広隆寺桂宮院本堂
所在地 | 京都府京都市右京区太秦蜂岡町 | 種別 | 近世以前/寺院 |
構造形式 | 八角円堂、一重、檜皮葺 | ||
時代区分 | 鎌倉前期 | 年代 | 建長3年(1251)頃 |
指定年月日 | 1953.03.31 | 所有者 | 広隆寺 |
附指定 | 1953.03.31 | 厨子 1基 | |
広隆寺は、「日本書紀」によれば、推古天皇11年(603)、秦河勝が、聖徳太子より仏像を賜って蜂岡寺を建てたのが始まりとされる。また「広隆寺縁起」には、推古天皇30年(622)、同年に死去した聖徳太子の供養のために、秦河勝により創建されたとある。いすれにしても、渡来系の秦氏の氏寺として創建された、京都最古の寺である。弘仁9年(818)、久安6年(1150)と、大火により伽藍は焼失するが、まもなく再建され、安永年間(1172-11811)にほぼ現在の姿になった。真言宗御室派の寺院。 桂宮(けいきゅう)院は聖徳太子が楓野別宮を起こしたところと伝えられる。現在の桂宮院本堂は、建長3年(1251)頃に中観上人により再建されたものである。 |
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聖徳太子を信仰の対象とする太子信仰に伴う建築の一つであり、聖徳太子像(現在は霊宝殿に移動)をまつる。 一辺が7尺(2.1m)の小規模な八角円堂である。 周囲に縁を廻らして、その下に亀腹が覗く。屋根は檜皮葺であり、軒の反りが強い。東西南北の面に扉を設け、扉のない面には盲連子の窓を設ける。 法隆寺夢殿を参考にして建造されたものと思われる。 |
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4、5、10、11月の日曜・祝日のみ、公開されている。それも塀の中に入ることはできないので、門の外から覗き見るしかない。近くでじっくり見たかったが、残念。 |