寂寞帯我去散歩(1999.7)

我往那裡去、才能找到自己


その人は南部での取引をまとめることができず、半年間注ぎこんだ心血はすべて無と化し、台北へ帰って死ぬほどの苦しみを受けるつもりだった。

いつもは最終便なのだが、今日はかえって早い便である。

陽がまだ空に掛かっていた。

待合室には人が行き交っている。しかし、彼の耳にはかすかに、ずっと古い歌が聞こえていた。

「どこへ行けばいいのか・・・・・自分を見つけるために」という歌詞が、心の中で繰り返し響き続ける。

彼は飛行機に乗り込むと、乗務員の気づかうような挨拶も無視し、くずれるように窓側の席に腰を下ろした。

とりとめもなくスピーカーから、操縦士の話す言葉がずっと聞こえている。

「飛行機が落ちるっていうのか? それでもいいさ!」。彼は本当にそう思う。

「私は今から飛行機を少し左に傾けます。そうすれば皆様は夕陽の下の嘉南海岸をご覧になれます。もし視力がもっと良ければ、左下に見えるあの白い建築物が・・・・・安平古堡です」

横の乗客が前かがみになって身体を寄せて来る。見渡すと誰もがそうしているようだ。

彼は仕方なく身体を引いてよける。あの建物に間違いない。何百回も往復していたのに、今まで気がつかなかった。あれがそうだったなんて・・・・・。

陽は雲の中に沈もうとしていた。こんな光景が毎日あるというのだろうか? 彼はそう考える。

とても美しい。彼はちょっと鼻を鳴らし、コーヒーを一杯、持って来てもらうと、すすりながら飲んだ。

「右側のお客様は玉山がご覧になれます。すでにゆっくりと暮色の中に姿を消そうとしています・・・・・」

季節さえも忘れていた。山の頂にまだ少し残雪があるのに気づく。夕陽を映して紅く燃えている。この地方に何十年も住んでいるのに、山登りに行ったことさえ一度もなかった。まったく俺ってやつは・・・・・。自分のことが訝しく思えて来る。

「今日は満月です。月がちょうど私たちの右上方に掛かっています・・・・・」。この操縦士は酒を飲んだのだろうか? 一路、話し続けて、やめようとしない。

しばしの沈黙。突然、今は一体どこまで飛んで来たのか、知りたくなる。台中だろうか?

お袋は、もうおおかた晩飯をすませ、テレビの連続ドラマに向って、まためそめそしている頃だろうか? 失意のせがれが、今まさに悲鳴を上げながら、故郷の上空を飛んでいるとも知らずに・・・・・。

「今や夜色がゆっくりと帳を下ろしました。左側の遥かな海上に燈火があります。あれは桃園の外海にある石油会社の油井台です・・・・・」

飛行機中の人々が一斉に、こちら側に向って来るのが見えた。乗務員はあたふたと動き回り、乗客を席に呼び戻すのに忙しい。

「危ないじゃないか!」。彼は突然叫びたくなる。誰か、彼に言ってやる者はいないのか? 前で操縦しているあいつに。自分がついさっきまで考えていたことは、すっかり忘れている。このまま飛行機が落ちればいいのだ。

飛行機は夜風の中を、滑るように夜の台北へと降りて行く。少しも揺れることはなかった。

乗客がみんな降りてしまうまで、彼は操縦室のドアのあたりで、ぐずぐするのに骨を折った。飛行機を操縦していたあいつが、狭いドアをくぐって出て来る。ちょっと変な叔父さんといったところだ。

変な叔父さんは微笑みながら、お先にどうぞという仕草をした。

機外は肌寒い。彼は衿を少し引き寄せた。だが、その心の中はほかほかと温かい。

「鶏みたいだって言っただろ! 嘉義上空のあの雲・・・・・、鶏のように見えると言ったじゃないか・・・・・」

冷たい風の中、変な叔父さんがなおも副操縦士とやりあう声が、彼の耳に届いた。


Vivien's note :
この小説集には、読み終わったあと、思わず微笑せずにはいられない短編が、いくつか収められているのですが、これもそのひとつ。世界のどこかで、毎日、こんな出来事が起きているのかもしれない。そう考えるだけで、うれしくなって来ます。



皮皮的下午


僕のガイドは約束をすっぽかした。ホテルの入口で落ち合うと決めたのに、屋内に掛かっている時計を覗いてみると、二時間と五分遅れていた。もう来ないだろう、僕は思った。

ホテルの垣根の外は空港の停機場だが、垣根の外といっても実際に壁や何かがあるわけでもなく、乱雑に馬纓丹が生えているだけだ。

本島に返る今日の最終便が飛び立とうとしていたが、八人乗りの小さな飛行機にはまだ空席があった。今年は冬が早い。この小島へ遊びに来ようとする人はいない。誰も自分の家の小島を問題にせず、みな外国へ行ってしまうと僕は思う。

