遊走天地的素人歌手 陳昇
陳昇は、実は、最初は音楽創作者になることを志していたわけではありません。最初の希望は画家になることだったと聞きました。その志を誓った場所は、奇妙なことに歴史博物館の前。十九歳の時、ここで絵画展を開くと誓った、と陳昇は言います。その時、他に誓いを立てられる画廊はなかったのですか。どうして歴史博物館に足を運んだのですか。
それが駅の前にあるからさ。分かるだろ、南部の子供たちは、たとえば林強が言ってるように、火車慢慢前走・・・・我的希望和什麼好康的都在那裡(林強のファーストアルバムに収められた、夢と希望を抱いて台北へ出て行く若者を歌った「向前走」の歌詞。オリジナルは台湾語)。だから実際、たくさんの南部から来た人が、そう・・・・駅を出ると、向き合うことになるというわけさ・・・・・あの牛の銅像に、あっただろ。
ええ・・・・新公園の中ですね。(新公園は通称。正式名称は、今は二二八和平公園。台北駅側の入口からすぐのところに牛の銅像がある。Vivien の大好きな侯考賢の映画「風が踊る」では、主人公のケニー・ビーがこの銅像のそばで、ヒロインの鳳飛飛と運命の再会を果たします。鳳飛飛はこのインタビューの PartW にも登場します)
たくさんの人が行く・・・・ここから始まる。つまり、OK、夢はここから始まる。僕に十年の時間をくれ。きっとすべてを征服しよう。あの時に思ったはずだ・・・・あの頃はまだ當兵(兵役に就くこと)もなくて、そこを通るたびに心の中で思ったんだ。よし。あそこでちょうど絵画展があったんだよね。それから公告の垂れ幕もあった。僕に十年の時間をくれ。この垂れ幕はすぐに僕の名前に変わるんだってね。いつもそう思ってたな。あの頃・・・・どちらにしても、地縁が重要な要素だったんだ。
聞くところによると、受験する時、元々は美工(デザイン科?)を受けたかったけれども、結局は・・・・汽車維護(自動車整備科?)に合格したんですね。
実際には・・・・工業、高工で勉強していた頃は、自分が何を学びたいのか、まだはっきり分からなかった。ずっと。もうすぐ兵単(兵役通知)が来る、當兵に行くという時になって、やっと思ったんだ。つまり・・・・何か芸専、美術系の類を受験したいと。
當兵に行くのをあとに延ばすためですか。
でもないな。そうじゃない。つまり絵を画くことを学びたくなったんだ。當兵は僕にとっては、それほど大きな圧力じゃなかった。
最初の仕事は広告会社でしたね。當兵が終わってから、比較的正式な仕事の前に、エレベーターの整備か何かをした。そうですね。
そう、それはもっと早かった。當兵の前だよ。
あなたは一体どれだけのことをしたんですか。
真面目なことは何もしたことがない。この一生でした最も真面目なことは、レコードを作ることってわけさ。
だから、その後、広告会社に入り、話に聞いたんですけど、広告会社に入って美術部門で働けると思っていたのに、結果はどうも業務員にされたようですね。 |