月光下的池塘
桐の樹は故郷を思い出させる植物だ・・・・・。
あれからたくさんの場所を通り過ぎて来たが、手の平ほどの花を咲かせる、この大樹を目にしたことは、もう二度となかったのかもしれない。彼はそう思った。
手の平ほどの花は申し合わせたように、昼時に一斉に綻び開き、淡黄色の花びらが午後のあいだ、陽光に映える。樹木全体に紋白蝶が休んでいるように、暖かい風にまかせ、軽やかに揺蕩う・・・・・。
早くも支え切れなくなったもの、疲れ果ててしまったものは、そうするいとまもないまま、太陽が西に傾く前に舞い落ちてしまう。子供たちは拾い上げ、草の茎を使って花輪を作り、首にかけては、誰がきれいかを言い争う。
いたずらな子供は花びらを摘み上げ、手の平を筒のように丸めた中に置くと、力いっぱい叩いてぱらぱらという音を立てる。女の子をからかい気を引こうというのだ。
桐の樹が池のそばにあると、花びらは池の中に落ちて次々と小船に変わり、池一面に照り映える夕日に向って漂って行く。空気の中には夕餉の匂いが混じり始める。
子供たちはみな散り散りに帰って行く。
いつもこの頃、おじさんは老牛を牽いて帰って来る。老牛は年寄りで、お祖父さんによれば、自分と同じぐらいの年齢だという。力仕事は何もできなくなったので、いつも黄昏どきに、おじさんが散歩に連れて行き、草を食べさせるのだ。
老牛を池のそばにある桐の下に縛り付けると、おじさんは服を脱ぎ、水の中に下りて泳ぎ始める。時には遅くなっても帰って来ないので、お祖母さんが彼を背負い、台所から出て行くことになる。
彼は覚えている。故郷の土くれでできた家は、長年、風雨にさらされ、土はもはや砂のようになり、台所の石段の下に散らばっていた。
彼を背負い、その石段を通る時、お祖母さんはいつも滑って転びそうになり、決まって口の中でぶつぶつと何か呟いた。文句を言っているようだ。
彼は思う。おじさんは本当に聞き分けがなかった。いつもお祖母さんを池のそばまで呼びに来させるのだ。帰って、晩ご飯をお食べ。
彼は覚えている。遠くからやって来るお祖母さんを見つけると、おじさんはわざと息を止め、池の中心に向って潜水する。吐き出された気泡がゆっくりと、水の中でぶくぶく動くのが見えた。
「すごい!」、彼は思う。すぐに向こう岸に着いてしまう。人間もこんなにすごくなれることを、彼は知らなかった。こんなことができるのは、池の中心に住む老鮒だけだと思っていたのだ。
お祖母さんは彼を背負ったまま、老牛のかたわらに立ち、おじさんが息を切らして頭を出すまで、くどくどと罵り続ける。
「ばちあたり! お前なんか、もう帰って来るんじゃない・・・・・」
桐の花があたり一面に落ちていた。老牛の体の上、池のそば、水の中、いたるところに群れを成している黄。
彼は笑っている。おじさんが水から上がって来て、桐の花を一山拾い、耳のきわや髪の上に留めるのが見えたのだ。水面から反射する光に映え、まるで身体にたくさんの紋白蝶が止まっているようだ。とても美しい。
彼は覚えている。あの日は特別寒かった。冬が過ぎようとしていた頃かもしれない、樹に咲く花も寂しかった。
お祖母さんは彼を背負い、池のそばに長いあいだ立っていたが、背中の負ぶい紐がきつくて、彼は居心地が悪かった。
お祖母さんは、しかし何の反応も示さない。風が冷たくて、彼は身をよじり、お祖母さんの注意を引けないものかと期待するのだが、お祖母さんは、しかし何の反応も示さない・・・・・。
老牛はなおも大儀そうに、かたわらに寝そべっている。桐の樹にはちらほらと、もういくつも花のないのが見えた。
村から人々がやって来た。昼間さざめいていた子供たちも集まって来た。人々はぺちゃくちゃと何か話し合っている。
彼はとても寒かった。太陽はすでに見えない。
「おじさんは本当に聞き分けがない。今度は、こんなに潜ったまま、なぜ上がって来ないのだろう」
冷たい風の中で目を見開くと、突然、見慣れない光る影が目に入った。光る影の中にはまばらに桐の花が盛られている。
日は暮れ、太陽は見えない。池の中に一輪の満月が映っていたのだ。
「おじさんは本当に聞き分けがない!」。彼は腹を立てながら、そう思う。
池の中心に揺らめいている一輪の月影。それが恐れという感情を呼び起こしたのだ。
彼が月光の下の池を見たのは、それが初めてだった。
月光の下の池が、恐れという感情を呼び起こしたのだ。
桐の樹は、確かに故郷を思い出させる植物だ。あれからたくさんの場所へ行ったけれど、二度と目にしたことはない。
お祖母さんの様子は、彼の気持ちしだいで、いつもさまざまに記憶を変えた。
しかし、月光の下の池は、彼の記憶の中で、その姿を変えたことは一度もない・・・・・。
Vivien's note :
この小説を初めて読んだ時、心の中が静まって行くような感覚を覚えました。しかし結末近くで、私の心という、その静かな池の中に、石がひとつ投げ込まれ、その石が生み出した波紋は容易にはおさまりません。その時、私は主人公とともに、再び子供時代に戻っていたのでした。この世界には「死や恐れ」というものが存在すると初めて知った、あの子供の季節に・・・・・。
陳昇の原文は詩のように美しい。中文が読める方には、ぜひ原文を読んでいただきたい作品。
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