小さな飛行機の操縦士は、そばの副操縦士に何か指図しながらあくびをした。彼らがブレーキを緩めると、飛行機はぐるっと円を描き、もともと響いていたパラパラというエンジン音が、風に吹き払われて静かになった。

皮皮が立ち上がり、二声吠えた。

馬纓丹の花の上で蜜を採っていた小紋斑蝶が、飛行機の巻き上げる風の中でふらつき、転げ落ちてしまった。風の中には日に乾いた馬纓丹のよい香りが漂っている。

小さな飛行機は目覚めたばかりの小さな鉄人のように、心底嫌だといわんばかりに滑走路の端で足を止め、ひとしきり揺れたが、がらんとした腹の中は空っぽなので、すぐに上昇を始め、ぐるっと旋回すると雲の中に潜り込んでしまった。

雲の層は低く、ゆっくりとホテルの方に移動して来た。雨になる。それでも幾筋かの陽光が雲の層を突き抜け、まぶしかった。僕は首をひねると小邱に尋ねた。

「邱! 考えたことがあるかい? 皮皮が何を考えているか」。話の接ぎ穂だと自分では思っていた。

こぬか雨だ。雨の中でも陽光が輝き、細い雨がそっと顔に舞い落ちる。僕は目を細めた。

小紋斑蝶がまた雨の中で転んでいる。僕は笑いたくなった。蝶は慌てて羽を持ち上げると、また雨の中で転んだ。

ガイドはもう来ないだろう。島全体が静まり返り、僕はこの島でただひとりの旅人だった。

皮皮が立ち上がり、馬纓丹の垣根に向かって歩いて行く。一匹の小紋斑蝶がここぞとばかりにその背に止まり、皮皮は蝶を追い払おうと細い雨の中をぐるぐる回る。しなやかな犬のダンサーだ。雨の中の犬のダンサー。小紋斑蝶がそのパートナーだ・・・・・。

小邱は僕のそばに座っていたが、ふたりともぼんやりと見ていた。

「本当に考えたことがないな。あいつが何を考えているか?」

雨はやみ、太陽がまだそこにあった。

「泳ぎに行こうよ!」。小邱が言った。

「皮皮!」。小邱がエンジンを発動させると、犬のダンサーは車に飛び乗った。僕たちは海辺へ向かう。

「飼っているんだから、理解する責任があると思わないか?」。僕は大真面目に尋ねた。

「そうだ! しかし、こいつはずっと忙しくしてる。僕よりも忙しいんだ」

「きっとどの犬も、自由に駆け回ることのできる草原を持っているんだ」。僕は突然そう言いたくなった。

皮皮は僕と小邱の間に座っている。少し涼しいから、その身にまとう長くも短くもない毛の服にぴったりだ。皮皮は窓ガラスのワイパーを見つめていた。ガラスについたばかりの雨粒が、すぐにまた拭い去られる。生まれたばかりの小さな雨粒が、こんな風にすぐ消えてしまうことに、少し当惑しているようだ・・・・・。僕は空港のはずれにある砂浜で、一掴みしてじっくりと眺めた、星のような小さな貝殻のことを思った。

「星の砂!」。小邱が言った。

「本当はとても小さな珊瑚管虫の一種なんだ!」

「虫!」。僕は少し信じられなかった。

この大きな砂浜は、虫が逝去したあとに残した殻なのだ。

「そうだよ! この世界の主人は、本当は彼らなんだ・・・・・」。ほら、もし僕たちが跪いて、じっくり見ようとしなければ、あんたはただ彼らを踏みつけて思うんだ。人間が最も偉大だ」

「実際、ご大層な理屈なんて何も出てこないけど。ここからあそこまで・・・・・」。小邱は手で大空に円を描いた。

「みんな人間さまの世界だ。しかし実際は・・・・・僕たちは単なる通りすがりの客なんだよね?」

「僕たちがこの世界にやって来る前に、虫がすでに長い長い間、ここにいたんだ・・・・・」

「だから、僕たちがここを離れた後は、すべてをまた彼らに返すというわけだ」。僕たちふたりは笑った。

「そうさ! だから、あるいはこう言うべきかもしれない。皮皮が僕の主人である。その方が適切だ」。小邱は皮皮をからかい、皮皮は星が敷き詰められた砂浜を転げ回っている。

「生命は声高に議論したりはしない。いつも沈黙を守っている」。僕はその言葉にまた笑いたくなったが、少し恥ずかしい気にもなった。

車が停まり、僕たちは皮皮のあとを水辺までそぞろ歩いた。この切り立った岸の上には橋があり、湾岸をゆがんだ円形に取り囲んでいるので、馬蹄橋と呼ばれている。

「この橋の下には皮刀魚がたくさんいる。見えるかい?」。水中にひとしきり光る影が走った。

すでに季節は秋だったが、海水はまだ温暖だった。

「南太平洋から流れてくる暖流とつながっているからさ」。小邱は水の中で浮き沈みしながら僕に説明した。皮皮は岸辺で飛び跳ねている。一緒に降りて来たくて、慌てているようだ。

