浄瑠璃寺本堂(九体寺本堂)

所在地 京都府相楽郡加茂町大字西小 種別 寺院(真言律宗)
構造形式 桁行十一間、梁間四間、一重、寄棟造、向拝一間、本瓦葺
時代区分 平安後期 年代 保元2年(1157)頃
指定年月日 1952.03.29 所有者 浄瑠璃寺
浄瑠璃寺の創建は永承2年(1047)とされる。創建時は薬師如来を本尊としたので、薬師仏の浄土である浄瑠璃世界から、浄瑠璃寺と名付けられた。現在は、九体阿弥陀仏を本尊することから、九体寺とも呼ばれる。
境内中央の宝池を挟んで、池の東側に薬師如来を祀る三重塔が、池の西側に阿弥陀如来九体を安置する本堂が配置されている。この寺での拝礼の方法は、東の薬師如来を拝んだ後に、振り返って池越しに阿弥陀如来を拝むのが本来の形とされている。


宝池の対岸から、西方の本堂を見る。西方に阿弥陀仏を安置した極楽浄土を表す。

本尊の九体阿弥陀仏は中央で来迎印を結んだ中尊の両側に4体ずつ脇侍がはべる、国宝仏。
平安時代に極楽往生を願う浄土信仰が高まり、九体阿弥陀仏が盛んに造立されたが、浄瑠璃寺に現存するのみ。
本堂の創建は永承2年(1047)で、当初は薬師如来を本尊としたが、嘉承2年(1107)に本尊を移して本堂を新たに造り、翌年に仏像の開眼供養をした旨の記録が残されている。その後、保元2年(1157)に本堂は池のほとりの現在地に移されたとされる。
九体の阿弥陀仏をそれぞれ一間ごとに横に並べて配置するため、桁行11間、梁間4間という細長い建物になっている。
九体阿弥陀仏を祀る本堂としては現存する唯一もの。


一間の向拝 降棟の鬼瓦に設けられた鳥衾瓦

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