都久夫須麻神社本殿

所在地 滋賀県長浜市大字早崎 種別 近世以前/神社
構造形式 桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、前後軒唐破風造付、周囲庇及び正面向拝一間付、総檜皮葺
時代区分 桃山 年代 身舎:慶長7年(1602)、向拝及び庇:永禄10年(1568)
指定年月日 1953.03.31 所有者 都久夫須麻神社
附指定 1953.03.31 棟札 1枚
都久夫須麻神社は、社伝によると、雄略3年(420)に浅井姫命を祀る祠が作られたのに始まるとされる。琵琶湖に浮かぶ竹生島は、古くから信仰の対象となった霊場であり、中世頃から神仏習合が進み、弁財天を祀る宝巌寺と一体化する。明治に入り、神仏分離令により、分離され、現在は宗教法人としても別法人であるが、都久夫須麻神社の本殿と宝巌寺の観音堂は廊下でつながっている。
文化庁の指定文化財データベースに記載された解説文「現在の本殿は永禄十年再建されたものに、慶長七年豊臣秀ョが伏見城の建物を寄進して組合せたものである。方三間の身舍部分が伏見城の遺構で漆塗、金蒔絵、彫刻、極彩色に鍍金金具を以って装飾し極めて豪華富麗であり且つ手法の優秀なこと桃山時代の代表的建築と云える。」


慶長7年に豊臣秀頼により改修される際に、元の本殿にあった向拝と庇を、京都・伏見城(豊国廟という説もある)から移築した身舎(もや)の周りに取り付けた、という特殊な構造になっている。
都久夫須麻神社本殿は、宝巌寺の観音堂と渡り廊下(国重文)でつながっている(写真の左側)。


入母屋造、総檜皮葺の屋根 軒唐破風の破風板に、龍の浮き彫りが施されている。破風板の下面には、その中央部に兎毛通が、両側に茨がある。


扉には牡丹や鳳凰などの彫刻がはめ込まれており(写真の中央部下)、長押の上に菊や牡丹など彫刻が施されている。 長押の上の彫刻

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