僕たち三人(おかしい! 僕はずっと、僕たちは三人の男なのだと思っている)は秋の日が海に沈もうとする、その名残の温かさを味わっていた。

「皮皮! 少しそっちへ行け」。皮皮はいつも僕たちの間に割り込もうとする。僕は考えていた。もしその言葉が僕たちと同じだったら、きっと彼も星砂や夕陽に対する意見を、喜んで僕たちと分かち合っただろう。

皮皮がそばに寄って来た。この犬はほとんど鳴くことがない。もしかしたら、彼には星砂や草原に満ちた島があるから、激しい感情を必要としないのかもしれない。僕はその性格のよさを感じることができた。

「こいつ、いくつ?」

「五歳」

「それじゃ、三人の大人の男が、ここで肩寄せ合ってるってわけだ」

「そうさ! 皮皮は大人の男だ」。小邱は鼻面を掴んでいる。皮皮は人にこうして遊んでもらうのが好きだ。

「恋人はいるんだろ?」

「いるよ! 僕らの皮皮だったら、そんなことを心に留めたりはしないけど。そうだろ?」

そうなのだろうか? ただ人間だけが情欲という問題で心まで傷つき、それでも無力で問題を解決できないのだろうか。

しかし皮皮の午後は・・・・・

本島へ返る最終便の飛行機を追い回す・・・・・。

馬纓丹の花の上で蜜を採っている小紋斑蝶を驚かす・・・・・。

皮皮の午後は・・・・・

いらいらしている旅人につきあって、日の傾いた細い雨の中に静かに座っている・・・・・。

皮皮の午後は・・・・・

ふたりの濡れそぼった男の間にはさまれて、彼らに暖を取ってやる・・・・・。

皮皮の午後には美しい一輪の夕陽がある・・・・・。

「皮皮に連れられて、この午後を過ごしたと思わないか?」

「そんなに哲学的になるなよ、小邱!」。僕は笑い出した。

「この島にはもともとガイドなんていない。こんな小さな島にガイドなんて必要ないんだ」

「しかし、君が僕に言ったんだ。ガイドと入口で会う約束をしたって!」。僕は考える。彼の意図が分かった。

「それは自分の想像が生み出したことだって、どうして思わないの。僕に腹を立てるなよ! ガイドが必要だと言い張ったのはあんただ。この島の、この季節に、やって来る人なんていない。どこにガイドが・・・・・」

「だけど、一片の雲、一匹の小紋斑蝶、一粒の星砂、みんなに連れられて、午後の間、遊ぶことができただろう・・・・・」

その通りだ! もし自分を狭い枠で囲ってしまえば、目を開けていても、目が見えなくなってしまう。

皮皮が立ち上がり、別の岩岸に飛び移った。岩の隙間からカサコソと蟹が何匹か這い出て来た。

「ガイドが来いと言ってる」。小邱が微笑みながら言った。

夜のとばりがゆっくりと下りて来る。僕たちは星が敷き詰められた砂浜を駆け回った。

「僕たちのガイドは仕事を終えて帰ることがない」。小邱が息を切らしながら言った。

「そうさ! 今まで音を上げたこともないはずだ」


Vivien's note :
男三人の親密な空間、彼らを取り巻く大自然、そして、その大自然に対する小邱の哲学、それらが渾然一体となって生み出す、温かさと爽やかさがこの小説の魅力だと思います。陳昇自身の想いがストレートに表現された好篇ですよね。皮皮(ピーピー)は実在の犬(本の中には写真も載っています)。でも、もう死んでしまいました。悲しい・・・・・。

陳昇の小説には動植物の固有名詞が頻出しますが、あえて日本語には訳していません。辞書にないものも多いのが、ひとつの理由。日本語に訳してもしっくりこないのが、もうひとつの理由です。中国語の名前からイメージをふくらませてください。



寄居蟹偸走了邱佩的殻


邱佩が門を押し開いて入って来ると、大声で叫んでいる。

「邱哥! 私が外で日に干していた苦螺の殻、どこへ掃いてしまったの?」

「殻? 僕じゃないよ」。邱哥は頭を掻いているが、顔に悪気はない。

「あれは人が燈飾を作るのに使うんだから!」

「本当に知らないよ! 何日か前には見たけど、水槽の下に置いてなかったか?」

「そうよ! それがなくなったの。誰が捨てたのか、私が捕まえてやるわ!」

皮皮という名の犬のあとについて、僕は水槽のそばにある洞穴を通り抜け、燈台の下の砂浜まで散歩に行った。

心の中で思う。気違いじみた夫婦だ。一日中、人には理解できない話ばかりしている。苦螺の殻が何だ。数日前の晩餐の酒の肴じゃないか。食べ終えたら、水槽の下に放っておいた。足が生えて逃げたりはするまい。

