唐招提寺講堂

所在地 奈良県市五条町 種別 寺院
構造形式 桁行九間、梁間四間、一重、入母屋造、本瓦葺
時代区分 奈良 年代 奈良
指定年月日 1952.11.22 所有者 唐招提寺
附指定 1952.11.22、1967.06.22 蟇股4、高座
唐招提寺は、唐の高僧・鑑真大和上により、孝謙天皇より賜った平城京右京五条二坊の地に、天平宝字3年(759)に創建された。鑑真は受戒の師として招聘され、天平勝宝5年(753)に来日し、東大寺戒壇院で多くの僧に戒律を授ける。そして東大寺戒壇院を退き、与えられた皇族の旧宅地に私寺を建立し、唐律招堤と名付ける。当初は小さな寺であったが、鑑真の死後、弟子などによって、金堂、五重塔などが建立され、9世紀始めには大伽藍となる。
その後、天災や戦乱などで興亡を繰り返し、廃仏毀釈を経て、今日に至り、往時の勢いはないものの、天平文化を今に伝えている。
講堂は、唐招提寺創建当時、朝廷から賜った、平城宮の会議場、東朝集殿を移築したものである。古代宮城唯一の遺構でもある。


移築前は、側面と背面両端一間以外の壁は無く、開放的な建物であったが、講堂に改築する際に、壁、扉、連子窓を付け、屋根も切妻造から入母屋造へと、仏堂らしく改築されたという。

鎌倉時代の改修で、軒を支える組物は、和様から、当時の大仏様(天竺様)や禅宗様(唐様)に変えられ、江戸時代にも大修理を受けたが、創建当時の骨格はよくのこされているという。


本尊の弥勒如来坐像(鎌倉時代)。
脇侍の左は持国天、右は増長天(いずれも奈良時代)。
妻飾豕扠首(いのこざす)懸魚猪の目懸魚

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