東福寺三門

所在地 京都市東山区本町十五丁目 種別 寺院(臨済宗)
構造形式 五間三戸二階二重門、入母屋造、本瓦葺、両山廊付、各切妻造、本瓦
時代区分 室町中期 年代 応永12年(1405)
指定年月日 1952.03.29 所有者 東福寺
東福寺は、臨済宗東福寺派の大本山で、恵日山と号する。
藤原氏の嫡流、関白九条道家は、嘉禎2年(1236)、法性寺の寺域に新たな大寺院の建立を発願し、聖一国師・円爾弁円を開山として、建長7年(1256)完成する。東大寺と興福寺を範にとって、東福寺と名付ける。
東福寺は天台、真言、禅を兼学する寺院であったが、元応元年(1319)に焼失した後、再建するにあたって、禅宗寺院としての威容を整える。京都五山の一つに数えられ、多くの塔頭が立ち並んで栄え、戦火にもあわずに明治を迎える。明治14年(1881)、仏殿、法堂、方丈などを焼失するが、三門の他、禅堂、東司、浴室(いずれも国重要文化財)が残っており、中世禅宗寺院の寺観を保っている。
東福寺三門は、室町時代の禅宗寺院の姿を今に伝える貴重な遺構である。仏殿の前に建つ門であり、一般には山門と表記されるが、東福寺では三門と表記する。空門・無相門・無作門の三解脱門の略という。


五間三戸で二階・二重であり、両側に屋根付きの階段が付設されている。

二階内には、釈迦像や羅漢像が安置され、柱や梁は極彩色に彩られている。

屋根の四隅を支える柱は、天正大地震による傷みを天正13年に豊臣秀吉が補修した際に、補充した柱であり、「太閤柱」と呼ばれている。


「妙雲閣」の額 構造的には、組物さし肘木で形成されていることにみられるように、天竺様(大仏様)であるが、柱間において梁の上に詰組が置かれており、唐様(禅宗様)が折衷されている。

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