<神話は生まれ…伝説は語られ…歴史は唯記される――
                嗚呼…物語は詠うように紡がれ続ける…>










                死を抱き眠る冥闇(くらやみ)の水面を渡り揺れる焔…
                その灯火を生命(いのち)と呼ぶなら言葉(ことのは)は力と成るでしょう…




                アルベルがウォルターに引き取られて数カ月。
                腕のリハビリと平行して行われている、火へ耐性を付ける訓練も順調であった。

                「この調子なら冬には大丈夫じゃろう。 さすがに暖炉なしは辛いからのう。」
                「るっせぇクソジジイ!」

                ウォルターの軽口にアルベルが突っ掛かる。

                勿論これは冗談で、実際に暖炉を使っていないわけではない。
                全体像が見えないように、上半分を鉄板で覆っているだけだ。

                この掛け合いは、彼らがグラオの死を乗り越え、心にゆとりが生まれた証拠である。

                アルベルもすでにマッチやロウソク程度の火には慣れ、発作も出なくなった。
                さすがにまだ『疾風』のドラゴンには近寄れないが、それも間もなく解決出来るだろう。

                「…なぁジジイ。」
                「なんじゃ小僧。」
                「俺の母親って…何者だったんだ?」

                少し落ち着いた所で、アルベルは前から思っていた疑問を出す。
                その疑問に、ウォルターの顔から表情が消えた。

                何でもないように見えて重大な事。
                アルベルを追い詰め、結果グラオを殺した国家機密。

                物心つく前に亡くなり、肖像画さえ遺っていない母。
                名前しか知らない彼女の正体を、アルベルはどうしても知りたかった。

                真摯な紅い目を向けられ、ウォルターは言葉に詰まる。

                「それは…。」

                解答に困っていると、突然、『風雷』の兵が部屋に飛び込んで来た。

                「大変です! シーハーツのクリムゾン・ブレイドが、ウォルター様に会いたいと言って来ました!」



                何刻しか其拠に奪う者と奪われる者が生まれた…
                たったひとつを天秤に架けて 争いは廻るでしょう…




                女王の正式な書状を持っているため、むやみに追い返せない。
                仕方なく使者を客間に通し、アルベルには姿を見せないよう言い含めた。

                「突然の訪問、失礼する。 儂はアドレー・ラーズバードという者。」

                使者は体格のいい中年の男で、豊かな髭を蓄えていた。

                「構わんわい。 して、用件は何じゃ? まさか相棒の仇討ちという訳ではあるまい?」

                以前クリムゾン・ブレイドの片割れを討ち取った事を出す。
                しかし、男は手を使ってまで否定した。

                「とんでもない。 確かにネーベルを亡くしたのは惜しいが、それは戦場での事。
                その件で貴公を怨むのは筋違いじゃ。」
                「では一体…?」

                女王の使者なら、本来は国王に謁見を求めるもの。
                なのにアルゼイの元ではなく、わざわざカルサアのウォルターに会いたがるというのは…。

                「用というのは他でもない、レイリア姫様の御遺児を引き取りに来た次第じゃ。」


                
ガタンッ


                客間の外の廊下で物音がした。
                何かが落ちるような音。

                「誰じゃ!?」

                入口のすぐ脇に控えていた兵士が扉を開ける。
                そこに立っていたのは、身体のほとんどを包帯に巻かれた少年。

                「アルベル…。」



                故郷を喪った仔らは忘れない
                父の無念を…母の哀しみを…嗚呼…遠き大地を…



                「『レイリア』って…何でシーハーツの人間がお袋を知ってるんだよ…。」

                シーハーツからの使者と聞いて、気になって聞き耳を立てていた。
                その中で出て来た母の名前。 しかも『姫様』呼び。

                「アルベルこれは…!」
                「てめぇ何か知ってんのか!? お袋はシーハーツの人間だったのかよ!?」

                アルベルは、必死にアドレーに詰め寄った。
                しかし体格の差のほか体力が戻りきってない彼に、現役クリムゾン・ブレイドに実力行使は効かない。