僕は桶を提げていた。心の中では苦螺炒めで酒を呑んだ滋味を思い返していた。潮が引いているうちに、もう少し拾いに行こう。夕方には小邱とふたりで酒を持って来させ、兵役や学生時代のことをおしゃべりして、静かな夜を過ごすことができる・・・・・。

皮皮は僕の前を走り、ここを嗅いだり、あそこを嗅いだりしている。ここに来て二週間、こいつと親友になり、毎日僕たちは黄昏どきに、燈台の下までそぞろ歩いて来るのだが、昨夜は満潮だったから、僕には分かっていた。今は砂地の岸辺いっぱいに苦螺が転がり、僕が採りに行くのを待っている・・・・・。

たくさんのヤドカリが行ったり来たりしていた。邪魔をしたくはない。ヤドカリは小さなはさみを振り上げて怒り、僕はその間を用心しながら通り抜ける破目になった。

まもなく、桶いっぱいの苦螺を採ってしまった。燈台の下で立ち止まると、涼しい海風が吹いている。曲になっていないメロディを口ずさむ。心の中に言葉にならない静かな幸福感があった。

夜。僕と小邱のおしゃべりがちょうど、「滾水仔」の海辺にはいつも訳の分からないものが現れるという話になった時、ふたりの酔いはすでに頭まで回っていた。

「邱哥! 早く来て! 早く・・・・・!」。邱佩が門を押し開き入って来て、また大声で叫んでいるのが聞こえた。

僕たちは急ぎ足でふらつきながら水槽のそばへ行った。燈をつける。

「あっ! そうか、こいつらが邱佩の殻を盗んでいたのか!」。小邱が声を張り上げ、おおげさに叫んだ。

一団のヤドカリが水槽のそばに整然と並んでいた。砂浜から背負って来た元の古い殻を下ろし、僕たちが食べ終え、そこへ捨てた苦螺の殻と取り替えているところである。

「こそ泥! このこそ泥め・・・・・」。邱佩が笑いながら言った。

皮皮も意に添うように二声吠えた。こそ泥たちは慌てふためき、大急ぎで自分の選んだ殻を背負い込むと、暗闇に姿をくらました。

「今はもう、僕に濡れ衣を着せたりはしないだろう?」。小邱が奥さんに言う。

「えっ! あれは人が燈飾にしようと・・・・・」。邱佩は不満が納まらずにぶつぶつ言っている。

「よし、よし! 明日また行って、君のために拾って来よう!」

門を入る時、小邱はなおもわざと忌々しげに皮皮を睨み付けた。

「皮皮! お前はそれでも犬か? あんなにたくさんのこそ泥! 家の番もできないなんて」

罪を知らない犬の瞳を見やる。内心、まさに笑い出したい気分だった。


Vivien's note :
またまた、Niki の登場。いつも感想、ありがとう。

「皮皮」と「貝の話」読みました。両方ともじわっと胸にしみてくるようないい話で、しかも例によってとても映像的ですね。ヤドカリがずらっと並んでるとことか、奥さんが強くて夫はちょっと気弱な夫婦とか、皮皮が蝶とダンスしてるとことか、小ぬか雨と光とか・・・。私の中で短編映画が2本出来上がってしまいました。それに海の香りや、台湾の風!!も感じることができました。とりわけ「皮皮」は気に入って、今までに訳してもらった中でも一番好きかもしれません。東洋人の心の底に流れている自然観というのか、万物への想いみたいなものにすごく共感しました。

じゃ、私も少し映画の話を。「新寶島康樂隊第一輯」の「(足包)路英雄」を聴いているうちに、私の頭の中にも映画が一本出来上がりました。

黄昏の台北から始まり、黄昏の東海岸で終わる一日の物語。多額の借金を返せなくなった主人公は、車で街を脱出する。前半は夜の国道を走るシーン。その合間に、これまでに起きた出来事がカットバックでインサートされる。友の裏切り、愛した女との別れ。夜明とともに後半が始まる。故郷の東海岸の風景の中で、出会った老人や子供にも助けられたりして、主人公は徐々に元気を取り戻して行く。そしてラスト、自分自身の矜持や誇りを頼みにして、主人公は新たな一歩を踏み出すのだ。「(足包)路英雄」は午前十時頃の海辺を走るシーンのバックに流すつもり。エンドタイトルに流すのは「淒美燈台」。夕暮れの光の中に浮かび上がる主人公のシルエットに、あの美しいメロディがかぶさるのだ。前半はかなり陳腐だけど、それは故意に狙ったもの。ただあふれる陽光や、光る風を捉えた後半と対照させるつもり。

と、こう書きながら思ったんですけど、Vivien ってオタクですよね。自分でも自覚しておりますわ(笑)。これは「淒美燈台」以下の部分を除いて、陳昇への二通目のファンレターに書いた話。うふ。こんな手紙もらって、どう思ったでしょうか。でも、陳昇もかなりの映画ファンなんですよね。よかった(笑)。



