家へ帰って、グラスに氷を入れ水を注いで一杯飲むと、
完全に目がさめてしまったことに気が付く。
思わず苦笑した。
別に誰の所為、と言うわけでもないとは思うのだが
やれやれと近くのイスに座ってテーブルの上で手を組んで顎を乗せる。


部屋には基本的に人が来ないことを前提に必要な家具が置かれている。

女性が好みそうな家具は一切無い。
以前、仕事がらみでとある人物がこの部屋に訪れて言った最初の一言は

どこかの廃屋だな、だった。

自分でもある程度それは感じているが、別に人が来るなんて考慮していないので
特に変える気もなかった。

 だが、物好きがいて

「ここはいい」
 
といった人物が約1名。


その人物は、

俺が今、座っているイスとテーブルを挟んだ向こうのイスを定位置にして
必ずそこに座っていた。

そこは俺が定規や文房具の類を入れている引出しに近いから正直そこに
座って欲しくなかった。
 だから、その旨を伝えてなんども別の場所を提供しようとするのだが

「嫌だ、ここがいい」
 普段は飄々としてるくせにそのときだけは
 年齢よりずっと幼い頑固な子供のようにその場所を退けようとはしなかった。

 なんども繰り返されるやり取りにいい加減呆れていたら、
 言ってくれれば、必要なものを取って渡すとすら言い始めた。


 俺が独立するまではその人物も前もって連絡をいれてこちらに来ていたのが
 俺が独立すると、突然ひょっこりと現れて、そこ位置に座っていた。

「何が要る?どれを取ればいい?」 

 そしてその声が聞こえなくなったと思うと
 何時の間にかいなくなっていたりを繰り返していた。
 


 ほんの何日か前には足を組んでコーヒーカップを両手で遊んでいたのに。
 

 そのイスには今は誰も座っていない。



「まったく、なにをしてるんだ、あいつ…」




上手く人のことを聞き出すくせに
自分のことは全く秘密主義な男。




 例えば彼が行きそうな場所など
 彼と親しいと言っても心当たりすらない。




 いつだってそうだ。
 彼と親しくても彼のことはあまりしらない。
 彼の血液型は勿論のこと、本名も、今現在何をしているのか。
恋人がいるのかいないのか、趣味は何か、基本的プロフィールは空欄だらけ。
 ハロルドあたりに聞けば、俺の知らないことを山ほど知っていそうだが、

 彼には聞きたくない。

 他の奴ならそこまで気にしなかったが相手がハロルドとなるとやたら腹が立つ。
 奴に聞くくらいなら、本人に質問のアンケート用紙の束を差し出すほうが
まだマシだ。


 俺が彼について知っているといえば
 彼の"雰囲気"。彼を取り巻く空気と言ってもいい。
 それも、知っているというよりも
 本能に最も近い部分で感じたといったほうが正しい。

 ほかの細かなことは何一つ覚えていない。


 元々俺自身が"知っている"ことが、親しいと言う言葉に
イコールされるとは思っていないから余計だった。
 それに彼と知り合う頃の時期は特に人との関わりを遮断していた
時期だったから尚更。



 だが、ハロルドのようにユージーンのプロフィールを良く知らなくても
 

 俺は彼の親友だと妙な自信がある。
 



















 知らないということは時々とても面倒で、とても便利だ。


 確かに優劣の気分の問題も少なからずあるが
 それ以上にこんな風に何か問題が起こったときの
 行動が多少影響してくる。

 そして同時に"知らなかった"と言う言葉で誤魔化すことができる。




















 "知らない"っていう事実はとても便利で利用しやすく、
 最も卑怯で危険な言い訳かもしれない。













  ++++ half-canaval(3) + 



















「 もしも、俺のことで面倒が起こりそうなら
  わかってることを相手に話してくれ 」



















  コーヒーカップを両手で遊びながら、はじめに彼はそう言った。





 唐突の言葉に何を言われているのか解らず、

「人でも殺してきたか?」
 と笑いながら尋ねた。
「できることなら、してやりたいかもね」
 と物騒な返事が返ってくたが、すぐに。


「無理だけど。小心者の俺には」
 彼のいつもの軽調子な訂正がはいる。

「それにもし人を殺したりしたら、ここには来ない」
「…迷惑がかかるとか?そういった理由はなしだ、
大体、お前は何があっても人を殺すとは思えない」



「君の中の"俺"は、綺麗だね」



 ユージーンは"どうして?"とは聞かずに俯いて
 ただ、居心地悪そうに笑った。

「あーその………あー…」

 肯定して良いのか、否定して良いのか言葉も見つからず
曖昧な返事で返してしまい、こちらに向けられる笑いにつられて
笑いそうになるのを必死に堪えようとしたらこっちまで居心地が悪くなる。

「・・・そ、それとも足がつくとか、俺が警察に連絡するとか?」

 誤魔化して急に話を変えてしまったので、明らかに不自然であったが
 ユージーンは特に気にせずに首を振って、それは思いつかなかったな、と笑った。

「多分、君がもし警察に連絡するなら俺は間違いなくここに来るだろう」

 彼の言っている意味がわからず、反射に近い状態でどうして?と尋ねた。




















「君だったら、裁いてくれそうな気がするから」

 

 小さな沈黙の空白のあと、彼はそう呟いた。

「…俺は裁判長じゃない」
 他に言葉が見つからずに、そうやって否定するのがやっとだった。
 俺の返答に、ユージーンはそうだね、と笑う。
「君は他の人たちが目をつぶって知らないって言う事も
しっかりと目を開いてみてくれる気がする」
「どうかな、俺は人と関わるのが嫌いだし、嫌だと思ったら逃げるがね」
「君は優しいね」
「脈絡無いぞ、それ…」
「俺は君達がとても好きなんだよ。知ってた?」
 ユージーンはまた突拍子なことを笑って言った。

  彼にとってその笑みに意味は無い。
 ところが"俺達"は彼の笑みに意味をつけたがる。
  ただ、包帯で顔が隠れているだけで…。
 いつだって、意味を考えようとして"俺達"は彼を遠ざける。
  彼のことが解らないから。
 解らないことに人は恐怖を覚え、遠ざけ、枠組みから
 外し、固有の名前を付け、"奇妙"とか"怖い"のだと言う。

「ルドルフは勿論、ハロルドも、それから君達の妹さんも」
「……初耳だな、それ」
「大好きなんだよ。なんなら誓おうか?」
 ユージーンは右手を心臓部に当てた。
「誓わなくていい。実際、凄く嬉しいし、光栄だ」
 と素直に笑って言ったら、顔半分が包帯で隠れた顔で彼は笑った。

 彼の笑みを見て、自分がどう思ったかなんてあんまり
 考えてなかった。


 ただ、彼の言うように事実はどうであれ、
 俺の中の"彼"が、彼の言うように、どこか"綺麗"なのだと思う。
 そして同時に彼の中の"俺"も、多少は"綺麗"であってほしいとは思う。


 けれど…















 カランッ


 







 急に、目の周りが暗くなりすぐに、明るくなる。
 さっきまで向かいの席にユージーンが座っていたのに
 いつの間にか、彼はいなくなって一つの空白が出来ていた。
 

 

「…俺はお前を探して良いのか?それとも探した方が良いのか?」

 誰もいない向こう側に話し掛ける。







 
 テーブルの上に置いたグラスにのこした氷が溶けて水になっていた。

 それに映った自分の顔が僅かに屈折させているように見えた。











「この顔を見たい?」





































不意に
ユージーンと初めて出会ったときのことを思い出した。

























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