太山寺本堂

所在地 兵庫県神戸市西区伊川谷町 種別 寺院(天台宗)
構造形式 桁行七間、梁間六間、一重、入母屋造、銅板葺
時代区分 鎌倉後期 年代 13世紀末
指定年月日 1955.06.22 所有者 太山寺
太山寺は、藤原鎌足の子の定恵により開山され、孫の宇合によって、元正天皇の勅願時として霊亀2年(716)に建立されたと伝えられる。南北朝時代には、子院41ヶ坊、末寺8ヶ寺、末社6ヶ社を持ち、僧兵を養って勢力を張ったが、その後の盛衰により、現在は5ヶ坊となっている。
本堂は、創立は不祥であるが、弘安8年(1285)に前身が焼失した後に再建されたものである。
文化庁の情報によれば、「弘安八年(一二八四)焼失後まもなく再建された」となっており、建築年も「弘安8」と明記されているが、寺のパンフレットでは、永仁年間(1293〜99)に再建されたと記載されている。(文化庁の情報に付されている本堂の写真は明らかに間違っている。文化庁の情報の信憑性は低い?)


正面が約20m、側面が約18mと規模が大きく、密ヘ本堂の優秀な作品とされている。

正面七間は総て蔀戸であり、側面も外陣の三間は板唐戸と蔀戸であり、開放的。
屋根は銅板葺になっている。
当初は檜皮葺であったようだが、屋根の緑青と柱等の朱とが調和して美しい。

和様を基調として、唐様天竺様が折衷されている。


柱の上の組物出三斗であり、中備間斗束である。いずれも和様であるが、肘木の滑らかな曲線は唐様である。また木鼻は天竺様である。

扉は板唐戸
入母屋屋根の妻飾りは、豕扠首
懸魚猪ノ目懸魚
外陣からみた本堂内部。
奥の内陣は、両側の脇陣と背部の後陣で囲まれており、本尊の薬師如来が安置されている。
柱は円柱。
天井は、支輪小組格天井を折上げにした折上小組格天井

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