ある日

ある日2

六月に入って、白内障がひどくなったので、来月、再度の手術を宣告されました。
持病の糖尿病のインシュリンも始まりました。
何もかもが心配なことですが、遠隔地ではどうにもなりません。
電話の向こうの聞こえる声は いつもと変わらぬ兄弟の声。
私はというと、どうにもならない身の上にヤキモキしています。
早くこちらにも来て欲しいと、ずうずうしくも思っています。

6月最後の土曜日
兄弟からの電話で母には「自立」が出たそうです。
それでも、母の行きたがっていたデイには、下支えを使って(?)行けるそうです。
今度は何を楽しみにしてもらおうかな。

7月
忙しいことはいいことだ。と思うものの、そんなに一生懸命働いていると、倒れたりしないかしら・・・と不安になる。
畑で取れた野菜を送ってくれるのを、見るたびに元気でいてくれる嬉しさと「無理しないでね」と思う気持ちになります。

8月
電話をすると久々に母の声。
荷物を送ってくれるので、電話をするのですが、畑に出ていて留守のことが多い。
今日は出てきたわと喜んでいると、電話の向こうであせっている声
「どしたん。何があった?」
『いや何もありゃせん。何時電話しても畑行って留守じゃけえ。』
「ほならええが」
安堵する声が受話器で響きます。

本当は、ななが養護学校へ行くようになったと言わなければならないのでしょうが、声になりませんでした。
ななが障害児学級に行くときも、心配して見に来てくれましたので、見に来てくれるかもしれません。
見に来て どうなるものではない とわかっている反面、見せて心配させるのもはばかられました。
おいおい話も出来るでしょう。
今は静かにしています。

ある日3