月光下的池塘


桐の樹は故郷を思い出させる植物だ・・・・・。

あれからたくさんの場所を通り過ぎて来たが、手の平ほどの花を咲かせる、この大樹を目にしたことは、もう二度となかったのかもしれない。彼はそう思った。

手の平ほどの花は申し合わせたように、昼時に一斉に綻び開き、淡黄色の花びらが午後のあいだ、陽光に映える。樹木全体に紋白蝶が休んでいるように、暖かい風にまかせ、軽やかに揺蕩う・・・・・。

早くも支え切れなくなったもの、疲れ果ててしまったものは、そうするいとまもないまま、太陽が西に傾く前に舞い落ちてしまう。子供たちは拾い上げ、草の茎を使って花輪を作り、首にかけては、誰がきれいかを言い争う。

いたずらな子供は花びらを摘み上げ、手の平を筒のように丸めた中に置くと、力いっぱい叩いてぱらぱらという音を立てる。女の子をからかい気を引こうというのだ。

桐の樹が池のそばにあると、花びらは池の中に落ちて次々と小船に変わり、池一面に照り映える夕日に向って漂って行く。空気の中には夕餉の匂いが混じり始める。

子供たちはみな散り散りに帰って行く。

いつもこの頃、おじさんは老牛を牽いて帰って来る。老牛は年寄りで、お祖父さんによれば、自分と同じぐらいの年齢だという。力仕事は何もできなくなったので、いつも黄昏どきに、おじさんが散歩に連れて行き、草を食べさせるのだ。

老牛を池のそばにある桐の下に縛り付けると、おじさんは服を脱ぎ、水の中に下りて泳ぎ始める。時には遅くなっても帰って来ないので、お祖母さんが彼を背負い、台所から出て行くことになる。

彼は覚えている。故郷の土くれでできた家は、長年、風雨にさらされ、土はもはや砂のようになり、台所の石段の下に散らばっていた。

彼を背負い、その石段を通る時、お祖母さんはいつも滑って転びそうになり、決まって口の中でぶつぶつと何か呟いた。文句を言っているようだ。

彼は思う。おじさんは本当に聞き分けがなかった。いつもお祖母さんを池のそばまで呼びに来させるのだ。帰って、晩ご飯をお食べ。

彼は覚えている。遠くからやって来るお祖母さんを見つけると、おじさんはわざと息を止め、池の中心に向って潜水する。吐き出された気泡がゆっくりと、水の中でぶくぶく動くのが見えた。

「すごい!」、彼は思う。すぐに向こう岸に着いてしまう。人間もこんなにすごくなれることを、彼は知らなかった。こんなことができるのは、池の中心に住む老鮒だけだと思っていたのだ。

お祖母さんは彼を背負ったまま、老牛のかたわらに立ち、おじさんが息を切らして頭を出すまで、くどくどと罵り続ける。

「ばちあたり! お前なんか、もう帰って来るんじゃない・・・・・」

桐の花があたり一面に落ちていた。老牛の体の上、池のそば、水の中、いたるところに群れを成している黄。

彼は笑っている。おじさんが水から上がって来て、桐の花を一山拾い、耳のきわや髪の上に留めるのが見えたのだ。水面から反射する光に映え、まるで身体にたくさんの紋白蝶が止まっているようだ。とても美しい。 彼は覚えている。あの日は特別寒かった。冬が過ぎようとしていた頃かもしれない、樹に咲く花も寂しかった。

お祖母さんは彼を背負い、池のそばに長いあいだ立っていたが、背中の負ぶい紐がきつくて、彼は居心地が悪かった。

お祖母さんは、しかし何の反応も示さない。風が冷たくて、彼は身をよじり、お祖母さんの注意を引けないものかと期待するのだが、お祖母さんは、しかし何の反応も示さない・・・・・。

