だって、俺、あいつ嫌いだし。
ていうか、あいつも俺のこと嫌いだし。




その日の朝。
外出用の着物に着替え、今日は日差しがきついらしいからと笠をかぶる。
草履の紐を結んでいると、狭い視界の端に人の足が映った。顔を上げる。
食満は不機嫌な顔をした。目があった人物も同じような嫌そうな顔をしていた。
「うわ…」と食満が思わずな声を出したかと思うと、目の前の人物、潮江文次郎も、「朝っぱらからバカなやつに会った」と散々なことを呟いた。
文次郎はいつもの忍装束で、朝っぱらだというのにずいぶん汚れていた。
おおかた寝ずに自主トレをしていたのだろう。たいして驚かない、こいつはよくやっている。
食満はなるべく自然に文次郎から目線を外して、草履の紐を結び直した。
食満は文次郎と雑談するほどの仲じゃない。口を開けば相手を逆撫ですることしか言えない。朝っぱらからそんな胸くそ悪いことはしたくない。
「ずいぶんと嬉しそうだな、どこに行く」
食満が黙っていると、珍しく文次郎から声をかけてきた。
食満の動きがぴたと止まる。嬉しい…?自分は嬉しそうに見えているのだろうか。少しあせった。実際、図星だった。
「別に、どこだっていいだろ」
「さては女か?」 否定する間もなく、文次郎の言葉が続く。「いや、花街なら夜だよな。お前に普通の町娘がいるわけねぇし」
「…その台詞、お前にだけは言われたくないな」
「何だと?」
「聞こえなかったか?ならもう一度言ってやる」
「この野郎…」
険悪なムードが2人に漂う。
文次郎と食満の仲の悪さは、文次郎と仙蔵のそれとはまた違った。文次郎は仙蔵には過度にくってかからない。精神的な力の差はあきらかに仙蔵が上だからだ。
だが食満に対して文次郎は譲らない。自分の方が優位だと確信しており、馬鹿にした態度をとることも多い。本心はもう少し思いやりがあるかもしれないが、見た目には現れない。
食満も負けず嫌いで、いちいちしゃくに障っては売り言葉に買い言葉、やられたら倍返し、そんな感じに乱闘騒ぎに発展する。
忍術関係なしの取っ組み合いなら、2人はほぼ互角だった。喧嘩は誰かが止めに入らなければ終わらない。
今日もそうなりそうだったが、はらりと、かがんでいた食満の懐から何かが落ちた。小さな紙。
「ん?何だこれ」
「……あっ」
文次郎が紙を拾い、書いてある文字を読んだ。
「『串団子どれでも5本で+1本サービス券』」
「ちょっ!返せ!」
食満の手が伸び、文次郎から割引券を奪い返す。
しかし、文次郎はピンと思い当たったのか、へっと笑った。
「なんだ、甘味処か」
「……」
食満は自分の頬がかあっと赤くなった気がした。何かあるとすぐこれだ。もともと赤面症の気がある。
「そういや街の大通り、新しくできたとこがあったって聞いたな。そこだろ」
「…他にも、買い出しの用事はある」
苦し紛れの言い訳をする。ほとんど認めたも同じだが、食満は(任務以外で)嘘をつくことが苦手だった。
「朝から甘味のために外出か、物好きだねぇ」
文次郎は勘が当たったことに気をよくして、ますます食満につっかかってきた。嫌がらせに等しい。
「今からなら開店前に着いちまうだろ、いいのか?それとも、そこは行列ができるほどうまいのか?」
「……お前には関係ないだろ」
食満は立ち上がってその場を去ろうとする。最後に何か言い返したかった。ちらと文次郎を見る。
朝日に照らされた文次郎の顔は少々、目の下にある隈がいつもより濃いような気がする。
「それにしても、ずいぶんお疲れのご様子で。過剰な鍛錬は効率が悪いと思うけどな」
文次郎はムッとした表情になった。食満は少し気分が晴れる。
「休校日くらい大人しくしてろ。風呂入ってさっさと寝たらどうだ」
「んなわけあるか。風呂は入るが、それからまた出かける」
「はあ?どこにだ」
食満が呆れた声を出す。文次郎はふふんと得意げに笑った。
「ちぃっと、ドクタケで自主トレの続きしてくる」
「ドクタケ?」
「気になる情報があってな。まぁ、力試しみたいなもんだ」
何でもないように言う文次郎を見ていると、どうも嫌な予感がした。虫の知らせのような。
「おい、馬鹿なことするんじゃねぇぞ」
「はっ、えっらそーに。お前は自分の成績の心配でもしてろ」
忠告するが、文次郎には何の効果もなかった。トゲのある言葉で返される。
「甘味行くなら、土産のひとつでも買ってこいよ。じゃーな」
文次郎が手を振りながら、長屋の方に戻っていく。
食満は苦い顔でそれを見送り、くるりと踵を返すと、自分は正門の方へ進んだ。
期待していた甘味が不味くなりそうで、食満はまったくもっておもしろくなかった。
本当に、潮江とはウマが合わない。
奴の言動すべてがむかつく。言い返せないのがさらにむかつく。
(自分の成績は本当にやばい。体育委員長の七松ほどではないが、奴は実技でカバーできる。俺は実技すら中の下だ。)
目が合えばにらみ合い、口を開けば罵詈雑言。たまに普通に接すれば雨が降る。
よっぽど相性が悪いんだ。だから関わり合いにならない方がいい。そうだそうだ、あんなやつ、もう知らん。


