延暦寺根本中堂

所在地 滋賀県大津市坂本本町 種別 寺院(天台宗山門派)
構造形式 桁行十一間、梁間六間、一重、入母屋造、瓦棒銅板葺
時代区分 江戸前期 年代 寛永17年(1642)
指定年月日 1953.03.31 所有者 延暦寺
附指定 1953.03.31 須弥壇及び宮殿 3具
延暦寺は天台宗の総本山。延暦7年(788)、最澄が一堂をたて、自作の薬師如来像を安置したのが始まりとされる。最澄没後の弘仁14年(823)、嵯峨天皇から延暦寺の勅号を与えられる。
以後朝廷の庇護もあり、東塔、西塔、横川の三塔・十六谷に3000余りの僧坊が建立され、比叡山の全域が境内というほどに栄えた。法華・密教・浄土・禅が展開され、日本仏教の各宗派が誕生する「母なる山」となった。しかし政治的にも隠然たる勢力になり、元亀2年(1571)、織田信長の軍勢により、全山が焼き討ちにあい、西塔の瑠璃堂を除いて焼失する。その後、豊臣家、徳川家の援助により復興し、江戸時代の寛永期にはほぼ現在の形になった。平成6年、世界遺産に登録される。
現在の根本中堂は、徳川家光の命により、寛永17年(1642)に再建されたものであり、創建のものから数えて八代目になる。


正面11間(37.6m)、側面6間(23.9m)の、赤土の朱で塗られた豪壮な建造物である。
延暦寺諸堂の中心的存在であり、創建当初の天台密教の本堂建築様式を伝えるとされる。

奥行き6間のうち、前面の通り1間を外陣、その奥1間を中陣、奥4間を内陣とする。
外陣と中陣は境のない板敷で中陣が一段高くなっているが、中陣と内陣とは扉構で厳重に画されており、内陣は石敷の土間となっている。
内陣には、中央に薬師如来を、その左に文殊菩薩を、右に伝教大師をまつる。

文化庁の指定文化財データベースに珍しく解説文が載っているので全文を紹介する。
「根本中堂は延暦寺創立と共に建てられたが、現在の建物はェ永十七年に再建されたものである。堂々たる堂宇で、内部は外陣を礼堂として板敷であるのに対し内陣は土間としている。これは密教建築の基本的形式を殘すもので文化史上重要な遺構である。」


前庭を囲む回廊(重要文化財)と中門が付属する。根本中堂の入母屋造の屋根は現在、瓦棒銅板葺であるが、寛政10年(1798)までは、回廊・中門と同じ栩葺であった。


中央の三間は桟唐戸、両側の各四間は蔀戸 柱の上の組物三手先組。三手先組を繋ぐ通肘木の上に花肘木、下に蟇股中備として配して、軒下が豪華に飾られている。

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