裏門にたどり着くまでに、だいぶ時間がかかってしまった。
途中で誰かに会わないかと期待したが、それも無駄だった。
もう時間がないように思えた。
団蔵は何を思ったか、くるりと踵を返して元来た道を引き返した。
この時代の夜は本当に真っ暗だ。栄えている場所でなければ、明かりなんて滅多にない。
森までのあぜ道ならまだよかった。見知った土地だ。途中、思いついて近道を通る余裕もできた。(前には組のみんなで見つけた秘密の抜け道だ。)
だけど森の入り口に立ったとき、思いがけず、団蔵は足がすくみかけた。
(怖い…)
忍者が闇を恐れるなんて笑いぐさだ。
けれども、改めて夜の森を外から一望する。木々の身長は高く、夜空と同化してまるで黒い壁のような圧迫感。
風に揺れる葉音は昼に聞いた時より鋭く激しく、何か大きな魔物の鳴き声のように聞こえる。揺れる木の枝も、無数の手招きに見える。
やはり恐怖がせり上がってくる。
たとえ魔物なんかいなくとも、実際、この森の中には凶暴な山賊がいるのだ。
(……だけど、潮江先輩だっている)
団蔵は恐怖も焦りも振り払うべく、深呼吸をして、心を落ち着かせた。
いざ森の中に入ろうとした時、突然、自分の右肩に大きな手が置かれた。
「おい、そこの」
「――!!」
団蔵は危うく失神しかけた。口から魂が出る。
絶叫や悲鳴を上げるまではいかなかったが、へなへなと腰が抜けた。その場にへたりこむ。
やっと恐怖心をぬぐえたのに、不意打ちにもほどがあるだろう。
「だっ…誰だだだ…っ!?」
歯をガチガチ言わせながらのセリフは小さくかすれた。
「あー…驚かせてすまん。忍術学園6年は組、食満留三郎だ」
ふりむけば、そこにいたのは名乗ったとおりの人物、用具委員長の食満留三郎がいた。
外出の帰りなのか、普段着ている深緑の忍装束ではなく、私服姿の出で立ちでいる。
「食満先輩…」
最大級にまでふくれあがった恐怖が一気にしぼんでいき、人(しかも忍術学園の生徒!上級生!)と出会えた安堵が心を満たす。
「お前は、会計の一年か?どうしてこんなところにいる」
団蔵は食満に事情を説明した。
事態は緊急なので、手短に要点だけを。
「潮江が、お前を助けようと1人敵の中に残ったのか」
「はい」
「それで学園に戻ったが助けを呼べず、森に引き返してきたと」
「はい…」
そこまで要約すると、自分がどんなに愚かな行動をしてきたかが一目瞭然で恥ずかしかった。
食満の方に団蔵を責める気は一切ないが、団蔵自身は自己嫌悪の極地に陥りそうになる。
だがその極地に陥る前に果たすべき使命がある。
団蔵は食満の前に立って、目をつぶって頭を下げた。
「食満先輩、お願いです。潮江先輩を助けてください…!」
食満が眉を寄せた仏頂面のまま、口を開く。
「助け、とか…あいつには必要ないんじゃないか?」
食満の答えを聞いて、団蔵は驚いて顔を上げた。
欲しかった言葉と正反対だ。団蔵は戸惑った。
「え、でも」
「あのギンギン野郎は殺したって死なん。しかもたかが山賊相手に、心配しすぎだろう」
その物言いは信頼なのか、それとも投げやりなのか。
当の本人を思い出しているらしい食満の表情は、眉間にしわを寄せた憎らしそうなもの。
そういえばこの2人は同じ場にいれば衝突ばかり、仲が悪かったのを思い出す。
まずい相手に助けを求めたのかもしれない。
たしかに、食満の言い分は一理ある。
文次郎は忍術学園一忍者している最上級生であり、その実力は誰もが太鼓判付きで認めている。
そんな彼が負ける相手は、少なくとも山賊ではないだろう。
文次郎の無敵っぷりは、会計委員の団蔵だって身をもって知っている。
けれども、焦燥感や不安は消えてくれない。
警告のように団蔵をせかして、小さな体を右往左往させている。
「それでも納得できないか」
食満が団蔵に尋ねた。
単なる問いの意だったが、団蔵は食満が煮え切らない自分に怒っているのかと思った。
食満は決して怖い先輩ではない。同じ用具委員の喜三太としんべヱはとても慕っている。(でも2人は「あの」立花先輩にもなついてるから、参考にはならないかも…)
だが食満は基本が仏頂面なのである。その上つり目で見下ろされれば、誰だって誤解する。親しくすればいざ知らず、初対面の者には誤解されやすいタイプだ。まぁ、学園一不気味…じゃなかった、無口無表情の中在家先輩ほどではないが。
問いかけに答えられず団蔵がオロオロしていると、食満が誤解を察したらしい。
しゃがみ込み、団蔵に目線を合わせる。
「悪い予感がするのか」
「……」
「潮江が、無事に帰らないような気がするのか」
「……はい」
団蔵はそう答えた。
「そうか…」
食満は立ち上がり、口に手を当てて考えている。
目も表情も真剣だった。団蔵は急に、食満に親近感のようなものを持った。
この人は、信頼しているでもなく投げやりでもなく、自分と同じように不安で。
それをそっけないそぶりで隠していたのかもと、団蔵は思った。
「俺で何とかなるかな…」 食満がそんな独り言を呟いた。
団蔵が「?」という顔で食満を見ると、視線に気付いた食満も団蔵を見返す。
そして、食満が覚悟を決めたように一息ついた。
「わかった。一年、お前はもう森を進む体力なんて残ってないだろう。学園に戻れ。潮江のことは俺に任せろ」
「……じゃあ、助けに行ってくれるんですね!?」
「ああ。だけど、もし夜が明けても俺らが戻ってこなかったら、先生か学園長に言うように。いいな?」
「今すぐ救援を頼まないでいいんですか?」
「あいつのことだ、成績に響くとかなんとか、大事にされるのを嫌がるだろうよ」
仲が悪いのに、相手の性格をよくわかっている。団蔵は少しぽかんとした。
食満の身なりが衣を返して、深緑の忍装束に早変わりする。
団蔵はもう一つ、食満に言いたいことがあった。
「食満先輩…」
「なんだ?」
「あの、その…迷惑かけてごめんなさい…僕のせいで」
こんなことになってしまった。
しょぼくれる団蔵を見て、食満が懐から取り出したものがある。
「これ、やるよ」
「え?」
もらったのは、団蔵の両手に乗るやや平べったい包み。ふんわり甘い香りがする。
「今日行った甘味処の土産だ。それを食べて、少し落ち着け」
そうすりゃ、この事態が自分のせいじゃないってわかるだろ、と。食満はぶっきらぼうな言い方で、団蔵を優しく慰めた。
「あ、ありがとうございます」
「しんべヱに見つかる前に食うんだぞ」
「あはは、無理かも」
団蔵が困った顔で笑って、食満もふっと表情をほころばせた。
闇の森の一歩手前、まだ月明かりが頼もしい。
ここから先は食満文ルートになります。よろしいですか?
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