だがしかし、日の落ちた刻。
学園へ帰る途中、森の前で下級生を見つけ、「潮江先輩を助けてほしい」という話を聞いて、引っかかるものがあった。
彼の実力は明らかだ。どんなハンデがあったとしても、山賊など瞬殺するだろう。
とっくに無事学園へ戻り、目の前の1年に「心配かけたな」とあっさり笑って、ほっと安心させるはずだ。それなのに。
今朝の出来事が引っかかった。ドクタケが絡んでいるかもしれない。それも下っ端ではなく、悪くて首領、もしくは達魔鬼あたりの人物。
そうなると、もはや自分1人の応援で事足りるとは言い難い。
だが事実を知る者は他にいない。時間もない。
食満は覚悟を決めて一息ついた。
「わかった、潮江のことは俺に任せろ」
関わり合いにならないと思った矢先にこれだ。同室の伊作の不運が伝染しただろうか。




ドクタケが絡んでいると事前に予測できたので、食満は魔界之と遭遇してもそう驚かなかった。やっぱりかという気持ちが強かった。
文次郎は魔界之に捕らわれ、手足の自由を奪われ、尋問されているようだった。
食満の悪い予感は的中した。
(ったく、考えなしに突っ込むからだ)(……いや、それは俺もか)
自分は文次郎を助けなければならない。問題はどうやって文次郎を奪取するか。
武力行使、策略……森を駆けながらあれこれ考えていたものの、いざ土壇場になると判断力が鈍った。
森の闇に身を潜め、2人を見つけた場所から一歩も動けない。
なんだか文次郎の様子がおかしい。いつもと雰囲気が違う。
(……なんだ?)
魔界之が文次郎の耳元に顔を寄せ、笑う。
口元を笑んだまま、その目線を、食満の方によこしてきた。
「!?」
目が合う。気付かれている。
躊躇は一瞬で削げ落ちた。
懐から取り出したるは丸い玉。シュッと投げつける。
ぼっ と巻き起こった白い煙は、夜の闇と相まって視界を完全になくす。

「立て。逃げるぞ」
「!」
突如遮られた視界。突然別方向から伸びてきた手と命令する声に、文次郎は最初反応しなかった。だが、
「俺の実力を知っているだろう、とてもじゃないが太刀打ちできん」
「食満…!?」
相手を認識すると次の行動は速かった。
片足を怪我しているとは思えない俊敏さで、食満の後について煙の中を一直線に駆け抜ける。


「――敵前逃亡、かぁ」
煙が散った頃、魔界之は立ち上がって2人が逃げた方をただ見ていた。追いかける気配はない。
「うん、忍者としては最善の一手だ。最初の戸惑いがなければ、実力も一気に伸びるだろうに」
もったいないねぇと、魔界之はひとり呟いた。




