高山寺石水院(五所堂)

所在地 京都府京都市右京区梅ヶ畑栂尾町 種別 近世以前/寺院
構造形式 桁行正面三間、背面四間、梁間三間、正面一間通り庇、一重、入母屋造、妻入、庇葺きおろし、向拝一間、こけら葺
時代区分 鎌倉前期 年代 鎌倉前期
指定年月日 1953.03.31 所有者 高山寺
附指定 1953.03.31 棟札 2枚
高山寺は、宝亀5年(774)に光仁天皇の勅願により開基されたとされる。鎌倉時代に入り、後鳥羽上皇などから帰依を受けた明恵上人(1173-1232)が堂坊を復興し、中興開山した。そして建永元年(1206)に「日出先照高山之寺」の勅額を賜り、寺号を「高山寺」と改称する。室町末期には戦乱により荒廃したが、江戸時代に入って、永弁・秀融上人により再興される。栂尾山と号し、真言宗御室派系の単立寺院である。
石水院は、明恵上人が後鳥羽上皇から学問所として賜った建物であり、鎌倉期から残る唯一の遺構である。もとは金堂の東の位置にあったが、明治22年に現在地に移された。


          建物の正面
正面一間は縋破風通り庇となっている。さらにこの通り庇から一間幅の向拝が突出する。蔀戸の上半分が跳ね上げられている。
          建物の左側面
柱の上は舟肘木、垂木は疎垂木。簡素な、住宅風建築である。


      建物の右側面からみた内部
蔀戸の上半分を跳ね上げ、下半分取り外すことによって、全面が開放されている。
   内部に華麗な彫刻が施された蟇股


桁行が正面三間で背面四間という態様、正面に一間の通り庇が縋破風として設けられている態様、妻入という態様、いずれも建物として一般的な態様ではないので、建物の全体を外から観察したかった。建物は塀によって囲まれており、また建物周囲の庭に降りることもできないので、かなわず残念。寺への入場料とは別に、石水院に入るだけのために別途料金を徴収するのもいただけない。

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