新薬師寺本堂

所在地 奈良市高畑町 種別 寺院
構造形式 桁行七間、梁間五間、一重、入母屋造、本瓦葺
時代区分 奈良 年代 奈良
指定年月日 1952.11.22 所有者 新薬師寺
新薬師寺は、聖武天皇の眼病平癒を祈願して、天平19年(747)に光明皇后によって建立されたと伝えられる。寺のパンフレットによると、新薬師寺の「新」は「あたらしい」ではなく「あらたかな」薬師寺という意味らしい。
8世紀後半には金堂を中心にして四町四方に亘る伽藍を擁し、南都十大寺の一つに数えられる。しかし、宝亀11年(780)に落雷で西塔などが焼失し、さらに10世紀中ごろに金堂が強風で倒壊する。鎌倉期に復興され、江戸期には5代将軍徳川綱吉の桂昌院の庇護をうけるが、往時の規模には比べるべくもない。
本堂は、現在の新薬師寺の堂宇のなかで、唯一の奈良時代の遺構である。本尊の薬師如来坐像(国宝)、十二神将立像(国宝)を安置する。十二神将は現存するものでは最古。
文化庁の解説文の紹介「本堂は様式上奈良時代のものと思われ、天平十九年光明皇后が新藥師寺を創立された時に建立されたものと見られる。 堂は内部に天井を張らず全部化粧屋根裏とし、中央に大きな円形仏壇を設けた珍らしい形式を持っている。」


もともとは本堂ではなく、食堂あるいは檀院として使われていたものを転用したと考えられているが、定かではない。鎌倉時代に寺を再をする際に、改修して本堂とされた。全体として簡素な造りの雰囲気。


柱の上は大斗肘木二軒繁垂木の、地垂木は断面丸型、飛檐垂木は断面角型であり、古来の「地円飛角」が守られている。
入母屋屋根の入母屋破風

鬼瓦は、現役で働いているものとしては、最古・最大という。

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