ガサッ ザザザッ 手足が森の葉にあたって大げさな音を出す。
忍者失格だけれど、そんな些細なことなど気にならない。
「食満!この野郎、離せ!戻るっつってんだろ!?」
「アホ言うな!こっちが必死に絶妙のタイミング図って奪還してやったってのに、なんだその態度は、もっと殊勝にしろ!」
闇の森をかきわけながら、2人は逃亡者にあるまじき大声で怒鳴り合っている。

捕らわれていた場所から離れ、背後からの気配もないことを確認した途端、文次郎は食満の手を振り払った。
森の出口付近で、まだ月明かりがすんなり届く場所。文次郎の不機嫌な顔も識別できる。
「誰が助けてくれなんて頼んだ。勝手に恩売ってんじゃねぇよ」
文次郎が食満を睨み、いつもより酷く悪態をつく。
食満はもちろんカチンときたが、ぜえはあと息が荒く顔色も悪い文次郎を見ると、それ以上強い物言いはできなかった。
森の中で見つけた時から、文次郎の様子はどこかおかしい。
怪我しているせいだろうか。発熱している可能性がある。
そんな状態で、さっきの場所に戻るという。自ら危険を冒しに行くようなものだ。
「なんでわざわざ…」
食満には理解できない。
「暗器も得物もとられっぱなしなんだ、そんな様で帰れるかよ」
どうやら文次郎は丸腰で帰ることを嫌がっているようだった。
(そんなら、俺なんてハナから丸腰だ)
もともとたいした用のない外出の帰路だったから、ごちゃごちゃ重いものはすっぱり置いてきた。
さっきの煙玉だって買い出しの材料で即席に作ったものだ。もうない。
そんな互いに無防備な状態で、危険地帯に長居していたくない。
食満はとにかく早く帰りたかった。そのためには文次郎を説得しなければならない。
「そんなの気にしてる場合か。さっさと学園に戻れ。お前んとこの一年も心配してんだぞ、だから」
「うるせぇ!帰りたかったらひとりで帰れ、腰抜け野郎!」
食満の言葉を裂いて、文次郎が怒鳴った。その剣幕に一瞬たじろぐ、が。
「てめぇには何の関係もねぇだろうが!しゃしゃり出てくるな!」
「――なんだと!?」
あまりの暴言に、とうとう食満もブチギレる。
頭が止める前に手が勝手に動いた。
胸ぐらを掴み上げ、グイと乱暴に引き寄せると睨み合う2人の顔が近づく。
「けが人がふざけるな。今にも倒れそうなくせしやがって、助けられても文句言えないだろうが」
「ハッ、てめぇなんかに助けてもらうなんざなぁ、末代までの恥だってんだよ!」
「……てめぇ、もっぺん言ってみろよ、ええ!? ――ッ!」
殴ってきたのは文次郎だ。こめかみへの鈍い衝撃に顔をしかめる。
ゆるんだ手から逃れ、文次郎が食満から距離をとろうとする。それを食満は文次郎の腕を掴んで防いだ。怒りにまかせて胴を殴る。
間髪入れず、文次郎が足を使ってくる。後はもういつもと同じ取っ組み合いだ。
ただ、互いの雰囲気はいつもより険悪で、それゆえ容赦ができなかった。

(なんで)
けが人のくせに。
(助けにきてやったっつってんだろ)
素直に手を貸されていればいいものを。
(ムカつく)
こうなることは、文次郎が自分を拒絶することは、薄々わかっていた。だから引き受けるのをしぶったのに。
(他のやつになら、こいつはもっと素直になりやがるだろうよ)
なんで、俺にだけ、こいつは。
(……ムカつく!)

