朝、うっすらとしているが、ホテルの窓からアララト山が見えた。標高5,137m
 なんという美しい山だろう。昔の人も、きっと、美しい、そして、特別な山だと思っただろうな。

 大洪水の中で、その頂きを見つけてノアの箱船がたどり着いたという旧約聖書の伝説のアララト山。

 有名なヨーロッパアルプスの最高峰モンブラン標高4,810mより高い。
 旧約聖書の創世記が書かれた時、多分紀元前何世紀か、当時の筆者にヨーロッパアルプスなど頭になかった筈だ。コーカサスにあるこの山、この、美しい、高い山。この山こそ、ノアの箱船がたどり着くのにふさわしい、と彼は思ったに違いない。後の世界の人間に、そう思わせるような山だ。

 今日はエレヴァンに滞在。エレヴァン近郊の、主として教会を見学する。

エレヴァン  

 ホルヴィラップ修道院

 301年、キリスト教がアルメニアの国教となったが、その契機となった聖グレゴリウスを記念して建てられた修道院、といわれる

エレヴァン
 ホルヴィラップ修道院の後ろにアララト山が美しく見えている。が、そのアララト山を隠すかのような煙が。
 煙の元は……、見ての通り、近くに住む人のたき火である。

 この写真、HPに出そうかどうしようかと思ったのですが、やっぱり、ホルヴィラップ修道院とアララト山の組み合わせも捨てがたい。煙にむせるアララト山と修道院……は、いかが。

     昼食の後は、聖リプシメ教会へ向かった。

エレヴァン  アルメニア使徒教会の典型的な建築といわれる。

 美女だったが投石の刑で殉教した聖女リプシメが祀られている。

エレヴァン

エレヴァン  

 この後は、アルメニア正教総本山エチミアジン大聖堂に行ったが、工事中であまり見られなかった。
 工事中の写真は撮っていないので、これはホンの一部の写真ですが、公園のように広いところだった。

 これが世界遺産ということよりも、世界中の信者が7年に一度集結する大切な場所、だそうだ。

 夜、共和国広場で噴水ショーがあると聞いた。共和国広場はホテルから歩いて行けるそうだ。
 つれあいと2人で共和国広場まで行ってみた。

 噴水ショーはすでに始まっていた。
 すごい人並みだ。私達は人並みをかき分けて、プール(池?)の水際まで前に出た。

    (写真23枚)
 
風景

 見ていて美しいし、規模も結構大きい。この噴水ショーはほぼ毎日開催されているそうだ。
 アゼルバイジャンの火焔タワーのイルミネーションを思い出す。これだけのイヴェントには、それなりの予算もかけているだろう。観光客に訴えたいこともあるかも。

9月5日

 午前中は、ゲガルト修道院とガルニ神を見学した。
ゲガルト  

 ゲガルト修道院
 岩をくりぬいて造られた修道院。世界遺産。

 

 ほどんどが岩の中にあり、独特の雰囲気。
 だが、神父さんもいて、今も信仰の場となっている。
ガルニ

      ガルニ神殿 →
 もともとは紀元前3世紀の建築で、見ての通りギリシア建築、ヘレニズムの影響を受けた神殿。紀元前3世紀から後3世紀頃まで、実際に太陽神の神殿として使われていたが、16世紀の地震で壊れてしまい、1976年に再建されたそうだ。コーカサスにおける殆どの教会と同じように、この神殿も、山の頂上にある。

 ツアー会社の手配で、讃美歌、民謡等のコーラスのサービスがあった。


  ガルニ

 

 すぐそばの風景。

 気が付くと、
 これらゲガルト修道院、ガルニ神殿は、素晴らしい景観の中にあった。

 ここら当たりの世界遺産名が「ゲハルト修道院とアザート渓谷上流域」であるのを知って、なるほどと思った。

9月6日

 今日は、観光最後の日。
 最短ルートが工事中だということで、7時にホテル出発。
セヴァン湖

 

 最初に、セヴァン湖へ。
 海の無いアルメニアに人々にとって人気の場所だそうだ。
 アルメニア最大の湖で、海抜約1900mにあり、大規模な湖としては世界で最も高地にあるものの一つだそうだ。琵琶湖の2倍の広さ。水温は夏でも20℃に届かない。

ハフパト修道院

 

 

 その次は、ハフパト修道院。

 伝統的な木造建築と火山岩の石造建築が融合したもので、
 ビザンチン建築様式の発展形式として貴重。

 991年に創建された。世界遺産(文化遺産)


ハフパト修道院

 

 

 11世紀から13世紀にかけて刻まれた十字架で、ハフパトの聖十字架といわれる。

 アルメニアで多く見出すことが出来る聖十字架の中でもここハフパトの聖十字架がもっとも有名である。

景観

 ハフパト修道院から望む景観も素晴らしい。

 「コーカサス3国めぐり」というこのツアーだが、内容は教会(修道院)めぐりかと言えるほど教会(修道院)が多かった。が、実際は、見るべきものは教会(修道院)ばかりではなかった。景観も見るべきものの一つだ。他にも……見るべきものはきっとあるに違いない。

 コーカサス3国のうち、アゼルバイジャンはその発展ぶりを見てほしいだろう。ジョージア・アルメニアの見てほしいものは、まず教会(修道院)だろう。ソ連共産主義から弾圧された最初のもの は教会(修道院)だった。言い換えれば、教会(修道院)・信仰を守ることは、自由を守ることの象徴だったろう。
 だから、彼等にとって誇りは、教会(修道院)・信仰を守りきったことだろう。女性の下半身に巻く黒い巻きスカートについても、それが教会(修道院)の伝統であれば、それを守ることは当然だ。

 今日でツアーは終わり。考えることの多い旅だったような気がします。

 再び、手続きをして国境を越えてジョージアのトビリシに入った。
 その後、バクーを経て、ドバイで乗り換え、となるので、(アゼルバイジャンの)バクーに真直ぐ行けば良いのに、そうではなくてジョージア経由になったのは、私達のようにアルメニアに入国歴のある者のアゼルバイジャン入国はちょっと面倒な問題があるからだ。アゼルバイジャンとアルメニアの間には、領土問題で対立があるから。
 コーカサス3国、つまりアゼルバイジャン・ジョージア・アルメニアはそれぞれソ連からの独立後、模索しながら自立の道を進んできたが、それは決して平坦な道ではなかった。今、ロシアとの友好関係があるのはアルメニアだけだが、そのアルメニア人でも、私達のツアーの現地人ガイドは「私達はロシアにだまされたのです」と堂々と言った。ロシアとトルコの友好関係を保つため、トルコによるアルメニア人虐殺をロシアは見ぬふりをして無視してきた等々。私達日本人が簡単に言えないほど、政治的には難しい問題を孕んでいる地域だ。

 例えば、10年後に再訪したら、コーカサス3国はどうなっているだろうか。見てみたい。

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