老牛はなおも大儀そうに、かたわらに寝そべっている。桐の樹にはちらほらと、もういくつも花のないのが見えた。

村から人々がやって来た。昼間さざめいていた子供たちも集まって来た。人々はぺちゃくちゃと何か話し合っている。

彼はとても寒かった。太陽はすでに見えない。

「おじさんは本当に聞き分けがない。今度は、こんなに潜ったまま、なぜ上がって来ないのだろう」

冷たい風の中で目を見開くと、突然、見慣れない光る影が目に入った。光る影の中にはまばらに桐の花が盛られている。

日は暮れ、太陽は見えない。池の中に一輪の満月が映っていたのだ。

「おじさんは本当に聞き分けがない!」。彼は腹を立てながら、そう思う。

池の中心に揺らめいている一輪の月影。それが恐れという感情を呼び起こしたのだ。

彼が月光の下の池を見たのは、それが初めてだった。

月光の下の池が、恐れという感情を呼び起こしたのだ。

桐の樹は、確かに故郷を思い出させる植物だ。あれからたくさんの場所へ行ったけれど、二度と目にしたことはない。

お祖母さんの様子は、彼の気持ちしだいで、いつもさまざまに記憶を変えた。

しかし、月光の下の池は、彼の記憶の中で、その姿を変えたことは一度もない・・・・・。


Vivien's note :
この小説を初めて読んだ時、心の中が静まって行くような感覚を覚えました。しかし結末近くで、私の心という、その静かな池の中に、石がひとつ投げ込まれ、その石が生み出した波紋は容易にはおさまりません。その時、私は主人公とともに、再び子供時代に戻っていたのでした。この世界には「死や恐れ」というものが存在すると初めて知った、あの子供の季節に・・・・・。

陳昇の原文は詩のように美しい。中文が読める方には、ぜひ原文を読んでいただきたい作品。



馬纓丹的懺悔


授業開始のベルはずいぶん前に鳴った。阿洛には分かっていた。午後の一時間目、苦瓜は必ず遅刻し、苦瓜が来るまでは、机の上に真面目に教科書を広げようとする者はいない。

さらに机に突っ伏して眠っている者さえいて、起きようともしない。

阿洛の前の席は、先週から空席になっていた。机の抽斗には、片付けられていない荷物がまだ並べられたまま、阿茂が何日か来ないだけで、小さな蜘蛛が何匹か住み着いていた。

苦瓜は言った。

「同級生のみなさん、・阿茂一家はブラジルへ引っ越して行きました」。言い終えるとすぐに教科書を開かせ、黒板にサッサッと「新生活運動」という大きな文字を書き始めたが、阿洛は抽斗の片付けられていない荷物を見つめていた。実は、それがどういうことなのか、同級生は誰もが知っていた。

この学期の間、何人もの生徒が突然授業に来なくなり、苦瓜はそのたぴに言った。「誰それは家族とともにブラジルへ引っ越して行きました・・・・・」

彼は帰ると、父さんに尋ねた。

「父さん! ブラジルってどこにあるの?」

父は煩そうに答える。

「沖什小(台語)・・・・・! 地球の裏側だ」

春模の家も同様で、宗教に入信してからは、他の家族との行き来をあまり好まなくなった。それでも小麦粉やミルクなどは受け取ることができたのだが、どうやらやがてブラジルへ引っ越したようだ・・・・・。翌日、苦瓜は授業中にまた冷ややかに発表した。

「劉春模一家はブラジルへ引っ越して行きました・・・・・」

そのあとすぐに教科書を開かせる。

実は、それがどういうことなのか、同級生は誰もが知っていた。

昼休みが終わったばかりで、廊下はがらんとしている。生徒はみな教室に入ったが、阿洛は黒板の前に行くと、チョークの粉にまみれた黒板拭きを手に取り、教室を出た。

廊下の端には小さな池があり、阿茂はその池で亀を飼っていた。阿洛は遠くから亀を見た。緑滴る萍蓬草の間から首を伸ばし、日向ぼっこをしているところだ。

級長が廊下の別の端から急いで駆け戻ると、爪先立ちをして、黒板に「自習」という大きな二文字を書いている。苦瓜はこの授業に来ないと、彼には分かった。

阿洛はしばらく池のそばに立っていた。阿茂の小亀は、阿茂がもう二度と戻って来ないことを知らない。お祖母ちゃんは言った。亀というものは百歳まで生きる! 人間よりも長寿だ。またこうも言った。自分はそんなに長生きしたくない。そんなに長生きすれば、現世の報いを受けるに決まっている。早く死ねば、早く生を超えられる。この亀が何か忌諱に触れたのでなければ、あんな深くも浅くもない池の中に百年も住まなければならないなんて・・・・・。それは現世の報いってものだろ?

「阿茂はもう二度と戻って来ない」。彼は小亀に言いたかった。しかし亀にその意味が分かるだろうか。彼は池の縁から一本の竹棒を取り出した。その竹棒は苦瓜が職員室から持って来て、生徒を修理するのに使うものだ。阿茂が盗んで来て、ここに隠したのだ。黒板拭きを池の縁に向けて置き、力を込めて叩くと、竹棒は黒板拭きの上に軽やかな白い霧を舞い上げた。萍蓬草の間から頭を覗かせて見ていた小亀は、警戒してまた首を引っ込めてしまった。阿洛は亀に向かってちょっと笑った。

パッパッパッとそれほど精を出さなくても、黒板拭きの白い粉はすべて池の中に舞い落ちてしまった。小亀は物憂げに、萍蓬草の咲いたばかりの黄色い小花を噛んでいる。明日は蚯蚓か何かを持って来てやらなくては、と阿洛は思う。亀はひどく飢えた時でなければ、草を食べたりはしないと知っていたからだ。あの時、阿茂にこう言ったのを覚えている。