ドスッ 避けると踏んで腹に思いきり打ち込んだ拳が綺麗に入る。
「ッ――!」
力の抜けた文次郎の体が食満の方に倒れて、そのまま双方崩れ落ちた。
動悸が鎮まるまで、食満はその場を動けなかった。
呼吸が整ってきたところで、ぐちゃぐちゃになった思考が、とりあえず優先順位をはじき出す。
(……こいつ連れて、学園に帰んねぇと)
団蔵との約束だ。一度引き受けたのだから、完遂せねば。男に二言はない。
文次郎がどう思おうが、後でどう言ってこようが、関係ない。関係が。
『てめぇには何の関係もねぇだろうが!』
先ほどの文次郎の怒鳴り声が、頭の中に響く。
ああ、まったくその通りだ。こいつと、俺には、何の関係もない。
会計と用具の委員長だから顔を合わす機会があるだけで、それがなかったら、ただの同級生。赤の他人だ。
ぢくり、と。わけのわからない痛みを感じて、食満は顔をしかめる。

「うぅ……っ」
ぐぐもった声。文次郎の方を見ると、数瞬失っていた意識を戻したらしい。
先ほど以上に苦しげな様子だ。意識は朦朧としたままか、ぼうっとした表情。
怪我のある足にそっと触れると、やはり発熱していた。
血はすでに止まっているが、傷は浅くない。痛みも相当だろう。殴り合いがいつもより自分の優勢だったのはこれのせいか。
ずっと気を失ったままでよかったのに。それなら静かに担いで運べたし、こいつも怪我の治療をしたあとで痛みもやわらいだ頃に目が覚める。
無茶苦茶に暴れたせいで、足は泥だらけだ。傷口にも付着している。
このまま放っておけば確実に膿む。なのに、薬も水も、何も持っていない。
食満はしばらく考えたが、唾で消毒することに思い立つ。
「大人しく、してろよ」
抵抗されることを見こして、文次郎の体をぐっと押さえる。
傷口に口を付けて、じゅっと、血や泥を吸い上げた。
舌でざらりと傷口の表面を舐める。鉄の臭いが鼻につく。
「っ……!」
びくんと文次郎の体がはね、ぐっとその顔が引きつる。
「…痛むか?」
我慢強いはずの彼の顕著な反応が意外で、食満は口を離し、吸い取ったものを吐き出してから尋ねる。
文次郎はふるふると首を振り、小さく 違う、と答えた。
急に大人しくなった文次郎をいぶかしみつつ、食満はもう一度彼の足を吸った。
文次郎の抵抗はない。食満は強く押さえていた手を解いた。

油断していた。
伸ばしていた片手を取られて、グイと横に引かれ、バランスを崩す。
「っ……!?」ドサッ
地面に背中を打つ。ジャリと土、ザザッと草が音を立てた。
文次郎が上をとってくる。態勢と優劣が逆になる。
「……」
「な、なんだよ。消毒してやっただけだろ」
逆光で文次郎の顔は暗い。静かなのが異様に怖い。
相当怒っていると、報復を覚悟した食満は、それでも自分の言い分を主張した。
「いらん世話だと言うか。俺にされるのが屈辱だってんなら、てめぇが自分でやって、」
不自然に途切れる。また食満は言葉を遮られた。
今度は、直に口をふさがれて黙らされた。――口付けられている。文次郎に。
食満が目を見開く。あまりに驚いて、指一本ぴくりとも動かない。
なにやってんだこいつ俺はなにをされている。
意味がわからない。信じられない。現実味がない。ひどく混乱した。

すっと、文次郎の手が動いて、食満の下半身に下りる。
布越しに急所に触れられ、食満は一気に現実味と焦りを取り戻した。
「なっ……な、何やってんだ、オイ!」
抗議すると、文次郎が食満を見る。覇気のないうつろな目に、食満はさらに驚かされる。
いつもの文次郎ではない。
「お前、まさか」
魔界之の不敵な笑みを思い出す。まさか、何か仕込まれたのか。
「……だから、あれほど、いらん世話だと。離れろと、言った」
小さな声で、忌々しそうに吐き出される。はあはあと荒い息。苦しげな表情。
さっきの乱闘以上に、食満の動悸が激しくなる。平常心から乖離する感覚を味わう。
「もう、遅い」
ずんと響く声色でそう言われた。


