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武漢・重慶間の三峡クルーズ船であれば今すでに多く航行しているが、「上海から重慶」コースは、この旅行社が催行するもの以外にはあまり無いようだ。
乗船した船はビクトリア・ソフィア号だが、上海から武漢までのコースはビクトリア・ソフィア号の定期航路ではなく、このコースは旅行社がチャーターして実現したものである。今回の私達のクルーズでも、上海から武漢間で数え切れないほど多くの船を見たが、その中に客船は私達の船以外は1艘も見なかった。客船の航行それ自体、上海から武漢までの間はあまり無いようだ。
しかし、客船の航行が無いから見所の無いコースだ、というわけではない。観光客は観光名所だけを見たいわけではない。人間のいるところ、人間の生活は何でも見たいのだ。
この旅行コースは、日本各地から上海で集合、「ビクトリア・ソフィア号」で上海を出港、揚州、黄山、1日の終日クルーズを経て、岳陽、三峡ダム、三峡、重慶で「ビクトリア・ソフィア号」を下船、帰国、となっている。いつもながらツレアイと私の2人でこのツアーに参加した。
なお、「長江」とか「揚子江」とかの言い方については、
一般的には中国では「長江」と呼ばれているが、そのうち下流域、上海から揚州(南京という説もある)の間を「揚子江」と呼ぶこともある、とか。上海の、租界といわれた外国人居留地の人々が使った言い方が元になっているとか。要するに、中国では「揚子江」よりも「長江」という言い方の方が一般的のようだ。このWebページでは、どちらの言い方も適当に使っている。
2016年11月3日
私達は関西国際空港発、中国国際航空CA922便で上海へ。上海到着後すぐに、バスで上海の街を通りホテル「錦江飯店」へ向かった。
すでに夕刻5時頃、ビル群の間に落ちる夕日の美しさに思わず見惚れた。
しかし、この夕日の異様なまでの美しさには、中国特有の深刻な問題が背後にあることを後で知った。
ホテル「錦江飯店」で、東京、仙台、名古屋、福岡発の客と合流、総勢141名の客となる。添乗員、現地中国人スルーガイドを合わせると、160名強か。乗船する船ビクトリア・ソフィア号はチャーターなので、乗船客は全員が旅行社「ワールド航空サービス」関係で、めでたく満室。よくぞこれだけ集めたものだ。今回は「最終回」なので特に多いが、これまでも100名以上の客はいつもありましたよ、とは添乗員の言葉。
11月4日 上海
バスで船着場である呉松港まで移動。 ビクトリア・ソフィア号に乗り込む。
予定より少し遅れて、
午後1時過ぎに上海を出港した。
川を眺めていると、カタチがなんとも美しい橋が見えてきた。非常に長い橋だ。
ここら当たりは対岸が見えないほど川幅が広いが、この1本の橋はその広い川幅をまたいでいるのだろうか。
対岸も見えないが、この橋の橋桁もずっとずっと続いていて、私の視界が届く先まで続き、そして、続いたまま視界の先に消えている。
この橋は「蘇通大橋」。江蘇省の南通市と蘇州市を結ぶ橋だそうで、橋の長さは8km、従って、ここの川幅は8km弱。この橋、上海近辺では観光名所になるほどの橋であるそうな。
2008年に完成したそうで、橋の支点から支点までが非常に長いとか、 橋桁を支えるケーブルが非常に長いとか、川底に打ち込まれた基礎が世界最深とか、とか、有名になる要素はいくつかあるそうだが、なんといっても、視界の先に消えていくような長い美しい橋の姿が素晴らしい。
午後5時頃、
蘇通大橋にも、中国特有の美しい夕日が沈む。
柿が真っ赤に熟しきったような、中国特有の美しい夕日は実は大気汚染が原因だそうだ。スモッグが濃いほど夕日は美しいそうです。
乗船初日なので、夕食前に船長主催のウェルカム・パーティーがあった。配られたシャンパンが素晴らしく美味しく、3度ほどお代わりをもらった。
11月5日 揚州
今日午前中は、下船して揚州の観光。
揚州といえばまず大明寺。日本の仏教確立に大きく貢献した中国人の高僧鑑真が、日本渡来の前に住職をしていた寺である。
大明寺境内の一部に、
鑑真が建立した奈良の唐招提寺の雰囲気を思い出させる部分があり、
大昔に読んだ、
井上靖の小説『天平の甍(てんぴょうのいらか)』を思い出して、いいなあ と思った。
大明寺の後は、東関街へ行った。
東関街は清代の揚州を再現した、1kmを超す長い通りで、観光客向けの土産店が並ぶ商店街。 観光客向けであることは一見して分かるが、私達クルーズ客一行以外に外国人観光客の姿はない。人並みは多いが、私達以外は全員が中国人と思われる。だが、中国人だから観光客ではないとは言えないな。国内旅行の中国人観光客かも知れません。 売られているものは、色鮮やかな中国服、中国の茶碗類、中国らしい菓子などなど。全部、そこらへんの土産物店にあるものばかり。
2008年頃から中国の文化遺産保護制度の一つとして、急速な経済発展・都市開発が進むこの国で姿を消しつつある歴史的な街並みを保護していく取り組みとして「中国歴史文化名街」が選定されているそうだが、この東関街も、それを目指して「清代の揚州を再現」したものであるそうだ。
確かに、街並みは「清代の揚州」なのだろうな。しかし、並べられた土産物が特に清代のものとは思えない。要するに、これは普通の土産物屋街なのだ。「中国歴史文化名街」を名乗るのであれば、これではどうもね。店舗などの建物がどうかよりも、完全な土産物屋街なのだ。
東関街へ行く(観光する)必要があるかどうかは、その人次第でしょう。
昼食は船に戻って。昼食後は、船内で書道教室や中国伝統音楽の生演奏などがあった。
11月6日 黄山
今日は黄山観光。
黄山までは船着場からバスで往復5時間もかかる。
かって行ったことがあるので、黄山観光がもし「オプショナル」ということで有料であれば、私達2人は行かなかっただろう。
しかし、今日は好天。行きましょう!
