教王護国寺五重塔

所在地 京都市南区九条町 種別 寺院(真言宗)
構造形式 三間五重塔婆、本瓦葺
時代区分 江戸前期桃山 年代 寛永20年
指定年月日 1952.11.22 所有者 教王護国寺
延暦13年(794)、桓武天皇によって平安京が造営され、平安京の正面の入り口である羅城門を挟んで、左右に東寺と西寺が置かれた。東寺は平安京の左京と東国の鎮護を、西寺は右京と西国の鎮護を目的としていたといわれる。現在の御所は当初の位置より東側にずれているが、東寺は元の場所にそのまま残っている。一方、西寺は失われており、その跡地が残るのみ。
弘仁14年(823)、嵯峨天皇は官営の大寺であった東寺を空海に下賜し、空海は鎮護国家と真言密教の根本道場として東寺を整備する。空海の死後、10世紀に教王護国寺と称するようになる。
東寺の伽藍配置は、南大門を入って、金堂、講堂、食堂が一直線に置かれ、左右に五重塔と灌頂院が置かれている。
五重塔は、創建以来、4度焼失し、その都度再建されてきた。現在の五重塔は5代目にあたり、寛永12年(1635)に焼失した後、弘法大師没後800年を記念して、徳川家光によって再興された。寛永18年着工、同21年(1644)完成。高さ54.8mであり、現存の仏塔としてはわが国最大。


細部の組物は純和風であるが、近世的な建築手法を取り入れることによって、幅の広い上層階を形成することを可能にしているという。


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