湿った音がいやでも耳に響く。
文次郎の頭が食満の足の付け根にある。
股間に顔を埋め、その口に含まれているのは自分の男根だ。
じゅ、じゅる。敏感な部分を舌の表面でねっとりと舐められる。視覚的にも、感覚的にも、はっきりと。
「うあ……」
つい甲高い声をあげてしまう。
口を押さえ、痙攣を起こす立てた膝を支えるので精一杯で、文次郎の異常な行動を止めることもできない。
混乱した頭では「馬鹿」とか「よせ」とか、短い言葉しか出ない。それでは文次郎は止まる気配がなかった。
逃げようとすればするほど、文次郎は深く食満のものをくわえ込む。
「ん…っふ…!」
根元まで文次郎の口の中に入りきり、先端が喉の奥にぐっと当たった。
強い刺激を与えられて、ぞくりと体に言いしれぬものが走る。
「はっ…、くっ…」
湿った口内でぬめった舌を使われて、食満は限界が近くなる。
「…しおえっ…」
口を離せと、怒鳴るつもりが懇願するように訴える。切羽詰まって必死だった。
「んっ……んぅ…」
文次郎は首を振ってそれを拒絶する。嫌だと言う。
苦しげな表情で、上目遣いに自分を見てくる文次郎。
食満の額からこめかみに汗が伝う。体全体の皮膚が熱い。体内がおかしい、ついでに思考も。
俺のしゃぶるのがそんなにいいのかと、馬鹿なことを考えてしまう。
文次郎は正気じゃない。それも、不可抗力の、強制された欲望。
わかっている。なのに、自分の理性まで削げ落ちそうだ。

もう少しで出してしまうと思った時、文次郎の口がそこからあっけなく離れる。
「……?」
チカチカしてきた目を手の甲で覆っていた食満は、手の下から文次郎をのぞき見る。
文次郎は口を半開きにしたまま、ぼうっと食満の膨張した陰茎を見ていた。
赤い口内が見える。濡れそぼったそこに今まで自分の一部分が入っていたと思うと、擬似的な錯覚をして食満の心拍数はますます速まる。
食満が無抵抗なのをいいことに、文次郎はさらに大胆な行動に出た。
袴の紐を外し、ゆるんだ隙間に手を差し入れ、んっと顔をひそめる。
(……)
文次郎が自分の目の前で自慰をしているのを、食満はただ見ていることしかできない。
未だにこの状況が信じられない、心情の整理もできていない。混乱して何をすべきかまったくわからない。
とっさの判断ができないなんて忍者失格だと思うが、それにしたって状況が特異すぎる。
「んっ、んっ…」
文次郎は目をかたく閉じて、手淫に没頭している。ぬちゅぬちゅと濡れた音が響く。
魔界之におそらく媚薬でもやられたのだろう、食満見てるのも構ってられないほど急いて、自分のものを解放したがっている。
被害者である文次郎に非はない。
問題は、1人でシてる文次郎を間近で見て、自分まで妙な気分になってきたことだ。
目の前で淫行にふける文次郎。鍛錬バカが、エロい顔でエロいことしてる。
文次郎のこんな姿、普通に生活してたら見ることはない。想像したこともなかった。
だが、だからこそなのか、普段とのギャップが激しいのも相まって、異常な色気があった。女みたいな…いや、女には絶対出せない色気。
しかも、自分の手の届く範囲で乱れているってことがあまりに衝撃的だった。
緊張で口内がからからに渇く。ごくりと喉を鳴らしてしまい、ハッとする。
「あぁ、あっ、出る… んぅっ!」
文次郎の呼吸が乱れ、無意識に衝動を口走ると、体がひときわびくんとはね、ぐっと硬直する。
射精しているのだろう。その表情ははじめは苦しげだったが、次第にだらしなくゆるんだ。
耳まで赤い。眉は八の字で、濡れた口は半開きのまま。
「…はぁっ…ぁぁ…」
一回イって、くたっと体の力が抜けた文次郎は、そのまま食満の方に倒れ込んだ。
とっさに支え、食満が文次郎を抱きしめる格好になる。
「……大丈夫か?」
聞くと、文次郎が目を開ける。
とろんとした目。精を吐いて正気に戻るどころか、ますます薬が回ったような様子だ。
「馬鹿、しっかりしろ」
「……」
文次郎が食満をじっと見て、おもむろにぎゅっと、抱きついてきた。
食満はさっきから文次郎の一挙一動に一時停止させられたが、今回もそうだった。思考と表情が驚いたまま固まる。
「けま…」
文次郎が小さく自分の名前を呼んだ。ドキリと心臓がはねた。
反射的に、文次郎の肩を抱く手にぐっと力を込める。
密着する体は互いに熱い。
(一体、なんなんだ)
いつもと様子の違う文次郎に、食満は調子が狂いっぱなしだ。自分まで尋常じゃなくなる。
(シラフであからさまに欲情している自分は、一体何なんだ。相当ヤバイだろう)
焦り、見失いかけの理性をかき集めようとした時、文次郎が再度名前を呼んできた。
今度は、
「とめさぶろう」
下の名前で。
その声が、あまりに頼りなく、すがるように自分を呼ぶものだから、
食満は理性の大半を削げ落とされたような心地で。文次郎を押し倒した。