                「ウォルター殿、この童(わっぱ)が…?」
                「…そうじゃ。」

                ウォルターは諦めたように嘆息した。
                だからシーハーツの人間に、アルベルを会わせたくなかったのに。

                「まぁよい…いずれ教えなければならない事じゃ。」

                アルベルは訳がわからなくなって、ウォルターとアドレーを交互に見回った。



                少年はやがて剣を取るでしょう…そしてその剣が折れても…
                またその仔らへと託すのでしょう…遥かなる『年月(とき)』の祈りを…




                当人であるアルベルを交え、アドレーの説明が始まる。

                母が現女王の従姉妹である事。
                父・グラオとの恋愛結婚を反対され、家出同然にアーリグリフに嫁いで来た事。

                母は施力が高く、『アペリスの聖女』にと強く望まれていた事。
                そして母が亡くなった直後も、自分を引き取りたいと女王が使者を送っていた事。

                「次期女王であるロメリア様も、レイリア様を姉と慕っておられた。 …本当によく似ておる。」

                「お主が女であれば、『聖女』の資格を満たしていた。 そうでなくともお主は、シーフォートの正統な血を継ぐ唯一の人間。
                ゆえに政治に利用されるのを防ぐため、お主の母の出生は国の機密とされたのじゃ。」

                聞かされる真実。 そのどれもが、自分の想像を越える物だった。
                父がアルゼイの従兄弟、つまり王族であった事はアルベルも知っている。

                両親の血筋の価値がどれほどの物か、知らないほどアルベルも無知ではない。

                「…通りでヴォックスの野郎が、俺を目の敵にするわけだ。」

                自嘲するようにアルベルが笑う。

                祖が同じなのだから、アーリグリフに赤目が生まれてもおかしくない。
                なのに何故自分が迫害されていたのか、ようやく合点がいった。

                幼い頃は外に出る度、目の事で不快な思いをしてきた。
                一度近所の子供に石を投げられ、顔を怪我した事もあった。

                その時は勿論倍返しにしたアルベルだが、帰った時のグラオの反応は凄まじかった。
                元々子煩悩の傾向があった父だが、この事件をきっかけに過保護に火がついたように思う。

                「シランドの医療技術なら、その腕も治る可能性もあるやもしれんが…。」
                「俺は…行かない。」

                完全とはいかないが、機能も回復して来た左腕。
                これは父の形見であり、また自身の未熟さの証でもある。

                「腕を治す気もねぇ。 親父の分までこの国で生きると決めたんだ。」

                十五の身には重い決意。
                確固たる信念はアドレーにも崩せない。

                「…承知した、陛下には儂から詫びておこう。 次に会う時はおそらく戦場。 その時は手加減せんぞ。」
                「望む所だ。」

                アドレーはウォルターに一礼すると、シランドへ帰っていった。

                磨き切れてなかった戦闘技術。 追い詰められた精神。
                己の未熟さが父を死なせた。

                力を、もっと力を。
                それが父へのせめてもの贖罪だった。



                <平原は荒れ果てて砂漠と化し…海原は立ち上がり大地を呑む…
                災厄の根が幾重にも絡み合い…異なる世界を繋ぐ『門(Gate)』は開かれる>




                チャンスは唐突に訪れた。
                二十歳の時、『漆黒』の団長が引退したのだ。

                火に弱く腕にハンデのあるアルベルには、『漆黒』が一番の職場である。
                技量も申し分ないとして、後任にアルベルの名前が上がった。



                <敵の憎悪は同情を遥かに凌ぎ…侵略ではなく完全なる破壊を望む…
                氷と焔の相容れない宿命(さだめ)のように『神々が愛した楽園』は戦場へと変貌した…>




                アルゼイを初めとする実力重視の要人達は、みなこぞってアルベルを推す。
                しかし『疾風』等に隠れていた、血統重視で保守派の貴族達が、対立候補に男爵家出身のシェルビーを推して来たのだ。

