清水寺本堂

所在地 京都市東山区清水一丁目 種別 寺院
構造形式 本堂 桁行九間、梁間七間、一重、寄棟造、東西北にもこし付、
正面両翼廊及び庇、舞台、西面翼廊付、総檜皮葺
時代区分 江戸前期 年代 寛永10年(1632)
指定年月日 1952.11.22 所有者 清水寺
附指定 1952.11.22 厨子3
寺の縁起によると、宝亀9年(778)、夢に導かれて音羽山の清水にたどり着いた僧・延鎮により庵が結ばれ、延暦19年(798)に坂上田村麻呂の寄進で伽藍が建立されたのが始まりとされる。延暦24年(805)に桓武天皇の御願寺になり、弘仁元年(810)に鎮護国家の道場となって、隆盛を極めた。
しかし、清水寺は南都・興福寺に属したため、延暦寺と興福寺の抗争に巻き込まれたこともあって、たびたび堂舎を焼失した。江戸時代に入って、寛永6年(1629)にも本堂などを焼失したが、徳川幕府の援助で、再興される。
本堂は、記録によると9回火災にあっているが、寛永6年(1629)の火災の後、寛永10年(1632)に再建される。本堂の本尊は十一面観音菩薩であり、西国三十三箇所第十六番札所となっている。


清水の舞台として有名な、崖に突き出るように建つ懸造。

内部は礼堂と正堂に分かれており、本尊を安置する正堂は石敷き。
一間を挟んで舞台のように張り出す礼堂は懸造の柱梁構造で支持された板敷き。密教系寺院の本堂としてよくある形式とか。
この複雑な構造を覆う屋根は、桧皮葺寄棟造。正面両翼は入母屋造。東北西面に裳階
手前礼堂 奥正堂 懸造の柱梁構造

国宝建造物目次に戻る
前の頁に戻る                     次の頁に進む