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11月11日 白帝城
瞿塘峡を過ぎると直ぐに白帝城だ。
三国志の話だが、白帝城は、三国の一つ蜀の皇帝劉備が諸葛孔明に自分の死後を託して死亡した場所とされている。
それこそ三国時代、1800年前の話だが、それが物語として広く流布したのが明(みん、1368年 - 1644年)の時代だそうだ。物語「三国志演義」として完成されたのがこの時代(明)だといわれる。今では、中国にとどまらず日本、そして世界にも知られるものとなった。
前回、私達が白帝城に来た時は、3泊か4泊の三峡クルーズ船でだったが、私達の乗ったクルーズ船は直に白帝城の前に停泊した。今回は、大分様子が違っている。今は、白帝城は、船着場から離れた島にある。 三峡ダムが完成してこのあたりの水位が上がり、白帝城は切り離されて島になったということだろう。
写真では、
左手には、船着場や土産物屋などが並び、
白帝城は
橋を渡って、右手にある。
ここで、中国人ガイドの説明に私はちょっと驚いた!
「ここは明(みん)の時代に造られたもので、400年経っているそのままです。ホンモノですよ!」と自慢げに彼は言ったのだ。
ホンモノって 何が?
この「ホンモノ」というコトバに私の神経はみょうに反応したのだ。
この建物(白帝城)が建って400年経つということ? 建って400年の建物がナンですか?
中国4000年の歴史は激しい戦乱に明け暮れ、当時の建物はほとんど全部が消失・破壊されたので、残念だが、中国に1000年以上の古い建物は残っていない。だが日本の奈良には、1300年前の建物が今なおある。
伝説として伝えられてきた「三国志」が明の時代に編集されて、物語「三国志演義」として完成して民間にも広がったそうなので、この建物(白帝城)が明の時代(1368年 - 1644年)に再建されたのはホントであろうし、そうだとすれば、この建物が建って400年経っていることもホントだ。
だが、「ホンモノですよ!」とは、言葉の使い方が違うのではないか? ガイドは劉備・諸葛孔明が立っていた白帝城を想像したのだろう。だが、ここはお話を基に再建された代物(しろもの)である。1800年前の出来事が、築400年のこの建物の中であったなぞ、滅茶苦茶な話だ。彼、ガイドの説明は、1800年の三国志の歴史と、目の前にある再建された白帝城の姿とを適当にゴチャ混ぜにしている。歴史の流れをまるで無視している。
私の推測だが、人の良い彼はウソを言っているつもりではないと思う。恐らく、観光客を満足させるように事実を適当にアレンジしてある「ガイドの手引書」?、それに書いてあることをそのまま彼は言ったのだ。
それにしても、彼は、というより、ガイドの手引書?は、その説明で通用すると思っているのだろうか。何かおかしい。事実とは何か。歴史とは何か。ホンモノとは何か。こういう本質的な問題を、みょうに感じてしまう。
事実を一つだけ言えば、劉備が諸葛孔明に死後を託した最後の対話があったホンモノの白帝城は、ここから1kmほど離れた位置にあったそうだ。勿論、現存していない。
白帝城の城内にはいくつかの建物があり、そのほとんど全部の建物がまるで舞台のようになっていて、それなりの服装をした「三国志」の登場人物が、それなりの有名な場面で演じている姿が、像として飾られていた。しかし、私はあまり愉快ではなかったので写真も撮らなかった。…… 写真くらい撮ってもよかったかな。
諸葛孔明は、中国人にも日本人にも、カッコイイ。
ここも重慶だが、
明朝は重慶中心部へ
この船の最後の夜、私には心残りがあった。食事に関することである。
実は、野菜料理が非常に美味しかったのだ。朝食や昼食のブッフェでは肉や魚も勿論メニューにちゃんとあったが、私は、美味しいので野菜ばかり皿に盛った。その結果少し痩せたが、勿論、ダイエットを目的にしたのではない。美味しいものを食べるという欲求に素直に従っただけだ。食事の時間はいつも楽しみだった。
どんな料理かというと、生野菜のサラダではない。煮た野菜に味を付けた、という感じ。野菜はどれも一種類で一品。白菜やインゲン他いろいろ。珍しい野菜ではない、ありふれた野菜ばかり。特に美味しいのは、野菜単品。肉や魚と一緒に煮たものではない。ただし、肉や魚料理がまずかったわけではありません。
シェフの腕がいいのか、素材がいいのか、は、私には分かりませんが、野菜料理を食べるためだけにでも、私はあの船にもう一度乗りたい。
11月12日 重慶
朝、重慶の街を横に見ながら、街の中心部にある船着場に向かって船は進んだ。
船で昼食をとった後、船の下船準備の間、客室のベランダから街の様子を眺めた。
重慶も私達には2度目、大都会になったなの感しきり。今は、なんといっても、人口3000万近いとは驚き。
前回、重慶の街には、荷運び人の姿が大勢あった。前後に荷を吊るした棒を肩に担いで運ぶ人々の姿がやたらに印象に残っている。当時、”荷運び”がここ重慶の街の主要な職業だと聞いた。違う言い方をすれば、これ以外に職は無いのだ、とも。
客室のベランダから見ていると、荷運び人の姿が見えた。船から、私達クルーズ客のトランク等を担いで運び出している。それにしても、船から荷物を運び出すのを、荷運び人の肩を使わなくても、どうにか機械化できないのかな、という気がした。いやいや、これで荷運び人の仕事をつくり出しているのかも知れない。前回、私達が重慶の街を歩いた時は荷運び人の姿は大勢いたが、今は、船から荷物を運び出している荷運び人を見るだけだ。あの、大勢の荷運び人達、どうなったのだろう?
午後2時頃にはビクトリア・ソフィア号から下船した。
三峡だけでなく、この国中華人民共和国の成り立ち等を見せている展示内容。
なかなか充実している。入場無料。
博物館を出たところが広場になっていて、公園のような雰囲気で大勢の人々が行き交っていた。
ふとみると、警察車両が停まっている。中国人ガイドが「テロ対策ですよ」とさらりと言った。テロ!? 私はまた驚いた(私の神経、少し過敏になっている)。 私達外国人観光客のこの国への入国の管理は非常に厳しい。入国自体難しいし、この公園にいる外国人観光客はここ全体で行き交う人々の中では僅かで、ほとんど目立たない。では「テロ対策」の対象は中国人? 疑う対象は自国民か? ふうん。あり得るねえ。考えてみれば、いろんな国でやってることだろう。ただ、この国の違いは、「見てるゾ」のやり方があからさまなことだ。
この旅の最後の夜。
同じテーブルを囲んだ旅の友たちと、旅の話に花を咲かせた。
11月13日
中華国際航空で、北京を経由して、夕刻、関西国際空港へ帰着。
いろいろ感じることの多い旅だった。
今回もいい旅でした。
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