                団長の座を賭けて、二人の戦いが始まる。



                屍を積み上げて土台は築かれる…
                脆く儚い現実は…瓦礫の城…




                カルサア修練場の闘技場。
                王の立ち合いの元、戦いの火蓋は切って落とされた。

                しかしそこは実力の差。
                二十分もしない内に、アルベルの勝利が決定した。



                亡骸の頂きに 平和は咲き誇る…
                甘く拙い幻想は…硝子の色…




                「フン…所詮はクソ虫か。」

                刀を払い、アルベルはシェルビーに背を向けた。
                その結果にアルゼイは、満足そうに頷いた。

                「へ…陛下! もう一度チャンスを下さい!」

                焦ったシェルビーが詰め寄った。
                年齢的にも家柄的にも、己に絶対の自信を持っていたからの醜態。

                「見苦しいぞ。 もう決定した事だ。」
                「しかし! あの者に国防の要を任せるのは危険です! シーハーツの手引きをするに決まっています!」

                その叫びに、場内にいた他の者達がざわめいた。
                アルゼイが眉を顰めたのを見て、シェルビーは続ける。

                「あいつはシーハーツの者です! あの目が、何よりの証拠です!」

                シェルビーは、踏んではならない地雷を踏んだ。



                恐怖を差し出せば…狂気が降り注ぐ…
                共存の道を蹴って…




                強い殺気。 自分に興味を無くしたはずのアルベルが、鋭い眼差しで睨んでいる。
                動けば殺られる。 そんな状態だった。

                「貴様…ちょっとばかり度が過ぎたな…。」

                アルベルの体から、赤い闘気が立ち上る。
                施力を見る力のない目が見ても、はっきりと知覚出来るほどの。
                それは次第に竜の形を成していく。

                「そこまで!」

                アルゼイの声と共に竜は消えた。
                場内は水を打ったように静まり返る。

                シェルビーはというと、強過ぎる闘気に充てられて、恐怖に身を竦ませていた。

                「シェルビーよ。 その事は我が国最大の機密。 それをこうも簡単に漏らす者に、軍の要職を任すわけにはいかん。」

                アルゼイの怒りの視線に止めを刺され、シェルビーは気絶した。
                直ちにに救護の者が呼ばれ、処置に取り掛かる。

                「誰が何を言おうと、アルベルはれっきとしたアーリグリフ人だ。 不服のある者は、まずこの俺に言うがいい。」

                その脅しが功を奏したのか、アルベルの団長就任に異論を唱える者はいなかった。



                猜疑は爪を研ぎ…正義は牙を剥く…
                定規を捩じ曲げたまま…



                しかし、このシェルビーの失言のせいで、アルベルの出生が貴族達に知れ渡ってしまった。

                媚びを売る者、陰口を叩く者。
                様々な人間が近付いて来た。

                それらを一刀に伏しながら、アルベルは上手く立ち回った。
                四年も経った今、誰もその事を言う者はいない。 …一人を除いて。



                いずれ…少年は白き翼を得るでしょう…そしてその翼が折れても…
                まだあの空へと詠うのでしょう…愚かなる『人々(たみ)』の願いを…




                「…侵入者?」
                「さよう。」

                例年より雪深いある日、三軍団長が呼び出された。
                王都に降り落ちた、奇妙な物体についてである。

                乗組員の二人は、すでに地下牢に収監されたという。

                (どんな奴かは知らねぇが…せいぜい愉しませてもらうか。)

                地下から感じる強大な施力。
                囚人の中に強者がいるようだ。



                嗚呼…少年は黒き剣を取るでしょう…そしてその剣が折れても…
                またその仔らへと託すのでしょう…遥かなる『年月(とき)』の祈りを…




                アルベルは踵を反し、カルサアへと発つ。
                久し振りに、両親の墓参りでもしようと思いながら。

                運命の出会いまで…あと、僅か…。












                                      少年は手に『剣』…背に『翼』…瞳に『未来』を−
                                                         <嗚呼…物語は頁(Page)を捲るように紡がれ続ける>




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