金剛輪寺本堂

所在地 滋賀県愛知郡秦荘町大字松尾寺 種別 寺院(天台宗)
構造形式 桁行七間・梁間七間、一重、入母屋造、檜皮葺
時代区分 室町前期 年代 室町前期
指定年月日 1952.11.22 所有者 金剛輪寺
附指定 1952.11.22 厨子
金剛輪寺は、西明寺、百済寺とともに湖東三山と称される名刹のひとつ。
天平13年(741)に、聖武天皇の勅願により、行基が開き、後に円仁が再興したと伝えられる。平安時代には天台宗の寺として栄え、鎌倉・室町時代には、近江守護佐々木六角氏の保護を受け、多くの堂塔が建立された。天正元年(1573)、織田信長の焼き討ちにあうが、僧の機転により本堂や三重塔、二天門は焼失を免れたという。三重塔及び二天門は国重要文化財。
本堂は大悲閣といい、弘安の役で元軍を敗退させたあと、観音の霊験に感謝して、佐々木頼綱が弘安11年(1288)に再興したと伝える。ただ、現在では、南北朝時代の建立と考えられている。本尊は聖観音菩薩であり、阿弥陀如来座像など、14体の重要文化財の仏像が安置されている。


正面の七間は総て蔀戸、側面は礼堂部分の前三間が妻戸、後四間が白壁。
中央二間が内陣、後二間が後戸。縁は礼堂の三方のみに設けられている。


金剛輪寺本堂と西明寺本堂はほぼ同じ時期に建立(改造)された七間堂であり、これらの造りが両者全く同じである。
しかし金剛輪寺本堂には向拝がない点で大きく異なる。


柱の上の組物は出組(一手先)、組物間の中備間斗束。この点でも西明寺本堂と異なる。出組は、三斗組大斗から肘木を一つ飛び出させ、この肘木の先端の上に三斗組を乗せたもので、一手先組ともいう。

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