本当は、こんな姿、俺になんか見せたくないんだろう。だけど気持ちよくてしょうがないんだな、薬のせいで。薬、そうだ、薬が全部悪い。犬猿の仲の俺と潮江がこんなところでアオカンしちゃってるのも全部、薬っつーか魔界之のせいだ。あいつめ、ちくしょう、今度会ったら痛い目みしてやる。でも、憎みきれないのはどうしてだ。役得とでも思ってるのか?そんな、まさか。

「あ、あっ…ううっん…!」
首を吸えばびくびくと体を反応させ、耳をなぶればなぶるだけの声をあげる。
汗の味がする。忍でもさすがに暴れた後は体臭もわかる。自分とは違う他人のにおい。
眩暈を起こしたみたいに、頭の中がぐるぐる回る。発情して阿呆になってるんだ。自覚してるくせ、対処できない。
口付ける口内も、舌も、互いに熱い。ひやりと冷たい夜の森の中、その熱だけが強調される。

「あっ…」
文次郎の秘所に張りつめた自分のものを押し付ける。ひくんと文次郎の体が揺れて、顎を反らして何かに耐えている。
「入れるからな…」
食満が切羽詰まった様子で、文次郎に最後の確認をとる。
「俺のこれ、お前の中に、入れるからな…っ!?」
余裕がなくて、乱暴に文次郎の顔をぐいと向けさせて、目を合わせる。
涙目の文次郎は、それでも食満を睨みつけて、
「……さっさと、 れ よ」
ガリッ 口に触れていた指を思いきり噛みつけて、言った。
「さっさと、いれろ、このヘタレやろー…!」
「っ!」
その嫌味に、なぜかひどく欲情した。

じわじわと性欲のにじむ場所にあてがわれていた熱い塊が、ぐっと中に押し入ってくる。
「っあ!!」
我を忘れるほどの、ありえない快楽。
文次郎は顔をのけぞらして、その部位から体に走る電流のような衝撃に支配された。
「あ、う、ううーっ」
「んっく……!」
中で締め付けられて、食満も思わず動きを止め、刺激を味わうように目を閉じた。
はっはっと短く息継ぎをし、目を開ける。物欲しそうな文次郎の視線と目が合う。
一度精を吐き出した前も、すでに赤く充血し立ち上がっている。触ればぬるりと濡れているのがわかる。
食満はぞくぞくと欲を煽られ、本能のままに腰をすすめて、狭い穴の中にずぷっと奥まで肉を埋めた。
「はっ…! あ、あっ、ひっ…!!」
最奥を侵され、前を握られ、文次郎がかすれ声で喘ぐ。口の端から涎が垂れているのも気付かない。
食満にも余裕はなかった。勃起しきった性器を根元まで圧され、断続的に締め付けられる。
奥歯をぎりと噛みしめて耐えるが、こらえきれない。
「あ、くそっ……も、出すぞ……!」
何回か抜き差しを繰り返し、限界まで昂ぶった射精感を奥の奥で解放する。
うだうだと考えていたこともすべてとろけ、頭の中が真っ白になる。
「――ッ……!」
頭の中で、もんじろう、と呼んだ。