「あの池には何もいない。亀を飢え死にさせるつもり?」

阿茂は彼に目配せをし、反動をつけて池の対岸にある木麻黄の茂みに身を躍らせ、蹲ると汚い手で地面の上を撫ぜて言った。

「見えるかい?」

「何?」

「そんなに叩かないでくれよ? 見えるかい?」

「何だよ?」

阿茂は手当りしだいに木麻黄を一掴み引き抜き、最も細長い一本を選ぶと、口の中で湿らせた。地面にはまばらに小さな穴が開いている。阿茂は一心にその木麻黄を捩ると、穴の中で回転させた。不思議なことに、彼がその木麻黄を捩りながら持ち上げると、マッチ棒ほどの虫が一匹噛み付いていた。阿洛は目を大きく見開き、珍しそうに、また崇めるように眺めた。

「戦甲・・・・・」(虎甲虫の幼虫)

阿茂はそう紹介して、阿洛に見せてくれた。すぐに阿茂はアルミ缶一杯に戦甲と雉母虫(蝉の幼虫)を詰め込んだ。

「蚯蚓でもいい。亀はどっちみち何でも食べる!」。阿茂が一匹ずつ池に投げ入れると、小亀は萍蓬草の間を水を掻きながら・・・・・、水を掻きながら・・・・・。

阿洛は我に返り、心の中で思った。明日はきっと蚯蚓を何匹か持って来てやろう。阿茂は行く前に、どうすれば戦甲を釣ることができるのか、あるいは雉母虫を探せるのか、それもちゃんと教えてくれなかった。彼は何度か試してみたが、うまく行かなかったのだ。「兄弟なら、俺を助けて、ちゃんと面倒を見てくれるだろう。餌をやるのを手伝ってくれたら、前方宙返りを教えてやる」。言い終えると草地でとんぼ返りを始め、阿洛は羨ましげに眺めるのだった。

「本当に何でもないんだよ! 教われば、すぐに出来る。見ろよ・・・・・!」。彼は何歩か後退りすると、身を躍らせて飛び上がる。これこそ阿茂の一番すごいところだ、と阿洛は思った。誰も三回前方宙返りなんて出来ない・・・・・。彼は本当に只者ではなかった。(土卑)仔頭の(土川)溝を泳いで渡ることさえ出来たのだ。彼は一度見たことがある。阿茂と牛に草を食べさせに行く約束をした。彼の記憶では、それは夏休みの最後の日・・・・・。

老牛は(土川)溝のそばで満足げに草を食み、ふたりは目を細めて草地に寝転んでいたのだが、阿茂は突然飛び起きて言った。「泳がないか・・・・・?」。語気は落ち着いていた。

「無理だよ・・・・・」。阿洛は彼がふざけているのだと思い、どす黒い(土川)溝を眺めていた。叔父さんの牛がしばらく前に転げ落ちて、鳴き声をあげる間もなく、急流に八里も流された。人間がどうして下りて行けよう? 本当に笑わせるやつだ。

彼が我に返るのを待たずに、阿茂はすでにシャツを脱ぎ捨て、(土川)溝のそばへ歩み寄った。「阿茂、冗談はやめろよ」。阿洛は本当に恐くなって来た。彼がすごいのは分かっている。何回も前方宙返りをすることだって出来る。クラスの風紀係も恐れていて、わざわざ彼と面倒を起こそうとはしない。しかし、あのどす黒い水の中に下りて行けば、牛のように姿が見えなくなるかもしれない。

「阿茂! だめだよ!」。阿洛は気がせいて、今にも泣き出しそうだった。

対岸まで泳ぎ切った時、草地に立ち、興奮して大騒ぎした阿茂の様子を、彼はずっと忘れることができなかった。苦瓜は授業中にしばしば、罰として彼を立たせ、さらにクラスの同級生に向って言った。「・阿茂、お願いしてもいいかな? 君は少なくとも国小だけは終えなければならない。ちゃんと懺悔をしてくれないか・・・・・」。ある時は、こうも言った。

「教会のあんなに尖った塔にも、君は登って行こうとする。落ちて死んでしまうのが恐くはないのかね?」。同級生はみな密かに笑っていた。阿茂は教会の尖塔には白頭翁の雛がいると言ったのだ。阿洛に飼いたいかと尋ね、登って取って来てやってもいいと言った。その後、取って来たものがただの古い巣だったことが知れて、同級生は何日も嘲笑した。しかし阿洛は笑わなかった。彼は阿茂に心服していた。阿茂が本当にすごいことを知っていたからだ。(土川)溝を泳いで渡るのを見たのは彼だけである。人に話して聞かせても、誰も信用しないだろう。そのうえ、何回も前方宙返りをすることさえ出来た。阿洛は思う。自分がもし一回でも前方宙返りが出来れば、それでもう得意満面だろう。「まだある! 君は台語を話してはいけない。何度か言ったことだ。君がまた何か『老狼假婚棒別賽』などと言うのを私の耳に入れたら、君が私を試してみるなら・・・・・」

