南禅寺方丈

所在地 京都市左京区南禅寺福地町 種別 寺院(臨済宗)
構造形式 大方丈及び小方丈よりなる
大方丈: 内陣、御昼の間、鳴滝の間、麝香の間、鶴の間、西の間、柳の間、六畳、狭屋の間、広縁より成る、一重、入母屋造、こけら葺
小方丈: 虎の間 三室、九畳、六畳、二十畳、広縁よりなる、一重、背面切妻造、前面大方丈に接続、こけら葺
時代区分 桃山時代 年代 天正年間
指定年月日 1953.11.14 所有者 南禅寺
南禅寺は、臨済宗南禅寺派の大本山。正式には瑞龍山太平興国南禅禅寺という。正応4年(1291)、亀山法皇が、東福寺の無関普門を開山として、禅林寺殿を禅寺に改めたのが始まり。禅寺の格式制度である五山が始まると、南禅寺は准五山、五山第一位、と格式を高め、足利義満のときには五山之上という最高の寺格をもって栄える。応仁の乱で戦火にあい、荒廃するが、桃山時代に再建される。
現在の伽藍は、豊臣秀吉の寄進に始まり、江戸時代の初めまでに整備されたものである。方丈の他に、藤堂高虎の寄進になる三門、及び勅使門が国重要文化財に指定されている。
方丈は、禅宗寺院における僧の住居である。南禅寺方丈は、大方丈と小方丈からなる。
大方丈は、以心(金地院)崇伝の要請で、慶長11年(1611)、京都御所を新たに造営する際、御所の一部を移築したものである。もとは、天正14年(1586)造営の清涼殿であり、後陽成天皇より拝領したものである。
小方丈は、承応元年(1652)、桃山城の小書院を移築したものとされている。


大方丈は、小堀遠州作の前庭に面する柿葺入母屋造の建物であり、正面と左側面は桟唐戸、右側面は蔀戸


内部の六室の襖絵は狩野元信、狩野永徳の筆になる。
大方丈(正面)
大方丈(右側面)


小方丈は、大方丈の背面にL字型に接続しており、増築したように一体化している。


文化庁の記録によると、小方丈は背面切妻造となっているが、上の写真のように入母屋造であり、不可解。


小方丈の虎野間の襖絵は、狩野探幽の筆になる「水飲みの虎」。
小方丈(大方丈の屋根に接続されている)
左側面の廊下 手前大方丈小方丈

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