「はっ……っ……」
肘を折り、文次郎に覆い被さる。肩の上に頭を置く。
ぜえはあと荒い息を、ばくばくとせわしなく動く心臓。じわりと汗だくの感覚が戻ってくる。ついでに冷静な思考も。
文次郎のものを握っていた手にはべっとりと白い粘液が付着している。気付かなかったが、文次郎も吐精していた。
今はぐったりと目を閉じている。静かだし、意識を飛ばしているのかもしれない。
(……こいつは、今の状況を自覚してるのだろうか)
ぼんやりとした頭でぼんやり考える。
乱闘して気を失ってから、文次郎はほとんど正気を失っていた。きっと行為の最中も夢の中みたいな感覚だったろう。
毒が抜けて正気に戻った時、自分とのことを覚えているのかどうか。
そこまで考えて、なぜか覚えていてほしい自分に気付く。
なんでだ。こんな間違いみたいな関係、お互い忘れた方がいいのに。

(関係……ああ、そうか)
今まで悶々としていたことに、すんなりと答えが出たような気がした。
お前には関係ないとか、そんなことを言うたびに・言われるたびに、よくわからない痛みを感じていたが、
一夜の過ちでも、既成事実に違いない。これで自分たちはどうしようもない関係を持ってしまった。
不謹慎にも、自分はそれが嬉しいのだ。
(俺は、本当は、こいつと)
心のどっかで、関わりたいと思っていた、らしい。




文次郎が気がつき、今は大人しく学園への帰路についている途中。
「……」
「……」
2人の間には当然のごとく気まずい沈黙が続いていた。
無理もない。さっきまで自分たちがナニをしていたかを前提に、一体何を話すというのか。
いつも通りの自然体に戻りたいのに、その方法がうまくできない状態。

「いって…」
やや後ろを歩いていた文次郎が小さく苦痛を訴える。独り言だったろうが、食満は敏感に反応した。
ぐりっと首を後ろに向けて、ぴたと動きを止める。
「あ……大丈夫か」
「……誰のせいだと思って……」
食満の声かけは逆効果に終わる。文次郎はあからさまに殺気立って食満をにらんだ。
食満は苦い顔をして何も言えなくなる。
服用されたのが強い薬なら、目が覚めた時、文次郎はすべてを忘れているかと思ったが、だいたいのことは頭に残留しているらしかった。
それもおそらく、自分の都合の良いところだけ。自分で誘ったこととかは、上手い具合に抜けてるようだ。
(嬉しいんだか悲しいんだか…)
食満はいよいよ複雑な心境に陥る。

「畜生、なんでお前なんかと、こんなことに」
「…成り行きだ。もう過ぎたことなんだし、諦めろ」
説得を試みるが、文次郎は納得しなかった。日頃どんだけ食満を下に見ているのか。
「くそ、お前なんか、あほのは組のくせに、成績中の下のくせに、用具委員長のくせに…」
「(最後のは悪口じゃないだろ)……そんな奴の下で喘いでたのは、どこのどいつだ」
文次郎の言い方にいい加減むかついてきた食満が、ついいつもの調子で言い返す。
すると文次郎はぐっと口ごもる。その顔には表情がなくなる。
(あ、ヤベ)
まずったと、食満はあせった。今のは完全に失言だった。
「まぁ、お前は薬のせいだったんだから、…あんま気にするなよ」
取り繕う言葉を言ってみるも、文次郎は黙ったままで、食満は困った顔で鼻から抜けるため息を吐いた。

「悪かったな。嫌な役やらせちまって」
急に文次郎が言い出した。食満が言葉の意味を理解する間もなく、文次郎は早口で先を続ける。
「男と。しかも、よりにもよって俺と。気持ち悪かっただろ? 帰ったら花代やるから、今度の休みにでも、女買って口直ししろよ」
まさか文次郎がそんなことを言ってくるとは思わなかったから、食満は何も言えなくなった。
それを肯定だと受け取ったか、文次郎が忌々しそうに呟く。
「どうせ、軽蔑してんだろ。そうじゃなかったら、心の中で馬鹿にしてんだろ」
畜生…と、文次郎が吐き捨てた。
「なんで、お前なんだよ」
苦しげな表情で、そう言う。先ほどの嫌味とはニュアンスが違うような気がした。どう違うかは、わからないけれど。
「…お前は、どうなんだ」
食満が聞く。文次郎は一瞬いぶかしんだ。
「なにが」
「だから、その、俺に…されて、気持ち悪かったか」
「……俺は正気じゃなかったんだ。でも、お前は、」
少し間をおいて、文次郎が続ける。
「だって、お前、俺のこと嫌いだろう」