苦瓜に打たれて阿茂が泣いたことは一度もなかった。苦瓜がどんなにひどく打っても、手の平や手の甲で何度打っても、阿茂はいつも笑いながら自分の席に戻るのだった。授業が終わると、また黒板に汚い字を書きながら、大声でみんなに宣揚する・・・・・。「これは台語じゃないぞ! 老lao3狼lang2假jia3婚hun棒bang4別bie2賽sai4・・・・・(意味 : 老人が煙草を吸って白い糞をする。訳註 : この意味の台湾語を北京語の音で表している)。ちくしょう! 苦瓜はそれでも無実の罪を着せるのか・・・・・」。同級生はまた一団となって笑った。けれども、すべては次第に遠ざかって行く・・・・・。

「阿洛! 早く教室に入らないと、苦瓜に見つかるよ」。級長が廊下の向こう端で彼に向って叫んだ。池の小亀が萍蓬草の花や葉を噛んでいるのを見ながら、心の中で思う。「苦瓜は絶対授業に来るもんか。阿茂ももう戻っては来ない・・・・・。僕は今では池の小亀に責任があるんだ・・・・・」。阿茂はもう戻っては来ない。数日前、学校から帰ると鞄を放り出し、台所に近づくと、父さんが母さんに話しているのが聞こえた。

「定仔の息子が、(土川)溝で水に流された・・・・・」

彼が台所に入って来たのを見て、母さんは口を閉じるように合図した。父さんは母さんと交替し、かまどの前で炊きかけの豚の飼料に薪を足した。母さんはいたわるように、一晩中彼をそこに座らせてくれた・・・・・。

翌朝、教室に入ると人の話が聞こえた。水中から掬い上げられ、むしろを被せられた阿茂を見に行った者がいたのだ。大人たちが担ぎ上げようとした時、むしろが滑り落ち、阿茂の鼻孔からはまだ汚泥が覗いていたと言う・・・・・。その後の数日間、彼はいつもひとりで、(土川)溝沿いの小道をのろのろと歩きながら登校した。苦瓜は授業中に素っ気なく言っただけだった。

「・阿茂一家はブラジルへ引っ越して行きました」

級長がまた教室から頭を伸ばして彼を呼んでいる。阿洛は手の中の竹棒で、水の中にそっと線を画いていた。彼の話している言葉は誰の耳にも届かなかった。

「亀さん! 僕が君の面倒を見る。君は百歳まで生きるんだ!」。ある日、阿茂がまた罰をくらったことを今も忘れない。放課後、ふたりは(土川)溝沿いを歩きながら家に帰った。稲田は土が鋤き返されたばかりで、水が蓄えられ、西に傾いた太陽が水面に映え、青っぽい黄色のかけらが一面に散らばっていた・・・・・。ふたりはずんずん歩いていたが、阿茂は突然足を止め、道沿い一帯に生える含羞草(訳註 : おじぎ草)を弄んだ。「見ろよ! 含羞草だって懺悔をするんだ!」。彼は力いっぱい弄んだ。「懺悔だ! 懺悔だ! 懺悔・・・・・」。阿洛には、彼が怒りを抑えているのが感じられた。さらに彼は冷ややかに言った。「馬纓丹が懺悔するのを見たことがあるかい?」

「明日、君に蚯蚓を持って来る!」。阿洛は立ち上がり、池の小亀に向って言った。

午後の一時間目、廊下はがらんとしていた。阿洛は黒板拭きをぎゅっと捻っていた。あまりにも長い間蹲っていたあと、急に立ち上がったせいか、目の前が真っ暗だ。

頭の中でただ自分に問い掛けていた。

「ブラジルって一体どこにあるんだろう?」

そうして、のろのろと教室に向って歩いて行く・・・・・。


Vivien's note :
阿茂は、陳昇の考える「男の子はこうあるべき」像なのではないかと思います。誇りや矜持という言葉が浮かんで来ます。たとえ子供であっても、上等な人間はやはり上等であり、人間には年齢というものは関係がないのだという気になりますね。その亡き畏友・阿茂に注ぐ阿洛の憧憬と悲しみに満ちた視線が切ない。実はこの小説集の中で、これが Vivien の一番好きな作品。阿茂と阿洛の気持ちは、まるで自分のことのように理解できます。

2000年の年末に台湾へ行った時、この小説の中に出て来る白頭翁という鳥を見ました。關渡(MTR 淡水線)でバードウォッチングをしている時に、知り合った女の子が教えてくれました。「日本にはいないけど、台湾ではどこにでもいる鳥」。その言葉通り、翌日、外雙渓の川岸を散歩している時、群れになっているのを見ました。しきりに囀りながら、柳の樹の上を飛び回っていたのです。雀ぐらいの大きさの可愛い小鳥。




HOME PAGE
BOOKS INDEX