西明寺本堂

所在地 滋賀県犬上郡甲良町大字池寺 種別 寺院(天台宗)
構造形式 桁行七間・梁間七間 一重 入母屋造 向拝三間 檜皮葺
時代区分 鎌倉前期 年代 鎌倉前期
指定年月日 1952.11.22 所有者 西明寺
西明寺は、百済寺、金剛輪寺と並んで、湖東三山の一つ。
平安時代の承和元年(834)、仁明天皇の勅願により、三修上人が創建したと伝わる。平安から室町の各時代を通じて、祈願・修業道場として栄え、源頼朝が来寺して戦勝祈願をしたと伝えられる。戦国時代に入り、元亀2年(1571)、比叡山焼き討ちの直後に、西明寺も織田信長の焼き討ちに合うが、本堂、三重塔、二天門は火災を免れる。
本堂の他に三重塔も国宝、二天門は国重要文化財。江戸時代になり、天海大僧正により復興され、現在に至る。
本堂は、建築様式から鎌倉時代前期の建立とされる。当初は方五間の仏堂であったが、南北朝時代に七間堂に拡張し、向拝も附加するという大改造を受けて、今の姿になったとされる。本尊は薬師如来。


正面の七間は総て蔀戸、側面は礼堂部分の前三間が妻戸、後四間が白壁。中央二間が内陣、後二間が後戸。縁は礼堂の三方のみに設けられている。
西明寺本堂の改造時とほぼ同時期に建立された金剛輪寺本堂とこれらの造りが共通する。
西明寺と金剛輪寺は2km程度しか離れていないので、何らかの影響が相互にあったと思われる。
しかし西明寺本堂には、金剛輪寺本堂にない向拝が三間幅で設けられている点で大きく異なる。


西明寺本堂では、柱上の組物出三斗であり、中備が彫刻入の蟇股である点で、金剛輪寺本堂と異なる(金剛輪寺本堂の組物は出組、中備は間斗束)。


向拝の三つの蟇股

国宝建造物目次に戻る
前の頁に戻る                     次の頁に進む