仁和寺金堂

所在地 京都市右京区御室大内 種別 寺院(真言宗御室派)
構造形式 桁行七間・梁間五間 一重 入母屋造 向拝一間 本瓦葺
時代区分 桃山 年代 慶長18年(1613)
指定年月日 1953.11.14 所有者 仁和寺
仁和寺は、仁和2年、光孝天皇(886)が国家安泰を願って建立を計画し、遺志を継いだ宇多天皇により、仁和4年(888)に完成させた。同年、空海の弟子の真然を導師に迎えて落慶法要が営まれた。宇多天皇は退位の後、出家して仁和寺に法皇の御所である御室を建立して、住坊とする。以後、仁和寺は最初の門跡寺院となるとともに、門跡寺院筆頭の格式を持ち、皇子皇孫が明治維新まで門跡となる。
仁和寺は応仁の乱で甚大な被害を蒙るが、江戸時代初め、京都御所から紫宸殿、清涼殿を移築するなど、江戸幕府の援助で復興される。現在の姿は、ほとんどこの時期によるもの。
境内は御室御所跡として史跡に指定され、国宝の金堂の他に、国重要文化財の建造物として、五重塔、二王門、鐘楼、観音堂、経蔵、二つの茶室(飛濤亭、寮郭亭)などを擁する。また平成6年に世界遺産に登録される。


応仁の乱で荒廃した仁和寺は、徳川幕府の援助で寛永年間(1624-44)に復興されたが、同時期、幕府は内裏の新築も行なっており、旧紫宸殿が仁和寺金堂としてに移築改修された。

紫宸殿は慶長18年(1613)に建てられたものであり、移築にあたって基本構造に変化は加えられなかったが、屋根は桧皮葺から本瓦葺に、内部は内陣外陣に区分して仏堂に改変された。
一方、蔀戸妻戸などの外回りの建具や、透かし彫りの金具など、宮殿風の意匠も濃厚に残っている。

上 正面側
下 背面側


金堂の本尊の阿弥陀三尊像

阿弥陀如来坐像と、右脇侍の観音菩薩立像、左脇侍の勢至菩薩立像。左右の脇侍は通常とは逆に配置されている。
霊宝館に安置されている、本来の阿弥陀三尊像は、国宝であり、仁和4年(888)に、仁和寺の創建と同時に制作されたとされる。
阿弥陀の定印をもつ単独彫像としては現存最古のものとされている。

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