その言葉に、食満は頭の中でカチリと何かが合った音を聞いた。

ぽかんとした顔で、食満が聞き返す。
「……嫌いなのは、お前の方だろ」
「…はぁ?」
文次郎はよくわかっていない表情で食満を見た。
文次郎はまだ気付いていないのだ、自分たちがまったく同じ思考をしてることに。
食満はもう一度ため息を吐いて、先陣を切る覚悟を決めた。

「俺は、別に嫌いじゃない」
「え……」
文次郎が少し固まる。
けれど、多分食満の方がカチコチに固まっている。苦い顔でそのまま告げる。
「今回の件で自覚したが、俺は別にお前のこと嫌いじゃなかった。それどころか、…俺はお前を好きになったみたいだ」
意気込みすぎて棒読みになってしまった、精一杯の告白。
「……」
それなのに、文次郎が無反応なので、食満は不安と焦燥にかられてもう一回言った。
「オイ、好きだっつってんだよ…文次郎」
「……!!」
告白にか呼び捨てにか、文次郎の凝固が解ける。かあっと顔が赤くなる。
「かっ、かか、からかうな!バカタレ!」
「からかってない。俺は冗談とか、そういうのは苦手だ」
「変な嘘をつくな!」
「嘘も苦手だ。知ってるだろ、俺は顔に出やすい」
食満は自分の頬に手を当てる。熱い。きっと真っ赤だ。
文次郎はそれでも信じない。
「お前は…なんか勘違いしてんだよ。もう、それ以上、変なこと言うな」
「文次郎」
「っ…! 下の名で呼ぶな!」
怒鳴った後、文次郎は手を額に当てて目を隠した。
「よしてくれ…頼むから…」
弱々しい声。
「こんなんじゃ、俺まで、流される。馬鹿みたいになっちまうだろーが…」
ぼそりと小さく呟かれた言葉に、食満は瞬きも忘れた。
それは、文次郎も自分と同じ気持ちを少なからず持っていると言うことか?
聞きたかったが、文次郎が素直に答えるとは思えなかった。んなわけあるかこのヘタレとか言われたら立ち直れないかもしれない。
心臓だけが無駄に早鐘を打っていた。

「どうすれば信じる」
「…そんなん、知るかよ」
「シラフのお前と寝ればいいのか」
「は、はぁっ!?」
食満が突拍子もないことを言う。だが本人は至って真面目だった。
「それしか思いつかん」
「ば、バカタレ!!何を言っとるか!」
文次郎が余裕なく怒鳴る。逆に食満には余裕が出てきた。
「へぇ…怖じ気づくのか」
「なに!?」
「俺が嘘を言ってるってなら、これだって嘘だろ? お前は俺『なんか』の嘘に怖じ気づいて、必死になってるわけだな」
は、と軽く笑ってみれば、文次郎はぴくりとこめかみに血管を浮かせた。相当怒っている。
「この野郎…こっちが下手に出ればつけあがりやがって。お前ごときに、なんで俺が怖じ気づくってんだ。やってやろうじゃねぇか!」
「おっ」
あまりの食いつきのよさに、食満はなんだか本当に騙したようで申し訳なくなってきた。
「じゃあ、次の休みに街で宿を取るぞ」と具体例を挙げてみたが、「望むところだ!」と、文次郎は構わなかった。まるで決闘の再戦だ。
「……;」
勝負事と同じレベルの色恋事か…まぁ、相手が相手だし。それくらいがしっくりくるか。
食満はひとりごちた。その横で、文次郎はまだ怒っていた。



















(食満文/終)