黄山山麓からローブウェーで山頂に上がる。昼食のレストランに着いたのは丁度お昼頃。レストランはホテル「西海賓館」のレストランである。
それにしてもホテル「西海賓館」には驚いた。都会のど真ん中にあるホテルと変わらないほど立派になっている。私達が以前来た時は、山小屋に毛の生えた程度の建物だった。
昼食は美味しかった。船の食事も美味しいし、今回の旅での食事には満足。
暑い!
黄山は高地なので、この季節(11月)では気温がマイナスになることがある。防寒用服の用意をということだったので、オーバーズボンやダウンコートもトランクに入れてきたが、今日は天候が好天だったので用意した防寒用服は黄山観光には持参しなかった。薄地のセーターにゴアテックスの上着を重ねてあるだけだ。
それにしても暑い。気温は20℃を超えているのではないかな。歩いているから余計に暑いのだ。ゴアテックスの上着を脱いで腰に巻いて歩く。セーターも脱ぎたい気持ちだ。
まあ、私達はみな、日頃から品行方正だから、こうなのでしょうね、と思うことにする。
暑かったことに文句は言えない。
そのうち欧米人は5,6人もいたかな。そして日本人は私達揚子江クルーズの一行だけ。あとは全部、中国人と思われる。
(しかしこれは正確ではない。中国人と韓国人またはアジア人の区別はつかない、というのが正直なところ)
やはり、来てよかった!
11月7日
今日はこのクルーズ唯一の終日クルーズ日、つまり、どこにも寄港せずに航行する日。
終日クルーズ日には船内でのイベントが沢山ある。
午前中は操舵室見学。世界共通となっているアメリカのGPSに対抗して、「北斗七星」という中国製のGPSを使っているとか。
中国人の有名な書道の先生から、客全員の色紙に希望する2文字を書いてもらった。昼食後は三国志講座。三国志にまつわるエピソードのお話という感じ。4時のアフタヌーン・ティーの後は中国語講座。
船はのんびりと武漢へ向かう。
終日クルーズ日はゆっくりと川の光景を眺められる。
上海から武漢までは、上海や南京等々都会では遠望のようにビル群が見えるが、都会を過ぎると、ほとんどずっとこのような風景が続く。つまり、土で盛られたような堤防がず〜っと続き、堤防の上には樹木がず〜っと、ほとんど間断なく植えられている。船からはその林の向こうは見えないが、畑があるのだろうか。
黄山観光の翌日からは天候が悪化した。どんよりとした天候はこの写真の通りである。
どんよりした天候なので分かりにくいが、川の水の色は茶色一色。
航行する船はどれもが貨物輸送船。土砂を積む船が圧倒的に多い。
客船は私達の船以外は見ない。
そして、川に鳥の姿が全くないのは不思議だ。
航行する船を眺めていて気付いた。航行する船の古ぼけていることといったら。古ぼけているというより、汚く見えることを全く気にしていない、というか、掃除をしていない、というか。つまり、泥などがそのまま付いている。
ひどいのは、沈没した船を引き揚げてそのまま使っているのでは、という感じのものも。
国が貧しいから、ということではないだろう。汚く見えることを気にしない国民性なのかも知れない。考えようによっては、川の水が茶色でとても綺麗とは言えないので、船の汚れなど気にしておられないのか。
それにしても、航行する船の数が多い。見ていて船の姿が途切れることが無いのには、驚くばかり。
日本とは違って、中国では川が、道路と同じ交通路なのだということがよく分かる。
「今晩、武漢に着く。街のイルミネーションが美しいのでご覧下さい。武漢港に着岸はするが給油したら直ぐに出港するので決して下船しないように」という通知があった。
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これから直ぐに武漢を出港し、明日の昼過ぎには岳陽に着く……はずであった。
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