海龍王寺五重小塔

所在地 奈良市法華寺町 種別 近世以前/寺院
構造形式 三間五重塔婆、本瓦形板葺
時代区分 奈良 年代 天平
指定年月日 1951.06.09 所有者 海龍王寺
附指定 1951.06.09 木箱入法華経二巻及び垂木口金物二箇
寺の創建は飛鳥時代に遡るが、天平3年(732)、光明皇后の願いにより、初代住持を玄ムとして、新たに堂舎を建立し、海龍王寺と改められた。鎌倉時代に入り、西大寺の叡尊との関係が深くなり、真言律宗の筆頭格寺院となる。しかし応仁の乱に際して打ち壊しにあうなど、以後、衰退する。現在、本堂の他に、西金堂(重文)、経蔵(重文)、山門などが残る。
五重小塔は、創建当時から西金堂内に安置されていたもの。西金堂と対面して、同様に五重小塔が安置された東金堂が建っていたが、明治初年の廃仏毀釈で失われた。天平時代の五重塔として現存する唯一のものであり、天平時代の建築技術を知ることができる貴重な遺産。


高さ4.01mの小塔。
実物の1/10の縮尺で、外観は正式な建築手法で作られているが、四角い箱の外面に貼り付けただけのもの。従って、実物の塔の雛形として作製されたものではない。
柱間寸法の各層の逓減は現存五重塔中最大である。下から見上げるのではなく、正面から見られることを意識したことによるものとみられる。
建物内に安置されているため、風雨に曝される塔であれば改修されやすい軒周りや屋根も、天平のままの様式が残っており、奈良時代の建築を知る上で貴重な史料でもある。


四層目と五層目 相輪は明治の修理の際に復旧されたもの


初層 壁や扉が省略されている 組物三手先組であり、精巧に作られている

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